火野正平が二ュースで亡くなったと報じられた。75歳、私と同学年である。少し前から腰の圧迫骨折で休んでいて番組も一時中断していたようだが、ついに復帰叶わず、とうとう11月にあの世へ旅立ったとのこと。代表作「こころ旅」は火野正平ならではの個性あふれる素晴らしい番組だっただけにとても残念である。
こころ旅は地方の何気ない風景を自転車で巡るだけの番組で、最初火野も「こんなの見る人いるんかな?」と半信半疑だったという。だがごくごく普通の田舎道がそこに視聴者の「物語」を加えることによって、ただの景色が「心の風景」になるのである。そして番組を見ている視聴者にも「体験の共有」が発生し、見終わった後にある種の感動を覚えるような素晴らしい番組が出来上がった。今やNHKの看板番組にまで育ったとも言える。
こないだしばらくぶりに「こころ旅」を見たが代役が出ていて、余り面白くなかったのでチャンネルを変えた。ずっと火野正平のキャラで馴染んでいたせいか、他の人ではつまらなく感じてしまうのは仕方ないのかもしれない。他の人には無い火野正平の魅力とは何か?と言われれば、やはり人間としての「懐の深さ・包容力」じゃないだろうか。
では、包容力って何だ?と言われると中々一言で表すのは難しいが、母が我が子に向ける無償の愛というか、こちらの我儘を全て受け止めてくれて、なおかつ間違ったことをすると優しく正しい道に引き戻してくれるような、大きな慈愛で包んでくれる存在、と説明したい。例えるなら「仏」である。
自身は悩みも苦しみもなく超然とし、常ににこやかに我々を見つめてくれていて、我々はその掌の上で無邪気に遊んでいる。そうした存在の力を我々の側から見て「包容力」と言うのだと私は理解したい。勿論火野正平が持つ魅力というのは仏の持っている無限の包容力の「極々一部」のさらに縮小版だとは思うけど、とにかくそういうものを彼が持っているということが「人々から愛される人柄」を形作っていたのは間違いがない。
私は彼のどこがそう思わせるのかと考えてみたが、どうやら画面に映る「穏やかな笑顔」がそれを表していることに気が付いた。慈愛とは穏やかな笑顔のことである。あの包み込んくれるような優しい笑顔に出会うことはもう二度とないと思うと、何だか寂しくなってきた。今年のクリスマスはどうやら湿っぽくなりそうである。
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