夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

いのちは常に輝いている

2014年09月30日 18時48分17秒 | 誌編
霞む山 招くススキの 儚さよ


いのちは常に輝いている


清らかないのちは常に輝いている、

ほら此処に、あなたの心に輝いている。

美しい心は常に輝いている。

ほら此処に、あなたの笑顔に輝いている。

優しい心は、常に輝いている。

ほら此処に、あなたの瞳に映っている。

楽しい心は、常に輝いている。

ほら此処に、あなたの口元の微笑に輝いている。

悲しい心は、真白い世界の淡雪のように舞い。

ほら此処に、あなたの前で儚い霧のように消え去る。

苦しい心は、胸の奥で巡り、巡りてふくらみ。

ほら此処に、あなたの優しい愛の御手で癒される。























人と人との不思議な結び合い

2014年09月29日 20時20分30秒 | 日記・エッセイ
先日一泊二日を終えてふと大型の送迎バスで帰る事に変更しました。
すると如何したことかバスを降りてから財布が無い事に気が付きました。
同じ場所で降りた女性の方に財布のことをお話しましたら、気軽にまだバスに乗っている同僚に携帯で連絡して頂きました。
後ろの座席にありましたとのこと。
さてその財布をいかにしたら手元に戻ることが出来るかと思案していますと、
再び連絡して頂き、そうしましたらバスの運転手さんに預けますから、バスが車庫に戻りますからその事務所に来てくださいとの事でした。早速バスの車庫に行きそのバスが帰って来るまで一時間程待ちました。
その待っている間にバスの運転手さん達が市内の路線の勤務を終え次々と営業所に帰って来られ管理の人に色々な点呼等を報告している姿を拝見していますとどんなお仕事も大変である事に気づかさせて頂きました。
そうして居る間に担当の運転手が戻って来られ、大変長く待たれたでしょうと優しい言葉をかけて頂きました。
お陰さまで無事、財布が戻ってきました。
あり難いことでした。

この事をふり返ってみますと、ひとつの財布の事で色々な人の優しさを結び合わせて私の手元に帰って来ました。
不思議な縁で御座いました。
ありがとうございました。



業からのがれ出るには、業の力を利用してのがれ出るのである。

愛は本来自他一体の自覚より出でたものである。










悔いのない生活とは一瞬一瞬に永遠を生きると云うことである。

2014年09月28日 20時09分16秒 | 旅行記
第三百六十四回団体参拝練成会

練成会に一泊二日参加しました。
遠くは北海道、宮城、愛知等からたくさんの参加がありました。
二十六日には境内にある田圃で稲刈りの献労があったそうです。
心の傷である人生の重荷がひとつ軽くなりました。

現代の物質文明から精神文明へ先駆けとなる人間と自然の調和のために
自然と共存する文明を構築することが人類に与えられた命題であると思われます。

徐々に死ねば霊魂は多くの肉体の雰囲気(業因)を負うて立去り、


急激に死ねば少しの雰囲気しか持去らない。
どちらが良く、どちらが悪いと云う事はなく、
ただその人々にとって一番適した道を選ぶまでである。

































右手の脱臼した親指癒される

2014年09月25日 21時29分56秒 | 日記・エッセイ
一週間程前に仕事中に右手の親指を痛め不自由をしていました。
特に右手でペンを握り書類を書くのが大変でした。
自然の力で治癒を待ち癒されました。
神様ありがとうございました。


神癒治療(メタフィジカルヒーリング)をなすにはまず神に祈れ。
今日の運命はわれわれにとってはすでに決定したものでありますが、神の前にはなお修正の余地のあるものであります。
いわんやわれら自身にとって未決定なるわれわれの将来の運命が、われわれの祈りによる神への結びつきによっていかに改善良化されるかは論をまたないのであります








!ラッキー 七色の虹に出会えた!!

