夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

霊魂の浄化・・・其の四

2018年01月19日 22時22分30秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
霊魂の浄化・・・其の四

今昔物語には『あの世』も『現世』も一つに結ばれた世界で語られた

『因果応報』の仏教説話等が沢山掲載されてあります。

ユング派の心理学者の河合 隼雄は『合理主義』を乗り越え、

多様性を重視したポストモダニズム(Postmodernism)的な知恵が『今昔物語』には多くの示唆が含まれており

二元論的な世界を超越するヒントの素材を提供してくれると言っています。


原因があれば結果を生ずる。これは宇宙の大法である。

これを仏教では『因果は 昧(くらま)さず』と教えている。


悪業を重ねながら現世に於いてその悪業の結果が出てこないということは、

どこかに、悪業の帳尻の総決算がおこなわれる世界があるという証拠である。

その悪業の総決算が行われる世界が霊界及び未来の世界である。

現世で支払いをしていない悪業が霊界に於いて

その悪業の支払いの清算をさせられるために苦しんでいる霊魂がたくさんあることが、

近年精神科学、心霊科学の発達により明らかにせられつつあるのである。

仏教の地獄・極楽説等の通りではないが、霊魂の行く世界には、

地獄とか煉獄ということばで形容されるような多種多様の苦しみの境涯があり、

その境涯にあって、霊魂の浄化作用が行われるのである。

霊魂の浄化とは、汚れ、穢れた霊魂を洗濯するようなものであります。


『注』
     因果応報(いんがおうほう)・・・すべてのものを『因果の法則』が支配し、

                    善因には善果、悪因には悪果が必ずあるということ。

     因果の法則・・・・・・・・・・ 原因があれば必ず結果があり、結果があれば必ず原因があるというのが因果の理。

                      あらゆるものは因果の法則によって生滅変化する。

                      善悪の行為には必ず報いがあるという道理。










   

『ありがとうございます』と言う『感謝の心』はすべてを癒す。

2018年01月11日 20時46分01秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
看護婦が最近変った人が入院して来ると驚いています。

これだけグローバルな世界となり、人々が世界の沢山の情報を共有し、影響し合い

様々なライフスタイルを取ったことにより個性ある表現が生まれたのでしょう。



心深く沈潜している潜在意識を科学的に証明して、

世紀の大発見と云われたジークムント・フロイト( Sigmund Freud)

