夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

愛と献身は永く耐え忍ぶ・・・・・論争の彼方に(汝等の敵を愛し、汝等を責むる者のために祈れ)

2020年04月29日 01時17分11秒 | 真理の言葉
緊急事態宣言が地方にまで浸透して来ました。

街も車が少なくなり、パチンコ店、カラオケ店等も閉店しています。

院内に入るには体温測定が始まり、

外来者が急激に少なくなりました。

是ほど静かな院内は今まで始めての事です。

先日はガス滅菌消毒機械の定期点検でしたがメーカーの担当者が

マスク、ガウン等をガス滅菌消毒して再利用出来るのかの問い合わせがあるそうです。

戦艦武蔵を建造した長崎港の香焼の岸壁に

二隻の豪華客船が入港しており、沢山の陽性者が出ています。

スタッフが来月に長崎の大学病院に入院の予定ですが影響をうけるようです。


今月は母の一周忌でありましたが、

コロナウイルスの影響で法事を取りやめ

菩提寺の本堂で塔婆供養を享けました。

住職曰く『檀家の法事が殆ど来年に延期になりましたと!』

お寺さん、先祖さんも影響をうけているようですよ!



純粋の献身について

眠れる者よ起きよ、死人の中より立ち上がれ、

然らばキリスト汝を照らし給はん。
              エペソ書第5章14節

『神よ、もし貴方がこの困難から、私を救い出して下さるならば、私は貴方に命を捧げます。』

というように苦境に追い込まれた時、瞬間に神に献身するということは

内心の何処かに取引をするような考えが動機となっていることがある。


純粋なる神への献身は冷静な、感情を混へない思慮判断の上に立つ精神的行為であって、

むしろ平静な思慮が、感情の爆風によって晦まされているような感激の堆積や爆発以上のものである。


魂の訓練として、真の献身が行なわれる時には、

如何なる人の生命をも、完全に生まれ更らせてしまい、

全然、新しき価値判断を彼に与え、

それによって彼は古い絆と悪しき習慣から解放されることになるのである。


『パウロ』は心が新しくなることによって、

全く新しき人に創り更へられる事実に就いて、

聖書の至る処に書いているのである。

汝の敵を愛せよ

『されど我は汝等に告ぐ汝等の仇を愛し汝等を責むる者のために祈れ、

これ天います汝らの父の子とならんためなり』

愛にも属せず、憎しみにも属せず中間を行く者は

片足を『愛』に、片足を『憎しみ』に置いて生活する者は

愛にも憎しみにも秋波を送って、そのいづれにも縛られるのである。

彼等は地獄にもいないし、

天国にも居ない。

彼等は宙に迷っていて煉獄の中に棲むのである。
 
愛は永く耐え忍ぶ

愛は忍耐である。

嫉妬する敵を、愛をもって接すれば、『嫉妬』は『感謝』に変わるのである。

人の中にある『悪徳』は、充分なる愛に晒される時、『善徳』に変貌するのである。



『光は暗黒に照る。しかして暗黒はこれを悟らざりき。』



『汝の信仰、汝を救えり、安らかに行け。』



『愛』は何人にも悪意を懐かず凡ての者に対して、寛大であり恵み深い『善意』である。







『有限』即『無限』 ・ 『極微』則『極大』の瞑想・・・普く我が全身を観ずるに此の身この儘、大宇宙に満ちる普賢菩薩なり(観普賢菩薩行法)。

2019年04月06日 14時54分53秒 | 真理の言葉
昨夜の御前1時30分にふと目が覚め、

直ぐには寝付かれず、枕もとのスマホでニユース記事を見ていると、

皇太子殿下の『水運史から世界の水へ』の御本が4月4日発売との

記事を見当たり直ぐAmazonで注文しました。

Amazonでベストセラーになっていました。

去年、水に関する講演会記録を読まさせて頂いたことがありますが、

水に関することはもちろん、災害、環境問題、民俗学、歴史学

又あらゆる学問にも深い御造詣があられ、また御慈愛に溢れた御文章に感動致しました。

昨夜は不思議な出来事でした。




『肉体と云う制約された有限の世界』そのままで『永遠なる無限世界』を生きているのが私達である。



本来、人間は死ぬこともなく、無限であり、

遥かなる虚空に満ちている霊身であり如来であり、普賢菩薩であり、観世音菩薩であり、キリストであり、

全ての処に変化して現れ、顕幽をかけめぐる『大自在身』である



