さっき smartnews を見てたら、麻生大臣のセクハラ発言について書いた記事を見つけた。彼が「担当記者を男に変えればいい」と言ったらしくて、ライターはこれを激しく非難していた。セクハラ問題の認識が甘いというのである。しかし私は麻生大臣の考え方にも一理あると思うのである。事務次官が男で担当記者が女「だから」セクハラが起きた、そう麻生大臣は考えたのだ。それで冒頭の発言になったのわけだが、私は別の結論を考える。そう、男と女だからセクハラになるのなら、「事務次官を女にすればいい」のである!
世間の問題認識を根本から変えるためには、大胆な発想の転換が必要である。財務省の偉い官僚なんだから、トップになる事務次官は「男」だと皆が思っている、そこがセクハラ問題の核心なのだ。総理大臣だってイギリスを始めとして世界中でも女がなる時代である。男女同権の世の中だし、判断力に男女差がないことは既に常識であるなら総理大臣だって女でマズイという理屈はないはずだ。例えば自社の女の役員や社員が、仕事を遂行する能力が男より劣っているとしても、ライバル企業だって同じように「男女の比率が役員・社員で同じ半数いる」のであれば、「企業の競争力」は対等のはずである。要は女だって「能力で選べばいい」ということなのだ。それに今やそんじょそこらの男より能力の高い女が、そこらへんにゴロゴロいる時代である。男もウカウカしてられない時代になっているのかも。
だから今後、女性記者の取材活動でセクハラ問題が起きたら、「事務次官の方を女にする」で解決なのだ、一件落着!
世間の問題認識を根本から変えるためには、大胆な発想の転換が必要である。財務省の偉い官僚なんだから、トップになる事務次官は「男」だと皆が思っている、そこがセクハラ問題の核心なのだ。総理大臣だってイギリスを始めとして世界中でも女がなる時代である。男女同権の世の中だし、判断力に男女差がないことは既に常識であるなら総理大臣だって女でマズイという理屈はないはずだ。例えば自社の女の役員や社員が、仕事を遂行する能力が男より劣っているとしても、ライバル企業だって同じように「男女の比率が役員・社員で同じ半数いる」のであれば、「企業の競争力」は対等のはずである。要は女だって「能力で選べばいい」ということなのだ。それに今やそんじょそこらの男より能力の高い女が、そこらへんにゴロゴロいる時代である。男もウカウカしてられない時代になっているのかも。
だから今後、女性記者の取材活動でセクハラ問題が起きたら、「事務次官の方を女にする」で解決なのだ、一件落着!
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