明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本のボール回しは恥なのか?

2022-12-25 16:13:00 | スポーツ・ゴルフ
私の答えは、日本のボール回しはもうサッカーではない、である。私も他の人と同じに生でポーランド戦を見ていたが、日本が決勝ラウンドに行けたことを素直に受け入れることが出来なかった。なんかモヤモヤしてしまったのだ。その後日本でも賛否両論が噴出し議論が起きていることについて、私も一人のサッカーファンとして意見を書いておきたいと思うようになった。「サッカーを愛する者として」というほどのファンではないが、この話題はスポーツ全般に関わる問題でもあるので考えをまとめておくことも大事だと思ったのである。まずは問題点をお浚いしておこう。

日本はポーランドと引き分け以上でベスト16に行けた。西野監督のプランも「悪くても引き分け」だったと思う。先発メンバーを6人入れ替えたのも「最初から引き分け狙い」だと見えた。本来は先発メンバーは固定するのが常識である。1、2戦ともそれなりに戦って「まぐれ」ではあるが結果も出ていた。中3日しかないといってもヨーロッパリーグではよくあるスケジュールである、選手も海外組が殆どだから慣れている筈なのだ。一部マスコミなどでは決勝トーナメントを見据えて主力を温存したともとれるような記事があったが、日本にそんな余裕はなかっただろう。何しろFIFAランク61位の日本が、連敗中で弱っているポーランド相手とは言え、同ランク8位の強豪と戦うのだ。先発入れ替えはディフェンス力のある岡崎をトップに入れて引き分けを目指す、そういう意図がはっきりしていたと思う。この戦略変更には本田の意見がだいぶ効いていた、という情報も伝えられているが、試合に出られない控え選手の意見を汲んでの変更だとしたら、それこそワールドカップは遊びではないと批判されるであろう。本田の意見もあくまで引き分けるためだった、と考えておきたい。だがそれにしても6人はやり過ぎではないか。

乾や原口や香川や大迫というメンバーは、攻めには威力を発揮するが守りに特化したメンバーではない。だから武藤にしても、足が早いということでカウンターを仕掛けられる「守り重視」の選択である。攻撃には余り人数を掛けず、積極的に点を取りに行くと言うよりも、カウンターを警戒しつつチャンスがあれば少人数でシュートを撃って、失敗したらすぐ帰ってくる戦略である。前半の戦いはほぼ予定通りであったと感じた。ただ川島と宇佐美の選択はどうかな?と思ったのだ。宇佐美はちょっと運動量が足りず緩慢なプレーぶりを指摘されていたようなので、もっとタフな走り回れる選手のほうが良かったのではないだろうか。もちろん対人ディフェンスとか足許のボール捌きとか、サッカーはいろいろな要素があり一概には言えないので「そんなもんかな」という程度ではあるが。問題は川島である。吉田が川島を「日本人で唯一ヨーロッパで活躍しているGK」だと擁護しているようだが、素人目に私が思ったのは彼がセービングする時に「ゴールを割った位置に飛ぶ」という致命的な欠点を持っている選手であるということだ。コロンビア戦かセネガル戦かは忘れたが、相手のシュートを「ゴール内でキャッチ」していたのが記憶に残っている。サッカーはボールを自陣に入れないようにするゲームである。キーパーはどんなことが有っても「ゴールラインより前でボールを止めなくては」ならない。つまりキーパーのプレーエリアは「ゴールラインより前」なのだ。なのに川島は、相手のシュートを「ゴール内でキャッチ」しているのである。本質的にキーパーとしては「失格」であろう。

ポーランド戦でも「スーパーセーブ」と讃えられている左隅へのシュートを右手一本で掻きだしたプレーをよく見ればわかると思うが、彼はゴールの「内側に向かって」飛んでいる。結果はギリギリでゴールラインの前で弾いたからセーフだったが、一歩間違えれば「弾いたのに既にゴールに入っていた」結果になっていた可能性も否定できない。ゴールライン前でもゴールライン内側でも「ボールを弾き出すタイミングには余り変わりない」のではなかろうか。私はサッカー経験がないので分からないが、この点は専門家やプロのGKコーチの意見を聞いてみたい。それに川島の横ジャンプだが、彼は飛ぶ前に「一旦沈み込んで、それからジャンプ」している。誰しもきっかけとして沈み込むのはあると思うが、川島のは「動きが大きく時間がかかっている」と思う。キーパーは常にジャンプする想定で腰を落としているはずだから、あんなに映像でもはっきりわかるような「よいしょ」というようなジャンプ準備動作をしていたら、横っ飛びしてボールを止めることなど出来ないのではないだろうか。これも「欠点とは言えないが、弱点である」。

