人生には不思議な瞬間があります。
それまでダラダラやっていたのが
ある日を境にして
ピシッと背筋が通り、目の色が変わり
「よし、やるぞ~」
と、気合いが入る瞬間です。
それは、まるで
今まで土の中にあった種が、ようやく芽を出したような
そんな瞬間です。
本人は
自分の意識の中で何があって、なぜ変わったのか
分からなかったりすることもありますが
確実に何かが変わったのです。
まったくもって不思議な瞬間です。
人生には不思議な瞬間があります。
それまでダラダラやっていたのが
ある日を境にして
ピシッと背筋が通り、目の色が変わり
「よし、やるぞ~」
と、気合いが入る瞬間です。
それは、まるで
今まで土の中にあった種が、ようやく芽を出したような
そんな瞬間です。
本人は
自分の意識の中で何があって、なぜ変わったのか
分からなかったりすることもありますが
確実に何かが変わったのです。
まったくもって不思議な瞬間です。
私たちは
自分のやっていることが深まってくるにつれて
自分のできない部分が見えてきたり
関連した他の分野を知ることになったりします。
そして、不安な気持ちから
「やっていることは、自分には向いていないのではないか」とか
「止めてしまおうか」と思うようになったり
「もっと沢山のことを学ばなければ」と思うようになって
他のことに手を伸ばしてみたりすることがあります。
さらに
悩みながら、迷いながら行っているときほど
他人の言葉によって惑わされ易くなります。
それらが色々重なると
自分と自分のやっていることを見失い
いつの間にか本筋から離れていってしまいます。
~やっていることの方向がぶれそうなとき、迷ったときほど
どうしてそれをやっているのか?
という “原点” に立ち戻る必要があります~
手相を英語に訳すと、パーム・リーディングと言います。
どうして“リーディング”と呼ぶのでしょうか?
セッションでマンダラ・オラクルカード(写真)の
リーディングをするようになってから
何となくその理由が分かりました。
マンダラ・オラクルカードは
不思議な宇宙の図柄が描かれている64枚のカードです。
私の場合、そのカードのリーディングをする際
カードに書かれている文字を読んでしまうと
余計な情報が入ってしまい、感覚がぶれてしまうので
一切文字を読みません。
そして、カードをじっと見ていると
なぜだか分からないけれど、図柄が何かを訴えかけてきて
そのときに必要な答えなどが分かります。
他方、手相を観る際には
それぞれの線、指の長さ、丘の盛り上がりなどを
一つ一つ分析した後で、統合させます。
このとき、コールドリーディングなどをしてしまうと
余計な情報が入ってしまい、感覚がぶれてしまうと思うので
手相以外の情報を、一切排除しています。
そして、マンダラ・オラクルカードと同様に
なぜだか分からないけれど、手相が何かを訴えかけてきて
そのときに必要な答えなどが分かります。
手相を観る場合
マンダラ・オラクルカード・リーディングとは違ったプロセスを辿りますが
両者ともに、同じ感覚を使っていると思います。
それが“リーディング”であり
手相をパーム・リーディングと呼ぶ理由がそこにあるのかと思います。
パーム・エナジー・リーディングや
マンダラ・オラクルカード・リーディングの
セッションには、ご法度があります。
済んでしまったことについてあれこれ言うこと
解決策を言わずに問題だけ指摘すること
余計な一言を言うことです。
済んでしまったことは取り戻しようがありません。
それをすると、相手を傷つけるだけです。
これからどうするのかに焦点を合わせるべきです。
解決策を言わずに、問題だけ指摘すると
問題は解決せずに、混乱や敵意が生まれるだけです。
問題は解決策とセットでないといけません。
余計な一言は、気持ちの悪さが残ります。
相手(の性格、状態など)を見て、言葉を選ぶ要があります。
セッションでこれらのことをすること自体、おかしなことですが
もしかすると、自分の期待を入れたままセッションをすると
出てしまうかも知れません。
セッションのときには、自分の中身をクリアにしないといけません。
自分の内側で起きていることと
自分の外側で起きていることとは
関連しています。
パーム・エナジー・リーディングのセッションをしていると
常々そう感じます。
セッションを受けられるお客様のテーマが
不思議とそのときの私の関心事、状態、テーマなどに
ピッタリと合っていたりすることがあります。
また、どういう訳か
同じ日に同じような特徴やテーマをお持ちのお客様たちと
ご縁があったりすることもあります。
お客様に準備ができたとき
私に準備ができたとき
お互いが引き寄せられるようにしてご縁ができる
のかも知れません。