2014年09月24日 20時48分52秒 | 日記・エッセイ
曇天の天気に夕方灰色の雲のまにまに朝陽の如く太陽が輝いた。
すると突然目の前に七色のレインボーが現われた。

“一瞬の輝き“素晴らしい出来事。


その樹の善悪は果実を見てその善悪を知れ。善き果を生ずる樹は善き樹である。 

イエスキリスト



藤の木には藤の花を咲かせリンゴの樹にリンゴの実を実らせる神秘な力と同じ力が我われの内にも 

“不思議な偉大なる力が宿っている”

輝く虹のように我われも天地一切のものに、人々に、明るく、笑顔で、積極的に感謝と讃嘆の喜びを捧げよう。














彼岸の中日

2014年09月23日 21時39分44秒 | 日記・エッセイ
『一切衆生悉く仏性有り』
旧約聖書 ヨブ記 第三十二章六節
私は年若い者であるから遠慮して自分の意見を陳べなかったのであるけれども、人の内には“霊”が宿っている。
その“霊”というのは全能者の聖霊であって人に聡明なる言葉を与え給うのである。

仏教も、旧約も、新約も人の内に宿る聖霊又は如来が存することに於いて一致するのである。



お墓参りに奥様を誘い、小高い丘の上の墓苑の行きましたら今日はたくさんのお参りで賑やかでした。
近くにある親戚のお墓にも不思議にも一緒にお参りがありました。
やはり親戚同士は絆が深いことを感じました。
香が香るなか、今私たちの内に生きている御先祖様の真心を感じ、ありがとうございます。此れからどうぞ宜しくお願いします。と祈り経を読誦しました。
奥様が大変機嫌が良くなりました。
あり難いことです。




















雨だれに輝る赤いネオン

2014年09月19日 20時48分53秒 | 誌編
雨だれに輝る赤いネオン、
流れ落ちる水玉の向こうに
静かに静かに聞こえる鼓動、
雨だれのしずくのように、ポトポトと心に響く、
奥底に沈殿して漂う歎きの鼓動、
雨だれのしずくに
リーンリーンと闇夜に冴えわたる虫の声、
この澄みきる世界に出会える歓び。
今此処に永遠の喜びを
音色に全てを托して
懸命に生きる虫たち。


神癒治療(メタフィジカルヒーリング)をなすにはまず神に祈れ。
今日の運命はわれわれにとってはすでに決定したものでありますが、神の前にはなお修正の余地のあるものであります。
いわんやわれら自身にとって未決定なるわれわれの将来の運命が、われわれの祈りによる神への結びつきによっていかに改善良化されるかは論をまたないのであります。





















吾々の一生は父と母の愛を求めての一生といわれています

2014年09月17日 23時24分25秒 | 日記・エッセイ


吾々の一生は父と母の愛を求めての一生といわれています。
言い換えると吾々の深い心の奥底には神の愛を求めての一生ともいえます。
故に吾々は神を愛して、神の名をよばずにはおられないのです。

私たちの深い心の内には既に、今此処にこの一瞬に善一元の世界、光明一元、神一元、美しい素晴らしい世界が存在していて、神秘なる神霊に常に如何なる瞬間にも如何なる場所でも時間空間、霊界をも乗り越えて私たちは導かれ守られております。ですから如何なる問題でも神の有(も)ち給えるすべての富、問題の
解決は既に私たちに与えられているのである。

美しい素晴らしい善一元、神一元、光明一元の世界のみを見つめ、『神様の神霊の導き』を信じて、天地一切のものに感謝し て、今既に与えられている仕事、自分に恵まれている良きものを神からの賜りものとして感謝して喜び、自分の敵を  愛し、自分を迫害する者のために幸せを祈り、吾が内なる神に密かに静かに、 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、内なる神を愛し、最も身近な隣人を愛し、新たなる祈りをするならば神は必ず応えたまう。神は願う前から既に貴方に必要なものと癒しの時期を知り給う。神の時期に全托するならば如何なる問題でも解決ができるのであります。

『能く一念喜愛の心を発せば煩悩を断せずして涅槃を得』

2014年09月16日 21時27分32秒 | 真理の言葉
『能く一念喜愛の心を発せば煩悩を断せずして涅槃を得』
 
本当の信心からくる悦びの生活に入るとき、煩悩を断ぜずして涅槃すなわちサトリの境涯に達し得る。
本願力を信ずることによって自然に喜びを感ずるようになりますと、煩悩を無理に抑えなくとも正しくない煩悩が起こらなくなるのであります。
      親鸞の本心  親鸞上人 正信偈釈迦章より 
 

