参院選の結果が出た。予想はしていても、実際にこんな結果になると気が滅入ってしまう。だから、今回のブログは、少し雑な議論になっているかもしれない。
「利益の過半 株主還元 配当・自社株買い最高」(15年度上場企業)6月3日の日経新聞朝刊の1面トップ記事である。「配当と自社株買いの合計額は16兆円超と過去最高」になり、「企業には余剰マネーがなお積みあがって」いるそうだ。「上場する約3,600社の配当を集計したところ」10兆9,000億円となり「過去最高」とのこと。このうち、個人投資家への配当は約2兆円で、家計に入り、「消費を下支えする効果がある」(?)のだそうだ。しかし、ここで言う「消費」は、預貯金を株式投資する余裕のある人たちの「消費」であるが、いったいどれくらいの人が対象になり、経済の活性化にどれくらい貢献するのだろう。
実際に「消費を下支えする効果がある」のは、圧倒的多数の一般消費者、つまり労働者の家計に余裕が出るように、社会内の富を配分することであるのは明らかであり、それが最も効果的な経済活性化政策である。これほど簡単なことがどうして行なわれないのだろう。その理由も簡単である。現在の政権党は、企業から「企業献金」という名前の大量の賄賂をもらっているからである。放送局(マスメディア一般)にとってスポンサーは絶対であるのと同様、現政権党にとっても、そのスポンサーは絶対である。その利益を損なうような政策は絶対にできない。この国では、借金を減らすために、社会福祉のために、国としてより多くの収入が必要だが、そのためのお金を持っている企業に対し、税金として要求することはできないのだ。それどころか、「もっと法人税を下げろ」と言われれば従わざるをえないのが実態である。
法人税減税を正当化するために、「法人税を下げるのは、企業の7割が”赤字のため”として税金を払っていないという現在の偏った負担構造を改めるためである。税率を下げ、広く薄く負担してもらう」と言う。「薄く」という意味はわかるが、「広く」という意味がわからない。いま税金を払っている企業の税金を下げると、税金を払っていない企業の赤字が解消され、税金が治められるようになるので「広く」ということになるらしい。どうしてそんなことになるのだろう。ここでもまた、怪しげなトリクルダウン説が出てくる。企業の税負担が少なくなれば、それだけ企業がお金を使うので、取引のある企業も恩恵を受けると言う。いま元気な企業の取引先は、いまでもその恩恵を受けて、黒字なのではないだろうか。結局、いま税金を払っている企業の税金が下がり、企業の利益が増え、「株主還元 配当・自社株買い」が増えるだけではないだろうか。
企業にとってみれば、税金としてお金をとられるよりも、政権担当者という一部の勢力にお金を使う方が理にかなっている。そのお金は「企業献金」という名前の賄賂だから、直接に自分たちの利益につながる。支払った賄賂が、それによって得られる利益より多いということはけっしてない。法人税率引き下げはそのよい例だと思う。法人税減税は、消費税という国民に対する二重課税(国民は給料を受け取るときに所得税として税金を徴収されているのに、さらにその所得を使おうとするとまた消費税として、税金を徴収されるのだから、同じ所得に対する二重課税だと言える)によって実現したものであり、またさらなる法人税減税のために消費税率が上げられようとしている。北欧のスウェーデンのように、税金は高くても、その税金で社会福祉を充実させるのなら国民も納得できるのと思うのだが、この国の現政権ではそんなことはありえない。
原発に関する政策も同様であり、原発再稼動、想定寿命が尽きた原子炉の20年延長運転など、さまざまな利権や現金が動いている結果だろう。このような、企業最優先の政策を正当化するために、関係者たちは「企業が元気になり、経済が活性化すれば、トリクルダウンによって、国民みんなが潤うのだ」という幻想を撒き散らしている。しかし、冒頭に示した日経の記事が証明しているように、それが嘘であることは明白になっている。企業の利益の過半は株主配当と自社株買いに回されてしまうだけに終わるのだ。
今回の参議院議員選挙では、そんな政策を実行している政権が信任されたようだ。産業界もこの結果を歓迎しているとのこと。当たり前である。現政権が撒き散らしている幻想はかなり強固だ。ちなみに、原発が安全で有用なものだという幻想を撒き散らすために使われたお金、宣伝費は、この40年間で2兆4,000億円にもなるそうだ。そのお金は国民が電気代として支払ったお金の一部だ。宣伝のプロたち(電通や博報堂など)は、どうすれば人の心を操作できるかを日夜考えている。豊富なお金を使って、いろいろな試みをし、実行しているのだから太刀打ちできないのかもしれない。憲法改定の国民投票にあたっても、国民の過半数の賛成を得るために、彼らが活躍することだろう。
