思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

知らないことばかり

2022-06-06 13:14:18 | 随想

<雨模様の神威岬>

 以前にも書いたと思うけれど、人は新たなことを知ることによって新しい視点、視界を得る。世界がそれまでよりよく見えるようになる。それはまた、まだ知らないことが見えるようになることでもある。すると、見えるようになったその知らないことを知りたいという欲求が生まれ、さらに知ろうとする。この繰り返しによって人はより多くのことを知ってゆく。そして、世界がさらによく見えるようになる。これには終わりがない。人がこの世界のすべてを知ることなど不可能なのだから当然である。
 
 このことをよく理解していない人がいる。多いようにも思われる。生半可な知識を得たところで、なんだか世界がほとんど分かったような気になる人がいる。世の中のことについて何でも話せる気分になってしまう。一種の全能感である。そんなふうに見える有名な弁護士が言っている。「本をよく読む人の話は面白くない。自分は本などほとんど読まない」とのこと。そしてテレビによく出てきて、いろいろと解説をする。この人は相手の話を否定することが得意のようだ。だいたいこういった人は弁舌がたち、批判が得意である。自説をしゃべっても、それを裏付ける知識や経験などがほとんどないので適当感が大きい。そこを突かれると、話を変えてしまう。ロシアとウクライナの争いについても、ヨーロッパの歴史、ロシアとウクライナの関係、その地域がかかえている問題など、ほとんど知らないと思うのだが、ウクライナはこうすべきだ、ああすべきだと自信たっぷりに解説する。

 よく知らない人、無知な人ほど自信に満ちた話し方をするように思われる。それは自分が無知であることを知らないからだ。人は自信を持って堂々と話す人を信じやすい。だからそういう人は人気がある。現在の選挙制度は、そういう人気のある人が当選するので問題は深刻だ。もちろん経験や知識に基づき、事実を示しながら、自信を持って話をするのであれば問題はない。そうではない人が多いことが問題である。特に歴史的な問題について、何の研究もしたことがなく、新しい発見があったわけでもないのに、従来の歴史的事実を否定する人がいる。その人たちに共通しているのは、自国の無謬性を説くことである。「この国は過ちを犯したことなどない」「過ちを認めることは国を貶めることである」「過ちを犯したという戦後の教育が、いまこの国の若者の自信を喪失させ、この国をダメにしている」などである。一方で、それと矛盾することも平気で言う。「日本スゴイ」である。「日本の技術はスゴイ」「日本の経済力はスゴイ」「日本人は優れた民族である」などと称賛する。そんな人たちがこの国で権力を持ち、彼らが称賛している「スゴイ日本」を作り出してきた戦後教育を否定し、教科書を書き換えさせ、大学改革と称して「選択と集中」「儲かる大学を目指せ」「それができない大学には資金援助しない」などと言いつつ実行し、教育の崩壊を引き起こし、日本をどんどんダメにしていっている。

 人は世界について知り尽くすことなどできない。したがって、その世界に働きかければ過ちを犯すことは多々ある。必要なことは、過ちを過ちとして認識し、反省し、同じ過ちを繰り返さないことである。そのことで、世界は少しずつ住みやすいものになってゆくはずだ。

 「間違ったことをして人に迷惑を掛けたら、まず謝りましょう。そして反省し、二度と同じ間違いをしないようにしましょう」これは、人類がその長い経験の中で学びとってきた大切なルールである。謝罪は人と人との関係を壊さないための社会的な行為であり、間違いの認識は、世界への働きかけ方をより適切なものにするために必要なものである。それは、倫理、道徳の基本の一つだと言ってもよいものである。そして、だれでも同意することだと思う。しかし、彼らは間違いを認めず、謝罪しない。そんな彼らが道徳教育の強化を図ろうとしている。いったいどんな道徳なのだろう。

 自分がいかに知らないかということは歳を取るほどによくわかるようになる。先日、ウクライナとロシアの問題について、ノーム・チョムスキーの動画を見た。プーチンの行ないはけっして肯定することはできないが、その行ないに至る過程を知ることによって、その理由やこの問題の深さを知ることができた。

 そこで述べられていることの一つとして、ウクライナのメキシコ化ということがある。もし、メキシコがロシアや中国と同盟を結び、アメリカに脅威になるような武器が運び込まれたとすれば、アメリカはどうするだろう。1962年10月のキューバ危機のときにアメリカがとった行動で明らかなように、ただちに、いまロシアがやっていることと同じことをするだろう。ロシアはウクライナを、アメリカにとってのメキシコのように中立化しておきたいということである。NATOに加盟し、強力な武器を準備し、ロシアにとって脅威となるような国にしたくないということである。

