身をかがめてエレベーターに乗り込み『外は雪が降っている!』と話す外来の患者さん。
帰宅時には時折冷たい突風が吹きぬけ車のドアがあおられました。
昨日とは打って変わって七変化の天気でした。
物質は神の愛の賜わり物
すべてのものに優しくそして深く切に愛して、心から礼拝する態度は人生を深切丁寧に生きることであります。一枚の紙、一粒の米、一切れの菜っ葉、一つの塵(ほこり)でさえも佛の顕れであります。
これらを深く切に愛して礼拝することでその生命が生きてくるのであります。
このようにすべてのものが佛国土であり、如来が説法したまうことであると見るとき、
日常生活の様々の出来事、些細な事にも、愛が現れ、親切さが現れ、
ことごとく丁寧親切さが自分自身の心に浸透して広がるのです。
神棚に献饌(けんせん)した米を庭に散米するとスズメが喜んで一粒、一粒を悉く丁寧に残さずに食べてしまいます。
人間もこのように喜んで一粒、一つ粒のお米を丁寧に愛して頂くことが
佛の生命を礼拝することになり愛することになります。
このような生活をひたむきに実践されますと健康に満たされた明るい希望に溢れた運命へと導かれます。

キリストがある時、奇蹟を行なった。五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きて尚籠十二杯に山盛りパンが残った。
そんな事が本当にあるものかと思われますが、聖書を詳しく読むと、
イエスは一片の欠けらも残らないようにそのパンの屑を集めと弟子に命じたのである。
ここに眞に無限供給の原理があるのである。
一片の欠けらもすべて神からの賜(たまもの)なのである。
その賜を尊重するところに、その欠けらが増殖して、ついに十二杯の籠に山盛りのパンとなったのである。
神からの賜を尊重しないで、それは単なる物質的な塊であると、軽く考えているところに、
人間が貧しくなる原因があるのである。
百丈和尚は一枚の菜の葉が川へ流れて行ったのを駈け足で追って行き、
それを拾って『佛物』として有り難く頂いたと云うことである。
『注』
百丈和尚・・・懐海大智禅師・・・百丈懐海(ひゃくじょう えかい)
中国唐時代の禅僧。江西の馬祖道一禅師の法燈を嗣いだ名僧。
大雄山に請ぜられて法を説いた。その大雄山は洪州にあり、
その山は巌石重疊峻嶮百丈(がんせきちょうでんしゅんけんひゃくじょう)なる山であるから百丈山と呼ばれた。
百丈和尚の俗称もここから出たものであります。
無門關(第二則)・碧巌録(五十三則)等の公案に登場する。
八百十四年正月十七日入滅。

帰宅時には時折冷たい突風が吹きぬけ車のドアがあおられました。
昨日とは打って変わって七変化の天気でした。
物質は神の愛の賜わり物
すべてのものに優しくそして深く切に愛して、心から礼拝する態度は人生を深切丁寧に生きることであります。一枚の紙、一粒の米、一切れの菜っ葉、一つの塵(ほこり)でさえも佛の顕れであります。
これらを深く切に愛して礼拝することでその生命が生きてくるのであります。
このようにすべてのものが佛国土であり、如来が説法したまうことであると見るとき、
日常生活の様々の出来事、些細な事にも、愛が現れ、親切さが現れ、
ことごとく丁寧親切さが自分自身の心に浸透して広がるのです。
神棚に献饌(けんせん)した米を庭に散米するとスズメが喜んで一粒、一粒を悉く丁寧に残さずに食べてしまいます。
人間もこのように喜んで一粒、一つ粒のお米を丁寧に愛して頂くことが
佛の生命を礼拝することになり愛することになります。
このような生活をひたむきに実践されますと健康に満たされた明るい希望に溢れた運命へと導かれます。

キリストがある時、奇蹟を行なった。五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きて尚籠十二杯に山盛りパンが残った。
そんな事が本当にあるものかと思われますが、聖書を詳しく読むと、
イエスは一片の欠けらも残らないようにそのパンの屑を集めと弟子に命じたのである。
ここに眞に無限供給の原理があるのである。
一片の欠けらもすべて神からの賜(たまもの)なのである。
その賜を尊重するところに、その欠けらが増殖して、ついに十二杯の籠に山盛りのパンとなったのである。
神からの賜を尊重しないで、それは単なる物質的な塊であると、軽く考えているところに、
人間が貧しくなる原因があるのである。
百丈和尚は一枚の菜の葉が川へ流れて行ったのを駈け足で追って行き、
それを拾って『佛物』として有り難く頂いたと云うことである。
『注』
百丈和尚・・・懐海大智禅師・・・百丈懐海(ひゃくじょう えかい)
中国唐時代の禅僧。江西の馬祖道一禅師の法燈を嗣いだ名僧。
大雄山に請ぜられて法を説いた。その大雄山は洪州にあり、
その山は巌石重疊峻嶮百丈(がんせきちょうでんしゅんけんひゃくじょう)なる山であるから百丈山と呼ばれた。
百丈和尚の俗称もここから出たものであります。
無門關(第二則)・碧巌録(五十三則)等の公案に登場する。
八百十四年正月十七日入滅。
