夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

豆畑(半開化の畑)

2024年04月15日 19時24分12秒 | 誌編
魅惑のポピー

待ちわびたポピーよ

魅惑の細い脚線美を風にまかせ

舞い遊ぶ花びらの麗しさよ

太陽の熱きまなざしを受け

喜びに満ちたポピーよ




昨日畑の雑草を刈り取り、畑に雑草を積み上げ
日に晒し乾燥してから始末しようと思いましたが
空模様が怪しくなり、生の雑草を袋に入れました。




豆畑(半開化の畑)

わたしは諸君に、もしできるなら霧があるうちに

すべての諸君の仕事をするように忠告したい

ー わたしの畠の高慢な雑草の列を切りたおし、

その頭に砂をなげかける仕事にかかった。

しかし時刻がうつるにつれて日はわたしの足を焼いた。


・・・・・・・・英国乾草の収穫は克明に計られ、

水分も珪酸塩も加里も計算される。

しかし森や牧草地や沼沢のすべての谷あいや池の隅に

ゆたかでとりどりな実りがあるのだが、ただ人が取り入れしないだけなのだ。

わたしの畠はいわば自然の畠と人為のそれとの中間的存在だ。

ある国々が文明であり、他の国々が半開化であり、

また他の国々が野蛮未開であるように、

わたしの畠は悪い意味ではないが半開化の畑であった。

・・・・・・・・・畠が農夫の納屋をみたすかどうかは比較的に大した問題ではない。

真の農夫は思いわずらうことをやめるであろう。

リスが今年は森で栗が実ろうが実るまいが知らん顔をしており、

一日一日でその労働を終わり、

彼の畠の産物に対するすべての権利を捨て、その心のなかで、

彼の最初の実りばかりでなく最後の実りをも犠牲にしているごとく。

ウォールデンソーロー





京への想い

2024年04月12日 22時26分55秒 | 誌編
令和6年4月12日(金)

雨の散華

見上げては麗しき喜びの讃歌を詠い

はかなくも身を大地に捨てては慈しみを

清らかな生命を無限に生きるあなた。






京への想い

神祭り しんなりと弾く 三味線や


帝の移り香が薫る鴨川に光る燈篭。

清水で清められた坪庭にカラカラと格子戸が開き、

『おいでやす』 としんなり(神成り)と

快い舞妓さんの声

艶かに座る佇まいに煌めくかんざし、

振袖をたぐる白い指先がしなやかにしなり、

『ほなおおきに』 と優しく、

円やかではんなりとした振る舞い、

和み、淡い旋律となり心の奥底に響く、

長閑な平和と、温かい

はんなりとした文化が祇園の石畳みにひろがる。

八坂神社を仰ぐ門前町、いにしえよりの文化が色濃く残る

祇園に倭姫の『神よび』の火打石がひかり、

連綿とした伝えて来た祇園祭り、生活文化、

優しくも、尊さに溢れた上品な京ことば。




大いなる神秘・・・枯れることのない精霊の清水。

2019年01月21日 23時11分12秒 | 誌編
生命の泉

朦朧として

道をさ迷う

虚ろな光景

霧が広がり

街の騒めき

誰かが囁く

遇ったことが

有るのだろうか

足もとが舞い

けむりとなる。

ここは何処だろ

愛のささやき、

愛の戯れ、

愛の悦び

生命の泉

枯れることのない

精霊の清水

雲霧の奥に流れる

精霊の霊水。



祝福の祈り

昨日

悩める人達の為に

皆で瞑想をして

祝福を祈りました。






大いなる神秘


朝起きたら、

太陽の光と、

おまえの命と、

おまえの力とに、

感謝することだ。

どうして感謝するのか、

その理由がわからないとしたら、

それはおまえ自身の中に、

罪がとぐろを巻いている証拠だ。


ネイテイブアメリカン 
ショーニ族の酋長 ラカムセ(Tecumseh)(1768―1813年10月5日)





