夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

永遠不滅の世界・・・衆生、地球が『劫』つきて大火に焼かれ消滅しようとも、我が此の土は安穏である。

2019年03月30日 16時08分09秒 | 真理の言葉
花びらの 陽炎もゆる 青い空

里山は桜満開。

母を訪ねて、満開の桜並木を走りぬける。

そこは携帯が届かない山間の地なり!

近づくと細目で吾を見つめるなり。



一如の世界

穏かな自然、

豊かな自然、

気高き自然、

穏かな自然は吾等の心

豊かな自然は吾等の心

気高き自然は吾等の心

荒狂う自然も吾等の心

この世、あの世に

顕れている凡ての現象は

吾等の心の反映であり

この世、あの世に

顕れている凡ての現象は

神の愛に導かれている

永遠なる一如の世界。




永遠不滅なる世界



衆生、地球は輪廻によって、

劫つきて大火に焼かれ消滅しようとも

我が此の土は安穏にして

永遠なる世界である。

そこには天人充満せり。

花園、宝樹、堂閣には多くの花や実がなり、

種々の宝玉で荘厳せり、衆生の遊楽する所なり。

諸天は天の楽器を打ちならし、常に諸々の音楽を奏でり、

曼荼羅華を雨ふらし、佛や大衆に散じています。

                         法華経如来壽量品 第十六

『注』

一如・・・万有に偏在する根源的な原理。真実のありのままのすがた。

輪廻・・・・・・『生まれかわる』ということだけではなく、
         世界が車輪のようにめぐりめぐること。

劫(こう)・・・きわめて長い時間。永遠の時間。
        無限の時間を一単位と考える。

安穏・・・・最上の福祉。安らかに穏やかなこと。

天人・・・・仏のはたらきを喜び、天樂を奏し、天華をふらせ、
      天香を薫じて虚空を飛翔するもの。

宝樹・・・・珍しい宝からなる樹で、浄木の草木をいう。

諸天・・・・天上界に住して仏法を守護する神々。
      
曼荼羅華・・色よく、芳香を放ち、
      高潔でこれを見る者の心を喜ばせるといわれる天界の妙花。




花びらの 陽炎もゆる 青い空



朝の時間を生かすものは生涯を生かすものである。



朝の時間のインスピレーション(Inspiration)の不思議さは
物質の世界(現在意識)が目覚めていない時であるからである。

空海の願い・・・私たちが進むべき道

2019年03月27日 22時41分42秒 | 真理の言葉
今年も黒いスーツを着込んだ

初々しい看護師さん達が

目を輝かせて院内を回っていました。

ベテランの看護師曰く、

ホヤホヤですよ!

と私につぶやく。

しばらくすると新年度!

追っかけてくる仕事、仕事!




空海の願い・・・私たちが進むべき道


私は世の人々に、妄執(まよい)を乗り越えて、

人間の心の真実に入って貰いたいのです。

霧を吹きとばして明らかな光のもとに自分が本来所有し、

備わっている仏心(ほとけごころ)をはっきり見なおしてみると、

そこには無尽の宝物がいっぱいつまっていて、

私もあなたも、その宝物を利用して、

毎日が全く新しい生活となるに違いありません。



人間の種々の心の探求である『第十住心思想』


其の 第一住心・・・人々は実我という固定した霊魂(自我)が実際に存在しているものと錯覚して、

それにこだわり、その自我に執らわれてしまいながら生活しています。

後の世に応報(むくい)を受けることに気づことのないまま、
  
本能のまま、欲望のおもむくままに行動しているのです。

こうして人々はこの世の中の種々の世界ぐるぐる輪廻していって、

いろいろな生命をさまよい続けていくのです。

弘法大師空海  秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)


『注』

秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)・・・天長七年、淳和(じゅんな)天皇の詔を受け、空海が密教の要旨を著した著書。





