夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

花曇に広がる青い麦畑

2017年03月31日 19時37分04秒 | 日記・エッセイ
花曇に広がる青い麦畑

花曇に広がる青い麦畑、昔は人力で麦踏みの作業がありましたけれども、
現代は科学的に麦にストレスを与え、人力の麦踏と同様な効果があるそうです。
やがて黄金色の麦畑となり、雲雀が飛び交い、大空でよろこびの歌をうたう。
やがてその合理的な麦を食する事になるのです。
しかし時代が変っても、麦の理念である本来の持ち味変らないものです。
それが麦の本性であり、ストレスに耐え貫いた麦の根性であると思えます。
花曇に広がる青い麦畑さんは素晴らしい存在です。


鳥の声も人の心も、流れる雲も逝く水も、みな法身大日如来の三蜜にあらざるなし。
                                       弘法大師

        三蜜・・・全宇宙に遍満している身蜜・口蜜・意蜜の三蜜の仏の不思議なはたらき。
             大日如来のさとりの境地。






苦難は苦難に非ず

2017年03月30日 20時26分34秒 | 日記・エッセイ
苦難は苦難に非ず

昨年の秋に娘の四女の結婚式に秋田市に行きました。
中学校から不登校等と色々な苦難を乗り越えての娘には、嫁ぎ先が一向宗と云われている浄土真宗であることから、
『新しい結婚』の本と『蓮如結びの数珠』を持たせました。
私達の葬式にはその数珠を持ってお参りに来ることであろうと思いながら・・・・。
結婚式の前日に、羽田空港のターミナルの中を秋田空港の乗り場に移動するのに、
体に鞭打ち、バスに乗り、南ウイングから北ウイングへと、奥さんと必死に歩き抜けゲートに着くと
タイムオーバーでもう駄目だと思ってスタッフさんへ尋ねると羽田は晴れていましたが、
秋田地方は大雨警報が出され、秋田空港の天候が悪いので秋田空港を引く返すことに同意して搭乗して下さいと通告されました。
結局出発が一時間程遅れました。
待っている間に親鸞上人が『流罪の地』、北陸で、苦難に遭われ大変な苦労をなされ、
また蓮如上人がお亡くなりになる前に沢山の門徒のまえで『名残おしい』と言われ、
信徒に対する愛深き言葉を残されたことを思い出しました。

『苦難は苦難に非ず、神の御栄えが現れんが為の、神の導きである』と云う法語が心にひろがりました。

ガタガタと機体が揺れ、厚い雨雲を通り抜ける、と針葉樹と広葉樹が入り交ざる山々が見えて来て、
雨の中、穏やかな町並みが広がって来ました。
考えてみますと、秋田は厳しい長い厳しい冬を乗り越えないと穏やかな春が訪れません。
暖かい長崎と違い、厳しい冬の季節を基準にして生活が営まれていると思われました。
前日の夜は雨が激しく降って荒れていましたが、翌日の秋田市の朝は奇跡的に青空が広がりました。
長崎人はどんな人種であろうか興味しんしんと観察されましたが、和気合い合いの和やかな素晴らしい結婚式でした。
西の果ての長崎の地と、雪深い東北の秋田の地、との神秘的な出会いと御縁の深さを思うとき、
限りない神の愛の深さを思い知らされました。

廻心が完成するには懺悔(あらいきよめ)が必要であり、
懺悔が完成するためには『わしが』『あたしが』と云う我の心がくだけなければならないのです。


賛美歌三百十二番
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを とり去りたまう。
こころの嘆きを 包まずのべて、
などかは下さぬ、負えぬ重荷を。

いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。








花冷えに膨らむ温かさよ・・・・・

2017年03月29日 15時50分03秒 | 日記・エッセイ
冷え冷えとした小雨がふり、
赤みが差した蕾も縮み、
開花の祝福が待ち遠しい朝でした。

出勤時間も春休みで車が少なく走り易いですが、やはり子供達の活気が無いと街も寒々と感じ、
一昔の日本に溢れていた子供達の熱気がインドや外国の街に観られるだけとなりました。