さらにポーランド戦でフリーキックからゴールを決められた時の位置についてだが、相手FWは左後方から飛んでくるボールを「ゴールを見ずに」蹴るわけだから、当然キーパーの位置によって蹴る方向を変えることは現実には出来ないと思う。相手のボールが目の前の選手の頭を越えて飛んできた瞬間、あるいは蹴ったボールの軌道と回転から、ボールは自分と選手達との間に落ちると分かるはずである。案の定ボールは左側(川島から見て)にいた相手FWの前に飛んできた。この時ディフェンダーは吉田・酒井高徳・あと宇佐美(たぶん)である。3人もいた。結果論だが「なんかやりようがあった」という気がしてならない。勿論フリーキックの名手というのはいろいろな弾道でボールを蹴り分けるから、センターを狙っていると見せて、ちょっと高めの球で後ろに落とすようなことをやっていたのかもしれない。しかしそれもサッカーの一つの戦術である。百戦錬磨の海外組がそれを知らなかったというのは信じがたい。これは吉田も言っていたようだが、集中力が一瞬欠けていたとしか言いようがないだろう。それがFIFAランク61位の実力でもある。だがそれにしても川島はなんで相手ボールが相手FWの頭を越えると分かった時点で「立ち位置を想定落下地点の正面に移動させなかった」のだろう。映像を見る限り、彼は同じ位置でボールの行方を見ているだけである。まあ時間が一瞬のことだからとも言えるが、「その一瞬の位置をこまめに変える」のが一流キーパーの証拠ではないだろうか。事実川島は相手FWが足を伸ばしてボールを触るまで「動いていない」ように見える。私はコロンビア戦・セネガル戦で数々のミスから失点していた川島を、「ここ」という時に代えなかったことが西野監督の最大の失敗だといいたい。

スペインのデ・ヘアのような超一流キーパーですら、ミスして物議を醸すのがワールドカップである。バロンドールを5回も受賞している世界的なアタッカーのメッシですら、ちょっと動きが悪いと国民から袋叩きに叩かれる。キーパーはいろいろな役割があって、単純に一言で片付けられるほど簡単ではないが、出場する選手の中で「一番代えられない」のがキーパーなのである。控えキーパーとはまさに「万一の時」の予備でしかない。だから今回のW杯人選に当たって、最初から中村を正キーパーで戦うべきだった、と私は思う。今からでも遅くない、決勝ラウンドでは川島の致命的欠陥がゲームを壊す前に、西野監督は決断すべきではないだろうか。セネガル戦で目の前にいる相手FWの膝にボールをパンチングした滑稽なシーンは、海外メディアの大いなる笑いを取っていた川島だが、実際ミスとは言えない「有り得ない選択」の結果である。キーパーが目の前に相手の選手が詰めているのを「気が付かず」にいること自体が、彼の「プレッシャーに弱いテンパり体質」を如実に表している。これを単なるミスと片付けていては、キーパーは務まらない。選手も分かっているはずである。西野監督はいろいろなしがらみを捨てて、勝利のために決断をして欲しいと思う。

で、肝心のポーランド戦でのボール回しであるが、西野監督もインタビューでも言っている通り、後半にコロンビアが1点取るまではプラン通りに戦っていたと思う。勿論、川島のミスからポーランドに1点取られているわけだから、少なくとも点を取って「引き分けに持ち込まなければならない」ことは分かっていた。だから岡崎を大迫と代え、乾を入れて点を取りに行ったのである。相手カウンターのリスクを冒してまで前掛かりで攻めていた、その時にアシスタントコーチから「セネガルが負けているので、このままでも決勝に行ける」との情報が入ったのだ。そこから西野監督が決断するまでには「6分」もかかったのである。これは「如何に有り得ない選択だったか」の証拠はないだろうか。ボール回し擁護論を支持する人はこの「苦渋の決断」を無視して、あの判断は当然とか普通とか日本が成熟している証だとか騒いでいるが、そんな「普通に出せる結論」でなかったことを忘れてはいけない。勿論西野監督が迷っていたのは「スポーツマンとして称賛される判断」ではないといった「態度」の問題ではなく、「もしセネガルが点を取ったら」という不安が頭を横切っていたにちがいない。それでも迷った末に「戦わないままゲームを終わらせる」ことを選択した。かれの判断は正しかったのか、それがこのブログの本来のテーマである。