一は百千の母たり。



悪人と思えるような衆生にも既に備わっている『大菩提心。』

キラキラと光る砂の川、輝く銀ハヤ(鮠)、空で遊ぶ雲雀・・・ワクワクと心ときめく愛を『今』此処に

2019年03月25日 20時40分48秒 | コラム・人文
福島県本宮市にある映画館『本宮映画劇場』の番組を見て、

昭和32年頃の私が小学5年生の時、佐賀県基山町で

父が映画館を経営していました頃を思い出しました。

私も2台のカーボン式映写機がある映写室に興味津々出入りをしていました。

映写技師の指示でカーボンの光が低下しないように調節したり、

フイルムの巻き時間が10分程しかないので、2台の映写機で切り換えて運転していました。

またフイルムを元に戻すために巻き返し等の手伝いをしていました。



孟母三遷

当時、朝鮮戦争が終結した直後に、外人バー等が集まり、

ネオン輝く退廃的な米軍の海兵隊の基地佐世保より、

見渡す限りに平野がひろがる筑紫平野(佐賀平野)の小さな町に転居しました。

無限と思える程ひろがる麦畑、川底の砂が透きとおる川の流れ、雲雀の鳴き声、

私にとっては全てが初めての新鮮な経験でありました。

雲雀、銀ハヤ((鮠)を追いかけ、

麦畑、川、山、草スキーなどの自然の中で我を忘れ夢中に遊びました。

劣等感で満ち溢れ、荒れていた心を癒す為には素晴らしい場所であり、

機会であり人生を左右する運命の大転換期でありました。

今、其のことを思い出しますと

私のことを常に見守り導いて頂いた父母の愛に深心の感謝を捧げます。




人間の老いを遅らすために


老いて朽ち果てると云うようなネガテイブな心を捨て去り、

私は永遠なるものであるというポジテイブな心を持ち続け、

『今』私は生まれたのであると思い、

幼児のごとく、すべてのものに神秘性と興味を持ち、

若々しい夢と希望、新鮮さを持ち続けることです。





愛せよ、少しも求めずに愛せよ。
無償の愛は平安と祝福に満たされる




隠れたるところで人を讃嘆せよ。  (佐世保海軍橋付近)




晴れやかに笑え、晴れやかな笑いはすべての栄養剤である。








常に『極楽世界の中』に身を置いて生活を生きる。・・・智者は自らその身を整ふものなり

2019年03月24日 12時45分13秒 | 真理の言葉
寒暖差が激しい毎日です。

花もその日ごとに表情が違います。

移り変わる環境も『己が心』の反映なりと申します。

明るい善き想念を抱き人生を歩むとき善き運命が開けて参ります。




道を極めるだけでは本当の生活は出来ません。



弓師は能く角を調え

水人は能く船をととのふ

巧匠はその木を調え

智者は自らその身を整ふものなり

阿含経 三十一



釈尊はただ角、船、木を調える技術の高さ、巧みさを述べられているのではないのです。

その素晴らしい技術と巧みさが自分自身の身の上と一体となっていなければならない。

例えば芸人が舞台で親鸞上人の生き様を素晴らしい芸術に現して見せたのに、

それが終わり楽屋で、手のひらを返したように

寝転んで聞きづらい野蛮な言葉を放っている姿を見ると興が冷めます。


このように『芸は芸』『自分は自分』と割り切るところに迷いが起こります。


自分の芸、自分の技術、自分の学問等を極めるだけでは本当の生活は出来ません。

画家、音楽、匠、学問等の秀でた天才は、その道を極めるだけでは

自らの身をあやまり、自らを調えることが出来なくなります。


その極めた道と自分の生活が一つになるとき、真の生活を生きることになる。

と釈尊は戒められています。




現代文明は、人間から直観力とそれから得た価値を奪い取っているようである。



弘法大師空海は『聲字即実相(しょうじそくじっそう)』

事物の本質である実相はコトバであり文字である。と直覚されたのです。



先祖供養の意義・・・『一切衆生悉く仏性あり』の報恩感謝の供養を捧げる。

2019年03月23日 18時27分15秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
奥津城に 風吹きぬける 山桜

