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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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十字架の奥義

2015年03月20日 05時47分53秒 | メッセージ
【新しい創造】
「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」(Ⅱコリント5:14)
 人類の始祖アダムが罪を犯した時、アダムには直接に関係のない後世の人々まで、アダムと同じ罪の中にあるものとなったのです。
 しかし、第二のアダムといわれているキリストが十字架で死なれた時、実は、キリストに直接関係のない人々も、キリストとともに死んだのです。神の子であられるイエス・キリストが、ゴルゴダの丘で十字架につかれたとき、その御姿の中に全人類は死んだのです。
 これが、イエス・キリストの十字架が啓示している贖罪であり、奥義なのです。私たちはすでにイエス・キリストとともに死んでいるのです。そして、それは
「生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(Ⅱコリント5:15)といわれているのです。これは、キリストの十字架による新しい生活です。
 第一に、すべての人に新しい創造が与えられることです。
 私たちの古い人はキリストとともに死に、私たちは、キリストとともに新しいいのちによみがえったのです。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)
 キリストによる新しい創造は、改造ではなく、改善でもないのです。それは新しいいのちによる新生であり、新しい出発なのです。
 第二に、すべての人に新しい目標が与えられるのです。
 今までは、私たちは、ただ自分のために生きていました。自己中心、自分本位、自分のために要求し、追求してきたのです。それが、キリストともに死に、新しいいのちによみがえった時、生きる目的はキリストのためであり、キリストのために人生を用いることになったのです。これこそ、クリスチャンの目的であり、人生の目標なのです。
 第三にすべての人に新しい奉仕が与えられるのです。
 もはや自分のためではない、よみがえられたお方のために、その生涯をささげ、その愛を、その動力を、その才能を、その持ち物のいっさいをささげて仕える新しい奉仕が始まるのです。
 自分のために生きた生涯は、むなしく、やがて失われていくでしょう。しかし、キリストのために生きた生涯は、永遠に続くものです。
 私たちはキリストにあって新しく創造され、新しい目標を知り、新しい奉仕に向かうようになります。これこそ、真のクリスチャンの道なのです。
  
本田弘慈著「十字架の奥義」より引用・要約しました。 A.O