おお! 大いなる魂よ私は風の中にあなたの声を聴きます。



多良岳


苦しみの奥に聖地がある。・・・有り難いばかりの人生である。

2019年01月19日 09時41分44秒 | 誌編
結実

温かい太陽と

降り荒れる慈雨を

素直に享けるとき、

芽が出でて、

葉が茂り、

幹が伸び

花が咲き、

実が結実するのである。

そして大地にすべてを

まかせるとき

永遠という華が咲く。





煩悩を貫いて歓喜に至れ、



涙の奥に聖地がある。

煩悩、則菩提なり。

今、此の身

今、この侭

置かれた環境が、

天国であり、極楽浄土である。

人間はすでに多大なる

恩恵を授かっているのである。

有り難いばかりの人生である。




朝、覚めると

有り難くない感情がうごめく。

心がのた打ち回っているうちに

不思議にも明るい言葉が降りてくる。




永遠という華が咲く。



苦しみの懸け橋を渡り歓喜へ



花のまこと心・・・いのちの神秘

2018年09月12日 21時55分20秒 | 誌編
花のまこと心


夕暮れの花に魅せられ立ち止まる。

今の一瞬を忘れないで咲き出でる。

どんな計らいも無い、どんな進歩も無い、

ただひたすらに頑固にいにしえの思いを、

今、此処に永遠を輝かせる花の真。




『物狂いを見て、座禅を恨む心を恐るべし』
    
                 明恵上人



視えざる神秘力に導かれよ。・・・麦は踏まれれば、踏まれるほど、多くの実を結ぶことになる。

2018年03月22日 21時27分00秒 | 誌編
希望のメロディー


幼きメロディーが流れゆく

あの銀幕の風景が流れゆく

あの切ない思いが流れゆく

あの望みの世界が流れゆく

あの心ときめくメロディー

あの心奪われるメロディー

あの望み満されるメロデイー

いつまでもつづくメロディー

とわに響く希望のメロディー




視えざる神秘力に導かれよ


植物の根は、自分の『この根』をどの方向に伸ばそうと、

ハッキリと計画したり、

又はその行動を予想したりはしなかったに違いないないのである。

植物が根の方向を定めるのは、

植物自身の意識的、心のハタラキでは決してないのである。

それは『視えざる神秘の力』によって導かれているのである。

山野に生える自然界の植物の根すら、

神の『視えざる神秘の力』は

かくの如く生命の生長を導き給うのである。

万物の霊長たる人間の生命(たましい)の生長を、

神がその『神秘なる力』によって

導き給わないということはあり得ないのである。








花の心・・・久遠の喜びよ

2018年02月25日 17時18分18秒 | 誌編
花の心

雨がしとしと降りそそぎ、

春めくあかりがみえ、

草々も艶めいて息を吹き返し、

一枝の生命を潔くはなつ、

花のまことの心よ、

花の久遠の喜びよ、

ひとときの憩いを癒す、

ひとしずくの永遠の恵よ。




『知恵の言葉』



婦人が人を魅する魅力は

単にその容貌にあるのではない。

彼女に愛の雰囲気が

どれほどあるかということである。



神の本性は何よりも先ず光りである。


あなたは無限の知恵がやどっているのである。

あなたは無限の愛がやどっているのである。



愛は健康の源泉でもあれば、

繁栄の原理でもある。


愛はあなたに必要なものを

なんでも引き寄せてくれるのである。



自然には無限の宝庫がある。

自然は生きている、

素直に生きている、

争ったり、

凋落しているように見えるのは、

ひがみ目である。



大自然は争っているように

見えても皆生かし合っているのだ。

自然は生かし合い、

賛美し合い、

捧げ合い、

譲り合って、

悦びの涙と共に生きているのだ。









純愛と裏切りもの・・・意識の底の叫び

2018年02月09日 23時34分13秒 | 誌編

純愛と裏切りもの


壁の向こうにいる私と和解するならば、

私は心、穏やかにいることが出来よう。

壁の向こうにいる私は理解し難き存在である。

壁の向こうにいる私は裏切りものであり、

赦すことが出来ない私であるからである。

壁の向こうの裏切り者の叫びが木霊する。

この裏切り者は誰なのか!

裏切りものは知っている。

私のそばにいる貴方だ。

貴方の姿も見たくない、

貴方の声も聞きたくない。

貴方の装いも消し去りたい。

私の身を貫き通す、

貴方の烈しい炎の塊に身をよせたいの!

私の憧れは、私のすべてを焼き払い、

あの聖なるエンゼルに魂を奉げたいの!

それがどうして出来ないの

それは貴方の裏切りからなのよ!