とおつみおや
遠津御祖のお蔭ありて、

今日の生命を生かして頂く有難さ、

満開の山桜を眺むるに、

有りしの紅顔浮かぶなり。




先祖供養の意義

原因があれば結果を生じるという因果律の法則がある。

これは宇宙の法である。

『因果の法則』は眩ますことが出来ないのです。

悪業を重ねながらこの世で悪業が現れないといって、

この世の人生を甘く見てはならないのです。

その悪業を重ねた因縁はこの世に現れないということは

どこかにその悪業の因縁の負債を払わないといけない世界があるのです。

その悪業の負債を払う世界が霊界であり、輪廻転生する『未来世』である。



多種多様の苦しみの世界

霊魂の行く世界は『己が心』を現わした世界であるので、

解脱したような霊魂は『極楽』へ、

それ以外の霊魂は『地獄とか煉獄』とかいうことで例えられており、

多種多様の苦しみの境涯が存在していて、

その境涯において霊魂の浄化作用が行われているのです。



霊界で霊魂の悪業を浄化して消滅するには。



自然にその霊魂が苦しむことによって償うことで、

その悪業が清算されるのです。

それにはその霊魂が長い期間苦しみを味わうことになります。

それでは現世の縁者が長い間

その霊魂の苦しみの心を感応することは耐え難いことであります。

祖先、其々の家系に属する縁者の霊魂が苦しんでいるのを

速やかに救う道を開いてやらなければならない。

此の霊魂を救うことが出来たならば、霊界の霊魂はもちろん、

その影響を受けている現実界の縁者両方の救いとなるのです。


それ故各々で供養の祭壇、位牌等を設け、

現世の縁者自身が、

人間は神の子であり仏の子であり、『永遠に生き貫しの存在』であり、

本来は病気も、罪も、迷いも、悪業も無い素晴らしい存在であるという

『真理の言葉』を読誦し、報恩感謝の供養する所以があるのです。




奥津城に 風吹きぬける 山桜

懺悔とは心を洗い浄めることである。



『心から悪かった』と懺悔して、

再び悪業を犯さないと決意するとその悪業は消滅する。





一人が救われると親族縁族九族一切の諸霊が救われると言われています。


高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史

2019年03月21日 16時33分15秒 | 歴史
昨日は長崎市内でお話をさせて頂きました。

長崎の街は坂が多いので、家の近くには駐車がありません。

家を探し、石段を登っているうちに雨が降り出しました。

長崎市内はすり鉢の形をしていますので、

陽が落ちますと夜景が美しいです。

しかし高齢化で坂の上の高い処は

無人になり灯りが無くなってしまいました。




高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史


延喜式に『高良玉垂神社』とあります。

福岡県久留米市の高良山の中腹に鎮座している大社。

『高良玉垂命』を主祭神として『八幡大神』を左相殿に『住吉大神』を右相殿に祀ってあります。

古くから朝廷の尊崇極めて篤く、

桓武天皇、嵯峨天皇、仁明天皇、文徳天皇、清和天皇、醍醐天皇等より神階を与えられています。



『高良玉垂命』は如何なる神であるかと云うことは古い時代から色々諸説があります。

その一つに

『竹内宿禰(たけうちすくね)』とし配神に『荒木田襲津彦(あらきだそつひこ)』を配祀とあり

また月天子とも神功皇后征韓の時の人『藤大臣(とうのおとど)』とも、藤大臣は『中臣烏賊津使主命(なかとみいかつのおのみこと)』とも、

藤大臣連保とも住吉明神の化身であるとも、物部氏の遠祖、『物部謄咋連』とも云う。

また『安曇連』の祖、綿津見神で、神功皇后征韓の時、

この神大いに武烈をはたらかせ汐干の珠、潮満の珠の如意宝珠の二珠を

神功皇后に授け新羅を順はしめた、この神は太古より筑紫地方に勢力があった故に此処に祀った。




別に同じ高良山の麓にも2003年に1900年御神期大祭を終えた

『大善寺玉垂宮』という古い神社があります。

祭神は、『玉垂命(藤大臣(とうのおとど)、高良大明神とも称す)』、『八幡大神』『住吉大神』が祀られています。

1600年程受継がれいる国の重要文化財である『鬼夜』という火祭りが毎年1月7日に行われています。



この他にも諸説ありますが


この高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)の正体は

古事記の(仲哀天皇)、日本書紀の神功皇后『気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)』にある神功皇后と御縁が深い神様と思われます。

