明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

鏡を見て老いを感じる時

2017-01-25 22:00:00 | 今日の話題
最近鏡を見て老いを感じるようになって来た。髪が白くなったのは以前からのことで、今更悩むほどのことはない。頭の話で思い出したが、50代の前半の頃、彼女と横浜でデートした帰りに電車の窓に映る自分の姿の白髪混じりの頭にショックを受け、しばらくはえらく落ち込んで会話が途切れた事があった。自分で思っている自分のイメージと、実際の自分のギャップにびっくりしたのである。このギャップに気がつかないことが若さであると思っていたが、最近はどうも瞼が重いと感じることが多くなってきて、ギャップが避けられない事実となって現れたのだ。いよいよ私にも老化の足音が迫って来たのである。

瞼が重いというのは実際に目の上の部分が筋力の低下によって垂れ下がり、何となく「しょぼしょぼ」として顔全体というか人間全部が「どんより」しているのである。この「どんより」から意識が年寄り臭くなっているのか、意識が実際に年寄りになって来たので顔付きが「どんより」して来たのか、どちらなのかというと、私の考えでは前者である。人間の身体は一定の法則によって老化していく。従って67歳の私は65歳の時より当然僅かではあるが年取っている。これが如実に顔に出ているといえる。身体が衰えれば精神も老いる、しかしこれは逆を考えれば、体を鍛えることによって精神の若さが保たれる!ということでもあるのだ。

では実際にはどうするか。第一には、まず当然ながら瞼の筋力UPである。目をしっかり開けることは目力を強くする事にも繋がるので意識を若く保つ効果も期待できる。ものを見る時にぼんやる見るのではなく、そのものが何であるかを口に出して言う習慣も同時に身につけたい。年を取ると何でも「アレ、アレ」と指示代名詞で済ましてしまうが、これをやっちゃうと格段に脳が老けてくる。第二には、要は気力である。ひとつひとつの動作を「よっこいしょ」とのんびりやるか、若い頃のように「素早く」やるか、である。メリハリを付けて休む時は休み、動く時は意識してきっちり正確に行動することが大事である。あえて言うならば、トイレに行くにも目的意識を持つ事、言い過ぎではあるが。とにかくリハビリをやった経験から言うと、目的意識は必須である。

そして第三に、具体的な生活の改善であるが、テレビを見る時間を制限することをあげたい。なぜならテレビもしくはネットの YouTube のような番組や映像は、目的意識を持たずとも勝手に脳が反応して快楽を得られるサービスである。病気の時は何も出来ずにテレビを見るのが唯一の楽しみだったが今は回復も進んで、むしろ「何かを始める」時期である。私の考えでは、何をやるにしてもテレビは制限してしかるべきであると思っている。取り敢えず、見るのは一日3番組までに減らしてスタートとしようと思う。当然時間があくわけであるが、これを食べ物で埋めるとすると更に酷い事になるので要注意だ。食べずに集中力を持続させるのは非常に難しい。ついつい酒に逃げたくなるのも、悲しいかな快楽に溺れやすい人間の弱さである。

で結論だが、人間「何を成し遂げたか」ではなく「何をやろうとしているか」が大事で、これが毎日を精一杯生きていると言う証しだと思うのである。もちろん「やってみたい」と「やろうとしている」とでは、天と地の開きがある。そこに努力が加わることによって、初めてわかる真実があるのである。よって、テレビ番組を一日3本に制限し、本を10ページ以上読むこととし、甘い食べ物を3割減らして安易な快楽を取らないようにし、酒は1合に限定、一日のうちに何か意味のあることを一つ実行すること、である。それで今日はゴルフの練習に行ってきた。前傾姿勢に注意をし、ダウンブローに打つことに集中して150球ほど打って見る。5番ウッドも試しに打って見る。2、3球は良い球が出た。仕上がりは順調、4月のミニコースが待ち遠しい。だが頭を残してビハインド・ザ・ボールにするのがどうも難しい、と言うか、いまいち理解できない気がする。今度また練習に行って改善しよう。つまり未来に希望が持てるのである。

これが私の新しい生活ルールである。と言うかリハビリ第2ステージでもある。



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