1、久しぶりに見たバレーボールが凄い
少し前に見た男子バレーの対中国オリンピック強化試合の話題だが、見たこと無いような「超激しいアタック合戦」の応酬で、今までのバレーのイメージを覆すようなド迫力の試合だった。昔はアタックといっても「切れ」が重視されたような印象があったが、今の男子バレーは言うなれば「コノヤローッ!」とか「ぶっ殺してやる!」とか言うような殺気立った肉体と肉体とのガチンコ勝負でぶつかり合う雰囲気で、ゲームで言えば「破壊合戦」のようなテイストで戦っているから、一種爽快感さえ感じられると言っても過言ではない。私は余りバレーボールを見たいとは思わないが、卓球などを見ている限りは「迫力あるラリーや渾身のスマッシュ等」など、もはやピンポンの枠組みを超えた「アスリートの戦い」になっていることから、スポーツ全体で日本選手の底上げが出来ていると感じた。ニッポン中々やるね。ちなみに伊藤美誠の腕の筋肉が凄いことになっている、と言うのはテレビでやっていた。
2、紀州のドンファンは墓の中で何思う?
奥さんが殺人容疑で逮捕された。私としては個人的に「起こるべくして起きた」騒動だと考えていて、格別興味もなく「へぇーッ、そうなんだ」程度の反応しか無い。この事件は奥さんが犯人にしろ無実だったにしろ、大方の関心は13億円の遺産を「誰がいくら貰えるか」という、言わば下世話なノゾキ趣味に興味が集中していて、誰も被害者「ドンファンの無念を晴らす云々」を論じていないのは「喜劇」である。まあ、どういう形で決着するにしても、世間の風評や見た目の判断による冤罪だけは避けていただきたい。既にSNSなどでは遺産目当ての腹黒い妻が、薬物を使って殺したに「決まっている」と憶測が飛び交っている状態だ。これでは裁判するまえから答えが出ちゃっている。やはり憲法で保証された個人の権利は守られなければならない。唯一、第三者として良かったなと思う点は、この事件の犯人に対して「それほど怒りを感じない」ことである。何しろドンファンがこの世を去って、悲しんでいる人は「ほぼ居ない状況」のようなのだ。「どっちだっていい」とまでは言うつもりはないが、私はごく普通の殺人事件でいいのじゃないか?、と思っている。つまり、殺人者には相応の罰を与えよ、である。
3、今お気に入りのCM美女
最近毎日のように見かけるCMに「サテライトオフィス」というのがある。出てくる美女は「篠崎愛」というグラビアアイドルで、私はよく知らなかったが実に魅力的である。とにかくたっぷりめのボディにオフィススーツが妙に似合っていて、おまけに癒やし系のほんわかした顔つきが、疲れた心をやんわり鎮めてくれるのだ。ネットで調べると彼女、2020年に韓国の雑誌で「歴代表紙ランキング1位」に選ばれるなど、国内に比べると「海外では」それなりに人気があるようである。ついでに血液型はA型だそうで、なんとなく雰囲気で「そうじゃないかなぁ・・」と思っていた。A型は、何故か私が一方的に惚れる一推しタイプである。それでなのかどうかは分からないが、残念なことに今までの経験では何故か「お友達」にはなれないようだ(何いってんの?、血液型が何であろうともアンタには無理!)。とにかく、テレビに彼女のCMが流れるとガン見してしまうのは、とうとう私も老人性痴呆症を発病したかも。おお、怖い。
なお、ステップアップツアーで活躍しているプロゴルファーの篠崎愛とは別人なので、勘違いしないように。
4、意欲と老化
先日録画しておいたブラタモリを見て「おっ、タモリも老けたね」と驚いた。実は2015年に放送された6年前のものを再構成して放送しているとのことだが、そこに出てくるタモリの「若さ」にビックリしたのである。全体的に肌の色艶が良いのと髪の毛の張りがあること、それに歩き方や動きの俊敏なことなど若さが歴然としているのだ。そして何よりも「会話のテンポが速い」というのが目についた。「若さは声に出る」とはよく言ったものである。しかしたった5年やそこらでこれほどの違いがあるとは驚きだ。私も自覚はないが、傍目には相当衰えていると思って間違いはない。とにかく最近のタモリを昔の映像と見比べると、その変わりようには想像以上のものがあった。最近80歳位で有名人が次々と亡くなっている。私も既に70の坂を超えた。これからは真っ逆さまに衰えていくんだろうか。
あと10年で80歳、そろそろ私も年貢の納め時かなぁ・・・。
5、オリンピックの開催是非が問われているそうだが、結論から言えば、しっかり感染対策をして無観客で試合をすればいいのではないか。私はそう考える。
あえて理由を言うならば
① オリンピックはコロナ感染とは無関係
サッカーでも野球でも無観客だが試合はやっていて、特に問題なく出来ているから何故「オリンピックだけ」がだめなのか、開催はダメだというはっきりした科学的根拠は見当たらない。外国人選手などが大量に入ってくると言うのであれば、テニスの全豪オープンで取った「バブル方式」でやれば特に問題はないと思う。要するに「オリンピックをやると感染が広がる」という根拠は、今の状況で言えば「ない」といえる。
② では何故6割もの国民が開催に反対なのか
