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第6章 生と死のゲーム
旧来の経済史(=人間生活のすべてを交換に還元する)の検討に立ち返ってみると、そこでまず眼につくのは、いかに多くのことが抹消されているかであると、この章は始まる。
交換以外のすべての経済的経験(ヒエラルキーやコミュニズム)を除外してしまう。
成人男性でない者たち、つまり、日々の存在を相互利益を求め合う交換に還元することが相対的に困難な圧倒的大多数の人間を、後景に溶解させてしまう。
その結果、わたしたちは現実の商売のおこなわれている様態について、殺菌された見方しかできなくなってしまう。
ニール・ブッシュ(ジョージの弟)事件では、妻との離婚訴訟の過程で、彼は、タイや香港で、重要な商談が終わったあと、謎のようにあらわわれた女たちと不倫のあったことを認めた。実際こうしたことは、大金が絡む場合であれば、お決まりのコースなのだろう。
おおよそ取引というものは、少なくとも、セックス、ドラッグ、音楽、派手な食事のふるまいや、暴力沙汰の起きる可能性、といった点においては、グスィング族あるいはナンビクワラ族のものとそれほど異なってはいないやり方でおこなわれていることが無視されてしまう。
物々交換から始まるとされる経済的生活においては、だれかがだれかを強姦したり辱めたり拷問することなんていうことは関係がないことになっている。
古代アイルランドでは、女性奴隷が、あまりに数多く存在し、かつ重要だったので、彼女らは通貨として機能するようになったという事実もある。
慣習的な思い込みを捨てさえすれば、過去およそ5000年のあいだ、望むほど事態は変わっていない
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貨幣が過去において使用された主要な目的は人びとのあいだの関係を形成し、維持し、または再組織するためである。たとえば、結婚をとりもち、父権を確立し、争い事を解消し、葬式で悲嘆にくれる者を慰め、罪においては赦しを求め、条約を調停し、追随者を獲得するなどである。
グレーバーは、そのような貨幣を「社会的通貨」と呼び、それらを使用する経済を「人間経済」と呼ぶ。それらの経済システムの主要な関心が、富の蓄積ではなく、人間存在の創造と破壊、再編成であるという意味において。
とはいえ、これらの社会がそれ以外の社会よりも必然的に人間的であるということではない(とても人間的な社会もあればすさまじく暴力的な社会もある)。それらの経済システムの主要な関心が、富の蓄積ではなく、人間存在の創造と破壊、再編成であるというだけである。
歴史的にみれば商業経済――いまでは市場経済と呼ぶ方が好まれている――は比較的新しいものだ。人類史のほとんどの時代は、人間経済が支配的だった。
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ほとんどの人間経済において、貨幣はなによりもまず結婚をとりもつために使われる。
その最も単純でありふれたやり方は、「花嫁代償」と呼ばれていたものに表現されている。求婚者の家族が女性側の家族に、犬の歯やタカラガイなどなんであれ現地の社会的通貨を贈り、贈られた側は娘を求婚者の花嫁としてさしだす。
これは、花嫁を社会的通貨で買うということを意味するものではない。フィジー島の求婚者の家族が、鯨の歯(原始貨幣)を結婚する女性に手渡すとき、それは、どのような支払いも不可能なほどかけがえのない価値あるものを要求していることの承認なのだ。女性の贈与に見合う支払いは、ただ一つ、別の女性の贈与のみである。それまでに、人ができることといえば、ただ、その未払いの負債を認知することだけなのである。
フランスの人類学者フィリップ・ロスパベの言うように、こうして貨幣は「生命の代替物として」始まる。これを生債「生命=負債」の承認と呼ぶことができるかもしれない。
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貨幣は「生命の代替物」であるということは、貨幣が、殺人被害にあった家族に支払われる贖罪金(場合によっては「血資」とも呼ばれる)の支払いにも使われるのは何ゆえかも説明している。それによって、血讐(殺されたら、その近親者が殺した相手を殺す……これは負の連鎖を引き起こす)を回避したり、解決したりする。