『まぼろしの邪馬台国』で『宮崎康平』さんが古代の北九州の海抜を予測なさっています。

それによりますと高良山の麓は

1900年前の古代では博多湾と有明海が海水でつながる程

地盤が低かったのではないかと思えます。

また大善寺玉垂宮の神事の中に

現代では内陸部でありながら『お汐井汲みの神事』があります。

海の神である住吉大神、綿津見神、それを奉斎している海神族の藤大臣、安曇連、

また『古事記の仲哀紀』で登場する審神者(さにわ)の竹内宿禰、中臣烏賊津使主命、

神功皇后本人であるか、神功皇后に従軍した藤大臣(とうのおとど)、安曇連が有力ではないかと思われます。




四方の海 みなはらかと 思う世になど 波風の立ち さわぐらむ
                     明治天皇御製
  
明治天皇の御製を朗読され、昭和天皇が御前会議で戦争反対の意思を示されました。




全托の祈り・・・

この苦き盃を我より取り去り給え。

されど我が意をなさんとにはあらず、

御心の如くならしめ給え。


純粋なる日本的な伊勢神宮の『神饌』・・・かたじけな おごそかにして したはしき 大御祭も 今しつかえぬ  女性初の神宮祭主 北白川 房子親王

2019年03月19日 23時18分43秒 | コラム・人文
いよいよ御代がわりが近づいてきました。

30年前に病院が建て替わり、当時の管理職に誘われ

この総合病院の仕事に就きました。

月日が過ぎ去るのは早いものでね!

当時は新館でしたが、

30年も過ぎて旧館もうソロソロ御代がわりの時期です




御代がわりに 神風の伊勢神宮を慕いて 持統天皇御製


高照らす日のみ子
    おもい
いかさまに念しめせか

神風の伊勢の国は
     
沖つ藻も靡みたる波に
    かお
潮気のみ香れる国に
うまこ          とも
味凝り あやに 羨しき 

高照らす日の御子



伊勢神宮の神饌

        
神饌(しんせん)はその神社が鎮座している土地やその時代、時代に、

人々が簡単に手に入れることの出来る旬の食物を人々が好んだ調理法で調理したものです。

直会(なおらい)と云われている神と人間との共食という考えから、

人間の食べる物、食べる量を基準に考えられている。

すぐ食べられるように火を通した熟饌(じゅくせん)に

箸を添えて供えるのが習わしでありました。

明治以降、生ものも加えられるようになりました。



新米は神嘗祭(かんなめさい)で神に供え、

新嘗祭で天皇陛下がお召し上がってから

国民が食べるのが、かっての習わしでありました。

神宮(伊勢神宮)の神嘗祭の30品の神饌の中でも

最も大切なのは、米と酒と塩、そして水、魚です。

魚のなかでも熨斗鮑(のしあわび)、鯛(夏は乾鯛)が重んぜられます。

春日大社、上賀茂神社談山神社、白山神社、などの『百味御食』の神饌は寺院の影響を受けていますが、

お伊勢さんの神饌は寺院や外国などの他からの影響を殆ど受けていない

純粋な『日本的な神饌』です。




情(こころ)を天地とひとしくし、想いを風雲に乗せ もって心神をを痛ましむることなかれ



ふかく入りて神路の奥をたづぬれば また上もなき峯の松風   西行法師





『神の国』を生きる・・・小さなからし種の愛

2019年03月17日 19時06分51秒 | 真理の言葉
笑いの大会のアシスタントをいきなり指名されました。

笑いの効果は緊張を解すなど沢山の効果があります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(eonardo da Vinci) の『モナリザの微笑み』のように