の著作集17巻は20代の頃読みましたが、40年ぶりに改めて読み返すと

青年時代よりも更に人間の神秘さ、不思議さに理解が進みました。




『ありがとうございます』と言う『感謝の心』はすべてを癒す。


無意識に刻みつけられた傷口を暴露した以上は

その傷口を洗い浄めそれを『愛』によってつつみ込まなければならない。




罪深い女を赦す
わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、

この女(ひと)は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。

あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、

このひとはわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。

あなたは頭にオリーブ油をぬってくれなかったが、

このひとは足に香油を塗ってくれた。

だから言っておく。

このひとが多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。

そして、イエスは女に『あなたの罪は赦された』と言われた。

『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう』と考え始めた。

イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた。

                                            ルカによる福音書 7 36―50


幼児期に無意識に埋もれている傷を暴露して、

その傷を現在の意識に持ち来たし、憎んだ相手、出来事等の負の観念を憎まないで愛するように導き、

更に感謝するように導き、仏の慈悲、神の愛がお互いにふり注ぎ、

その仏、神の愛につつまれ、調和に満ち、

平安な世界に居る心境に、観じせしめることが、精神分析の最後の仕事なのです。


分析だけでは、傷口に包帯をしないで暴露させたままの状態と同じことなのです。



平安な心境に導く一つの方法として

静かな場所で椅子に座しても、静座でも宜しいので、

全身の力を抜き、呼吸を深くゆっくりと静かに行いますとリラックスして来てまいります。

瞑想をするが如き精神統一的状態で例えば憎む相手とか、ネガテブな事に対して

真言の言葉である『“ありがとうございます”』と言う

『感謝の言葉』を先ずは10分間ただ念仏のように繰りかえし念じ、

またはただ囁くような小さな声で唱えることによって観念の浄化がおこなわれます。

大きな声は誰でも耳をふさぎますように意識の底にはあまり届きません。

是を拡大して『有情、非情、生きとし生けるもの、

有りとしあらゆるものありがとうございます』と念じ、

また唱えると宜しいです。


『感謝の心』はすべてを癒し、天地一切のものである、有情、非情、生きとし生けるもの、有りとしあらゆるものと

和解することが出来、『平安な心』に至る大きな道筋です。


お奨めは、まだ現在意識が目を覚ましていない朝起きた直ぐ、

又は就寝時になされると宜しいです。

後は随時なされと宜しいです。

囁くような小さな声は暗示的に深く潜在意識界に沁み渡ります。


クラシックの音楽療法は小さな、小さな音、やっと耳を傾けて集中して聞き取れる程の音量です。

暫らく実行為されると心(意識)がひろがり、心がポジティブになり明るくなります。













観念清浄方法(cahartic method)・・・煙突掃除療法      自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。

2018年01月10日 22時14分44秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
午後は窓の外が雪で真っ白になりました。
北風がマフラーを吹きぬけ、耳たぶが冷たくなり寒さが本格的になり、

明日は山沿いの路面は凍結するのでは無いかと心配しています。

これから帰宅してチエーンを装着しようかと迷っています。

以前勤務先の病院まで6Kの道を1時間かけて歩いたことがあります。



<観念清浄方法(cahartic method)・・・煙突掃除療法

自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。



カタルシス的心理療法を外科手術になぞらえて、

わたしの療法を、心理療法による手術と名づけたのである。

化膿巣の切開やカリエスになっている患部の掻爬などの類似をとりあげたのである。

しかし、こうした類似は、病患の排除にあるよりも、

むしろ病気の過程の経過のためにより有利な治療条件の設定という点に、その権利をもっているのである。

わたくしは、カタルシスによる治療によって、治癒ないし鎮静を患者たちに約束してやるたびに、

何度となく彼らから『わたしの病気はきっと境遇や運命とかかわりがあるのだろうと、

先生はおっしゃいました。

でも、先生は、それをどうなさることもできないじゃありませんか。

だとすれば、いったいどんな方法で私を治して下さるつもりですか』と異議申し立てを聞かざるをえなかった。

するとわたしは、いつもこう答えることができた。

―あなたの病気を取り除くためには、わたしよりも運命の力に分があることは疑いもありません。

あなたのヒステリーの苦しみをありふれた不幸に変えてしまうことがわたしたちに成功するのだったら、

それだけでもずいぶんうまくいったことになる、とお気づきになりましょう。

そして、そのありふれた不幸に対してなら、あなたも精神生活が回復することによって、

ずっとたくみに防衛することができましょうから、と。


フロイトとヨゼフブロイエル(Joseph Breuer) ヒステリー研究 1895年

『注』
     カタルシス(catharsis)・・・心的内容の浄化、解除、通利、排泄を意味する。
                    アリストテレスが観衆の悲劇を述べる時にこの言葉を用いた。
                  フロイトによって明確にされた心理療法の治癒機序を表す



間の無意識というものは実に不思議な働きをするものでありまして、

現在意識の思いも及ばないことを無意識が勝手に思っている実例もあるのです。

だから病気なども『自分は心で病気なんて思ったことがないのに病気になっている』という抗議が出るのですが、

実は皆無意識界に『病気の観念』がつくられてそれが具象化したのであります。

術者は被術者に暗示を与え『あなたの示すのは真の契機ではない。

よく考えなさい。よく考えなさい。もっと本当の原因がある。

君はそれを思い出すことができる』といった。

そのとき被術者はその病気に関連している病気の契機になったところの事件を思い出すことに成功することを発見したのであります。

この方法によって、フロイドとブロイエルは観念清浄方法(cahartic method)によって神経症の治療を始めたのです。



 