現在コロナ変異種が蔓延し始めていて、大阪に続き東京でも感染爆発が懸念されている。この状況を止めるには、皆な「何かやらねば」と思っているのだ。だから酒類の提供から百貨店の休業要請まで、「不要不急の楽しみ」は片っ端から中止するべきだと言い立てる人が一定数出てくるのは仕方がない。とにかく人流を止めれば何とかなる、という意見だ。これは科学的な判断ではなく、言わば風評被害みたいな「とにかく休業の合唱」である。だが、不要不急とはなんだろうか?。もし人流を止めたいのであれば「全業種、会社を休業要請」すれば良いのではないか。そう言うと「働かなければ食っていけないのだから、不要不急とは違う」と反論するだろう。しかし、居酒屋をやっている人は「酒類提供が生活を支える仕事」なのである。居酒屋の経営者や従業員にしてみれば、不要不急どころか「おまんまの食い上げ」なのだ。勿論、客側は不要不急の外出をしていることになるのだろうが、居酒屋側の人にしてみれば「真剣に努力している一般人」なのである。それをコロナ対策に非協力的だと糾弾するなら、自分も「会社を休んで無給になってから」発言すべきだろう。但し、厳格な感染対策を施して営業するのは当たり前である。
③ そんなに日本は酷い状況なのか
中国ではコロナが発生したら人口1千万都市の武漢でさえ「完全封鎖」して根絶するという、非民主的方法を取って何とか乗り切った。今では感染者も殆ど出なくなって、国全体がコロナから抜け出した感がある。日本も世界から比べると「比較的感染者が少なく」て、インドの「1日の死者4000人」という悲惨な状況と比べれば「全然普通に生活出来る」レベルである。実際自分の身の周りで「コロナ陽性者」が出ていない人も大勢いて、コロナ感染が蔓延しているとの実感がないのではないか。いくら今日の感染者とかテレビやニュースで騒いでいても、コロナの被害を「目の当たりにしている人」は少ないのではないかと思う。話には聞いていても知人や家族が実際に感染するまでは、実感が沸かないのは当然である。気をつけて生活を続けていれば自分は多分感染しないだろう、というのが殆どの人の肌感覚だと言える。だから感染の増加は「気の緩み」が原因などと揶揄されてはいるが、知ってる人に感染者がいないのだから実感としてはいつもと変わらない。どんなに「医療が逼迫してる」と言われても、いままで感染してない以上「これ以上どうしろと言うのか」というのが本音だろう。インドやブラジルなどから見れば、日本はコロナなんか問題ないじゃないか、と言われても不思議ではない。一日1000人程度の感染者という現状は、40万人のインドと比べれば騒ぐほどの状況ではないというのが妥当なところだろう。
④ では本当に解決すべきは何なのか
日本の医療体制が思ったほど強くなくて、特に感染症に対して脆弱だというのは早くから指摘されていた。コロナが爆発的に蔓延しているといっても医療体制が充実していて、陽性者が全員「キチンとした治療を受けられる」状況であれば、オリンピックに反対しようという人もいないのではないか。要は医療体制がコロナに追いついていないから「問題なのである」。何故医療体制が追いつかないのかは、医療を統括する厚生労働省と医師会が必死になって取り組むべき問題であるのは間違いない。多少は改善の兆しが見えてはいるものの、まだまだ逼迫している状況には変わりはない。これは厚労省や保健所が病院・医師会と共々「責任を負わなければならない」問題だと思う。あえて日本のコロナ被害をここまで肥大させた元凶を言うならば、まず第一に「医療の脆弱体質」を批判すべきである。医療体制が完璧に揃っていればという前提の上でだが、コロナは「インフルエンザよりちょっと重い程度」の、別にどうってことない感染症に一種であると言える。コロナ被害の「本当の原因」を間違えてはいけない。
⑤ 経済が全て
人間が生きて生活していくためには、国民全員が縄文時代の狩猟採集生活にもどるのでない限り、経済活動が不可欠である。衣食住はもとより交通や通信や学校や医療にいたるまで、ほとんど「経済活動以外」のことをしている人はいないと言っても過言ではない。遊びに行く時でも、途中で立ち寄るお店は「必死で経済活動を行っている」のだ。最早、経済活動を伴わない行動を挙げるほうが難しい、とも言える。コロナと向き合って尚且人々が生きていくためには、感染対策をしながら「最大限、経済活動を続ける努力」が求められてしかるべきだ。努力し続けること、それが生きていくという事なのだ、と私は考える。コロナを怖がって経済活動をやめたら、我々は死ぬしかないのである。それが分からない人は何もしなくてもお金がもらえる「年金暮らしの高齢者」だけだろう(私もその一人だが・・・)。
以上である。
私は元々オリンピックには興味がない人間だが、この前テレビで聖火リレーを道端で応援している「おばあちゃん」のインタビュー映像を見て、オリンピックへの考え方が変わった。その老婆は聖火リレーを見て「こんな素晴らしいものを生きているうちに見られて、私は幸せです」と答えていた。これはテレビ局のヤラセではないだろう。世の中には日本でオリンピックを開催できることに「無上の感慨」を覚える人が「まだまだ全国には大勢いる」んだな、と知ったのだ。道端で聖火リレーを見るだけの観客ですら感動しているのだから、それに出場して試合できる選手達にしてみれば、「一生に一度」しかない「千載一遇の大チャンス」ということが良く分かる。日本代表に選ばれた人たちにとってみれば、夢にまでみた「東京オリンピック」という大舞台なのだ。彼らが「人生をかけて」練習に明け暮れて来たのは他ならぬ「この日のため」であることは疑いようがない。競泳の池江璃花子に「オリンピック出場辞退」を求める声が物議を醸しているようだが、それを彼女に要求することが彼女にとっては「人生を諦めろ」という事に他ならない、というのが分からないのだろうか。それは言われた選手達にとっては、殆ど「死ね」というのに等しい重みを持って迫ってくる言葉なのである。私の好きなゴルフや卓球にしても、出られるものなら「何としても出たい」というのが本音なのだ。彼らの夢を奪う権利は、あなたには無い!