ポーランドは勝っているので「攻める必要がない」。これが0−0の状況なら例えセネガルが負けようが引き分けようが、このままの状態を必死に守って引き分ければ良い。選手も結果に満足し、各国メディアも61位の日本の組織された守備に称賛の声を送ったことだろう。だが状況は「フェアプレーのカード枚数でセネガルに優っている」だけの同格なのである。このまま勝ち上がれる保障は全然ない。セネガルが点を入れてコロンビアと引き分けたら、ポーランドに1点負けている日本はグループリーグを敗退してしまう。どうしたらいい?だが点を取りに行くには危険が大きすぎる。まだ10分もあるのだから、シュートを5、6本打たれてゴールされるかも知れず、それを防ぐために「イエローカードを食らったら元も子もない」と西野監督が迷ったのも当然である。カウンターも怖いが、一番怖いのは「守備に必死になってカードを貰う」ことである。

結局選んだのは「逃げ」のボール回しであった。これはサッカーではない。サムライジャパンという名前は返上するのは当然にしても、ワールドカップという4年に一度のサッカー世界一を決める戦いに、負けることを選択するようなチームは、そもそも参加する資格はないのである。勿論グループリーグであるから先に2勝したチームが主力を温存して、結果として負けることはあるかも知れない。しかし控えから消化試合に出た選手は勝つことはあっても「負けることなんか考えてプレーしている者は一人もいない」のである。例え監督から「負けてこい」と言われてピッチに送り出されたとしても、まるで「八百長をしろ」と言われているような不本意な状態であったのは間違いはない。攻めながら泡良くばゴールを目指し、それでいてカウンターには細心の注意を払って絶対に点は与えない、という戦いが出来ればよかったのだ。しかし如何せんFIFAランキング61位である、「絶対に点を取られない」と言えるほどの鉄壁の守備があるわけではないのだ。ポーランドに2点目を入れられたら、すべてがオジャンになってしまう。攻撃は最大の防御である、スペインのように「相手陣地で華麗にボール回し」が出来れば、メディアもこれほど文句を言わなかったと思う。だが日本がやったのは「あからさまな自陣最深部でのボール回し」である。ポーランドもこれではどうしようもない。10分だけでも守り切ることはできなかったのだろうか。

結論として、このような「全く戦意のない」チームには、イエローカードを出すのが妥当だと思う。ボクシングでは戦う気がなくてクリンチを繰り返す選手にはレフェリーが注意を与えて戦うことを要求する。度が過ぎれば採点に影響が出る。バドミントンではトーナメントで次に当たる相手を撰ぶために、わざと負けることが取り沙汰されて論議を呼んだことがあった。他のスポーツでも似たような問題があって、やはり何らかの規制が必要だとの意見が多いようだ。原則論を言えば、強いチームが勝ち上がって世界一を決める、それがワールドカップである。だから死闘の末に上下が決まらなかった場合は、私は(翌日でもいいから)ペナルティキックで決着すべきだという米メディアの主張が正しいと思う。PKならどちらが勝っても「とにかく上回っていた、強かった」と言えるからである。だがフェアプレー賞というのはあっても、カードの数で勝敗を決定するという戦いは聞いたことがないし、現実にも「今回のワールドカップ以外には存在しない」のではないだろうか。日本が決勝トーナメントに行けたのは「ただカードが2枚少なかった」だけ、という汚名がいつまでもついて回る事になってしまったのである。正々堂々潔く散ることを至上の理念としてここまで生きてきた日本人が、もっとも嫌がる「逃げ回って、ルールに助けられて次のステージへ」行ったというのだ。最悪である。

FIFAの判定に一言の文句を言わずに去っていったセネガルの監督に、逆に日本の魂を見た、という気がしないでもない。セネガルがフェアプレーで勝ち上がることだってあるのだから、この監督が正々堂々と戦うのがサッカーだと思っているなどとは勿論言えないが、次のベルギー戦では日本を応援する国が激減することは間違いない。だって「強くなかった」のにカードが少ないという「どうでも良いような変なルールのおかげで」グループリーグを抜けて決勝トーナメントに出てきたのだから。少なくとも試合の中で勝ち負けを決めてこの決勝トーナメントにたどり着いた他の15チームからすれば、「何でいるの?」という感じで見下してしまうのはやむを得ないことではないだろうか。これが選手のモチベーションに影響を与えなければいいのだが。