原光景(げんこうけい)から より良い素晴らしい世界へ・・・外傷となる幼児体験

2018年01月09日 23時02分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
私達は胎内にいる時からの体験のすべてを意識の底に記憶していると云われています。

仏教では閻魔大王の前で一生の出来事の裁判をうけ行き先が決まるといわれています。

大王の前で精神分析をうけているようなものです。



原光景(げんこうけい)から より良い素晴らしい世界へ・・・外傷となる幼児体験


原光景(げんこうけい)、この言葉はフロイトの1897年の論文に記されています。

G・ロゾラーによれば『原光景』は、出産や親子関係など、それ自体によって与えられている

不思議を通して実際に触れることの出来る道を前面に登場させる。

それは起源への回帰を含んでいるが、同時に(エディプス)の形成されつつある発達を含んでいるという。



四才の幼児の態度が20年後になって精神分析の結果

はじめて言葉になって語られることになったという点に注目したいと思う。

われわれがその光景から演繹する一切の作用は、強迫その他の症状の形をとって、

すでに幼児期ならびに分析のずっと前から現れていたものだからである。

その場合、それを『原光景 Urszene 』と見なそうとするか、

それとも『原空想 Urphantasie 』 と見なそうとするかは、どちらでもよいことである。

改めて私が強調せねばならないことは、もし『夢とか神経症』とかが、

幼児期そのもに直接関係するものでないとするならば、

このような考えはまったく無意味なものとなるという点である。

『抑圧』とは人間の本能的段階への復帰であり、

人間は『偉大な新しい素晴らしい獲得物』を、

神経症になりやすい素質を与えられるという犠牲と引き換えに獲得する。

そしてまた、神経症発病の可能性こそ、

より以前の本能的な前段階の存在を証明するものなのである。

さらに過去の幼児期の『夢』は、このような無意識的存在に自己を表現する素材を与えるという意義を持っている。

そしてこの素材は、この無意識的存在を、それ以後の発達によっても消失しないように保持するのである。


     フロイト ある幼児期神経症の病歴より Aus der Geschiche einer infantilen Neurose 1918年



済んだことの中には生活せず、

『今』の中に生活せよ。

『今』は常に生きている。

『今』の中にはあらゆるものが輝いている。

『今』は常に新しく、

『今』は常に喜びに満ちている。

過去にどんな悲しいことがあったにせよ、それについて思い煩うな。

『今』天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。

過去に寒風に吹き曝されたことを嘆かないで、

『今』梅の花は喜びに満たされている。

梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。

喜ぶべきことしか無いのが人生である。



 







ナルシシズム・ナルチシズム(narcissism・Narzismmus)と自己愛(autoertism)

2018年01月08日 15時53分36秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
穏やかな雨


温かい雨が静かにふりそそでいる。

白木蓮の芽が顔をだして喜んでいる。

毎朝、秘かに元気を与えている白木蓮。

ずぶ濡れになりながら、たたずむ一羽の野鳥。

せせらぎで、若い白鷺が群れをなして遊んでいる。

その端で小鴨が仲良く泳ぎ周っている。



ナルシシズム・ナルチシズム(narcissism・Narzismmus)と自己愛(autoertism)

一般には心理・性的に自分にだけ関心が向かっていて、

異性を含む外界にはまったく興味を示さない状態をナルシシズム・ナルチシズム(narcissism・Narzismmus)と云う。


ナルチシズム(Narzismmus)という術語は臨床上の記述から由来したもので

1899年にP・ネルケ(P・Nacke)が、ある人間が自分の肉体を、あたかも異性の肉体であるかのように取りに取り扱って、

愛撫してついに完全な満足状態まで達するような行為をいいあらわすために選んだものである。

あらゆる『目標倒錯』を研究するうえの手がかりが

『ナルチシズム』によってえられるものではないかという期待を裏づけるものなのである。

『ナルチシズム』はおそらく『性的目標倒錯』と目すべきものではなくて、

すべての生物が当然の権利として有すべき自己保存本能のエゴイズムをリビドーの面で補おうとすることなのです。


                フロイト『ナルチシズム入門』“Einfuhrung des Narzimus 1914年


幼児の指しゃぶり、幼児の慰め等がそれであります。

『注』
   エゴイズム・・・客体自己または自己の利益だけを追求し、それを行動の主要な動機とする傾向や態度。
   リビドー ・・・フロイトの造語。性愛欲動のみでなく精神的なものも含めたより広義のエロスを物理化学の理論に
            立脚し、質的・量的に把握するために名づけた。