辛い時にも心の中に常に『微笑みを把持』して生きるとき、

生活に明るさが増し、安らぎを招くことになります。




からし種のたとえ

イエスは、別のたとえを持ち出して、

彼らに言われた。『神の国はからし種に似ている

人がこれを取って畑に蒔けばどんな種よりも小さいのに、

生長するとどの野菜よりも大きくなり、

空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。』

           マタイによる福音書 13-31~32




からし種のように外見は貧弱なものであっても、

その中には素晴らしい力が存在しているのです。

このことは小さな種の中に人間の五官では感じ取ることが出来ない

神秘的な無限なる創造世界が存在している。

小さな内なる心(霊的な心)に『愛の種』を蒔いて

生きるものは『神の国』を生きるものである。

キリストの『愛の心』を御心として

生きるものは最も偉大なるものである。




汝の敵を愛せよ。汝の呪うものを祝福せよ。汝を苦しめる者のために祈れ。



よく受けることの出来る者は、心広き者である。





 


目にみえない世界・・・物質とは何か、力とは何か!因果律を破る? 超対称性!

2019年03月15日 21時20分29秒 | コラム・人文
帰宅時に突然春雷が鳴り響き、

横なぐりの激しいい雨が車に打ち付けました。

5月の10連休は日程のやり繰りで悩ましい限りです。


五官の認識について

舌や鼻や触覚で感じるよりも、又耳で聞くより、

目で見たことの方が記憶に残ると云われています。

五官の中でも目で感じ取る『視覚』は最良の器官であります。

日本の懐石料理はこの視覚に最も重きを置いています。


物質について


視覚や触覚で感じ取れる物質は突き詰めていきますと、

最後は目では感じ取れない光の波動であると云われています。



因果律を破る?

非対称性の中にも対称性が存在するという『超対称性』

この超対称性と云うのは正に因果律を破ることなのか?

因果律を破るということは因縁が無いということではないか?

因縁が無いということは極楽世界であるということか?


湯川秀樹博士は『因果律を破る』と云う問題に

生涯をかけたそうであります。




目に見えないもの

物質とは何か、エネルギーの源泉は何処にあるか

物質と精神とは如何に関係しているかという様な問題を

現代物理学の立場から出来るだけ平易に手短に語ることは充分な意味があるであろう。

物理学の研究法に二通りある。

一つは吾々の目に見える事物の間の関係を忠実に辿って行くやり方である

これを『現象論的方法』といわれる。

いま一つはあらゆる自然現象をすべて、目に見えない原子や電子などの相互作用の結果と解釈しようとする立場であって、

これを『原子論的方法』と呼ばれる。

今日の物理学にとっては、原子の存在は黴菌(バイキン)の存在に少しも劣らぬ確実性を持った事實である。

水は凍った時に初めて手で掴むことが出来る。

それは恰かも人間の思想が心の中にある間は水のように流動して止まず、

容易に捕捉し難いにも拘わらず、

一旦それが紙に印刷されると何人の目にもはっきりした形となる。

まことに書物は思想の凍結であり、結晶である。


芥子粒の中に須弥山が蔵されるという喩へのように

日本最初のノーベル賞 理論物理学者 湯川秀樹  昭和18年12月





自我と知識から生まれるのは不平不満、権利の主張であり、



無我と知識からは『ありがとう』『おかげさま』という感謝の心が生まれます。



物忘れ第一の槃特(はんどく)・・・・・一つのものに徹することの大切さ。

2019年03月10日 20時43分10秒 | 真理の言葉
午後から長崎での会議に参加しました。

雨は降りましたが道は空いていて助かりました。



人は黙して坐するを誹(そし)り、

言葉多きを誹り、

また少なきを誹り、

世に誹らざる人なし


     釈迦世尊




物忘れ第一の周利槃特(しゅりはんどく)

釈尊の弟子のひとりの槃特(はんどく)は

物忘れの達人でありましたので自分の名前を忘れないように

名前を書いた板を身に付けていました。

阿羅漢に達していた兄からも

お前は仏様の弟子になる資格がないとさじを投げられ

追い出されましたが、

釈尊からお前さんは愚かであることを知っていることは

お前さんが決して愚かでない証拠です。

お経を覚えることだけが悟りの道ではないと諭されました。

それから『塵を払い、垢を除かん』の言葉だけを唱えるようにいわれました。

槃特(はんどく)は洗濯や掃除をしながら

『塵を払い、垢を除かん』と素直に唱えつづけました。

しかしその言葉の意味が理解出来ないでいましたが、

ある時ふとこの言葉は自分の心の中の

塵を払い、垢を除くということではないのではないか?

