ある日の夜電話がなり、ある人に会って欲しいと三女からの電話でした。後日私と奥様と居酒屋さんである人と三女と4人で会食をしました。ある人は背丈が高くスマートでハイセンスな男性でした。
娘と結婚したいとの事でした。奥様が子供は如何ほど欲しいですかと尋ねていました。
色々雑談が弾み楽しいひと時でした。数日後ハイセンスな男性のご両親のお宅で結納の運びとなり直方を訪ねる事となりました。
直方のご両親に歓迎して頂き有りがたく、安心致しました。直方の多賀神社で結婚式を挙げることになり、当日私どもにしたは初めて娘を嫁がせることで、奥様も何ともいえないような気持ちになり目頭にハンカチを当てていました。
想えばこの娘は我が家では三拍子揃った才女でした。姉とはいつも一緒に遊び共に勉学に励みライバル同士でした。
今は二人目の女の子を出産し、ハイセンスな旦那様と共に家族4人で仲良く暮らしております。此れからもどうぞ皆様と共に幸せの道を歩まれ、ご精進なされますことを希望いたします。
「日々」は、人間のひとりひとりに、望むままのものを与える、パンでも王国でも星々でも、それを包む大空でも。
私は、木の枝や蔦の生い茂る庭で、この美しい行列を眺め、朝のうちもっていた願いを忘れ、あわてて、 わずかばかりの薬草とりんごを受けとっ たにすぎなかった。「日々」は むこうを向いて、だまって立去った。私は彼女の髪のリボンの下に、嘲りの色を見たが、時はすでにおそかった。
「永遠」につながる「日々」を、いかにしてゆたかな充実したものとなしうるかという・・・・・
<script type="text/javascript"></script>
先日東京の息子の招待で再び都を訪れ、帝国ホテルと六本木ヒルズを廻り、大成功を収めた人々が住む東京シティビユーの六本木ヒルズ展望台に、家内とヒルズの若い兄ちゃんの案内で上がり大勢の群集のうごめく中で、東京の24時間休むことのない世界と、当時は東京では最も高い展望台であった東京タワーを見おろし、見事な夜景と東京タワーをバックにひな壇に上がり家内とツーショットを又若い兄ちゃんから撮って頂き。
老舗の帝国ホテルに向かい食事を頂きました。
まだ荒削りな六本木ヒルズと対照的な老練な帝国ホテルを同時に感じ、此れから進む未来の日本をふと不安を感じながらも、沢山の外国人が集う帝国ホテルの存在も感じ、
此れからもこの二つの世界がともに共存し、栄え進歩し素晴らしい世界が開かれる事を願い後にしました。
愛はかくして天国を実現する
神の愛は、執せずして放つのである。それは籠(かご)の中の小鳥を、籠から出して野に放つように放つのである。放たれた小鳥は自然のままの姿に返る。それは美しく、良き声をもって囀るのである。小鳥自信が幸福であるばかりでなく、その解放された小鳥の姿を見、声を聞く自分も幸福なのである。そこに天国が本当に実現したのである。かくのごときが本当の”神の愛”である。
再び母の日を前に、東京の次男坊のご招待で奥様と気温差の激しい小雨の降る午後、飛行機に乗り、ガタガタと機体がゆれ、奥様は私の手を確りと握り、灰色の厚い雲の中を突き抜けると、そこはもう青い真っ白い見渡す限り無限の雲海で、その上をまるで飛び魚がとぶかのようにひとっ飛びで羽田に着きました。
数年前私どもを遠い中訪ねて頂きました可愛らしい女性を訪ね、
渋谷駅前の百貨店を訪ねその人を尋ねると不思議にもその人が本人さんでした。親しみのあるお話をしていただき沢山の商品を入れて頂き、見えなくなるまで見送っていただきました。
丁度ラッシュ時で沢山の人々が波のうねりのように電車に乗っている姿を見て、ふと急ぐ急行電車より普通電車が良いと思い、ゆっくりと普通電車を待ち乗りますと案の状ゆっくりと座れました。
今回は三泊四日でゆっくりと素晴らしいご招待をしていただき、奥様は超高層ビル群のレンガ造りの静かな聖地のような谷間を歩き大変喜んでいました。
浦島太郎の煙りのようにあっという間に時間が過ぎ、帰りの羽田空港では危うく乗り遅れる処でした。奥様は足の痛みを抑え、麗しき乙姫さまのご案内で、この人生で初めて検査所から飛行機の乗り口まで猛ダッシュしました。