言葉だけでは画に描いた餅に過ぎないものとなる。


眼にみえるもの、耳に聞こえるもの、鼻に匂うもの、舌に味わうもの、身体に触れるもの、

意識に顕れるものの『六塵』に執着することがなければ、そのまま『正覚(さとり)』となる。
             
今を生きるに、本来『六塵』と呼ばれ得るものもなく、

また『正覚』と呼ばれ得るものもない。

三祖僧璨(さんそそうさん) 『信心銘』



ありのまま真実の姿をありのままとして自覚することができなければ『六塵』と呼んでも、

また『正覚』と呼んでも、それは言葉だけの画に描いた餅に過ぎないものとなる。

金剛経


心を観るには、心で観る他はない、

その『妙明心地』に至れば六塵もなく正覚もなく、

ただ『不可得』としか言いようがない。

『主観と客観』、『主体と客体』とが未だ別々に分かれる以前の

『今、則において働く心』こそ『本質』である。

道元禅師 正法眼蔵

『注』

妙明(みょうみょう)・・・すぐれた真実の知恵。

心地(しんぢ)・・・戒め。菩薩の10地の50心を指す。

不可得(ふかとく)・・・認識され得ない。その存在が知覚され得ない。

          確定的な本質のないものについて求めても得られないこと。

          ものの自体が存在するという執着のなくなること。

          現象世界は実体がなく空であり、夢、幻である。




神の御言葉は光である。すべてを照らし、迷いの暗黒より救い給う。




パウロの言葉に・・・もはや吾れ生くるに非ず、キリスト我れにあって生くるなり

      



永遠不滅の世界・・・衆生、地球が『劫』つきて大火に焼かれ消滅しようとも、我が此の土は安穏である。

2019年03月30日 16時08分09秒 | 真理の言葉
花びらの 陽炎もゆる 青い空

里山は桜満開。

母を訪ねて、満開の桜並木を走りぬける。

そこは携帯が届かない山間の地なり!

近づくと細目で吾を見つめるなり。



一如の世界

穏かな自然、

豊かな自然、

気高き自然、

穏かな自然は吾等の心

豊かな自然は吾等の心

気高き自然は吾等の心

荒狂う自然も吾等の心

この世、あの世に

顕れている凡ての現象は

吾等の心の反映であり

この世、あの世に

顕れている凡ての現象は

神の愛に導かれている

永遠なる一如の世界。




永遠不滅なる世界



衆生、地球は輪廻によって、

劫つきて大火に焼かれ消滅しようとも

我が此の土は安穏にして

永遠なる世界である。

そこには天人充満せり。

花園、宝樹、堂閣には多くの花や実がなり、

種々の宝玉で荘厳せり、衆生の遊楽する所なり。

諸天は天の楽器を打ちならし、常に諸々の音楽を奏でり、

曼荼羅華を雨ふらし、佛や大衆に散じています。

                         法華経如来壽量品 第十六

『注』

一如・・・万有に偏在する根源的な原理。真実のありのままのすがた。

輪廻・・・・・・『生まれかわる』ということだけではなく、
         世界が車輪のようにめぐりめぐること。

劫(こう)・・・きわめて長い時間。永遠の時間。
        無限の時間を一単位と考える。

安穏・・・・最上の福祉。安らかに穏やかなこと。

天人・・・・仏のはたらきを喜び、天樂を奏し、天華をふらせ、
      天香を薫じて虚空を飛翔するもの。

宝樹・・・・珍しい宝からなる樹で、浄木の草木をいう。

諸天・・・・天上界に住して仏法を守護する神々。
      
曼荼羅華・・色よく、芳香を放ち、
      高潔でこれを見る者の心を喜ばせるといわれる天界の妙花。




花びらの 陽炎もゆる 青い空



朝の時間を生かすものは生涯を生かすものである。



朝の時間のインスピレーション(Inspiration)の不思議さは
物質の世界(現在意識)が目覚めていない時であるからである。

空海の願い・・・私たちが進むべき道

2019年03月27日 22時41分42秒 | 真理の言葉
今年も黒いスーツを着込んだ

初々しい看護師さん達が

目を輝かせて院内を回っていました。

ベテランの看護師曰く、

ホヤホヤですよ!

と私につぶやく。

しばらくすると新年度!

追っかけてくる仕事、仕事!