殺人者の一族は、被害者の家族に一つの生命を負っている「生命の借りがある」ことを認めているがゆえに、鯨の歯あるいは真鍮棒を贈るわけである。
他方で鯨の歯あるいは真鍮棒は、どのような意味においても、殺害された親類への賠償ではないし、なりえない。こうした賠償を贈る者だれひとりとして、いくばくかの貨幣がだれかの父親、姉妹、子どもの価値の「等価物」たりうると考えるほど愚かでありえないのは確かなのだ。
復讐殺人さえも被害者の悲しみと苦痛の償いにはならないことを双方ともに了解している。この知恵こそが暴力沙汰ぬきに事態を調整する一定の可能性をつちかうのである。
つまりここでも花嫁代償とほとんど同じことがいえる。貨幣が負債をぬぐい去ることはないのだ。ひとつの生命はべつの生命によってのみ支払うことができる。「血資」を支払う者にせいぜい許されていることは、負債の存在を承認し、不可能であることを知りつつも、いつか支払いたいという気持ちを明言しながら、問題を永遠に棚上げすることのみである。
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婚姻の制度、死に対する償いの制度が複雑化してゆく中で、誰もが負債(他の誰かに対する借り、負い目)を抱え込んでいった。
* この章では、婚姻の制度、死に対する償いの制度が実際にどのようなものであったのか、どのように複雑化していったのかについて、いろいろな実例が示されている。それを書いていったら2万字を超えてしまった。元の章全体で4万数千字なので、それはやめた。興味のある方は、ぜひ『負債論』(デヴィッド・グレイバー 以文社)を読んでいただきたい。
ここでの負債は市場経済における負債の意味とは異なり、人と人との関係を取り持つためのものであった。そこで取り扱われた通貨は社会的通貨であり、それは、人にとって大切なものを負っているということの印であった。日常の物品の取引に使われるものではなかった。
人間の売り買いが問題になるのは暴力が計算に組み込まれたときのみなのだ。強制力を行使して、現実の人間関係を特徴づける選好、責務、期待、責任の織り成す、果てしのない迷宮を断ち切るときのみなのである。
人間経済において、なにかを売ることができるようにするには、まずそれをその文脈から切り離す必要があるのだ。奴隷とはまさしくこれである。(奴隷とは、人をその人たらしめている文脈から切り離し、売ることができるようにしたもののことである)
人の生命は絶対的な価値である。それに対する等価物はありえない。一個の生命が与えられるにせよ奪われるにせよ、その負債は絶対である。婚姻の制度、死者への償いの制度、そのどちらの場合も、こうした慣行は、有力な男たちが女たちあるいは少なくとも女たちの多産性への権利を交換することに帰結する、とてつもなく複雑なゲームを形成するにいたったのである。
ひとたびゲームが存在し、そうした代替の原理が出現すると、常にそれを拡張する可能性もあらわれる。拡張が始まるやいなや、人びとを創造することを前提にした負債のシステムがここでさえも突如として、人びとを破壊する方法に転化してしまうのだ。
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1760年代だけでも、おそらく10万人ものアフリカ人が、クロス川を下ったカラバルやその近くの港に輸送されていた。彼らは鎖につながれ、イギリスやフランス、その他のヨーロッパの船につめこまれて、大西洋のむこう側に輸送されていた。
奴隷には、戦争や侵略で捕らえられたか、あるいはたんに誘拐された者たちもいた。だが、大多数は、負債のために身柄を押さえられた者たちだったのである。
大西洋奴隷貿易総体は、巨大な信用協定のネットワークであった。
リヴァプールやブリトルを拠点とした船舶所有者たちは、地元の商人たちから有利な条件で融資を受けて物財を入手していた。アンティル諸島やアメリカのプランテーション経営者に奴隷を売却して(これもまた信用取引にて)上がる儲けを見込んでのことである。これにはロンドンのシティの委託業者がからんでおり、砂糖とタバコから上がる利潤でもって、そのような事業総体に最終的に融資を与えていたのは彼らである。
ここであきらかに生じる問題があって、それはどのようにして負債を担保するかであった。
この貿易は、とてつもなくいかがわしく、かつ粗暴な生業であり、奴隷捕獲者たちといえば、とても信用保証という意味であてになりそうにない。そこで、ヨーロッパ人の船長たちによって、人質担保を要求することのできる制度が迅速に形成されていった。
