明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ブラタモリのちょっと変わった読み方

2018-08-12 23:49:29 | 今日の話題
ブラタモリの面白さを再認識したと言う話。例えばマグマが冷えて固まったのが花崗岩、それが風化して真砂となり、美しい白砂の海岸は元はマグマだという説明。ブラタモリは勉強になる。下関と門司の間の関門海峡は、もともと一つの大きな山が雨で削られて真ん中のマグマ(花崗岩)の部分が凹んだことで出来た地形だということらしい。京都の東山にも同じような地形があって、「泥岩」という表層がマグマの高熱によって固くなった石を「ホルンフェルス」というのだそうだ。実に科学的な話だが、番組的にそれを面白く分かりやすく見せてくれるところがいい。小さい子供には余り受けるとは思わないが、中年以降の世代には笑いも取りつつ勉強にもなって、格好の教養番組である。隣の女性アナウンサーは「介護老人の外出に付きそう医療スタッフ」という役割に見受けられるが、ちょっと言い過ぎかな。

それにしてもこういう番組に必ず女性、それも若い女性を用意するテレビ界の趣向は「番組に彩り」を添えるためだと思うが、そろそろ飽きてきた。たまにはブラタモリにも、ハイレベルな知性の持ち主(女性)と丁々発止の知識のバトルをする、なんて展開があっても面白いのかなと思う。番組は海岸に渡って岩石を調べ、2つの山が元は一つのマグマの噴火から排出された花崗岩の山で、それが雨に侵食されて出来た凹みであるとタモリが見抜いて「ほぉー?」となる。地形を読み取ると海峡の生い立ちが分かる。まぁ、だから何だとも言えるが。それで船に乗って色々話をしていると、解説者が下関の海峡を通る船の数に話を誘導した。下関が一日千艘の船が出入りするという大発展を遂げた理由について、東アジアの各地から瀬戸内海を通過して大坂との交易を図る、という目的があったようだ。そのため下関には文字通りの「関所」があったのだ。今度は「なるほどねぇ」と一同うなずく。

下関と門司の間にある狭い海峡が、なぜ幕末に大きな存在を持ってきたのか。生産地でもなく消費地でもない、しかし物資が大量に出入りする場所、それが長州藩が幕末に維新の主役として日本をリードした理由である。長州藩というのは幕末で佐幕派の開国に反対した勤皇の志士だから、尊王攘夷で外国を排除するのが建前の筈なのに、民衆レベルで海外との接点が日常的に拡がっていたのだ。歴史は結局は「経済」である。経済への発展が指し示す未来への民衆の力が、長州や佐賀を突き動かして維新を成し遂げたのである。だが維新では「倒幕」というもう一つのキーワードが車の両輪のように回っている。

土佐や薩摩も含めて尊皇攘夷の志士は「何が何でも徳川から政権を奪取」しなくては気が済まなかった。日本の支配を幕府から奪うことが第一命題だっとのだ。だから反対する勢力を結集するために「権威の象徴である天皇を担ぎ出した」のである。徳川慶喜は開明的な君主で外国との貿易も考えているし、武力を増強して「清の二の舞」にならないようにすることも理解していた、と私は思う。だが幕藩体制とそれに連なる商人の利権が役人と強固に結びついて出来上がった社会秩序は、内部から崩すには「余りにも時間がかかる」のである。それで維新でガラガラポンをするしかなかったのだ。

なのに天皇を持ち出したことで「せっかくの正しい目的が曲がってしまった」のである。どう曲がったかと言うと、幕府将軍の代わりに民主主義が出来上がるはずの所が、代わりに「天皇制」が出来上がってしまったのだ。その結果として日清・日露から太平洋戦争まで突っ走って、日本を敗戦の憂き目に晒したのである。

何事も「目的を明確にする」ことが成功の秘訣である。たとえ困難な道であろうとも、「天皇という過去の権威を利用しよう」などと考えた公家の時代遅れな意識は、きれいさっぱり幕府と共に「葬り去る」ことが必要であったのだ。私は幕末の倒幕運動を「維新」でひとまとめに片付ける考えには賛同しない。維新は「階級社会の積年のひずみと、多くの不平不満と個々の動機がからんで」いる非常に複雑な歴史の流れであった。何が最適かといった問は無意味であるが、下関一つ取ってみても「歴史を考える種はたっぷりある」と言える。そんな思いを持ちながらブラタモリを見終わったが楽しい1時間である。「そういうのは本意じゃないけどね」とかタモリから言われそうだが、私としては大変勉強になる番組である。

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