空海の願い・・・私たちが進むべき道


私は世の人々に、妄執(まよい)を乗り越えて、

人間の心の真実に入って貰いたいのです。

霧を吹きとばして明らかな光のもとに自分が本来所有し、

備わっている仏心(ほとけごころ)をはっきり見なおしてみると、

そこには無尽の宝物がいっぱいつまっていて、

私もあなたも、その宝物を利用して、

毎日が全く新しい生活となるに違いありません。



人間の種々の心の探求である『第十住心思想』


其の 第一住心・・・人々は実我という固定した霊魂(自我)が実際に存在しているものと錯覚して、

それにこだわり、その自我に執らわれてしまいながら生活しています。

後の世に応報(むくい)を受けることに気づことのないまま、
  
本能のまま、欲望のおもむくままに行動しているのです。

こうして人々はこの世の中の種々の世界ぐるぐる輪廻していって、

いろいろな生命をさまよい続けていくのです。

弘法大師空海  秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)


『注』

秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)・・・天長七年、淳和(じゅんな)天皇の詔を受け、空海が密教の要旨を著した著書。





一は百千の母たり。



悪人と思えるような衆生にも既に備わっている『大菩提心。』

常に『極楽世界の中』に身を置いて生活を生きる。・・・智者は自らその身を整ふものなり

2019年03月24日 12時45分13秒 | 真理の言葉
寒暖差が激しい毎日です。

花もその日ごとに表情が違います。

移り変わる環境も『己が心』の反映なりと申します。

明るい善き想念を抱き人生を歩むとき善き運命が開けて参ります。




道を極めるだけでは本当の生活は出来ません。



弓師は能く角を調え

水人は能く船をととのふ

巧匠はその木を調え

智者は自らその身を整ふものなり

阿含経 三十一



釈尊はただ角、船、木を調える技術の高さ、巧みさを述べられているのではないのです。

その素晴らしい技術と巧みさが自分自身の身の上と一体となっていなければならない。

例えば芸人が舞台で親鸞上人の生き様を素晴らしい芸術に現して見せたのに、

それが終わり楽屋で、手のひらを返したように

寝転んで聞きづらい野蛮な言葉を放っている姿を見ると興が冷めます。


このように『芸は芸』『自分は自分』と割り切るところに迷いが起こります。


自分の芸、自分の技術、自分の学問等を極めるだけでは本当の生活は出来ません。

画家、音楽、匠、学問等の秀でた天才は、その道を極めるだけでは

自らの身をあやまり、自らを調えることが出来なくなります。


その極めた道と自分の生活が一つになるとき、真の生活を生きることになる。

と釈尊は戒められています。




現代文明は、人間から直観力とそれから得た価値を奪い取っているようである。



弘法大師空海は『聲字即実相(しょうじそくじっそう)』

事物の本質である実相はコトバであり文字である。と直覚されたのです。



『神の国』を生きる・・・小さなからし種の愛

2019年03月17日 19時06分51秒 | 真理の言葉
笑いの大会のアシスタントをいきなり指名されました。

笑いの効果は緊張を解すなど沢山の効果があります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(eonardo da Vinci) の『モナリザの微笑み』のように

辛い時にも心の中に常に『微笑みを把持』して生きるとき、

生活に明るさが増し、安らぎを招くことになります。




からし種のたとえ

イエスは、別のたとえを持ち出して、

彼らに言われた。『神の国はからし種に似ている

人がこれを取って畑に蒔けばどんな種よりも小さいのに、

生長するとどの野菜よりも大きくなり、

空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。』

           マタイによる福音書 13-31~32




からし種のように外見は貧弱なものであっても、

その中には素晴らしい力が存在しているのです。

このことは小さな種の中に人間の五官では感じ取ることが出来ない

神秘的な無限なる創造世界が存在している。

小さな内なる心(霊的な心)に『愛の種』を蒔いて

生きるものは『神の国』を生きるものである。

キリストの『愛の心』を御心として

生きるものは最も偉大なるものである。




汝の敵を愛せよ。汝の呪うものを祝福せよ。汝を苦しめる者のために祈れ。



よく受けることの出来る者は、心広き者である。





 


物忘れ第一の槃特(はんどく)・・・・・一つのものに徹することの大切さ。

2019年03月10日 20時43分10秒 | 真理の言葉
午後から長崎での会議に参加しました。

雨は降りましたが道は空いていて助かりました。



人は黙して坐するを誹(そし)り、

言葉多きを誹り、

また少なきを誹り、

世に誹らざる人なし


     釈迦世尊




物忘れ第一の周利槃特(しゅりはんどく)