とにもかくにも日本は決勝トーナメントにたどり着いた。FIFAランク61位の日本にして見れば、どんな手段を使っても行きたかったベスト16である。だがグループリーグとベスト16との違いは、これほど物議を呼ぶ問題なのだろうか。日本とセネガルは結果は違えど「力の上では互角」の戦いをした。日本が決勝トーナメントに行けたのは偏に「コロンビアのミスで一人退場」したせいである。しかし2−1で勝ったのだから、やはり日本が実力でも「コロンビアに迫っていた」のは事実であった。FIFAランク61位というのは、こと日本に対しては低すぎると言える。セネガルもポーランドを撃破しているからグループHは実力伯仲だったのだ。日本の戦いで言えば、2戦とも川島の「信じられないミス」から失点して楽に勝てる試合を引き分けたり失ったりしたわけだから、GKを中村にしてポーランド戦に臨めば、何も姑息なフェアプレーによる「お情け」突破などという非難轟々の悪評に塗れることなく、正々堂々勝負して結果引き分けたという立派な評価を得て「胸を張って決勝トーナメント進出」出来たはずである。西野監督はもっと選手を信頼して戦うべきではなかったのか。私はそこが今回の騒動で一番気になった。目の前の選手を信頼せず、他会場の結果にすべてを委ねる「ギャンブル」を選んだということで、日本の美学あるいは「戦う集団」としての日本チームのアイデンティティは永久に失われてしまったと残念でならない。仮に点を取りに行ってポーランドのカウンターにやられグループリーグで敗退することになっても、それが日本の今の実力であり、反省し分析し修正して、未来のより強い日本を作るために捲土重来努力するのが本来の正しい道だったと断じたい。

ワールドカップは今回で終わりではない。もっともっと強くなり、世界からも注目されるようなチームになるためにも、戦意のないボール回しのような「サッカーにあるまじき戦術」は、西野監督は選択するべきではなかったのである。ある意味では日大アメフト悪質タックルにも通じるような(例えがちょっと悪いが)、勝負偏重の「勝さえすれば何でもOK」というのは、サッカーに限らず何の分野においても「間違い」である。勝てば良い、と人は言うかも知れないが、勝っても「勝利に値しないチームだ」と世間から評価されれば、生涯の汚点・禍根となるであろう。第一に、戦っている当の相手の「目の前のポーランドの選手達」に対して礼を失しているではないか。すくなくともピッチにいる選手はゴールを目指して苦しい練習を積み、国民のプレッシャーを受けながらも「戦おう」としてピッチに立っているのである。同じ戦う選手として日本選手もそれに敬意をはらわなければ、これからのサッカー人生において「カード枚数で」ベスト16に行った選手、と笑いものになるであろう。選手の生きている場所は「強いものが勝つ」実力の世界である。その選手の誇りをリスペクトしないで、何がベスト16なのか。

もちろんルールが間違っていたのである。そして他のチームが同じ戦術を選択したとしても、日本は正々堂々と潔く戦うべきだったといまでも思う。勝ち負けは大事である。しかしそれ以上に「戦い方が大事」だと思うのは青臭いことなのであろうか。私はそうは思わない。大事なのは勝ち負けより「どう戦ったか」ではないだろうか。サッカー人生はたかだか2、30年、年取って仲間と「あの時の選択」を議論することになっった時、仮に負けていたとしても、やはり「戦うことを選んだのは間違いじゃなかったな」と言えることが大事なんじゃないだろうか。それにボール回しなどせずに「攻撃的な守備」をしていても、結果的には「そのまま終わって」フェアプレーで突破できていた、とも言える。勿論結果論だが西野監督としてみれば、グループリーグ突破だけを考えるのではなく、「突破した時の周囲の非難」をも考えて決断していれば、もう一味違った選択になったと思う。「肉を切らせて骨を絶つ」、そんな先人の言葉が頭に浮かんできた。この場合はグループ敗退になったとしても、あくまで「試合の中で決着する」ことに全身全霊をかけた監督、という意味だが、私はその方が後々自慢できるような気がしている。

まあ以上は素人の独り言に過ぎないのであるが、アルゼンチンのように「まさに生きるか死ぬかのプレッシャー」の中で戦う選手の気持ちを考えれば、日本はまだ綺麗事で済ませられるから「幸せ」である、とも言えるのだ。今夜はそのアルゼンチンとフランスが決勝ラウンドで激突する。個人的にはメッシに点を取って貰いたいが、果たしてどうなるのやら、ワールドカップはまだまだこれからである。

これは過去記事の再投稿です。自分で読んでも良い記事なので、再度投稿しました。


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