神様は決して

吾々に苦しい試練なんか決して与えられないのであります。

自分自身の潜在意識が、

自分で自分を苦しめているのが、

人間すべての不幸の原因なのです。












生命の輝き

2017年12月30日 11時57分58秒 | 誌編
生命の輝き

生きとし生けるもの

有りとしあらゆるものを

いだき、育み給う、森よ

青い、青い、地球よ

広大無辺なる宇宙よ

ありがとうございます。

神の無限の愛、

神の無限の生命、

神の無限の癒しが

すべての生きとしいけるもの

有りとしあらゆるものに

裕かに流れ入り給いて

天国となり、

荘厳極まりなき世界が今開く。

美しく、浄らかで、健やかで

豊かな緑に溢れた森と

瑞々しい妙なる地球と

夜空にキラメク宇宙が

光明燦然と輝き給う。

花咲く森よありがとうございます。

愛の満る地球よありがとうございます。

天樂が作り響く宇宙よありがとうございます。




遠くは東京、福岡等の子供、孫達の帰省が始まりました。

お互いに元気な姿を映し合い、それぞれの気持ちが合い通じ合いました。

やはり親しく身近に話し、相合うことで深く愛の絆で結ばれことになり、

互いに明日への希望、勇気、元気さに繋がるようであります。



私たちは常に

『大いなる夢』を描くのである。

『大いなる夢の翼』をひろげて、

神の大宇宙を天翔るのである。




逞しき木立

2017年12月22日 18時15分57秒 | 誌編
半日で早退し、研修会の後、母校の近くを散策しました。

久遠の今

雲の上に青空が広がり、

関の流れが清く澄みきり、

魅せられる黄葉が、秘かに流れ去る。

せせらぎに、真砂がキラキラと映り、

ひと時がひと際美しく感ぜられる。

青春時代に木立の間を歩いた道、

見上げるともう遥か青空に届く木立

久遠の今を生きる汝は逞しきかな。



仏典を論ずると佛教を悟るとは異う

言葉、語学にこだわり過ぎて、

この文字は梵語では本来何を意味するのだなということを考証するほど、

およそ『さとり』に遠いものはないのである。

マタイにしても、マルコにしても、ルカにしても、ヨハネにしてもキリストの言った言葉を、

あんなに力づよく聖書の中に表現し得たのは、

キリストの言った言葉をただ頭で覚えていただけでは出来得なかったに違いない。

それを完全になし得たのはマタイも、マルコも、ルカも、ヨハネも

『久遠を流るるいのちに』に触れていたからである。










一粒一粒の雨

2016年06月11日 20時38分18秒 | 誌編
一粒一粒の雨

一粒一粒の雨が斑な地表を穿つように

運命もそれぞれの場所に置かれている。

元は一つのものから生れたものなのに。

太陽と月が廻るにしたがい

夢と希望という種をはらみ

果てしない空間へと旅立ち、

時間という宝玉を得て

人生という物語を演じる。

まるで清らかな源流から

龍の如く曲りくねった渓谷を

生きる術のをすべて呑み込み

凄まじい濁流となってながれ

平穏なる大海原へと還帰する。



人はとかく人から受けた恩恵を忘れ勝ちである。
もしその人がいなかったら、どんなに淋しく、やるせない人生かと思う時、その人がいてくれるだけで幸せである。
その上、色々尽くしてくれ、便宜を計ってくれる。この恩恵を馴れすぎて忘れてはならない。
その恩恵に心から感謝することである。



植物の花の精神的原型

2016年05月30日 21時23分13秒 | 誌編
植物の花の精神的原型

花ごころ

霧雨に真っ白なクチナシの花がひっそりと木々から顔をだしている。

誰も通らない山里の林にけなげに開いている気品に満ちた花びら。

一枝に、ひとえに真をつくす純潔のあかしと喜びのすべてを托し。

高貴な香りがしずかに大地にひろがり聖霊たちの慈しみとなり、

浄らかな世界へ誘うクチナシの生命。




植物の花の精神的原型

花の形も、それぞれ植物の内包するアイデア(精神的原型)に準(したが)って
各々個性ある独特の形の花を咲かせるのである。
花の精神的原型は種子や葉や茎を細かく切って顕微鏡等で覗いて見ても、
葉の中にも、茎の中にも、樹液の中にも、その花の原型はを見出すことはは出来ないのである。
花の形をつくり出すアイデアという精神的原型は、種子や茎や、葉や、
そんな物質的三次元の存在の中にはないのであって、
植物そのものの、『生命』の中にこそあるのであって、『生命』そのものは三次元空間の中には『ない』から、
『生命』そのものは肉眼には見えないし、その『生命』の中にあるアイデアも肉眼には見えないが、
その『生命』が生きてある限り、その生命が背負っているところのアイデアは
それを象(かたち)の世界にあらわさずにはいないのである。
それだからその植物は生命がある限り、そして花を開くエネルギーがある限り、
その生命が内包するアイデアの形に花を咲かすのである。