釈尊の弟子のひとりの槃特(はんどく)は

物忘れの達人でありましたので自分の名前を忘れないように

名前を書いた板を身に付けていました。

阿羅漢に達していた兄からも

お前は仏様の弟子になる資格がないとさじを投げられ

追い出されましたが、

釈尊からお前さんは愚かであることを知っていることは

お前さんが決して愚かでない証拠です。

お経を覚えることだけが悟りの道ではないと諭されました。

それから『塵を払い、垢を除かん』の言葉だけを唱えるようにいわれました。

槃特(はんどく)は洗濯や掃除をしながら

『塵を払い、垢を除かん』と素直に唱えつづけました。

しかしその言葉の意味が理解出来ないでいましたが、

ある時ふとこの言葉は自分の心の中の

塵を払い、垢を除くということではないのではないか?

と思いそのことを釈尊に尋ねると、

多くのものにとらわれすぎて悟りをひらくことが出来ない者が多い中で、

お前は一つのものに徹して悟りをひらいてくれました。

やがて槃特(はんどく)は聖者の境地に至ったのです。



『注』

周利槃特(しゅりはんどく)・・・釈迦世尊の弟子。十六羅漢の一人




懺悔すれば能く菩提の花開く
(懺悔には人を新しく生まれ変わらせる働きがあります)




紫陽花よ! あなたの彫刻はそれ自身で完全である。




輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。

2019年03月09日 15時54分14秒 | 真理の言葉
朝から妻の肩、首筋のマッサージ。

妻曰く、貼り薬3枚分の効果があるわ!



肉・魚介食からベジタリアン(野菜食)の道へ!

人間が犬に転生する事があるかとの問題は、

仏説よりますと、弟子に肉食を禁ぜられた理由のなかには、

食膳に上る魚貝などの類も、かって父母たりしものが転生し来たったものがあるから、

父母の肉を食べることになるおそれがあるから食べないが好い。



輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。
(吾々は本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。)


『本生経』などによりますと釈迦ご自身が鳩や熊や色々な動物に

転生して来たという幾多の物語を説いておられます。

肉体は心の顕れであると云う原理を推し進めると、

人間の心が畜生の状態になると。

畜生の形、姿を現わすことは不思議ではないのです。


禅宗の『無門關』第二則 百丈野弧には百丈和尚が五百生の間に

野弧に生まれること云々とあります。

前百丈和尚は野弧に生まれていたが、今百丈和尚は真理を悟られ、

その野弧身が直ちに死んで裏山に死骸となって横たわっていたと云うことが『無門關』にあります。

吾々が本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。

この神の子である根本因をくらますことがなかったならば、『不眛因果』

こそ野弧身(煩悩身)を砕く、一大鉄槌となるべきである。



『無門關(むもんかん)』第二則

無門曰く、不落因果、甚(なん)としてか野弧に堕す。

不眛因果、甚としか野弧を脱す。

若し者裏に向かって一隻眼を著得せば、

便(すなわ)ち前百丈 贏(か)ち得て、

風流五百丈なることを智得せん。



『注』

輪廻(りんね)・・・衆生が迷いの世界に生まれ変わり死にかわりして、
          車輪のめぐるようにとどまることのないこと。
          迷いの世界である三界、六道に生死を繰り返すことをいう。

本生経(ジャータカ)・・・釈迦 (しゃか) の前世物語。
             仏の過去世における菩薩行のこと。

無門・・・仏の異名。心性、真如のこと。
     修行者を導くのに特定の関門を立てないこと。

無門關(むもんかん)・・・趙州無学の公案のこと。
            趙州和尚が修行僧から犬に仏性があるかと問われて『無』と答えたが、
            この『無』の一字は何を意味するのであるかという問題。

百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)・・・懐海大智禅師。
                   中国江西の馬祖道一禅師の法燈を嗣いだ名僧。

野弧(やこ)・・・ここで言うは野狐ば野キツネばかりではなく、
         真の人間(悟り開いた人間)ではない
         変化身又は迷っている仮相身は悉く野狐である。

不落因果(ふらくいんが)・・・修行を十分に積んだ者は、因果の法則に縛られない法則。
              しかしそれは誤った見方である『不眛因果』の境地に達しなければならない。



