2006年12月16日に「金」と言う課題で書いた文章 . . . 本文を読む
欧州旅行の作文を集めていたらこの文章にぶつかった。 . . . 本文を読む
「再会」と言う課題で5年前に書いたもの。 . . . 本文を読む
課題:眠り 2005年11月21日 . . . 本文を読む
「灯」と言う題が教室で出たと聞いて、思い出した . . . 本文を読む
~~~「恋人の小径」?島根大学構内~~~
高校に入学した1960年、安保の年だが、わたしは教室の
窓際の席に座っていた。すっかり忘れていた
そのことを、今回、ふと思い出した。
担任の指示で出席簿の順に座ったら、時代は混合名簿からは
はるかに遠くて、6人いた女子が、みな窓際になったのだ。
そこからはサッカーゴールや野球のバックネットと
ともに、校庭のユーカリや竜舌蘭が見える。
見 . . . 本文を読む
米国に赴任中の夫とともに、ワシントンへ1泊2日の旅をしたのは、
10年あまり前だった。1月初めで、地面には薄く雪が積もっているが、
それでもシカゴから来ると、少し暖かく感じた。
初日、スミソニアン博物館をまわり、2日目に、お決まりの
観光コースをたどった。ワシントン記念塔に長いエレヴェーターでのぼり、
リンカーンの巨大な座像の前で記念撮影などをした後、かねてからの
私の希望で、ポトマック河畔の桜 . . . 本文を読む
師走のある朝、私は餅つきが始まるのを今か今かと待っている。
だが、庭には蒸籠(せいろ)が湯気を立てているだけで、人影がない。
昼も近くなってからようやく、あたりがにぎやかになり、人々と道具が現れる。
杵を持った3人の男たちが臼を囲んで、蒸しあがった餅米をこね、
互い違いにつき始める。恐ろしいような勢いである。
やがて、つき手1人に介添えの女性1人の、なじみの形へと移る。
白、草、粟、黍(きび)の . . . 本文を読む
アンデルセンの「雪の女王」は、むかし創元社の世界少年少女文学全集で
読んで以来、忘れられない一篇である。
雪の女王は、極北の地の、氷で出来た「理知の宮殿」に独りで住んでいる。
幼い男の子カイは、街で見かけた女王の魅力に惹かれて、宮殿まで
ついて行ってしまう。というのも彼は、悪魔の鏡の破片が
目に入ったために、無邪気さを失い、幼馴染の少女ゲルダや周囲の
暖かい環境にことごとく反発するようになって . . . 本文を読む
〈近所の庭に残っていた薔薇)「22歳」その青年と会ったのは、1973年秋、信貴山の上である。当時、私は玄米自然食とか、断食とかに、興味を持ち始めていて、その日は大阪周辺の断食道場を偵察するため、生駒山と信貴山に上った。庭をぶらついていると、1人の若者が、「こんにちは」と声をかけてきた。10日間の断食を4日前に終えたと言う。やせこけた体に、長髪とブルージーンズという装いだ。定職につかず、バ . . . 本文を読む
何年か前の作です。
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今から27年前、32歳の時、新婚の夫と共に、青年海外協力隊に参加した。
正確に言えば、海外に行きたくて、協力隊員と結婚したのだ。
しかし、派遣先のシリアが肌に合わなかったと見えて、一週間目でお腹を
下し始めた。手持ちの薬を呑んだり、町医者にかかって見たり、腹巻き、
ハーブティーと、いろいろ試してみたが、いっこうに効き目が無く、
とうとう、大使館主催の歓迎会に . . . 本文を読む
これは大阪で書いたものです。
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この題を見て「何だろう?」と不審に思う人も多いだろう。
大阪人は日本一歩くのが速いし、歩くことが好きだ。
エスカレーターでも、動く歩道でも、
信号が黄色でも赤でも、大阪の人は果敢に歩き続ける。
これほど歩行の能力と意欲に富んだ人々を、今さら啓発したり、
測定したり、などということを思いつく役人はいないだろう。
これは、私が住んでいた、東京は三鷹での話である . . . 本文を読む
わたしは子供のころから、足で苦労してきた。靴屋で自分に合う靴を見つけることができないのだ。一緒に買いに行った人が、決まってだんだん不機嫌になる。時間ばかり食って、見つからない。何も、デザインがどうの、値段がどうの、という問題ではない。単に、サイズの問題だ。 東京にいた頃、週末に友人が付き合ってくれたが、渋谷の靴屋を何軒か回っても見つからず、翌日、銀座で探しても見つからずとうとう御徒町まで行ってやっ . . . 本文を読む
私が子供のころ、デパートは街の中心だった。戦火をあびた鹿児島市では、
大半の人が住んでいた掘っ立て小屋のような家々の間で、冷暖房と昇降機を完備した白亜の殿堂「山形屋」は燦然とかがやいていた。
お金もないのに買い物好きな母は、子らを引き連れて、暮れになると
デパートに行く。私も本や雑誌、学用品、新しい衣服などを買ってもらい、
帰りは、館内の食堂か、そば屋や、お汁粉屋に寄る。
年に何度もない贅沢にう . . . 本文を読む
歳末のいろいろな行事は、子どもの頃はただわくわくと楽しかったが、
主婦ともなると、まず義務感が先にきて、気が重くなる。
今も思い出すのは、結婚したばかりの次姉(当時24歳)が、
「お正月なんて無ければいい!」とヤケ気味に言い放ったことである。
姉は、女の仕事にかけては3人姉妹で一番よくできたのだが、
完璧主義者だったので、そんな気分にもなったのだろう。
私の場合は、結婚して初めての正月をシリ . . . 本文を読む