誕生日・・・・・母苦難をのり越え喜びの日

2014年09月15日 17時14分26秒 | 日記・エッセイ





誕生日娘より奥様経由電動肩モミのプレゼント!!!!!
奥様より冷やしスイカ、ハンカチ、靴下のプレゼント。
孫娘より似顔のプレゼント。
母を思い出す。
母苦難をのり越え喜びの日。
ありがたい! ありがたい!
お父さん、お母さんありがとうございます。

神功皇后・藤大臣・中臣鳥賊津臣命・鬼夜

2014年09月14日 17時35分40秒 | 歴史
日佐住吉神社              所在地  福岡県筑紫郡日佐(現福岡市南区日佐町)        起源 536年(宣化)前後 住吉大神 中津瀬の神を祀る祭神香椎大神(比売神)―神功皇后      聖観音菩薩    住吉大神 表筒男命・中筒男命・底筒男命  薬師如来・阿弥陀如来・大日如来又は釈迦如来八幡大神(応神天皇)            阿弥陀如来高良大神(藤大臣)            十一面観音菩薩・勢至菩薩・竜樹菩薩宮大神(宮地嶽神社)神功皇后・勝村大神<藤之高麿>・勝頼大神<藤之助麿> 藤大臣(とうのおとど)の示顕時期
神功皇后摂政時代  西暦200年9月13日

[高良玉垂宮縁起](高良大社・玉垂宮)

神功皇后が征新羅勝利を筑前四王寺の峯の榊に、金鈴をかけて、七日七夜の間祈願し、九月十三日になって、明星天子(住吉神)と月天子(高良神)が示顕した。武内宿禰の請で藤大臣と称し参戦、筑前の八女神のうち豊姫を竜宮に遣わせて借りた千珠・満珠をもってついに新羅王を降伏させた。藤大臣は中臣鳥賊津臣命とも、藤大臣連保のこととも月天子とも、住吉明神の化身ともいふ。
藤大臣(とうのおとど)の没し地

  大善寺玉垂宮

祭神

     玉垂命<藤大臣(とうのおとど)>・八幡大神・住吉大神

所在地  久留米市大善寺町宮本

例祭日  1月7日  日本三大火祭り(国の重要無形民俗文化財 鬼夜

平成15年1900年祭

奉葬時

    390年(仁徳78年)  筑後国 高三瀦塚崎に奉葬する

年表

133(成務3) 武内宿禰を大臣とする。

200(仲哀9) 2月6日 香椎宮で仲哀天皇亡くなる。

3月 1日 武内宿禰に命じて琴をひかせ、中臣烏賊津使主をよんで

      審神者とされた。

       3月20日 神功皇后、羽白熊鷲を討伐。

       3月25日 福岡県山門群に行き土蜘蛛の田油津媛たぶらつひめを討伐。

4月10日 肥前国松浦県にいき、玉島里の小川で食事をする。

       9月10日 大三輪に神社を建立。<刀と矛を奉じる>

9月13日 神功皇后が征新羅勝利を筑前四王寺の峯の榊に、金鈴をかけて七日七夜の間祈願し、九月十三日になって、明星天子(住吉神)と月天子(高良神)が示顕した。[高良玉垂宮縁起]

10月3日 神功皇后、鰐浦から新羅に出兵する。(記)

10月10日 対馬の和珥津(わにのつ)を出発した。

このころ白鬚神社を古場名に鎮祭する。祭神、武内宿禰(諫早市有喜町)

12月14日 筑紫において誉田別皇子(応神天皇)を生む。(記)

  201(応神2年) 3月5日 忍熊皇子を討伐。(記)

 10月2日 神功皇后、大和に帰り政を摂する。(記)

 11月18日 足仲彦天皇(仲哀天皇)を河内国の長野陵(大阪府南河内群美陵町大字岡)に葬った。(記)

203(応神3年) 1月3日 誉田別皇子を皇太子とする。(記) 大和国の磐余に都を造る

                                 (若桜宮)

11月   阿雲連の祖大浜宿禰、サバメを平らぐ

  211(応神11年)  住吉大社、神功皇后・田裳見宿禰により住吉大神鎮祭


238(応神38年) 6月  倭女王卑弥呼が使いを遣わす。(魏志)

        12月 明帝が卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬を与える。(魏志)

244(応神44年)  百済王が久氏(くてい)を遣わす

247(応神47年) 夏4月 百済王が久氏(くてい)を遣わす

248(応神48年)  このころ卑弥呼が没する。(魏志)