家では沢山の花のお迎えがありました。ありがとうございました。
高輪プリンスホテルに就職してから、いろんな仕事を経験し元気に活躍している次男坊の招待で、初めて妻と尋ねる事に相成りました。
今回も妻は窓側に陣取り私の手を握り富士山が見えたよと、とても綺麗ねと、息をひそめまんじりともせず、私たちの真向こうに見える深遠なる清らかな富士山の姿を窓からきえるまで見つめていました。
間もなく眼前に広大なビル群が広がる世界が現れ、無事着陸し羽田からモノレール、山手線、井の頭線と乗り継ぎ駅の近くの八百屋で住所を聞くと親切丁寧に教えて頂き東京にも人情味がある事を感じ、有りがたくも嬉しく思われました。
地図を片手に歩き、マンションの部屋入ると此処にも大都会の夢と希望に満ちた世界が現れ、子供の想いが感じられこの16年間の息吹が伝わってきました。
間もなく勤めから帰って来た次男坊に大変歓迎され夜が更けるまで話が進み、翌朝近くの大宮八幡宮に参拝し、午後は妻の大好きな天丼をいただき、またハトバスをお世話して貰い、妻と二人で浅草観音、二重橋、東京タワーなど見物させて貰い有りがたく楽しい時間を過ごし、次男坊の愛深さをしみじみと感じました。
「白露も紅葉に置けば紅の珠と見ゆれどまこと色なし」 法然上人
「苦難」は實は苦難そのもではなく、仮面をかぶった「愛」の慈手(みて)であるのです。苦難の意義を知るとき、それを受けることからくる苦痛の感覚は半減いたします。
一歳ほどで別れた母を尋ねて、かもめ、新幹線と乗り継いで広島へと・・・・、赤いコートが良く似合う妻と二人での、初めての旅行である。
車中の次々と移り変わる風景の先を見つめていると、まもなく広島駅へ到着、足早と広島城の近くの本籍地、出生地へ向かい付近の古い商店で尋ねると、原爆の後は以前の地元の人は少ないとの事で・・・・広島城で鳩と戯れながら妻と散策し、このお城で母も小さい頃遊んでいたのだろうと思い、懐かしくも胸に迫るものがありました。
さらに乗り継いで海軍の町呉へと向かい晩年暮らしていた大家さんの医院を尋ねると大きな櫻の老木があり、座敷に丁重に案内され妻と二人で待っていますと、若奥さんが見えられ最後まで気丈夫で、確りなさっていましたよとお話をして頂き嬉しく思い、母の御心が伝わる思いがしました。
熱心に信仰をしていた模様でその当時の信仰仲間の方から温かく迎えられ、母はバナナ、カツサンドが好きで、踊りなど教えて頂いたとか、エピソードを話して頂き、又母が経営していた店などを案内し頂き、母の人生の匂いをたどりました。
いよいよ母の遺骨を近くの墓苑で引き取り、母の最期をお世話して頂いた方から広島駅まで送っていただき・・・・まだ見ぬ母の遺骨を抱きしめ帰郷しました。
小鳥の如く単純に
彼らは貪欲ではない、明日の日のことを思い煩わない。過去の恨みを数えない。たかぶることもなければ貪ることもない。宏壮なる建築の中に住まおうとも思わない。彼らの一日の労苦は一日で足れりと云うことを知っているのである。心に借り越しもなければ持ち越しもない。自然に与えられる食物で満足して、ただそれだけで驚くような健康を保持している。
神功皇后が祀られている住吉大社で長女の結婚式があり三度目の飛行機の旅で妻は窓からの景色を見るのが大好きでいつも窓側の席をとり離陸から着陸まで楽しそうに、また真剣に見ていた姿は愛くるしくまた初々しくも感じ、妻の愛豊かさがにじみ出ておりました。
結婚式では旦那様のご両親と初めてお会いしソフトなお父さんと、気さくなお母さんで、またお似合いのご夫婦との出会いでホッとし、安心しました。
長女の明るい性格にお似合いの素晴らしい旦那様との結婚式は温かく優雅で、また拝殿でのお祓いから式場までの間を神官を先頭に巡幸するときは感動的でした。
名島弁財天に参拝後、博多の天神で娘夫婦と会い大橋のお店でモツ鍋をご馳走になり、娘も旦那さまも元気そうで、嬉しく感じました。
その節は大変にお世話になり有り難うございました。