藤原道長一族の衰退
「一条天皇」「三条天皇」「後一条天皇」の歴代3人の天皇にそれぞれ「彰子」「妍子」「威子」の3姉妹を嫁がせて、その全員を「中宮」にするという偉業で垣間見られた藤原氏の栄華は長くは続かず、「藤原道長」の息子「藤原頼通」「藤原教通」の時代になって次第に衰えていきます。
それは・・・娘を天皇に嫁がせても、彼らの娘は「皇子を生まなかった」からで、これによって1068年には「宇多天皇(うだてんのう)」以来170年ぶりに藤原氏を親戚としない天皇、「後三条天皇(ごさんじょうてんのう)」が現れます。そして、歴史は大きく変貌することになるのです。
なんだか、完全な男社会ではあるものの、皇子を産む女の力が、それを上回るってことですよね。要するに、いつの世も「女は強し」ってことですかっ。
藤原道長というひとを、源氏物語の主人公光源氏のモデルと、創造しました。(クロウ裏・源氏物語による)紫式部は1010年台に亡くなったといわれています。 藤原道長の全盛期頂点は3人の娘を天皇のお后にした、1018年だと考えるとと、式部は、その衰退を知らずになくなったことになります。 しかし、源氏物語の後半では光源氏の衰退期を描き、その後を空白の謎で暗示し、宇治十帖につなげています。 この空白には、光源氏の、つまり藤原道長の衰退の機微を描き記そうと思ったのではないかと創造します。 栄枯盛衰の理からいうと、式部の暗示予言は普通のことであり、物の条理ってことで済ませばいいのかもしれませんが・・・・。なんか妙に心に引っかかるものがあるのです。益々源氏物語が好きになりました^0^。