と思いそのことを釈尊に尋ねると、

多くのものにとらわれすぎて悟りをひらくことが出来ない者が多い中で、

お前は一つのものに徹して悟りをひらいてくれました。

やがて槃特(はんどく)は聖者の境地に至ったのです。



『注』

周利槃特(しゅりはんどく)・・・釈迦世尊の弟子。十六羅漢の一人




懺悔すれば能く菩提の花開く
(懺悔には人を新しく生まれ変わらせる働きがあります)




紫陽花よ! あなたの彫刻はそれ自身で完全である。




輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。

2019年03月09日 15時54分14秒 | 真理の言葉
朝から妻の肩、首筋のマッサージ。

妻曰く、貼り薬3枚分の効果があるわ!



肉・魚介食からベジタリアン(野菜食)の道へ!

人間が犬に転生する事があるかとの問題は、

仏説よりますと、弟子に肉食を禁ぜられた理由のなかには、

食膳に上る魚貝などの類も、かって父母たりしものが転生し来たったものがあるから、

父母の肉を食べることになるおそれがあるから食べないが好い。



輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。
(吾々は本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。)


『本生経』などによりますと釈迦ご自身が鳩や熊や色々な動物に

転生して来たという幾多の物語を説いておられます。

肉体は心の顕れであると云う原理を推し進めると、

人間の心が畜生の状態になると。

畜生の形、姿を現わすことは不思議ではないのです。


禅宗の『無門關』第二則 百丈野弧には百丈和尚が五百生の間に

野弧に生まれること云々とあります。

前百丈和尚は野弧に生まれていたが、今百丈和尚は真理を悟られ、

その野弧身が直ちに死んで裏山に死骸となって横たわっていたと云うことが『無門關』にあります。

吾々が本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。

この神の子である根本因をくらますことがなかったならば、『不眛因果』

こそ野弧身(煩悩身)を砕く、一大鉄槌となるべきである。



『無門關(むもんかん)』第二則

無門曰く、不落因果、甚(なん)としてか野弧に堕す。

不眛因果、甚としか野弧を脱す。

若し者裏に向かって一隻眼を著得せば、

便(すなわ)ち前百丈 贏(か)ち得て、

風流五百丈なることを智得せん。



『注』

輪廻(りんね)・・・衆生が迷いの世界に生まれ変わり死にかわりして、
          車輪のめぐるようにとどまることのないこと。
          迷いの世界である三界、六道に生死を繰り返すことをいう。

本生経(ジャータカ)・・・釈迦 (しゃか) の前世物語。
             仏の過去世における菩薩行のこと。

無門・・・仏の異名。心性、真如のこと。
     修行者を導くのに特定の関門を立てないこと。

無門關(むもんかん)・・・趙州無学の公案のこと。
            趙州和尚が修行僧から犬に仏性があるかと問われて『無』と答えたが、
            この『無』の一字は何を意味するのであるかという問題。

百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)・・・懐海大智禅師。
                   中国江西の馬祖道一禅師の法燈を嗣いだ名僧。

野弧(やこ)・・・ここで言うは野狐ば野キツネばかりではなく、
         真の人間(悟り開いた人間)ではない
         変化身又は迷っている仮相身は悉く野狐である。

不落因果(ふらくいんが)・・・修行を十分に積んだ者は、因果の法則に縛られない法則。
              しかしそれは誤った見方である『不眛因果』の境地に達しなければならない。



不眛因果(ふまいいんが)・・・原因結果の法則のように因果律をくらまさず、そのまま因果に従順に従うこと。

者裏(しゃり)・・・ここ。またはこの中の意。

一隻眼(いつせきがん)・・・人がもつ左右の眼以外のもう一つ眼のこと。
              真実を見ぬく心眼のこと。

著得(じゃくとく又はちゃくとく)・・・得た。えたり。




一切のすべての苦しみ、悲しみ、災難の世の響きを慈しみ観じ、救い給う観世音菩薩。



うす紫匂う貴女の笑顔



カリ塩の多い野菜は水晒しをしてアク抜きをして食べると陰陽が整います。



老人の知恵と孫・・・老人の慈しみ。

2019年03月08日 16時42分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
春うらら 岸辺に遊ぶ 白鷺や