それは実質的にある種の負債懲役制度と化していたのである。債務者は、貸付を受ける担保として家族の成員をさしだす。そして人質たちは債権者の世帯の従僕となり、畑を耕し、家事をみることになった。「アフリカ人商人」による発送の遅れを待ちきれなくなった船長が、人質たちを乗せたまま出発してしまうこともあった。
統治者たちにひんぱんに利用された手段は司法制度を操作することである。いかなる犯罪でも処罰は奴隷になることと規定する、あるいは本人を死刑に処したうえで妻と子どもは奴隷にさせる、とてつもなく高額の罰金を課して債務不履行におちいった本人と家族を奴隷として売却できるようにする、といった具合である。
暴力の全般化した環境が現存する人間経済のすべての制度の体系的な逸脱をみちびいた。そのとき人間経済は間化と破壊の支配する巨大な装置に転化してしまった。
クロス川地方において、この貿易は二つの局面を経過したようにみえる。
第一期は、絶対的な恐怖と混沌の時期。襲撃がひんぱんに生じ、単独で旅をする者だれもが、徘徊する盗賊団に誘拐され、カラバルに売られる危険性に直面していた。ほどなくして、村々は打ち捨てられ、人びとの多くは森へ逃げていった。畑で働く男たちは武装せねばならなかった。この時期は、相対的に短期のものである。
第二期は、現地の諸商人組織の代表者たちが、地域全体で共同体を形成し、秩序を回復しようと試みたときにはじまる。
「アロ連合」
アロ連合は、じぶんたちを「神の子」と呼んだ。彼らは、重装備した傭兵軍団と名高いアロチュクウの神託の権威に支えられて、苛酷なことで鳴り響く司法体系を新たに制度化した。
アロ連合は、地域の長老たちと協力して、儀礼的な規則と刑罰からなる法典を作成するが、それらはあまりに包括的で厳格なものであったので、それに抵触せずに暮らせる者はだれひとりいないというほどであった。あきらかに項末な規定であっても、その法を犯してしまい、かつ、罰金の支払いのできない者は、アロ連合に引き渡され、沿岸地域に送られた。
「エクペ(秘密結社)」
エクペは商人たちによって拡散された。みずからの成員を巻き込んで当の成員自身の奴隷化を推し進めたのが、このエクペであった。
エクペ会員であることが、どこにあっても名誉と風格を示す大いなる証になった。そして、入会金を支払うことができさえすれば、だれにでも加盟が認められた。会員には等級があり、それぞれの等級の加入料は大変高価であった。多数の人びとが、商人に借金をして加入料を支払うか、あるいは商人の供給する商品を購入した。彼らの負ったこれらの負債の取立て責任は、まさに彼ら自身が「エクペの一員であるから」負うことになった。そしてこれらの負債もまた、人質として調達されたようにみえる人間によって支払われた。
注目すべきは、こうしたこといっさいが、すなわち、身体の抽出や切り離しが、人間経済の諸機構を通しておこなわれた、ということである。人間の生命こそが比類なき究極の価値であるという原理にもとづいている人間経済の諸機構を通して、である。
人間存在を創造するために考案された歯車と装置が、おのれにむかって衝突し、破壊する手段と化したのだ。
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ここで記していることがアフリカの特異例であるという印象を与えるのは、わたしの望むところではない。人間経済が商業経済(とりわけ先進的軍事テクノロジーと飽くことを知らぬ人間労働への要求をともなった商業経済)と接触するところならばどこでも、まったくおなじような事態をみいだすことができるのだから。
たとえば、顕著なほど類似した事態が、東南アジアのとりわけ大周縁部に居住している山間部や島々の人びとに起きている。この地域の歴史研究の第一人者、アンソニー・リードが指摘しているように、東南アジア全域において労働は、なによりも負債による束縛の関係によって長らく組織されていた。
このことを指摘することが重要であるのは、実際にアフリカに居住していない人びとは、往々にして奴隷売買のもたらした影響でその大陸がどうしようもなく暴力的で野蛮な場所だというイメージを持ちつづけているからである。むしろ(反対に)当のイメージこそが、アフリカの居住者たちに悲惨な結果をもたらしてきたのである。
【暴力についての考察】
わたしは本書を、ある問いからはじめた。なぜ、人びとのあいだのモラル上の義務が負債と考えられるようになり、その結果、逆にまったくインモラルなおこないを正当化することになったのか?