箸取らば 天地、御代の恵み、 先祖や父母の 恩を忘れずに食べましょう。
高等な動物は親子の愛情、友情はあるけれども人間のような恩を知ったり、恩に報いるのような心はありません。

菩提寺にて





本来無一物である

2017年03月28日 20時29分32秒 | 真理の言葉
無一物に生きる(生命は霊的存在である)

人間の本来の姿は、欲望も無い、執着も無い、浄らかな素晴らしい霊的存在であります。

バスの車窓から眺める町並みが流れ過ぎ、時代の遷り変わりを感じ、この世の無常が走馬灯のように心を廻りました。
無常ではない、常住の今、久遠の世界を『今』此処に、この身此のままで生きることが大切であることを教えられました。

物質は時が過ぎ行きに従い滅びていく。
しかし修理が出来ると、その出来上がりを見て心に満足が広がる。
物質は永遠なるものではなく儚いものですが、それを大切に扱い、その物質の本来の役目を見出すとき、其処に物質でもあっても、
永遠なるものが観えるようであります。
科学文明が発達して、人間が唯物論的になり、物で何でも支配することが出来るような錯覚をもって来るようになって、
物質によって生命がつくられるなどと考えて、生命を霊的なものと考えないで、ただ『物質生産物』だという考えから、
生命尊重ということが失われている。

国が乱れる原因は人に欲望があるからであって、その欲望をなくすには、
北条泰時様、あなたがまず無欲にならなくてはなりません。

                                    明恵上人






永遠を今に生きる少年

2017年03月27日 20時16分48秒 | コラム・人文
永遠を今に生きる少年
 
ここに一枚の焼き場に幼い弟をおんぶして立つ少年の写真があります。
依然からこの写真の存在は知っていましたが、公演会場の長崎新聞社のロビーで見かけ、この本を読んで見ようと思い、
昨日、本が届きました。

序文に海兵隊のカメランマンJoe O’Donnell,(ジョー・オダネル)がこのように書いています。
『重大な目的をもってこの火葬場にやってきた強い意志がかんじられました。
しかも足は裸足です。少年は火葬場の淵までくると、かたい表情で目をこらして立ちつくしています。
背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は火葬場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶのひもを解きはじめました。このとき私は、背中の幼がすでに死んでいることに初めて気づきました・・・・・・
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し沈黙のまま去っていきました。』

私の勤務している病院も当時は海軍病院であり、長崎市からたくさんの被爆者が運ばれて来ました。
この少年ももしかしたら、此の地海軍病院の近くの火葬場に立っていたかも知れません。

この焼き場に立つ少年はまさに目の前で、るいるいと重ねられた尊い遺体が石油で燃え盛る炎の火で焼かれている光景を直立不動で見つめる姿は、尊い、浄らかな、美しい姿に感じられました。

『衆生劫盡(つ)きて、大火に焼かれるると見る時も、我が此の土は安穏にして・・・・・・曼荼羅華を雨(あめふら)して、佛及び大衆に散ず。』
という法華経の言葉が心の中をかけ抜けました。

この少年はまさに『永遠を今に生きる』菩薩のように観じられました。






死の恐怖の観念は死せる肉体の中には、無いのである。

2017年03月26日 17時33分29秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
観念の業。

人間は心に何を(観念)思うかによって喜んだり、悲しんだり、苦しんだり、恐怖したりして情感が振り回される。
死の恐怖の観念は死せる肉体の中には、無いのである。
死があなたを訪れ来た時にはもうあなたはもう其処にはいないのだから、あなたは永久にあなた自身の死に相合うことは出来ない。

ホルムス博士の実例に、ある婦人が胃痛に悩まされていたのです。
この婦人は自分の胃の中に生きたトカゲが棲んでいる為に胃が痛むのです。
という事を堅く信じていました。
博士はトカゲが胃の中で生きていることは出来ないと説得しましたが、その説得を受け入れないで、
手術してトカゲを出してくれと言いました。
博士は婦人に麻酔をかけている間に生きているトカゲを取り寄せ、
側に置いて腹部に少しの傷をつけて置くことにして、麻酔から覚めたときに手術は成功しました。
トカゲが胃の中に居てこの様に取り出すことに成功しましたと告げました。