252(応神51年) 9月10日 百済王が久氏(くてい)を遣わし七枝刀(ななつきさやのたち)一口(石上神社>、七子鏡(ななつこのかがみ)一面、及び種々の重宝を奉った。(記)

269(応神69) 4月17日 神功皇后、稚櫻宮(わか櫻)で崩御<享年100歳>。(記)

269(応神69) 10月15日 狭城盾列陵(さきのたたなみのみささぎ)(奈良市山陵町字宮の谷)に葬った。この日に皇太后に諡(おくりな)を奉って気長足姫尊という。(記)

270(応神70)  応神天皇の即位 (記)

273(応神70)  11月 安曇連の先祖大浜宿禰を漁民の統率者とされた。

278(応神78) 4月 武内宿禰を筑紫に派遣して,百姓を監察させる。(記)

310(応神100) 2月15日応神天皇の死。110歳

366(仁徳54)   仁徳天皇五十四年肥前の国桃桜沈輪発起し異国へ内通し、悪徒を集め諸所乱妨の旨、百姓等濫訴に及ぶ。(薬師寺旧記)

367(仁徳55)  武内宿禰の死。(水鏡)

367(仁徳55)  蝦夷が叛く。

367(仁徳55)  12月24日五十五年卯十二月勅命に随ひ、藤大臣難波高津宮を出て、同年同月二十四日筑後塚崎葦連館へ御下着在す。

藤大臣,耳納山を開き,高村大善寺に御殿を作る。(薬師寺旧記)

368 (仁徳56)1月7日肥前川上に桃桜沈輪(ゆすらのすいりん)を討伐。(薬師寺旧記)

390(仁徳78)  藤大臣死。高三瀦塚崎に奉葬する。(御廟塚)

400(履中元)  始めて社を高良山に建てる。(高良玉垂宮)

536(宣化元年)  筑紫、那津宮家を設ける。<福岡市南区三宅・比恵>(記)

538(宣化3年)  百済の聖明王が仏像・経論をおくる。

554(欽明15年)  百済王が筑紫に日佐を派遣する。(日本書紀)

571(欽明32年)  宇佐八幡神、山下に示現。

579(敏達8年)  新羅、仏像を献じる。(記)

584(敏達14年) 蘇我馬子が石川に仏殿を造る。(記)

589(端正元)    玉垂命が三瀦で死去。(太宰管内志)


602(推古10年)   善光寺の創立。


607(推古15年)  法隆寺を建てる。(法隆寺、薬師寺仏造像記)


645(大化元年)  中大兄王子、中臣鎌足蘇我氏を滅ぼす。


649(大化5年)  武蔵寺創建。筑紫太宰師として赴任した蘇我日向臣無邪志が般若寺を創建する。<般若寺が武蔵寺の始まり>


663(天智2年)  8月27日 日本水軍、白村江で唐の水軍に敗れる。


669(天智8年)  10月15日 中臣鎌足、藤原の姓を賜る。


           10月16日藤原鎌足の死。


672(白鳳元)  御廟院高法寺を開基。 三池長者師直が、玉垂宮の古跡に法相宗の僧 安泰をして祭神(藤大臣)を祭らせる。

673(白鳳2年)  竃門神社の始まり 2月10日辰の刻心連上人のお告げにより宝満山の馬蹄岩に玉依姫を祭る。

678(白鳳6年)  厳原八幡宮創建。

680(天武8年)  11月12日 薬師寺建立。

685(天武13年)  12月2日 阿雲連、連姓を宿禰に改める。

686(朱鳥元年)      住吉大社に天武天皇奉幣する。

         9月9日天武天皇の死。

694(持統8年)  都を藤原宮に移す。

712(和銅5年)  1月28日 古事記を撰上。大安麻呂

720(養老4年)  5月 日本書紀(30巻系図1巻)を撰上。舎人親王

723(養老7年)  香椎宮を造立<神功皇后を祭る>

723(養老7年)   2月2日 観世音寺を建立させる。

724(神亀元年)  神功皇后の神託により香椎廟を建立。

725(神亀2年)  宇佐八幡宮社殿を造立。

728(神亀5年)  11月 太宰師大友旅人香椎廟に奉拝する。

728(神亀5年)  諫早神社創立。(四面宮)