不眛因果(ふまいいんが)・・・原因結果の法則のように因果律をくらまさず、そのまま因果に従順に従うこと。

者裏(しゃり)・・・ここ。またはこの中の意。

一隻眼(いつせきがん)・・・人がもつ左右の眼以外のもう一つ眼のこと。
              真実を見ぬく心眼のこと。

著得(じゃくとく又はちゃくとく)・・・得た。えたり。




一切のすべての苦しみ、悲しみ、災難の世の響きを慈しみ観じ、救い給う観世音菩薩。



うす紫匂う貴女の笑顔



カリ塩の多い野菜は水晒しをしてアク抜きをして食べると陰陽が整います。



愛は癒しなり・・・天地すべてのものの内に神の愛が存在している。

2019年02月09日 16時40分54秒 | 真理の言葉
気温が下がり始め寒くなりました。

世間は3連休であります。

買物のレジでの小さな心遣い嬉しいですね!


先日出講先で下記の質問がありました。

①『神の国は汝らの内にあり』
この『汝らの内』とはどの様なことですか?

②もし私の内に神が存在するのであれば、私以外の人達にも神が存在するのですか?

③信仰している人以外の無神論者の人達の中にも神が存在しているのですか?

④心を平安に保つにはどうすれがよいか?



①汝らの内』とは何のためにうまれたのであろうか、人生は何のためにあるのかという問題につながり、

人間にとって切実な問いであります

『汝らの内』というのは一体どこかという、


汝らの内とは即ち『自性』であるわれわれが本来持っている

真実の性(心のありかた)と示されているのです。

則ち人間本来の本性で、真の人間そのものである。

『汝らの内』則ち『本来の自分の本性』の中に神の国がある。

則ち皆さんの自性というものは、神人でありゴットマンであり、神なる人であるのであります。

端的に表現すると『人間は神の子』であります。

これを知り、かつそれを実践するとき人間は根本的に人生が一変するのであります。


② 我々の本質はすべて神なり

 我々の億兆の個霊(すがた)もことごとくただ一つの神の反映である。

 たとえば此処に一個の物体の周りに百万の鏡を置きてこれに相対すれば、

 一個もまた百万の姿を現す。

 我々の姿も相別れ、相異なるすがたを現すとも、

 すべて一つの神の『神霊』の写しである。

 このことをすべての生命を互いに兄弟、姉妹なりという。


吾々は五感で見ると姿、性質など別々に存在しているように見えているけれども、

 心の奥深い潜在意識の底では互いに共通の心を共有しているのです。

 だから相手の悲しみを悲しみとして、喜びを喜びとして享けとめることが出来るのです。


③たとえ無神論者であるとしても、信じる心は存在しているのです。

 ひと月働いてその対価として報酬を得られることを信じているからこそ懸命に働くのです。

 犬さえも可愛がると尻尾を振るのです。それは飼い主を信じているからです。

 そのように神は人間だけではなく生物、植物、昆虫、細菌などすべての生きとし生けるもの、

 有りとしあらゆるものを創造し給うたのです。

 故に天地すべてのものの内に神の生命が存在しているのです。



④如何にすれば平安の世界を得ることができるかと云う問いであります。


 愛はすべてを癒す。

 逆に人間の心がどうして不安になるかということであります。

 自分の人生が思い通りならないと不安、怒り、憎しみ、恨み、妬みなどの悪感情(ストレス)が渦巻きます。

 これ等は幼い利己主義から派生するものです。

 このような心をどうすれば解消出来るのかと云うことであります。

 自分自身の心を移入している周りの父、母、兄弟姉妹、親族、同僚、隣人などのすべての人々、

 生物、動物、物事等と和解することです。

 では和解とはまず一切の利己主義である自我を捨て去り、

 自分自身と和解し、自分自身を赦し、すべて人々を赦し、

 すべての人々に感謝し幸福を祈ることです。

 さらにすべての人々と自然を愛し讃嘆し祝福することです。






松と鯉・・・勝利



穏やかな日々














母の御恩・・・人の此の世に生まるるは宿業を因として、父母を縁とせり。

2019年02月04日 20時50分03秒 | 真理の言葉
母の主治医より呼び出しがあり、

説明をうけに山麓の母をたずねる。



常しえの花

谷間に艶やかな紅梅咲きほこる。

誰しも艶やかな時代在りしなり