その婦人は癒されました。




物事の表面の奥にある実相(本当の姿)を観ることが大切である。所謂、意識の底にある静謐な心による、直感で観ることです。

2017年03月25日 15時30分16秒 | 歴史
明るい菜の花に誘われ、心はずみ、息はずむ、織りなす光のあざやかさよ。

一個の歴史事実でも、世界の人々の深層心理が結実したものでもある。
このような事からも些細な歴史的事実でも世界の人々が共有すべきものであると思われます。

歴史も平面的な二次元、三次元の唯物的な史観だけで見るのではなく、もっとハイレベルな四次元、五次元などの高い所からの考察が必要と考えます。


ポジティブな明るい言葉を心に留めましょう。

2017年03月25日 09時11分01秒 | 日記・エッセイ
講演会での5分間スピーチ

皆さんありがとうございます。

言葉は日本では言霊(ことだま)と云われ、言葉は魂そのものであり、
言葉は神秘的な尊いものであります。
言葉は宇宙に満ちている震動であり、生命の活動であります。
例えば雨がシトシトと降るというような言葉は物の本質を自然に
表現していると言われています。

一輪の花は一枝にすべての真心を托して生きています。
その一輪の花の真心を詩や俳句に詠い、また日記等に書いています。
本でめぐり合った、心に響く言葉、日常に感じた事を、キーボードをたたいて書き留めています。
書き留めていた言葉をプリントして何度も読み返しています。
詩などは再び読みますと人見知りをして、気恥ずかしい心がしますが、
自分自身を客観的に観ることにつながり、自分自身の深い心に染み入って、
巡りめぐって魂を揺さぶり、再び心の奥底から勇気と力が湧き出でることに
なります。
またあたらし自分自身の発見にもつながります。
以前クラシック音楽、ピカソなどの外国の版画の販売に携わっていましたが、
その作品の説明、観ることにより、その作家の霊感が自分の心の底に深く印象付けられていたことが後に理解することが出来ました。

明るい力強い霊感にあふれた言葉、宗教家、芸術家の作品を鑑賞するだけでも、
その永遠性と芸術性が深い潜在意識の底で温められ、育まれ、勇気を与えられ
再び、明るい意識の世界で自信に満ちた、明るい世界を開くことが出来き、
その作家の魂と一体性を養うことにもつながる事を体験しました。

皆さんもネガティブで否定的な言葉を避けて、
ポジティブな明るい言葉を心に留めて、
詩や、俳句、短歌、日記などで書き留めることをおすすめします。

ありがとうございました。






人間は永遠の生命をこの身此のままで、新しい輝く世界に生きることができるのであります。

2017年03月24日 21時42分50秒 | 日記・エッセイ
満開の白木蓮を見上げ、時の流れが心をよぎり、希望と夢が蘇り、このまま終着駅に着く人生で良いのであろうか、いや其れでは喜びと生きがいは感じることは出来ないであろう。
人間は永遠の生命を『今』に生きることが出来る存在であります。
この身此のままで、今の瞬間に輝く世界が開かれます。

過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについて思い煩うな。
『今』天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。
喜ぶべきことしか無いのが人生である。


神の愛に抱かれて

人生の光と影の中を潜りぬけ、

今、新たなる希望を懐き、

純粋な想いが若葉薫る

そよ風とともにそよぎ、

悲しみ、苦しみに

優しい太陽がさんさんとふり注ぎ

明るき日々を

純粋な想いが駆けめぐり、

夜空にひと筋の思いが煌き

胸に秘めた願いと祈りが、

ことごとく涙をぬぐい去り。

吾等と共におられる神様の愛は

凍てつく心を温かくつつみ

勇気と幸いと善なるものを

あなた様に与えることでしょう。





秋田市にて