人間はその発達途上に於いて、必ずこの一点を通過する時期があるのである。

小児は生まれてしばらくの間は完全に『ナルチシズム』であります。

大人も『ナルチシズム的』な傾向をもっています。

自分の姿を鏡に映して眺めるのを好む。自分自身の姿を、実際よりもはるかに美しいとうぬぼれている。

だから自分自身の写真には満足しない。

自分の顔はこの写真よりはもっと美しいと思うのであるから。

病気も『ナルチシズム』であり、胃の痛む人は自分の胃のことばかり考え、歯の痛む人は自分の歯のことばかり考えて、

それにとらわれて、その病気を自分の心から放つことが出来ない。

『ナルチシズム』は自己中心でありますから、その病気を軽くあしらわれると不平に思うのです。

『ナルチシズム』は自己保存本能の転化として多少誰にも存在するのであって、

自己を保護する本能でありますから、自分自身を過当に理想化して考えるのです。

この状態が恋愛対象に移入されると

対象と自己との同一化によって恋愛対象の真価以上に理想化して観るのです。

これをフロイドは『性的過大評価』と称している。



     ある面では恋は情念の塊りであり盲目と言われる所以です。



























サディズム・マズヒズム(sadism,masochism)の世界。 罪悪意識が無意識の根底にある根源的マゾヒズム意識(道徳的マズヒズム)を打ち破る為に。

2018年01月07日 16時09分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
九州名物の高菜の苗が寒さにも負けずに元気に根付いていました。

さすがですね!!