ベットに横たわりし母の姿麗しく

ほほ紅さしひかり、語りし声遠く

瞼にうかぶ在りしの日々遠くなり

うけた御恩報いること叶わざるなり

ああ母にご縁ありて救われし我が身

唯、ひたすらにとこしえに幸祈るなり。




母の恩永遠なり


人の此の世に生まるるは宿業を因として、

父母を縁とせり、

父にあらざれば生ぜず、

母にあらざれば育せず、

ここを以て気を父の胤(たね)に禀(う)けて

形を母の胎に托す此の因縁を以ての故に、

悲母の子を思うこと世間に比(たぐ)ひあることに無く、

その恩未形(みぎょう)に及べり。

                 仏説父母恩重経


『注』
宿業(しゅくごう)・・・過去世につくった善悪の業
因縁・・・因は結果を招くべき直接の原因。縁は因を助けて結果を生ぜしめる間接の原因。
     仏教では病気の原因のように人間の迷いの生存を成立させる原因をいう。

未形(みぎょう)・・・まだ形として現れていないもの。(永遠)




 永遠に咲きほこる生命






淑やかにゆれる冬薔薇・・・すでに希望は我が内奥で発芽して、叶えられ実現しているのである。其のことを素直に認めよ。

2019年01月14日 15時53分17秒 | 真理の言葉
輝やしくも 日だまりゆれる 冬薔薇の

今日の祭日は出勤日でした。

通勤の細道に

淑やかにゆれる

冬薔薇の蕾に出会い、

夢と希望がひろがり、

清楚な美しさに

一瞬足を止めました。




先ず人間の天命を知り、人間の本質を知る事である。



吾々の希望、願いは必ず叶えられ、成就するようになっているのです。

吾々の魂の奥底なる希望、願いは神が植え付けられた天命であります。

人間の本質は佛であり、如来であり、

神の生命を其のまま授かった神の子であり素晴らしい存在であります。



人間の不幸、病気などが人間の本来の姿であるならば、

幸福になりたいとか、健康になりたいなどとは思わないに違いありません。

人生にもいろいろな失敗がある。

しかしその失敗したが為に人間は運命が好転する。

吾々が幸福になりたいとか救われたいと願うのは、

すでに自分の内奥に

『既に幸福があり、救われている自分が在る』からそう願うのです。



『衆生久しく成佛せるに未だ成佛せることを知らず』 

                   弘法大師空海 即身成佛義 

吾々は久遠のまえから既に救われているのに、いまだに救われていることを知らない。




輝やしくも 日だまりゆれる 冬薔薇の




善き運命に転じることが出来る。・・・・・・運命は神が考えたものだ 人間は人間らしく働けばそれで結構だ・・・夏目漱石

2019年01月07日 20時31分22秒 | 真理の言葉
『七草がゆ』の日であり。

店頭にはしなやかな草々が並べられ、

日本の美しい四季の移り変わりを感じます。



『神の無限なる愛』との一体の自覚


不幸から自己を護るのは、自分の心の内に『不幸を予感』することを

止めることから始めなければならない。

人を批評してはならない、人を言葉でこきおろし、

悪しざまに言ってはならない、

人を傷つけたら、ボールを壁に投げたら跳ねて返ってくる『動反動の法則』によって、

自分自身が傷つくことになるのである。

天地一切のものと和解し、さらに全ての人々、森羅万象、物事に感謝して、

『神の無限の愛』を我が胸に抱き『この優しき無限の愛』との一体感を自覚して、

もうすでに癒されたのであると感じて『神の愛』に感謝しなければならない。



善き運命に転じることが出来る。


一切の不調和なる心の念(おもい)を

感謝に転じれば一切ものは悉く神霊に導かれ

『善なるもの』が顕れ、全ての環境(人生の思い)が変化するのである。



小野町 宗形神社


雲仙 普賢岳

永遠のテーマである — 人生は何のためにあるか? 何のために生まれたのだろうか?

2019年01月06日 18時00分12秒 | 真理の言葉
病院は365日、毎日24時間動いています。
屠蘇気分も覚めて、

新しい年号である今年が動き出しました。

日も段々と長くはなりましたが

空風が吹き今日は寒の入りの『小寒』です。

フロントガラスも凍り付き

これから南国も本格的に寒くなりそうです。



今年初めての講話をさせて頂きました。



『人生は何のためにあるか』をお話しました。

何のために人生はあるのだろうか?