 ソビエト連邦が崩壊したとき、東ドイツをはじめ、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリアなど、ソ連圏にあった各国はその呪縛を解かれ、いまはEUに加盟し、そしてNATOに加盟し、いわゆる西側諸国の仲間入りをしている。また、ソ連邦に併合されていたバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)も同様である。ロシアと国境を接する国のほとんどがNATOの加盟国である。ウクライナもそこに含まれるようになれば、確かにロシアにとっては脅威となる。チョムスキーはつぎのように述べている。

 アメリカの方針とは、「いかなる形の交渉も拒否する」ということだ。少し前に遡るが、この明確な方針は、2021年9月1日の共同方針声明で決定的な形となり、その後11月10日の合意憲章でくり返され、強化された。その内容を見ると、「基本的に(ロシアとは)交渉はしない」と書いてある。そして、「NATO加盟のための強化プログラム」と呼ばれるものに移行するようウクライナに要求している。これは、バイデンによる侵略の予告の前だが、ウクライナに交渉の余地をなくすことだった。つまりウクライナへの最新兵器の供与の増加、軍事訓練の強化、合同軍事演習、国境配備の武器の供与を指している。

 このような情勢をもとに考えれば、ロシアの行動もけっして賛成はできないが、一定の理解はできる。さらに、このほど、ロシアと長い国境を接するフィンランド、また、スウェーデンもNATO加盟を表明した。トルコの反対もあって実現するかどうかはわからないが、ロシアをさらに追い詰めることになるのは確かである。

 では、どうすべきかと言えば、話し合いである。殺し合いを避け、話し合いをすべきである。世界は、ロシアの行為が非人道的なものであり、けっして認められるものでないことで一致している。ロシア人でさえ、多くの人がそう思っている。第二次世界大戦の悲惨な経験は、世界中の人々が戦争に対してそういう意識を持つように条件付けたと言える。そうであれば、話し合うことこそ、この問題を解決する唯一の手段である。話し合いの当事者は、ウクライナ、ロシアだけではない。

 最も重要なのはアメリカである。いまの戦争でウクライナに武器を供給し、ロシアと戦わせているのはアメリカだと言っても過言ではないだろう。その話し合いで目指すのはやはりウクライナのメキシコ化だと思われる。ロシアと西側諸国との間において中立的な国にするということである。これこそが人類にとって破滅的な世界戦争を避けるための解決法であろう。チョムスキーによれば、報道されなかったが、ウクライナのゼレンスキー大統領は「ウクライナ中立化を受け入れる」と発言しているとのこと。また、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が侵攻の初めに、つぎのように発言しているとのこと。

 ロシアには二つの主要な目的がある。それは、ウクライナの「中立化」と「非武装化」だ。もちろん非武装化といっても、すべての武器の所有を放棄することではない。NATOとの相互作用により、ロシアを標的にした「重火器」武装を排除するということだ。

 いまは、これ以上の犠牲者が出ることを避け、一刻も早い平和的解決を願うのみである。しかし、山崎雅弘さんの『第二次世界大戦秘話』を読むと、ヨーロッパというところは多数の小国が存在し、大国による侵略を受けたり、併合されたり、小国どうしの争いも絶えない地域であることがわかる。したがって、問題は複雑であり、そのような事情に関して無知なまま、安易に論評することは避けるべきだと思う。

 知らないことが多すぎる。ロシアの戦争犯罪を厳しく批判するアメリカは、国際刑事裁判所、つまり世界裁判所の判決を拒否し続けている世界で唯一の国であること。アメリカは「ジェノサイド条約」が採択されてから約40年後にようやく批准したが、この時も「アメリカには適用されない」という留保を付けたこと。(ロシアに併合された)クリミアの人々は非常に満足していると思われること。ウクライナの東部ドンバス地域では8年間、ウクライナ、ロシア双方による激しい暴力が行われてきており、地雷だらけ、暴力だらけであること。知らなかったことばかりである。

 人はすべてを知ることはできないけれど、そのときどきで、知っていることの範囲で判断をし、生きてゆかざるを得ない。このことは否定のしようがない。一人の人が独自にその一生で得られる経験と知識の範囲は限られていが、同時代に生きている人全体を見れば、その経験や知識の範囲と量は比べ物にならないほど大きい。また、過去に生きてきた人のそれを含めれば、さらに広大で深い。ここから言えることは、人は謙虚であるべきだし、他人の話はよく聞くべきだし、同時代の人、過去の人の経験と知識の記録でもある「本」は読むべきだという、ごく常識的なお話となる。

 



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