思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

憲法改定

2013-05-22 12:05:14 | 随想


 憲法改定について、世の中が騒がしくなってきたようだ。これを機会に、国民が憲法についてよく考えたり、話し合ったりすることは大変よいことだと思う。昨年の5月4日のブログと重複する点もあるが、以下に、思いつくままに、考えていることを列挙してみる。

? 改定の中身を棚に上げて、改定することの良し悪しを議論しても仕方がない。憲法は絶対変えてはならないなどと言う人はまずいないわけで、問題はどこをどのように改定する必要があるのかということである。憲法そのものも、第96条で「改正」についての手続きを規定しており、変えること自体を禁止などしていない。

? 改憲反対を主張している人たちは、改憲派が9条を変えて、世界各地でアメリカがその権益を守るために行なっている戦争に、日本がもっと積極的に協力できるようにしようとしている、つまり、アメリカ軍といっしょになって、日本軍も武器を持って相手国と殺し合いをすることができるようにしようとしているとして改憲に反対をしている。だから、そういう考えの是非をこそ議論すべきだ。

? この憲法は、アメリカに押し付けられたものだから変えなければならないと言うが、自民党の自主憲法草案などを見ると、現行憲法の大部分をそのまま流用し、彼らが変えたいと思う部分だけを変えているにすぎない。そうであれば、その変えたい部分を明確にして議論すればよい。アメリカに押し付けられたものだと言いながら、そのほとんどを流用しておいて、これが自主憲法だなどと言うのは馬鹿げている。

? しかも、アメリカにもっと積極的に協力ができるように変えようというのでは、言っていることが矛盾している。アメリカも戦力としての日本の積極的な協力を得るには9条が邪魔だと思っているが、アメリカが日本国憲法を変えるわけにはゆかない。だからと言って、その代わりになって改定を実現しようとしている人を、自主憲法を制定しようとしている人とは言えない。

? 安倍政権は突然に96条(憲法の改定には、衆参両院で各議員の総数の3分の2以上の賛成と、その後の国民投票で過半数の賛成が必要だということを定めている)の改定を持ち出してきたが、唐突にその是非を国民に問うと言い出したことの裏には何があるのだろう。

? 従来、憲法改定の主要な争点は、9条であった。9条については、かなり長い間、国民の間で議論されてきて、多くの国民が問題意識を持ち、それなりに判断を下す条件が整ってきたと言えるのかもしれない。しかし、96条の改定問題、すなわち「憲法を変えやすくすべきか否か」という問題はここに至っていきなり国民の前に持ち出された問題であり、国民がその判断をするための十分な知識も時間も与えられていない。そんな状況にあるにもかかわらず、敢えてこの夏の参議院選挙でその是非を国民に問うというのは、何らかの下心があるのではないかと疑ってしまうのは当然のことだ。

? 9条の問題は、彼らから見れば、国民が問題意識を持ちすぎており、参議院選挙とセットでその改定の是非を問うと、議席が伸びない可能性がある。他に適当な政党がないので自民党に投票するしかないかなと考えている人が、9条改定とセットだと自民党に投票するのを躊躇してしまう可能性があり、それが議席の伸びるのを阻んでしまうということだ。96条であれば、国民が十分に考え、議論する時間を持てないので、与し易いと見たわけか。

? 憲法をどう改定するかにかかわらず、現憲法下でその発議をするためには、衆参両院でそれぞれ議院総数の3分の2以上の賛成が必要という高いハードルがある。自民党も一度に憲法のすべての内容を、自ら作った憲法草案と置き換えられるとは考えていないだろう。今後、少しずつ自分たちにとって都合のよい方向に変えてゆくことになるが、そうなると、現在の96条は大変高いハードルである。だから、まず、このハードルを低くしておこうということだろう。自民党に人気がある、あるいは他に有力な対抗政党がない今がチャンスと見たのではないか。ここでハードルを低くしておけば、自民党が何らかの理由によって今後の選挙で少しばかり議席数を減らしても、過半数を獲得しさえすれば、いつでも憲法改定の発議を行ない、国民投票に持ち込めるわけである。

? 96条の問題は立憲主義を採っている国の国民にとって非常に大きな問題である。いまの憲法は意図的に変えにくいものにしてある。これを「硬性憲法」という。権力を持ったものが、簡単に自分たちにとって都合のよい内容に変えることができないように、敢えて変えにくくしている。それは、特にヨーロッパで、歴史的に、専制国家のもとで長く苦しんできた一般国民が命をかけて闘い取った権利を、権力者が勝手な法律を作ることで蹂躙することを防ぐための知恵であった。その先人の知恵が生かされている日本国憲法=硬性憲法を、もっと改定しやすい「軟性憲法」に変えようと言うのである。