何のために生まれたのだろうか?

これを知ることが人間の切実な問いである。

自己が存在するならば自己の存在を自己が知らなければならない。

自己が自己を知ることは、『眼』が自分の『眼』を見ることが出来ないように

そのままでは出来ないのである。



『人生は何のためにあるか』?

眼が眼を見るには、眼は鏡を用いて

仮に自己の外に『自己の影』を見なければならない。

神が人間をつくったのは、神が自己自身の生命の歓喜を見るために、

神自身の歓喜の姿を、神自身の外に『神自身の影』を創造したのである。

此の神の創造を『此の世』に持ち来し、薔薇がバラの花を咲かせるように、

カンバス(canvas)に絵を描くように、

『人生と云う画題』を無限に描き、表現することが人生である。



『何のために生まれたのだろうか』?


神の無限の知恵、神の無限の愛、神の無限の生命、神の無限の供給、神の無限の歓び、

神の無限の調和等の『善なる神の無限の御徳』を此の世に実現する為に生まれたのである。



人間は神そのままの『写し』である。

神は完全で円満であるから

人間も完全で円満であるのが真実である。

しかしながら本来は完全円満なる天国(エデンの園)の世界に住していたのにもかかわらず、

蛇の誘惑に負けて『知恵の木の実(分析の心)』を食べて

『善』も『悪』も存在すると云うことを知り、

また男と女との区別を知り、恥じらい、イチジクの葉を腰に覆うようになった。



そして悪も存在すると云う考えが具体化して、

自ら『悪』と云う現象を造り上げ

此の世に悪と云う世界を構築することになったのである。

そして人間は自らの心で描いた『悪の世界』を見て

悲しみ、恐れ、心配し、自ら不愉快になり心が痛むことになったのである。

此のままでは永遠に『エデンの楽園(天国の世界)』に還ることが出来ないのです。


では如何にしたら良いであろうか?


それは思いを変えることです。

自己の環境も肉体も自己の念(こころ)の反映であるから、

思いを変えれば環境も肉体も変わるのである。

・・・・・・・続く







運命の悪戯・・・安心決定(あんじんけつじょう) 人間は必ず救われる。

2018年09月22日 12時03分25秒 | 真理の言葉
安心決定(あんじんけつじょう)の世界へ


善き運命も悪しき運命も鈴を鳴らさず静かに訪れます。

それはどのような経過をたどって来るかをも知らされはいません。

その運命を受け入れるか否かの判断はおのれ自身に委ねられています。

運命そのものは 善しきにせよ悪しきにせよどちらにせよその運命を素直に受けることにより、

私たちの更なる進歩への手ががりとなります。

運命そのものの本質を知り、

それを理解してなお積極的に信じて、

未来へと歩み行く明るさが必要となります。

この運命で必ず善くなると云うことを素直に受け入れ信じることです。

時間、空間が制約された三次元の『この世』で人間は色々な運命を辿りながら、

最後(無時間、無空間の真実の世界)には必ず善き幸福な運命へと辿り着くことが決定づけられいます。

その幸福な運命を絶えず見詰め更に祈ることにより、

その善き運命を此の世の世界へと持ちきたすことが出来ます。





実相において一切の善きものは『今』既に此処に『ある』のである。
 
                    Ralph Waldo Trine(ラルフ・ウォルドー・トライン) 



      


心の窓を開け、極楽浄土は既に此処にあり。

2018年03月15日 20時56分48秒 | 真理の言葉
魅惑の思いが今ひらく、

風にゆれる花のいのち、

春光に映える純白の真実。


心の窓を開け、極楽浄土は既に此処にあり。

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、

往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつ心のおこるとき、

すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまうなり。
                            歎異鈔 第一

『注』

弥陀の誓願・・・阿弥陀仏が生きとし生けるものを救いたいと願い(四十八願)、
その願いが成し遂げられない限り仏にならぬと誓った大慈悲。

誓願不思議(せいがんふしぎ)・・・弥陀の誓願は人間の思いを超越したもの。
                 助かるはずのない悪人を助ける阿弥陀仏の
願力が凡夫の思慮を超えていることをいう。
           

摂取不捨(せっしゅふしゃ)・・・念仏する衆生を残らず救済しようとする
阿弥陀仏の慈悲を表す。

利益(りやく)・・・仏の教えに従うことによって得られる幸福、恩恵。