こいのぼりを見て、男の子も女の子も目を輝かせ、声をだして喜び
高いこいのぼりの、しっぽにさわりまた喜び
こいのぼりが、およぐとまた喜び
またあしたもみたいと目を輝かせ、希望に胸をときめかせ、踊りだします。
幼い子供は喜びを全身で表現して
喜びの達人であります。
こいのぼりを見て、男の子も女の子も目を輝かせ、声をだして喜び
高いこいのぼりの、しっぽにさわりまた喜び
こいのぼりが、およぐとまた喜び
またあしたもみたいと目を輝かせ、希望に胸をときめかせ、踊りだします。
幼い子供は喜びを全身で表現して
喜びの達人であります。
アイシュタインの相対性理論を飛び超えた、主観、客間、他力、自力も飛び超えた一体の世界、時間も無い、空間も無い世界、存在するのはこの一点に永遠に無限に広がる実相(真実)の世界。
BEATLES の Get back &The ballad of John and Yoko
を聞いていますとバロック音楽の単調で繰り返し繰り返し永遠に続く、バッハの深遠な曲を思い出し嬉しくなりました。
THE BEATLES もバッハと同じように深い深い意識の底の生命のリズムを観じていたのではないかと思えます。
何時の時代も、人間の奥深い生命のリズムは共通で、心の中に永遠に生き続けるではないかと思えます。
神はあなたに既に幸福を与えた給うているのである。
それが現象界にあらわれると、あらわれないとは、あなた自身の ”心” がその既に与えられている祝福に同調するか否かの問題である。つまり、あなたの心境の問題である。既に与えられている幸福を現実化するか否かは、既にビデオテープに録画されている光景をテレビセットに上映するか否かの問題である。上映とは ”与える実践” である。
神から既に ”与えられているもの” を受けとるには、こちらが先ず人に ”与える” という実践をするとき、神の与え給う心” と ”人間が人に与える心” とが同調して波長が合うということになるのである。
谷口雅春著 「如意自在の生活365章」
ポト、ポト、と 雨の滴くが心に成り響き
気だるさと 開放感に満たされ
心に潤いと 平安が染みわたり
生命の泉を どこどこまでも遊泳し
何処に 行き着くのだろうか
このまま 雨だれと共に
全てを神様にまかせたい
精神は知力を通して呼吸するとき天才となり、
意志を通して呼吸するとき徳行となり、
情を通して流れるとき愛となる。
霊は時を翻弄し、― 「永遠をひとときにちぢめ、
ひとときを永遠に拡げ得る。」
日本の料理には、ひとつの器に盛り合わせる約束事に、季節の予感と旬の味わいを感じさせる山で採れたもの、里で採れたもの、海で捕れたものの三品を、三海の珍味として一つの器に出会わせることと聞いております。
また彩りも原色をさけ日本的な淡い中間色を重んじ、一つの真実性を大事にする為、同じ色、同じ食材を避け、
長年の蓄積で得られた食材と食材との相性を大切にして、
盛り付ける時にも、書道の一筆で書き上げるように、平面的でなく立て、横、厚みのある高低差のある4次元的な風合いを感じさせ、
今一瞬の、ひとつの出会いに永遠を感じられるように、
真な箸で器の絵柄を意識し一気に盛り付け、後は二度といじらない事が肝要だと聞いております。