夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

大宮八幡宮にて

2007年12月14日 23時53分01秒 | 旅行記

Pict0070 Pict0013_edited_2 高輪プリンスホテルに就職してから、いろんな仕事を経験し元気に活躍している次男坊の招待で、初めて妻と尋ねる事に相成りました。

今回も妻は窓側に陣取り私の手を握り富士山が見えたよと、とても綺麗ねと、息をひそめまんじりともせず、私たちの真向こうに見える深遠なる清らかな富士山の姿を窓からきえるまで見つめていました。

間もなく眼前に広大なビル群が広がる世界が現れ、無事着陸し羽田からモノレール、山手線、井の頭線と乗り継ぎ駅の近くの八百屋で住所を聞くと親切丁寧に教えて頂き東京にも人情味がある事を感じ、有りがたくも嬉しく思われました。

地図を片手に歩き、マンションの部屋入ると此処にも大都会の夢と希望に満ちた世界が現れ、子供の想いが感じられこの16年間の息吹が伝わってきました。

間もなく勤めから帰って来た次男坊に大変歓迎され夜が更けるまで話が進み、翌朝近くの大宮八幡宮に参拝し、午後は妻の大好きな天丼をいただき、またハトバスをお世話して貰い、妻と二人で浅草観音、二重橋、東京タワーなど見物させて貰い有りがたく楽しい時間を過ごし、次男坊の愛深さをしみじみと感じました。

「白露も紅葉に置けば紅の珠と見ゆれどまこと色なし」 法然上人

「苦難」は實は苦難そのもではなく、仮面をかぶった「愛」の慈手(みて)であるのです。苦難の意義を知るとき、それを受けることからくる苦痛の感覚は半減いたします。


まだ見ぬ母を尋ねて

2007年12月12日 18時43分56秒 | 旅行記

Scan20235 一歳ほどで別れた母を尋ねて、かもめ、新幹線と乗り継いで広島へと・・・・、赤いコートが良く似合う妻と二人での、初めての旅行である。

車中の次々と移り変わる風景の先を見つめていると、まもなく広島駅へ到着、足早と広島城の近くの本籍地、出生地へ向かい付近の古い商店で尋ねると、原爆の後は以前の地元の人は少ないとの事で・・・・広島城で鳩と戯れながら妻と散策し、このお城で母も小さい頃遊んでいたのだろうと思い、懐かしくも胸に迫るものがありました。

さらに乗り継いで海軍の町呉へと向かい晩年暮らしていた大家さんの医院を尋ねると大きな櫻の老木があり、座敷に丁重に案内され妻と二人で待っていますと、若奥さんが見えられ最後まで気丈夫で、確りなさっていましたよとお話をして頂き嬉しく思い、母の御心が伝わる思いがしました。

熱心に信仰をしていた模様でその当時の信仰仲間の方から温かく迎えられ、母はバナナ、カツサンドが好きで、踊りなど教えて頂いたとか、エピソードを話して頂き、又母が経営していた店などを案内し頂き、母の人生の匂いをたどりました。

いよいよ母の遺骨を近くの墓苑で引き取り、母の最期をお世話して頂いた方から広島駅まで送っていただき・・・・まだ見ぬ母の遺骨を抱きしめ帰郷しました。

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住吉大社で

2007年12月10日 22時22分42秒 | 旅行記

小鳥の如く単純に

彼らは貪欲ではない、明日の日のことを思い煩わない。過去の恨みを数えない。たかぶることもなければ貪ることもない。宏壮なる建築の中に住まおうとも思わない。彼らの一日の労苦は一日で足れりと云うことを知っているのである。心に借り越しもなければ持ち越しもない。自然に与えられる食物で満足して、ただそれだけで驚くような健康を保持している。

Scan20309 神功皇后が祀られている住吉大社で長女の結婚式があり三度目の飛行機の旅で妻は窓からの景色を見るのが大好きでいつも窓側の席をとり離陸から着陸まで楽しそうに、また真剣に見ていた姿は愛くるしくまた初々しくも感じ、妻の愛豊かさがにじみ出ておりました。