新年度の活動方針の研修会でした。

今年初めての研修でしたので、新年の挨拶を交わすことで

お互いの無事の確認と今年への熱気が感じられました。


罪悪意識が無意識の根底にある根源的マゾヒズム意識(道徳的マズヒズム)を打ち破る為に。

宇宙の神秘のように、普段に意識している心では知ることも、理解をも出来ない

人間の心の奥底のうごめている潜在意識の不思議さ。


サディズム・マズヒズム(sadism,masochism)は一般には性倒錯(目標倒錯)の一種として扱われています。

名前の由来はM・サド、S・マゾッホの二人の作家の作品に登場する人物等からとられたものです。

フロイトは『本能とその運命』において他を攻撃し・支配して、屈服させる『サディズム』は支配欲動にかられたものであり、

『マズヒズム』はそのことが自己にふり向けられ、または能動的なものが受動的なものへと転換した二次的に生ずる副産物であると考えました。

攻撃している『サディスト』は攻撃されている対象と空想的に同一化していると云う。

一人では生きてはいけない小さな立場に自分自身を置き、内部的抵抗の破壊を求め、

穢されることを相手に求める『女性マズヒズム』。

自分自身は意識してはいないが、自ずから自分自身に苦痛を強いて、

それを耐え忍ぶ、自分の理想としての超自我に充分答え切れない

無意識的な罪悪感に由来する『道徳的マズヒズム』、

または神に罰せられたい、苦痛を受けることによって罪を償いたい願望として出てくることも『道徳的マズヒズム』である。




多くの宗教は、受難礼賛の『マゾヒステック』信者を集めて、

断食水行、朝参り等肉体的苦痛を伴う修行を課するほど、魅力を感じてはなれることが出来ないのであります。

人間の心の奥底には『苦しめられたい欲望』がひそんでいるのであり、

それによって過去世以来の罪障を償いたいという潜在意識があるからであります。

この意識は人類共通の観念である。

『道徳的マズヒズム』にとらわれている限りは、人類は決して幸福の世界へ出ることは出来ない。

新しきキリスト教はすでにキリストの十字架によって、罪は償われてしまったのであるから

『罪は存在しない』と宣言するのであり、

『神はこの世界を造ったのであり、神は善であるから、罪は造らないのであるから、罪は存在しない』

と彼らは叫ぶ。

そして彼らの宗教は実際に治病等に実績を挙げ得ているのは、

人間の無意識に存在する『罪悪感』の洗浄を果することによって、

その罪悪感が拭い去られたことに起因している。




人間は神の子であり罪なし、病なし、迷いなし、恐れなし、

神のすべての徳を享けついだ善なるものであり、素晴らしい永遠の存在である。






情念を超えたキリスト的、愛というものはすべての不調和を解決する力がある。 自己情念(Autoerrotismus)・・・『自分自身の存在しか理解できない生命の段階(乳児期)』

2018年01月05日 16時10分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
恋は盲目といわれていますが、

愛にも色々な対象により情感が違ってきます。

例えば親が子供に対しての愛情、両親に対しての愛または尊敬、

恋人に対する熱愛、夫婦愛、兄弟愛、自然、植物、生物への愛、

純愛、人類への愛等、様々な愛があります。

また愛と感情は密接な関係があります。

ナルチスム、マドヒズム、サデイスムス、宗教的マドヒズム、道徳的マドヒズム、

ヒステリー、レスビアン、カンダウルス、フエティシズム、エデスコンプレックス、マザーコンプレックス、

同一化現象等、愛と感情が結びついて様々な名称がつけられています。


このような様々な愛を現在意識の中では秩序よく使い分けして

心の調和と安定とを一見整えているように見えます。

しかしながら子供へ向けるべき愛情の中にも

潜在意識の奥底の心には子供には向けるべきではない

感情である異性愛や夫婦愛の感情が含まれていたりします。

または反対に子供自身が父母への恋愛感情等、

様々な感情が乳児期から或いは過去世から受け継がれた経験等がミキシングされ造りあげられます。



恋する人は自分の心の中に描かれた所の『美の理想』を対象に移入するのであります。

彼にとって恋人は生ける人生の価値であり、彼にとって『かけがえの無いすべて』なのであります。

女性に於いては、このような境地は長く続くのであります。

女性は単に青少年期のみならず殆ど全生涯を通じて愛人を通してのみ世界を見、

世界の価値を感ずるのであります。

それが女性的特徴であります。

男性は、やがてそうゆう境地を通過して、そして人格を超えて、

抽象したる価値そのものを追及したり、

『事物』そのもの又は『事業』そのもの等の価値を追求するようになるのであります。













暗示感応現象&超暗示感応現象・・・(運が良い人は、なす事やる事すべて良い結果になります)

2017年12月28日 22時04分05秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
今晩、秋田の娘から電話があり、

旦那が『長崎名物の福砂屋のカステラ』を食べたいと思っていたところに

丁度そのカステラが届いてビックリしたそうです。

不思議なことですね!

贈る人の想いと贈られる人の思いは見事に感応するのですね!

人間の潜在意識は宇宙的意識ですね!