年休を取り午後から早退しました。

ちょっと車を降り、散策しました。

温かい日差しのなか、時おり冷たい風が吹き抜け、いよいよ桜の出番です。




老人の慈しみ


ある母親の男の子が頻尿で困って精神科のカウンセラーのところに来て相談され、

事情を聞くと、祖父母と若夫婦が同居していたのですが

祖父母の考え方や孫の接し方に不満を抱いていた両親が、

新居も求めその祖父母と別居することなり、

しばらくして子供の頻尿が始まったそうであります。

母親は悟りが早く自分で事情を話すうちに、この問題点に気がつかれ、

今まで自分の子に悪影響を与えていると思っていた祖父母が、

母親が思っていた事に反して、子供が生きてゆく上で大変な良き影響を与え、

重要な役割を担っていたことに気がついたのです。

祖父が昔話をしたり、食後に禁止されていたチョコレートを隠れて与えたり、

母親が仕事のことで精一杯だったことにより、子供に厳しい態度だった事を

和らげたりして母親代理の役割を祖母が果たしていたのに気が付かずにいたのです。

祖父母と別居して、自分の思うままに教育出来ると思っていた矢先に

子供が頻尿という警告を与えたのです。

このあと祖父母との交流を前より多くすることにより

この頻尿という問題は解決したのです。



天地一切のものと和解せよ。


天地一切のものとの和解が成立するとき、

天地一切のものは汝の味方である。

天地一切のものが汝の味方となるとき、

天地の萬物何物も汝を害することは出来ぬ。




あなたは地上に咲いた天の花



魂のない家庭は分散する



子供は神が養いたまう



春うらら 岸辺に遊ぶ 白鷺や


傷ついた花々にも慈しみを・・・愛は神なり

2019年03月03日 16時13分39秒 | コラム・人文
クラシック音楽の中でも最も『霊感的』な協奏曲である

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を聞いていると

末っ子の7男の二人の孫娘たちがやってきました。

喜び満ちたお雛様たち、今年新1年生になる孫娘が

小さな付箋に小さな文字をコツコツと書いている姿が

博多に居る次女の雰囲気に似ている事に驚きました。

相寄る人々は因縁があり、

同じ雰囲気を持っている『親和の法則』が働いているという

言葉を思い起こしました。




存在している全てのものが支えあっている荘厳なる世界



無機物である物質そのものは主観的な価値観を物質自ら主張しませんが、

各々人間の心によってそれぞれの物質の価値観が決まります。

そのように吾々が五官で感じとっているこの現象世界の価値観は

各々人間の想念で創りだした価値観の世界であります。


一粒の砂自身がダイヤモンドよりも人間よりも価値があるとは叫びません!!


一粒の砂、一個の岩石、一握りの土と1カラットのダイヤモンドの価値観は

人間が定める価値観では大きな違いがあります。

しかし違う視点で比較すると1カラットのダイヤモンドだけで、

また一人の人間だけで地球が成り立つことが出来ません。

言い換えると無機物である鉱物等、水、植物、生物、動物、昆虫、人間などの

存在するものの全てが支えあって成り立っているのが地球です。



一切れの菜っ葉でも粗末にすることは大いなる神の恵みを失ったことになります。

また現象的には醜い、哀れみ深い、罪深い、弱い立場の人達も尊い存在であります。

その存在を危うくすることは大いなる神の多大なる恩恵を喪失することでもあります。



どんな小さな恵みにも感謝せよ


どんな小さな恵みの奥にある神の愛を見なければならないのである。

そして感謝の念(こころ)を起こすとき、自分自身の心が浄まるのである。




女性の直観はしばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ
マハトマ・ガンジー(インドの宗教家・政治家・アメリカのソローに影響を受けた。)




慈悲深い白木蓮よ、高潔ならしめ給え