・「道ありき」(32)
病室に帰ってからわたしは思った。(自分の背骨が結核菌に蝕まれているというのに、レントゲンにはっきり映し出されなかったばかりに、こんなに足がふらふらになるまでわからなかった。このままもしわからずにいたとしたら、わたしの骨は全く腐ってしまって、死ぬよりほかになかったのではないだろうか)そしてまた思った。魂の問題にしても、同じことが言えるのではないだろうか。罪の意識がないばかりに、わたしは自分の心が蝕まれていることに気づかないのではないだろうか。
わたしの心は定まった。一刻も早く洗礼を受けなければならないと、今度は切羽詰まった思いになった。西村先生はこの決心を聞いて、心から喜んでくださった。「全く堀田さんの言う通りですよ。吾々人間と言うものは、罪の恐ろしさが分からないのです。もし癩菌が血液の中に発見された、わたしはどんなに驚いて医者にかけつけていることでしょう。しかし、罪があることを知っても、そんなにあわてふためいて神のところに行かないのです。」こうして私の洗礼は7月5日と決まった。
病室に帰ってからわたしは思った。(自分の背骨が結核菌に蝕まれているというのに、レントゲンにはっきり映し出されなかったばかりに、こんなに足がふらふらになるまでわからなかった。このままもしわからずにいたとしたら、わたしの骨は全く腐ってしまって、死ぬよりほかになかったのではないだろうか)そしてまた思った。魂の問題にしても、同じことが言えるのではないだろうか。罪の意識がないばかりに、わたしは自分の心が蝕まれていることに気づかないのではないだろうか。
わたしの心は定まった。一刻も早く洗礼を受けなければならないと、今度は切羽詰まった思いになった。西村先生はこの決心を聞いて、心から喜んでくださった。「全く堀田さんの言う通りですよ。吾々人間と言うものは、罪の恐ろしさが分からないのです。もし癩菌が血液の中に発見された、わたしはどんなに驚いて医者にかけつけていることでしょう。しかし、罪があることを知っても、そんなにあわてふためいて神のところに行かないのです。」こうして私の洗礼は7月5日と決まった。