『暗示感応現象&超暗示感応現象』

これは術者が被術者に与えるとこの暗示が感応して、

暗示の通りに被術者が行動し、或いはその血行が変化し、或いは雄弁になったり、

嗜好が変化したり、消化不良が治ったりするのである。

潜在意識では主観念は自己の自由選択の意思を有せず、

ただ受動的に与えられたる暗示の通りに活動し、

または創化作用を営むのである。

催眠状態がいよいよ深くなると、

カラクリを見破り暗示に感応しなくなる現象が起こってきます。

浅い催眠状態では『ナスビ』を与えてこれは美味しい『バナナ』であると申し渡してから、

それを与えますと美味しそうに食べます。

それがもっと深い催眠状態になりますと催眠者は眼を閉じていながらも、

それを透視してナスビだと言い出すのです。

また隣の部屋に行って何があるのか見てきなさいと言いますと、

隣の部屋に行っている様子だけを見せて、

この場所で、隣の物品を言い当てるのです。



このように深い潜在意識に沈潜すると透視現象が起きるのです。

これは誰にも起き得る現象です。

胸騒ぎがして、連絡してみるとそれが当たっている場合があります。

運が良い人はなす事やる事すべて良い結果になります。

これも超暗示感応現象であります。






娑婆世界の幻

2017年12月18日 23時52分19秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
前日の日曜日に、知人を通して土地購入のことで相談があり、知人と現地に行きました。

購入者が契約も済みその土地に入ろうとすると、

見えない力で入れないそうであります。

神社の直ぐ側の土地でした、元々は神社の敷地ではないのではないですかと問います

とハイそうですと答えられました。

神社も明治以前はお寺だったそうであります。

現在は庭園が国指定の史跡になっています。

案内されて3人で細長い長屋の奥まで入り、出てこようとすると出口の付近で確かに違和感があり、

嘆きと涙がこみ上げてくるような悲しみをうけました。

購入者の方に感じたことと今後のことを説明して差し上げました。

世の中には色々な事情があり、色々な人生があり、

そのようなことが万華鏡のように煌いているのが、私たちの娑婆世界であります。

しかしこのような娑婆世界は『夢』『幻』であり本来無いのであります。


即身成仏

執着がなくなり心が砕け解けると

心が自由自在になり大宇宙と一如になる。

此のことが成仏である。

悟りの世界に時間、空間は無い、

故に此の身、此のままで成仏するのである。

それ無上菩提(仏の悟り)の心を発せんと欲(おも)わば

先ず深心を以って仏の法身を観ぜよ。

『阿字』を観ずるのは仏の法身を観ずるのであります。

観ることは見(あらわ)すことであり、

自身の心が『仏の法身』になることである。

妙々なる本来の仏を成就するには『思念』と『観』が必要である。

自分の身体が、このまま法界遍満の毘盧遮佛の身である、

同時にその加持身たる普賢菩薩、観世音菩薩の身であるとわかるのが『即身成仏』なのであります。



 






子の病は親の病である。

2017年05月06日 15時31分16秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
子の病は親の病である。

親にストレス等が蓄積すると子が病むことになります。
子は親の心の傾向に敏感に反応します。
病院の小児科でも子の側でお母さんと一緒に入院生活を送りますと、お母さんが安心してストレスが解消されますと、
子も癒されることになります。
隣人の病も我が病であると感じて慈しみをよせますと、互いに癒され心豊かになります。

聖徳太子は『大悲息むことなし、機に随って化を施す』と言っておられます。

衆生病むがゆえにわれ病むなり
無痴より愛欲生じ、則ち我が病生ず。
一切衆生、病むをもって、この故にわれ病む。
一切衆生の、病滅すれば、則ち我が病滅せん。
このように維摩詰は言っているのです。

一本の毛の孔の中に大海の水を注いでも、その中に泳いでいる魚や亀や、生類はいっこうに平気である。
波長の違う世界にはどんな生物や神仏がいてもわからない、しかし波長を変化すれば、
その座を立たずして、帝釈天の世界へでも、梵天王の世界へでも行くことが出来て、
しかも瞬間にして移動するのでありますから、往来するような感じがおこらないのであります。
またこういう不可思議解脱の境涯にある菩薩は神通力によって仏身とも変化し、辟支拂(びゃくしぶつ)とも
聲聞の弟子ともなってあらはれ、帝釈天とも、梵天王とも化身し、あるいはこの世に生まれ王者となり、
轉輪聖王(てんりんじょうおう)ともなることが出来るのであります。
そして十方世界の衆(あらゆ)る声、上中下の音ことごとく変じて、天地の神々の韻(ひびき)として、
その中に十方世界の諸仏の説法の声をきくことが出来るのであります。      
                                           維摩経・・・不可思議品