731(天平3年)  箱崎宮、神託により漂松の下に宮殿を設く。

734(天平9年)4月 筑前国那珂郡住吉神社の祭神(住吉神)に新羅国の無礼が奉告される。

734(天平9年)  八幡神が朝廷の編纂した歴史書に始めて登場する。<続日本記>

746(天平18年)  観世音寺斉明天皇のために、天智天皇の発願により完成する。

757(天平宝字元年) 延喜式公布・施行。

768(神護景雲2年) 11月9日奈良の春日神社、春日神社(福岡県春日市)藤原田麻呂により創建される。

784(延暦3年) 12月 住吉大社従2位授けられる。

785(延暦4年) 最澄が比叡山に庵を結ぶ。

794(延暦14)  高良神に従5位を授ける。

804(延暦23) 3月28日最澄、空海らが入唐。 最澄宝満山の竃門山寺で祈祷を行う。

805(延暦24)  最澄天台宗を開く。

814(弘仁5)  御廟院高法寺を嵯峨天皇の勅命により大善寺(天台宗)と改める。塚崎に妙覚院ができる。妙覚院 本尊 薬師如来 開基 伝教大師最澄

  837(承和4年) 対馬の鶏知の住吉神社従5位下を授かる。

840(承和7年) 竃門神従5位上を授かる。

859(貞観元年) 京都 石清水八幡宮の始まり、行教男山に神霊を奉安する。

859(貞観元年) 下関、住吉神社従5位下を授かる。

859(貞観元年) 壱岐、住吉神社従5位下を授かる

860(貞観2年) 京都石清水八幡宮摂社高良神社造立<行教>高良大明神者武内大臣

高良藤大臣連保之事也。神号日高高良玉垂命、以干満ノニ珠ヲ令奉行之故二奉号玉垂、住吉明神之化身也。石清水八幡宮社記<男山考古録>高良の本地仏は勢至菩薩か竜樹菩薩(異説十一面観音)とされている。

  895(寛平7年)  志賀海島神社従5位上を授かる

923(延長元年)  箱崎宮造営。 

1007(寛弘4年)  紫式部が源氏物語を著す。

1133(長承3年)  4月7日 法然誕生。

1175(承安5年)  法然浄土宗を開宗。

1212(建暦2年)  正月25日法然大谷で示寂。

1274(文永11年)  文永の役。(蒙古の襲来)

1281(弘安4年)  弘安の役。(蒙古の襲来)

1532(天文元年)  道真が太宰府へ至る前夜に一泊したといふ額田の駅(福岡市西区野方)には、後世に野方天神社がまつられた。菅公の随臣だった藤氏の子孫が、天文元年(1532)に野方に土着して先祖を偲んで建立したといふ。

1605(慶長10年)  慶巌寺創建。(諫早市)

1635(寛永15年)  檀家制度

1661(万治4年)  対馬、藤 斉延生まれる。 対馬藩士・総宮司職・国学者

  1723(享保8)   妙覚院を大善寺より再興

  1744(延元年)   八幡神社創建。(諫早市小川町)

鬼夜の由来に関して「薬師寺旧記」に、               


 仁徳天皇五十四年肥前の国桃桜沈輪発起し異国へ内通し、悪徒を集め諸所乱妨の旨、百姓等濫訴に及び、これに依り葦連(大善寺勾当職吉山氏の祖)奏聞し奉り、同帝五十五年卯十二月勅命に随ひ、藤大臣難波高津宮を出て、同年同月二十四日筑後塚崎葦連館へ御下着在す。(中略)大臣秘計をめぐらし、同帝五十六年正月七日類族遺らず退治し給う。夜に入りて沈輪行衛しれず、大臣四方に命じ大池を囲み、棒を以ってその岸を松明を照らし、鉾を以って水中を探り、逃げる処なく棒を奪い取り、葦連目当打って懸かる、用意の刃を抜いて沈輪が首を打ち落とし給う。その首虚空に舞い上がる。大臣、八目矢を以って射落とし、茅を集め焼き給う。是れ鬼夜の始と云う。


日本三大火祭りの一つに数えられる鬼夜ですが、言い伝えられた伝承は古代史の闇を私達に語りかけているようです。創祀一九〇〇年を迎えた大善寺、その歴史にも驚きますが、九州年号「端正」や太宰府管内誌からの記述『天皇屋敷』、『桃桜沈輪』等を含めて伝承されている鬼夜です。