今日国会で、コロナ蔓延下でのオリンピック開催をどう考えるか?、と野党議員が質問していた。国民の命とオリンピックとどっちが大切か?、という論法だ。しかし芝居がかった質問の勢いに比べて、その内容の空虚さには大いに失望した。コロナ蔓延とオリンピック開催が関係ないのは、私の論証からも明らかである。もし多少とも関係があるとすれば、医療従事者を200人ほどオリンピック用に回さなければならないこと、ぐらいであろうか。しかし、オリンピックを開催するにしても百貨店を営業するにしても、またサッカーや野球や「一般の会社を営業していれば」医療従事者は当然その分必要になる。どこからどこまでが必要不可欠で、どこからが不要不急な医療従事者かという線引は、簡単ではない。というか経済活動をするのであれば「皆んな必要不可欠」なのである。オリンピックだって選手にすれば「人生を賭けた」一回勝負の場なのだ。このチャンスを逃したら、もう「二度と来ない」夢舞台なのである。人生の一大目標を前にして全身全霊で戦おうとしている人間に対して「幸運を祈る!」と言えないような品性下劣なヤツは、そもそも国民の幸せを語る資格など無いと思う。だって、選手達も国民の一人なのだから。
以上の説明からもわかると思うが、コロナが蔓延しているからスポーツを中止するというのは科学的根拠に基づく判断ではなく、「私達が我慢しているのに、オリンピックなんかで騒ぎやがって!」という、自粛警察的な八つ当たりだと言えると思う。オリンピックだって感染対策をすれば、無観客で開催するのに何の問題もない。そうすれば放映権料の違約金も発生しないし、IOCも満足だろう。政府も経済損失が最小限に抑えられ、選手も夢舞台に立つことが出来て八方丸く収まって万々歳なのだ。国民も長いコロナ自粛で心底ウンザリしているから、メダルを取って日本の国旗が上がるのを見れば、ストレス発散になって免疫力も爆上がりするってもんである。
それに、もし私が運悪くコロナに罹って、重症者用の酸素吸入器を装着されてベッドに横たわっているとしようか。私は何もすることがなく、ただ死を待つのみである。そんな中、唯一私に残された楽しみと言えば「オリンピックの試合をテレビで見ること」だけ、と言うのは十分考えられるシナリオではないだろうか。死ぬまでの何日かをぼんやり天井を見て過ごすより、「伊藤美誠の金メダル奪取」を見て満足して死ぬほうが「よっぽど幸せ」だと思うよね。勿論、私がコロナに罹ったとして、の話だが。
それにしても、今もベッドで苦しんでいるコロナ患者や癌患者やその他の重病人にしてみれば、日本人のオリンピックでの活躍こそ「死ぬまでに一番見てみたい番組」になることは間違いないと私は思う。オリンピックとは、それだけの感動を与えてくれる素晴らしいスポーツだと私は思う。最後まで一所懸命に開催に向けて努力しようとせずに、ただ「医療の邪魔」になるから簡単に中止する、などという安易な発言は野党と言えども許されることでは無い。コロナとオリンピックの問題は、精一杯努力して何とか開催しようよ、という国民共通の目標である。ここは何とかしてやってみようではないか!。
おまけ:私個人は、オリンピックにはそれほどの価値を感じていない。何より「日の丸を背負って戦う」というナショナリズムが嫌いである。どちらかと言えば国がどうこうではなく、個人レベルで争う「世界選手権」でいいのではないか。大阪なおみがアメリカ代表で出てきて金メダルを取っちゃったら1億日本国民がどう思うか・・・、なんてことで悩む必要がなくなって、素直に大阪なおみを応援出来ると思うんだけど。
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