『注』

辟支拂(びゃくしぶつ)・・・自らさとって生死の苦界を解脱して修業者の究極の境地(阿羅漢果)を証し、
              しかも説法せず教団を組織せず、ただ信者のために神通力を示現するだけの聖者。独覚とも云う。
聲聞(しょうもん)・・・仏の教えを聞き、無限に長い時間をかけて修行した結果、阿羅漢の位に到達する聖者。
轉輪聖王(てんりんじょうおう)・・・武力も用いず、ただ正義のみによって全世界を統治する理想的な帝王。








   

悩みを突き抜けて喜びにいたれ(Durch Leiden Zur Freude)

2017年05月04日 19時25分59秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
悩みを突き抜けて喜びにいたれ(Durch Leiden Zur Freude)

今、エレーヌ・グリモー(Hélène-Rose-Paule Grimaud)のヴェートベンのピアノ協奏曲第5番を聴いています。
ヴェートベンのピアノ協奏曲第5番を聞いていると マルタ・ アルゲリッチ(Martha Argerich )・マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)・ウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージ Vladimir Davidovich Ashkenazy)
また新しい弾き手のエレーヌ・グリモー(Hélène-Rose-Paule Grimaud)等の夫々の弾き手で違いがありますけれども、

ヴェートベンの音楽性はクラシック音楽家の中でもずばぬけて霊感的であり、
心の底の宇宙意識にひろがり、私達に優しい愛と力強い生命が迫ってきます。
それもその筈であります音楽家で致命的な耳を患い、晩年は殆ど聞こえない状態で困難を克服して
交響曲第9番などの曲を直感的に創作し続けました。
ヴェートベンの死を迎える3年前に交響曲第9番を自ら初めて指揮をしましたが、客席に背を向けて指揮をして彼には大喝采、大拍手も耳に入らなかったそうであります。
そばにいた歌手が彼の手をとって聴衆に向かわせたので始めて大成功だと気がついたそうであります。

交響曲第5番はいきなり烈しい4つの音符から鳴り響き始まります。
この音についてヴェートベンは弟のシントラーに『こうして運命が扉を叩く』と言いました。
こうして交響曲第5番の別名を『運命』Schicksal(シクザル)というようになりました。

私も若い頃からヴェートベンの曲を聴いて励まされ、苦しい時にも勇気づけられてきました。
ヴェートベンは私にとっては時代を超えた恩人であります。


幽明の境を越えた問答

2017年04月07日 21時04分38秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
幽明の境を越えた問答

帰宅途中に携帯電話が鳴り響き、仲間より道場の総務が急に入院したとの連絡がありました。
翌日に見舞いに行き、事情を聞きますと、所謂脳梗塞らしいのです。
まだ眠っていましたが顔色は良くて元気そうでした。
手を握るとピクッと反応しましたので安心しました。
全治3ヶ月の診断だそうです。
先先日不思議なことがありました。

午前四時頃、布団の上でウトウトとしていると、尊い御恩がある先輩であり道場の総務が顔の前に顕われて、
私の名前を呼んで『俺は何処へ行ったら良いのか』と訴えがありました。私は一瞬驚き、途惑いましたが、
『神の御懐へ』と先輩に答えました。

話は前に戻りますが見舞いに行ったときに、奥様に午前4時頃に私の前にご主人が顕われましたと話をしますと、
どんな事を話したのですかとお聞きになりました。
私の名前を呼んで『俺は何処へ行ったら良いのか』と言われましたので、
私がご主人に対して『神の御懐へ』と返答しました。
奥様と娘さんは午前4時頃の事を振り返り、思索をしておられ不思議そうにしておられました。

神は自ら助くる者を助く―しかし神は又他人を助ける者をも助け給うのである。
神は多くの補助霊をつかって働き給うのであって、吾々がこれらの補助霊の一人となり、
助けられたいと望んでいる人々を助けた時、はじめて吾々は自分自身の業(カルマ)をはたし、
自ら完全なる大調和に一歩近づいたことになるのです。