慈愛に満ちた神の御手

2016年05月07日 11時00分48秒 | 誌編
慈愛に満ちた神の御手

なだらかな真白な静謐な丘を歩いていると

頭上に虹色に輝く幸福の鳥が飛翔し、

優しい虹色に輝く慈悲の御手をつかむなり。

瞑想の世界に突然スズメの仲間たちが舞いおり

喜びに満ちた声で囀っている。

花びらが如意宝珠に煌く普賢菩薩の蓮華の宝座に座し、

合掌の内に全身が光明燦然と輝く世界の明らけき麗しさよ、

この身この儘、全身が普遍なる宇宙に無尽に広がりて

無限の大いなるものと一つになるなり。

ありがたきな神の無限の智慧と一体なり。

ありがたきな神の無限の慈愛と一体なり。

ありがたきな神の無限の生命と一体なり。

ありがたきな神の無限の供給と一体なり。

ありがたきな神の無限の喜びと一体なり。

ありがたきな神の無限の調和と一体なり。




宇宙の実相である無尽妙法界


自分の身心のうちに、如来の全身があるのである。華厳経には此の真理を次の如く説くのである。
『無尽平等の妙法界は、悉く皆如来身に充満し、取(しゅ)無く、起なく、寂滅なるものも、
一切の帰とならんが故に世に出でたまえり。
・・・・・彼の一切処の廬遮佛(るしゃなぶつ)は衆界の中に於いて正法を演説したまう。
一塵の内に於いて、微細の国土は一切の塵に等しく、悉く中に於いて住す。一切の塵の中に一切の刹を現ず・・・・・』

『注』
無尽…つきることなく滅びないこと。
法界(ほっかい)…宗教的な本源。事物の本源。全宇宙の存在の真理。
         真如と同義語。
妙…われわれの考え、感覚ではとらえられない霊的な最上のこと。
取(しゅ)…執着。欲求してやまない心のはたらき。
起(き)…あわれ出でること。縁起のこと。
帰(き)…たよること。たのみよりすがる。仏法の要諦に帰すべきところ。
刹(さつ)…仏国土。



























                     




人々は天の万象が震い動く時にも大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来たらん。

2016年04月23日 15時32分55秒 | 誌編
人々は天の万象が震い動く時にも大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来たらん。

春雨が静かに窓にふれ撫でる、

ひと筋のしずくが流れおちる、

冷ややかな風が白花をそよぎ、

雨粒を優しく享けとめる湖水、

木の芽時の新緑天を仰ぎ歓び、

白鷺羽を広げ空高く飛翔する、

幼子等の全身に広がる躍動感、

常に満ちる神の無限の慈しみ、

神の生命に生かされている

素晴らしい麗しい此の世界。




天地地変が起こるか起こらないかという事は問題ではない。
それよりも、天地地変が起こっても起こらなくとも、傷つくことのない常に生き通しの世界に住む事が大事なのである。
マルコ伝の十三章に『其の時、その悩(艱難)みののち、日は暗く月は光を発たず。
星は空より堕ち、天にある万象、震い動かん。其のとき人々、人の子の大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来るを見ん。
その時かれは使者たちを遣わして、地の極より天の極まで、四方より、その選民をあつめん』『無花果の樹より譬えをまなべ、その枝すでに柔らかくなりて葉芽めば、夏の近きを知る。そのごとくこれ等のことを起こるを見ば人の子すでに近づきて門辺にいたるを知れ』とある様に
いかなる艱難の時に於いても『悟き者は空の光輝のごとく輝かん』ダニエル書。
吾々の実相(本当の姿)は如何なる時にも水に溺れず、火に焼けない実相の世界に住むのである。



麗しい永遠の愛

2016年01月06日 21時31分26秒 | 誌編
 麗しい永遠の愛

ときめきが震える貴女のまなざし

そのしなやか指先がペンを奏でる

細雪が舞うこの白梅にふりそそぐ

見あげる貴女の髪がゆれるさきに

小鳥が歌いその真実の歌を貴女に

貴女の座るそのあし前に光る悦び

星の煌きが貴女の微笑みを見つめ

縁れあう真実を胸に秘め想う貴女

幾万年の彼方に逢う真実を貴女に

麗しい永遠の愛を貴女の唇に囁く




愛は現代語での『愛』と仏説の『愛』とは全然意味が違うのです。
現代語の愛は努力精進して完成しなければならない人間最高の美徳のように解されている。
釈尊が悟りをひらかれた時の心境を阿含経は『諸愛悉く解脱し』と書いているのである。
この時の諸愛は、諸々の愛着心、即ち煩悩のことです。
愛は阿含経時代には解脱しなければならない煩悩を意味していたのである。
観無量寿経には『愛』を仏心と表現し、『仏心とは四無量心是なり』と言うように書いてある。
『四無量心』とは慈悲喜捨の四つの無量の深き心である。
『慈』とは他(ひと)の苦しみを見て、その苦しみを抜いてあげたくなる心―抜苦の心であり、
『非』とは他(ひと)の苦しみを見て切なくなり、楽を与えたくなる『与楽』の心である。
『喜は』他(ひと)の喜びを見て自分の喜びとする心です。
『捨』は諸々の愛着心を捨てることです。


愛とは執着ではない、小鳥を籠の中から解き放つように、愛はすべてを解き放ち、尊敬し、信じることである。