人間経済の社会においては、貨幣が第一に物品の購入ではなく人間関係を創造し、維持し、かつ切断するための社会的通貨として機能している。
人間は関係性の産物であるから、人間の交換は本質的に不可能である。その人間を交換可能なもの、単純な量に転換するためには、その人間を人間たらしめている「関係」から切り離す力=暴力が必要である。そして、奴隷にしてしまうには、継続的で組織だった大量の暴力が必要なのである。
たんなる概念的な暴力についてではなく、文字通り、骨を折り肉を切ること、殴ったり蹴ったりすることについて語っているのだ。それは古代ユダヤ人が、じぶんたちの娘が「隷属」状態におかれることについて語ったとき、詩的にではなく、文字通りの縄や鎖について語っていたことと同じである。
わたしたちの大部分は、暴力についてあまり考えたがらない。
近代都市において、比較的に居心地よく安全な生活を営んでいる幸運な者たちは、それが存在していないかのようにふるまう。
その存在をいやおうなく思い知らされるような場合、広い「世間」をなすすべもなくひどく野蛮なところだと決めつける傾向がある。
どちらの衝動も、わたしたちの日常的存在性が、暴力によってあるいは暴力の脅威によってどれほど規定されているのか考えずにすむようにしている。
一方で、戦争やテロリズムや暴力的犯罪などの重要性――あるいは少なくともその頻度――を強調しすぎるきらいがある。
人間の諸関係に枠づけをあたえるための強制力の役割は、「伝統社会」と呼ばれるものにおいては、よりはっきりあらわれている。その伝統社会の多くでは、わたしたちの社会ほど人間と人間のあいだの物理的な暴行はひんぱんにみられないにしても。
少なくとも潜在的には正当とみなされる暴力行為があり、他方にはそうではない暴力行為がある、そんな想定が異性関係を支配する枠組みをなしていたのである。
この事実と人間の生どうしを取引する可能性のあいだには直接の関係がある。特定の種類の暴力は、モラル上、許されると考えられている。文脈から剥奪された人間というときに意味しているのはこのようなことである。
アロ連合のような集団は、ファシストやマフィア、そしてどこにでもいる右翼ギャングでおなじみの戦略を体現している。
まず、あらゆるものが売りに出され、命の値段もきわめて安価であるような、暴力犯罪うずまく無制約の市場を開拓する。
次に、一定の秩序を回復するような身ぶりで介入する――とはいえ当初の混沌した状況のなかでも、一番儲けにつながるような部分だけはすべて、とてつもなく苛酷なやり方で保持しておく。そしてこの暴力は法の構造そのもののうちに保持されているのである。
こうしたマフィアはまた、ほとんど例外なく厳格な名誉の取り決めを強要することになるが、そこでは、なによりもまず負債を支払うことがモラル上の命法となる。
アフリカの奴隷売買は、前代未聞の破局だったが、商業経済はすでに何千年にもわたって人間経済から奴隷を抽出してきている。それは文明と等しいほど古い実践なのである。
わたしが問いたいのは、それが文明の構成要素であるとしたら、どの程度そうなのか?
わたしがここで問題にしているのは、厳密な意味での奴隷制のみならず、人をその人たらしめている相互関係や共有された歴史、集合的責任の織物から、人間を切り離し、交換可能なものにする――つまり負債の論理の対象にしてしまう――過程なのである。
奴隷制はたんにその論理的帰結にすぎず、そうした関係性の解体のとる究極の形態である。だが、まさにそのために、奴隷制はその過程全体の理解のための糸口を提供してくれる。
奴隷制はわたしたちの分かちもつ基本的な諸前提や諸制度を形成してきた。もはやそれにわたしたちが気づくことはなく、それがじぶんたちに及ぼしている影響もおそらく決して認めたがらない
わたしたちが負債社会を形成してしまったのは、まさに戦争と征服と奴隷制の遺産が完全に消え去っていないゆえである。
遺産はまだそこある。わたしたちが最も慣れ親しんでいる諸観念、すなわち名誉や所有、そして自由のうちにさえ、その遺産は宿っている。
わたしたちはもはや、その遺産を直視することができないだけなのだ。
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