                               アガシャの哲学(運命の力)より




幽玄の世界へ・・・・・

2017年04月03日 20時04分03秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
薄いピンク色の花びらがひらひらと揺れ、迷夢から覚めるような輝きを憶えました。
眼が輝き、張りのある動きで、さわやかさが引立つ新人の研修医、看護師さんが
大勢入って来て院内も活気が溢れる季節です。

この世に生きている諸々の姿や現象は
旅をして宿に泊まって居る束の間の夢の如き世界である。


明恵上人の死夢(しにゆめ

上人夢に、大海の辺に大磐石さきあがりて高く聳(そびえ)え立てり、
草木、果菓鬱(うつ)もして華麗の勝地なり。
大神通を以って大海と共に相具して、十町ばかりを抜き取りて、
我が居所の傍に指し置くと見る。
夢のなかで、来世の世界の華麗な自然を観て、
その夢の世界を現世の世界へ持ち来たして見る。
この夢は死夢なりと覚ゆ。
                                        梅尾明恵上人伝記
ユングの瞑想

彼独特の世界の城を築き、日常生活を避けて、瞑想をして、
内界の世界と接触をして、精進していた。
晩年に光明輝くその城の夢を見て、ある声が聞こえ、
その光明輝く城で住むこと告げられた。




『ほほ笑み』の大いなる力

2017年04月02日 10時59分58秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
『ほほ笑み』の大いなる力

微笑と云うものは魔術的な働きをもっているものです。
微笑は慈悲の顕れであり、大いなる恵みであります。

今夜は仲間と輪読会です。

太陽が落ちて行き、ほのかに色づき始めました。
人間の目は内には向いていなくて、外の外界に向いていますので外界の現象は顕微鏡で見るが如く精密に観察が出来ますが、
自分自身の顔や自分自身の内面の心を客観的に観ることが出来にくいのであります。
特に顔は自分の今ある姿を良しきにせよ、悪しきにせよ其のまま端的に現わしています。
ですから鏡の前で普段の自分の顔を詳しく観察することが大切であります。
意外と自分自身の顔を精密に観察ことは、ハニカミトと劣等感がともない勇気がいりますが、
鏡で自分自身の顔を見て見ると普段の自分のどの様な雰囲気をしているかを知ることができます。
楽しい顔をしているか、陰気な暗い顔をしているか、苦しい顔をしているか、悲しい顔をしているのかが判ります。
もし暗いネガティブな顔をしているならば、これを機会に鏡の前で表情を柔らかくして笑って見てください、
そして今までに経験した楽しいこと、嬉しいことを思い出して『微笑』すると不思議と顔の固さがとれて明るく輝いてきます。

フランスのルーブル美術館所蔵である
『レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ (L(Lenona di ser Piero da Vinci)の作品である
『モナ・リザの微笑』の魅力が幾世代にも感動を与えている事実がこの『ほほ笑みの力』を照明しています。








死の恐怖の観念は死せる肉体の中には、無いのである。

2017年03月26日 17時33分29秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
観念の業。

人間は心に何を(観念)思うかによって喜んだり、悲しんだり、苦しんだり、恐怖したりして情感が振り回される。
死の恐怖の観念は死せる肉体の中には、無いのである。
死があなたを訪れ来た時にはもうあなたはもう其処にはいないのだから、あなたは永久にあなた自身の死に相合うことは出来ない。

ホルムス博士の実例に、ある婦人が胃痛に悩まされていたのです。
この婦人は自分の胃の中に生きたトカゲが棲んでいる為に胃が痛むのです。
という事を堅く信じていました。
博士はトカゲが胃の中で生きていることは出来ないと説得しましたが、その説得を受け入れないで、
手術してトカゲを出してくれと言いました。
博士は婦人に麻酔をかけている間に生きているトカゲを取り寄せ、
側に置いて腹部に少しの傷をつけて置くことにして、麻酔から覚めたときに手術は成功しました。
トカゲが胃の中に居てこの様に取り出すことに成功しましたと告げました。

その婦人は癒されました。