? 議員総数の過半数の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成で改定可能ということになると、国民投票という手続きは入るものの、一般の法律とあまり変わらなくなり、憲法の存在意義がなくなってしまう。憲法が法律の番人ではなくなってしまう。憲法に反する法律を作りたいときは、まず憲法の方を変えればよい。国民投票で過半数を得ることは、歴史を見る限りそれほど難しいことではない。豊富な活動資金を持ち、マスメディアを支配している権力者が、そのマスメディアを使って宣伝し、ムードを作ってしまえばよい。

? 96条の改定問題については、単に改定条件の緩和という問題としてだけで考えてはならない。その改定後、憲法の中身をどのように変えようとしているのかという問題とセットにして考えなければならない。改憲派の目的は96条の改定ではないからだ。

? 彼らの目的が、憲法の前文に言うところの「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」とことであり、それをより確実にするため、現憲法の至らない点を直してゆきたいということであれば、その変更をしやすくすることも必要かもしれない。

? 9条は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という目標を、この68年間、実現し、維持してきた。しかし、改憲派は、それを変更して日本が軍隊を持ち、アメリカ軍に協力して、戦争ができるようにしようと言う。それは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ること」が「あるやうにする」ことであり、現憲法とは相容れない方向に変更することになる。

? そういうことをしようとしている権力者を信じ、96条の変更をして、憲法全般についての変更へのハードルを低くすべきかどうかが問われているのである。

? 日本は現憲法下ですでに軍隊を持っている。名称は「自衛隊」であるが、実質的に軍隊である。自衛のための軍隊である。世界中の近代国家で、軍隊は自衛のためにある。侵略のための軍隊を表明する国家は存在しない。だから、日本は世界の他の多くの国と同様に「軍隊を持っている」とはっきり言える。

? 残念ながら、人類の歴史と今の世界の状況を見る限り、素手で自らを守るという考えには無理がある。だからと言って、他所の国まで出かけて行き、その国の反アメリカ勢力と戦闘をすることまでやるとすれば、誰かさんが言っているように、侵略の明確な定義はいまだにないと言えば言えるのだから、歯止めがきかなくなってしまう。日本国憲法は、そこをしっかりガードしている。だからこそ68年間も戦争をしないでこられた。そして、国際的信用も得て飛躍的な経済発展を遂げることができた。

? そういう日本について、国民の大多数は誇りを持ち、今後もさらに世界の各国と良好な関係を築き、平和な世界の実現に努力し、より一層この国を発展させたいと望んでいるのではないだろうか。ところが、日本には軍隊がなく、肩身の狭い思いをしてきたと考えている人、今の日本はダメだと自虐的になっている人たちがいる。不思議なことに、このような自虐的な人たちが、上記のような日本に誇りを持っている人たちを自虐的だと攻撃し、その歴史観を自虐史観だと批判し、軍隊を持って、アメリカ軍の作戦に協力をして、海外で戦争ができるようにしたいと唱えている。いったいどうなっているのだろう。

? ところで、現行の憲法で困っているのは誰なのだろう。若者に武器を持たせ、海外に送って殺し合いをさせたいと考えている人たち(もちろん、彼ら自身は安全な所から掛け声をかけるだけではあるが)が困っていることはわかる。しかし、一般国民はまったく困っていない。現行憲法によって、強制的にそういうことをさせられることがないわけで、かえって助かっている。

? また、今後、強引な政策に対して起きるであろう国民の反対運動を抑える準備をしておきたいと考えている人たちは、基本的人権の上に置かれるのは「公共の福祉」だけだと述べている現行憲法は困ったものだと思っているかもしれない。だから、自民党の憲法草案では「公益や公の秩序のため」にという理由で、基本的人権を容易に制限できるようにしている。

? その濫用は戒めているが、日本国憲法は第11条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と規定し、基本的人権を最大限に保護している。それで困っている国民がどれほどいると言うのだろう。

? 今この時期に、憲法を変える必要性はどこにもないように思われる。反対に、今、改憲を唱えている人たちが目指している方向で憲法を変えてはならないと思う。その方向は、日本をより強くアメリカに従属させ、世界からの信頼を失わせ、孤立させ、そのことが、加工品を世界中に輸出して外貨を稼ぐことをその本質とする日本経済を停滞させ、軍事費の増大で財政をさらに悪化させることになる。アメリカも、日本という国の使い道がなくなれば、離れてゆくだろう。そして、行く末は、北朝鮮のように、世界から孤立した、貧しい独裁的軍事国家となる可能性もある。国民がそれでもよしとするならば、改憲も可ということにはなるが。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