「反知性主義」という言葉がよく聞かれるが、いまは理詰めで主張してもあまり効果はない時代になっている。電車に乗ると、ほとんどの若い人がスマホに向かってゲームに没頭している。あまり本など読まないらしい。友達どうしの会話でも、議論(特に政治)は禁物のようだ。嫌われないように、周りの空気を読みながら当たり障りのない話をすると言っているのを聞いたことがある。宣伝のプロたちはこのような現状を読み、伝えたいことをソフトなイメージにし、感性に直接訴える方法をとっているようだ。「美しい日本」「日本を、取り戻す」「この道を。力強く、前へ」など、ほとんど意味がないキャッチコピーを作って、「なんとなく」いいかもしれないというイメージをばら撒いている。何がどういうふうに美しいのか、誰から、日本(?)を取り戻すのか、この道とはどういう道なのか、それぞれ説明しなければ意味がない。しかし、イメージでしか世界をとらえない人たちの心をつかんでいるようで、参院選でその効果が示された。これからは、反対勢力も、この手法を学び、自分たちのイメージをもっとよくする必要があるのかもしれない。
「憲法改定」も、その具体的な内容を前面に出すのではなく、「いまの憲法は押し付けられたものだ」「自分たちの憲法、自主憲法」「いままで一度も変えたことがない」「時代が変われば変える必要がある」などというように、「何となく、変えてもいいかもしれない」と思えるような雰囲気を作ってゆくことにまず力が注がれることだろう。反対勢力としては、これに対抗するには、改憲派がやろうとしているのは「改正」ではなく「改悪」であることを、理屈だけでなく、イメージとして理解してもらう方法を考えてゆく必要があるだろう。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のように、戦争を遂行する機関を「平和省」、反体制分子を逮捕、拷問、死刑にする機関を「愛情省」、党の宣伝機関を「真理省」など呼んでイメージをよくし、実現されることがないようにしなければならない。「自由と民主主義を守る」「自由民主党」、本当にそうなのだろうか?
* 池谷裕二さんのツイッターから
「利益の過半 株主還元 配当・自社株買い最高」(15年度上場企業)6月3日の日経新聞朝刊の1面トップ記事である。「配当と自社株買いの合計額は16兆円超と過去最高」になり、「企業には余剰マネーがなお積みあがって」いるそうだ。「上場する約3,600社の配当を集計したところ」10兆9,000億円となり「過去最高」とのこと。このうち、個人投資家への配当は約2兆円で、家計に入り、「消費を下支えする効果がある」(?)のだそうだ。しかし、ここで言う「消費」は、預貯金を株式投資する余裕のある人たちの「消費」であるが、いったいどれくらいの人が対象になり、経済の活性化にどれくらい貢献するのだろう。
実際に「消費を下支えする効果がある」のは、圧倒的多数の一般消費者、つまり労働者の家計に余裕が出るように、社会内の富を配分することであるのは明らかであり、それが最も効果的な経済活性化政策である。これほど簡単なことがどうして行なわれないのだろう。その理由も簡単である。現在の政権党は、企業から「企業献金」という名前の大量の賄賂をもらっているからである。放送局(マスメディア一般)にとってスポンサーは絶対であるのと同様、現政権党にとっても、そのスポンサーは絶対である。その利益を損なうような政策は絶対にできない。この国では、借金を減らすために、社会福祉のために、国としてより多くの収入が必要だが、そのためのお金を持っている企業に対し、税金として要求することはできないのだ。それどころか、「もっと法人税を下げろ」と言われれば従わざるをえないのが実態である。
法人税減税を正当化するために、「法人税を下げるのは、企業の7割が”赤字のため”として税金を払っていないという現在の偏った負担構造を改めるためである。税率を下げ、広く薄く負担してもらう」と言う。「薄く」という意味はわかるが、「広く」という意味がわからない。いま税金を払っている企業の税金を下げると、税金を払っていない企業の赤字が解消され、税金が治められるようになるので「広く」ということになるらしい。どうしてそんなことになるのだろう。ここでもまた、怪しげなトリクルダウン説が出てくる。企業の税負担が少なくなれば、それだけ企業がお金を使うので、取引のある企業も恩恵を受けると言う。いま元気な企業の取引先は、いまでもその恩恵を受けて、黒字なのではないだろうか。結局、いま税金を払っている企業の税金が下がり、企業の利益が増え、「株主還元 配当・自社株買い」が増えるだけではないだろうか。
