歴史の誤魔化しという国家的犯罪を、また一つテレビで教わった。教育という恐ろしい刷り込みによって、歴史が見えなくなった良い例である。それは小栗上野介の存在を闇に葬った明治政府の偏向体質そのものである。しかし何故にこうも政府は歴史を歪曲するのだろうか。
幕末にペリーがやって来て日本の将来に危惧したのは、なにも薩摩長州だけではない。中国(清)が列強の侵略に蹂躙され、西洋の武力をマザマザと見た日本は、とにかく近代化を急いだ。日本の国民国家化に反する武家政権と徳川家は、何をおいても滅ぼさねばならない。
考え方は良い。だが日本人の大半は世界がわかっていなかった。それで武家政権を倒す為に天皇を担ぎ出し官軍という言葉を造語して、幕府軍は賊軍・新政府軍は正義というイメージを広めた。そのイメージ作りの一つが小栗上野介斬首という事件である。新政府は小栗上野介を捕縛した後すぐに斬首しているが、理由が謀叛の疑いというだけで不明であるという。
明治政府は今の時代で言えば反政府組織、悪く言えばテロ組織の集団である。テロ組織に共通の特徴として、相手を倒すことに熱心な余り後の事を考えていないという事がある。尊皇攘夷というのが幕末の潮流だったが、蓋を開けてみれば結局は、徳川の代わりに薩摩長州が権力を握り、開国して攘夷は口だけになった。
勝海舟が主役のように思われている咸臨丸のアメリカ行きは、実は小栗上野介等の使節団のワシントン行きを護衛して西海岸まで行っただけで帰って来たそうな。小栗上野介等はワシントンで大歓待を受けてアメリカの実力を目の当たりにして驚き、日本に何が必要かを痛感して帰って来ている。その成果は横須賀造船所となって、日本の近代化は始まったとある。
つまり幕藩体制側にも世界が見えていて日本の為に色々な事をやった人間がいて、薩摩長州側にも倒幕しか考えていないテロ集団がいる、そういう複雑な世相を正確に記録して子供達に伝える必要があると思うのである。西郷という人間や徳川慶喜という人間がどのような考えで何を目指していたかは別として、大きな流れは「日本の近代国家作り」という視点であろう。
日本を列強から侵略されない強い国にするにはどうすればいいか、これが江戸から明治に移る時代のキーワードである。それが明治の教育制度の中で歪められ、戦後70年も経っているのに未だにその真実が見えてこない。今の歴史学者の殆どが、日本の「虚像」を信じてきた連中であるから、まず学会から解体するべきであろう。歴史を英雄談から解放して、本来の「科学」に戻す必要がある。
本能寺の変は誰が犯人か?という謎解きは誰しも興味があるが、本当は誰でもいいのではないかと思ったりする。日本を統一しようとする勢力と群雄割拠による戦国時代を継続しようとする勢力との戦いとみれば、いずれにしても徳川あるいは徳川のような統一国家が出来ていた事は間違いない。その時「鎖国」を選択した事が、果たして400年経った今の時点で正しかったかどうか?それを考えるのが歴史を学ぶということである。
歴史はヒーロー物でもクイズでもない、学ぶべき学問である。それは未来をどうするか?ということでもある。その未来が「日本の未来」ではなく「人類の未来」であるかもしれない。そこまで考えたのが小栗上野介であると言う。日本の学校教育の場でもっと小栗上野介の事跡を勉強するようになれば、日本の未来も明るいのだが。
幕末にペリーがやって来て日本の将来に危惧したのは、なにも薩摩長州だけではない。中国(清)が列強の侵略に蹂躙され、西洋の武力をマザマザと見た日本は、とにかく近代化を急いだ。日本の国民国家化に反する武家政権と徳川家は、何をおいても滅ぼさねばならない。
考え方は良い。だが日本人の大半は世界がわかっていなかった。それで武家政権を倒す為に天皇を担ぎ出し官軍という言葉を造語して、幕府軍は賊軍・新政府軍は正義というイメージを広めた。そのイメージ作りの一つが小栗上野介斬首という事件である。新政府は小栗上野介を捕縛した後すぐに斬首しているが、理由が謀叛の疑いというだけで不明であるという。
明治政府は今の時代で言えば反政府組織、悪く言えばテロ組織の集団である。テロ組織に共通の特徴として、相手を倒すことに熱心な余り後の事を考えていないという事がある。尊皇攘夷というのが幕末の潮流だったが、蓋を開けてみれば結局は、徳川の代わりに薩摩長州が権力を握り、開国して攘夷は口だけになった。
勝海舟が主役のように思われている咸臨丸のアメリカ行きは、実は小栗上野介等の使節団のワシントン行きを護衛して西海岸まで行っただけで帰って来たそうな。小栗上野介等はワシントンで大歓待を受けてアメリカの実力を目の当たりにして驚き、日本に何が必要かを痛感して帰って来ている。その成果は横須賀造船所となって、日本の近代化は始まったとある。
つまり幕藩体制側にも世界が見えていて日本の為に色々な事をやった人間がいて、薩摩長州側にも倒幕しか考えていないテロ集団がいる、そういう複雑な世相を正確に記録して子供達に伝える必要があると思うのである。西郷という人間や徳川慶喜という人間がどのような考えで何を目指していたかは別として、大きな流れは「日本の近代国家作り」という視点であろう。
日本を列強から侵略されない強い国にするにはどうすればいいか、これが江戸から明治に移る時代のキーワードである。それが明治の教育制度の中で歪められ、戦後70年も経っているのに未だにその真実が見えてこない。今の歴史学者の殆どが、日本の「虚像」を信じてきた連中であるから、まず学会から解体するべきであろう。歴史を英雄談から解放して、本来の「科学」に戻す必要がある。
本能寺の変は誰が犯人か?という謎解きは誰しも興味があるが、本当は誰でもいいのではないかと思ったりする。日本を統一しようとする勢力と群雄割拠による戦国時代を継続しようとする勢力との戦いとみれば、いずれにしても徳川あるいは徳川のような統一国家が出来ていた事は間違いない。その時「鎖国」を選択した事が、果たして400年経った今の時点で正しかったかどうか?それを考えるのが歴史を学ぶということである。
歴史はヒーロー物でもクイズでもない、学ぶべき学問である。それは未来をどうするか?ということでもある。その未来が「日本の未来」ではなく「人類の未来」であるかもしれない。そこまで考えたのが小栗上野介であると言う。日本の学校教育の場でもっと小栗上野介の事跡を勉強するようになれば、日本の未来も明るいのだが。
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