結婚式では旦那様のご両親と初めてお会いしソフトなお父さんと、気さくなお母さんで、またお似合いのご夫婦との出会いでホッとし、安心しました。

長女の明るい性格にお似合いの素晴らしい旦那様との結婚式は温かく優雅で、また拝殿でのお祓いから式場までの間を神官を先頭に巡幸するときは感動的でした。

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名島弁財天を尋ねて

2007年12月09日 20時15分33秒 | 歴史

Tourou_019 先日諫早より、マリンメッセでの講習会の帰りに永年の念願でありました、名島弁財天へ尋ねようと思い地下鉄、西鉄と乗り継ぎ神功皇后の御縁であられる名島神社、宗栄寺に祀られている名島弁財天へと、心弾み尋ねました。

名島弁財天は祖母が40年ほど前、私達家族の繁栄と幸福の為に御印を受けて頂いたご縁です。

当時は交通が不便な時節に足を運ばれたご苦労を思い、有りがたく胸詰まる思いでした。着いて参拝を済ませご住職にお会いしたいと思いましたが、不在のようで、すぐ近くの名島神社へ足を運び宮司さんにお話を伺いましたところ、宮司さんは以前は長崎の諏訪神社に奉仕されていたそうです。

名島神社と名島弁財天のご縁を話して頂きました。

それに因りますと以前は同じ場所に祀られていたそうです、豊臣秀吉時代に今のように別々に祀られたようです。

宮司さんのお蔭で宗栄寺の方に連絡していただきお坊さんとお会し、当時のことを伺いましたら現在は当時の御印を造る職人さんがいないとのことでした。又お札も受けることが出来ました。ありがとうございました。

名島弁財天社

今の東いと高き山を神宮が峯云。此山則いにしへ社ありし所なり。一説、神功皇后ののぼらせせ給う峯なる故に、神功が峯と云。小早川隆景、名島を築れし時、今の所うつさる。神功峯の南を鳥居峯といふ。是鳥居を建たりし所也。城ありし時は南の丸といふ。元禄中、国君より社を又むかしのごとく山上に移され、神殿をも綺麗に改め作りて、石の鳥居を立給ふ。其鳥居の額は、元禄年中、篤信が乞に依て、花山院前内府定誠公書給ふ。むかしは大社なりしが、中ごろより衰けるにや。此神も宗像三神の内を勧請せしなるべし。天正十四年、秀吉公筑紫に下り給いし時、此社に詣で、社の衰へたるを見て、弁財天は福神なるに、荒てさびしき貧神なりとて笑いたまふと也。六月二十日祭あり。参詣の人多し。社僧の寺は、名島村にあり。神宮寺と云。名島山と號す。天台宗なり。国君より社領二十石餘寄附せらる。又其西北弁財天社の社に近き所に寺あり。宗栄寺と云ふ、向春山と號す。社の側なる海際に、砧板瀬(まないたせ)とて岩あり。民俗傳へて云、神功皇后三韓より凱旋の時、此所に於て祝饗有し故、砧板瀬の名ありと云。 

                                     筑前風土記より


転身のための祈り

2007年12月09日 19時09分30秒 | 真理の言葉

転身のための祈り

  私は今、新しき日を迎えたのである。過去の悪しきもの、好ましからざるもの、見苦しきもの、明るからざるもの、消極的なるものの一切は過ぎ去ったのである。すでに過去の一切は消え去って、私は新生したのである。

  私の心の中には新しく善きもの、好ましきもの、美しきもの、明るきもの、積極的なる想念を神から与えられて新生したのである。それらの一切の善き想念は、私の潜在意識の中に種まかれて、今じょじょに発芽し、生長しつつあり、やがて、時期熟して、必ずそれが具体的に繁茂した姿にあらわれることは間違いないのである。


2007-12-06 19:35:03

2007年12月06日 19時35分03秒 | 日記・エッセイ

いにしえか とこしえに咲く 藤の花

湊まち いくとせの愛し 千代の舟

蒼空に 夢匂ふかな 月天子

海原や 朝明けの光 ひめ百合よ

み光や 尽くしの彼方 花御堂

藤の峰 若水映える 星まつり

遠の里 みぐし妙なる 春かずら

雁がねの 至福満る 今日の月

神楽歌 ひとすじの道 賞ぶらむ

天地の 理わりひびく 初雪や

鈴虫の まことの心 絢灯かり

八重の幸 禊ぎたまうや 那智の雲

深山に きらきらしかな 君子欄

ひたすらに 櫻笑みし 永久の華

夏木立 末光洩れる かなめ花

新饗に 貴き饋饌 桐の香