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沖縄-北谷-1 海上特攻艇秘匿壕と若き隊員1600名

2015年05月09日 | 太平洋戦争

 以前糸満・真栄里にある特攻艇秘匿壕を紹介した。ここでは北谷町にある海上特攻艇秘匿壕まで行こうとしたが、結果は撃沈。見つけることはできずです。秘匿壕があるのは、北谷町吉原990番地付近・・・北谷町の白比川沿い、北谷城の対岸に旧陸軍の海上特攻隊の特攻艇マルレの秘匿壕が残っているというところまで調べたが残念。再度マルレ(〇の中にレ)について、正式名称は「連絡艇」といい陸軍の作った合板製のモーターボートで、全長5.6m、速力25 ノットで、250kg爆雷を1基か、または120kg爆雷を2基を搭載し、目標に体当たりするという特攻艇である。

 

北谷町吉原990番地付近・・・北谷町の白比川沿い、北谷城の対岸・・を手がかりに行ったのはここ。川沿いのどこかにあるのだが。。。

 

 目的達せず消化不良につき、日本陸海軍が行った海上特攻について補足説明です。海上特攻隊が編成された理由は、戦況の悪化にある。本来であれば敗戦の決断がなされるはずの1944年、最後の切り札として考えられたのが海上特攻である。1944年、米軍がマリアナ諸島・ニューギニア西部に進出したため、フィリピン目前となり沖縄侵攻も予測範囲内となり戦局は益々悪化。すでに航空戦力の消耗は激しく、敵の進撃を阻止するには敵船団を上陸する前に撃破する以外に方法は無かったのである。かくして1944年7月に陸軍海上挺進戦隊が結成されて訓練が開始された。

  結成された陸軍海上挺進戦隊の隊長には陸軍士官学校51期・52期・53期・54期の若い少佐と大尉(当時22歳~25歳)があたり、中隊長には陸軍士官学校57期を主体とした中尉・少尉(僅かに21歳頃)がその任に就いた。従って小隊長や一般隊員は船舶特別幹部候補生の当時16才~18才の少年兵が主として充当されたのである。こうして選ばれた16才から25才の若き精鋭たちは1944年10月、おのおの最後の決戦地へと配備されたのである。これら陸軍海上挺進戦隊は国軍の大きな期待を担っていたにもかかわらず、無防備な特攻艇を操り、生還を期すことはできない。こうした条件下で、敵船艇を撃沈すること数十隻という戦果を上げたにもかかわらず隠密部隊であっただけに世に発表されることはなかった。青春のすべてを秘匿特攻攻にささげた隊員は1600名以上の多きに及んだことは決して忘れてはいけない。

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