企業にとってみれば、税金としてお金をとられるよりも、政権担当者という一部の勢力にお金を使う方が理にかなっている。そのお金は「企業献金」という名前の賄賂だから、直接に自分たちの利益につながる。支払った賄賂が、それによって得られる利益より多いということはけっしてない。法人税率引き下げはそのよい例だと思う。法人税減税は、消費税という国民に対する二重課税(国民は給料を受け取るときに所得税として税金を徴収されているのに、さらにその所得を使おうとするとまた消費税として、税金を徴収されるのだから、同じ所得に対する二重課税だと言える)によって実現したものであり、またさらなる法人税減税のために消費税率が上げられようとしている。北欧のスウェーデンのように、税金は高くても、その税金で社会福祉を充実させるのなら国民も納得できるのと思うのだが、この国の現政権ではそんなことはありえない。
原発に関する政策も同様であり、原発再稼動、想定寿命が尽きた原子炉の20年延長運転など、さまざまな利権や現金が動いている結果だろう。このような、企業最優先の政策を正当化するために、関係者たちは「企業が元気になり、経済が活性化すれば、トリクルダウンによって、国民みんなが潤うのだ」という幻想を撒き散らしている。しかし、冒頭に示した日経の記事が証明しているように、それが嘘であることは明白になっている。企業の利益の過半は株主配当と自社株買いに回されてしまうだけに終わるのだ。
今回の参議院議員選挙では、そんな政策を実行している政権が信任されたようだ。産業界もこの結果を歓迎しているとのこと。当たり前である。現政権が撒き散らしている幻想はかなり強固だ。ちなみに、原発が安全で有用なものだという幻想を撒き散らすために使われたお金、宣伝費は、この40年間で2兆4,000億円にもなるそうだ。そのお金は国民が電気代として支払ったお金の一部だ。宣伝のプロたち(電通や博報堂など)は、どうすれば人の心を操作できるかを日夜考えている。豊富なお金を使って、いろいろな試みをし、実行しているのだから太刀打ちできないのかもしれない。憲法改定の国民投票にあたっても、国民の過半数の賛成を得るために、彼らが活躍することだろう。
「反知性主義」という言葉がよく聞かれるが、いまは理詰めで主張してもあまり効果はない時代になっている。電車に乗ると、ほとんどの若い人がスマホに向かってゲームに没頭している。あまり本など読まないらしい。友達どうしの会話でも、議論(特に政治)は禁物のようだ。嫌われないように、周りの空気を読みながら当たり障りのない話をすると言っているのを聞いたことがある。宣伝のプロたちはこのような現状を読み、伝えたいことをソフトなイメージにし、感性に直接訴える方法をとっているようだ。「美しい日本」「日本を、取り戻す」「この道を。力強く、前へ」など、ほとんど意味がないキャッチコピーを作って、「なんとなく」いいかもしれないというイメージをばら撒いている。何がどういうふうに美しいのか、誰から、日本(?)を取り戻すのか、この道とはどういう道なのか、それぞれ説明しなければ意味がない。しかし、イメージでしか世界をとらえない人たちの心をつかんでいるようで、参院選でその効果が示された。これからは、反対勢力も、この手法を学び、自分たちのイメージをもっとよくする必要があるのかもしれない。
「憲法改定」も、その具体的な内容を前面に出すのではなく、「いまの憲法は押し付けられたものだ」「自分たちの憲法、自主憲法」「いままで一度も変えたことがない」「時代が変われば変える必要がある」などというように、「何となく、変えてもいいかもしれない」と思えるような雰囲気を作ってゆくことにまず力が注がれることだろう。反対勢力としては、これに対抗するには、改憲派がやろうとしているのは「改正」ではなく「改悪」であることを、理屈だけでなく、イメージとして理解してもらう方法を考えてゆく必要があるだろう。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のように、戦争を遂行する機関を「平和省」、反体制分子を逮捕、拷問、死刑にする機関を「愛情省」、党の宣伝機関を「真理省」など呼んでイメージをよくし、実現されることがないようにしなければならない。「自由と民主主義を守る」「自由民主党」、本当にそうなのだろうか?
* 池谷裕二さんのツイッターから
【集団記憶】人々が会話を通じて情報を相互に共有することによって集団全体レベルで形成される記憶のこと。記憶内容は増強されたり抑圧されたりと徐々に変容しますが、人為的介入によって意図的に操作するも可能だそうです。今日の『PNAS』論文→http://goo.gl/lI5d4c
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