私の青春時代は、あの「昭和」である。時代感覚というのは人それぞれだが、共通するのは「過ぎた過去」を呼ぶということだ。それも記憶がハッキリ残っている「遠い年月」のことをそう呼んでいる。戦前を楽しそうに語る人もいれば、大正を懐かしむ人もいるという風に、多くは年代ごとにだいたい決まってくる。で、我々団塊の世代は「戦後のバラ色の時代」に生きていたという訳である。私が会社に席を置いていた60代までは、それ程意識すること無く、新しい事も積極的に取り入れてデジタル社会を謳歌していた(と思っている)。
音楽も相変わらず洋楽中心で、流行りの「ブルーノ・マース」などが特にお気に入りだったのは今風に染まっていたのかも。それが脳梗塞を発症してしばらく療養生活を余儀無くされている間に、どんどん社会から取り残されて、いつの間にか気がつけばすっかり「昭和世代のジジイ」に成り下がっていたのだ。おおっ、何んていうこと!
区役所とか不動産業者とかクレジット会社とかから何やら書類が届いて、それを読み、必要事項を書いて返送しなければいけないと分かっていても、何か書類を書くのが重荷に感じて1週間も放ったらかしにしてしまう。これって、市役所の書類を80歳の母が「私が帰った時」に書いて貰おうとして、そのままにして待っていたのと一緒だぞ、って思った。やってみればどうって事無いのだが、何故か面倒でやりたくないのである。・・・もう、「老化現象」に間違いない。私もそろそろ物忘れが始まるのだろうか?
そんな時、ふと振り返ってみると「どっぷり昭和に浸っている自分」に気が付いたのだった。こないだ友人のSY氏と柏のカラオケ屋に行って、2時間昭和のフォークソングを熱唱して確信した。私はもう「過去の人」になっている!
心から楽しいと思うことが、実は「過ぎ去った昔の思い出を懐かしむこと」だったのである。これが「時代というもの」の本質なんだ、と思った。時代というのはある程度時間が過ぎてすっかり物事の善悪・功罪が確定するまでは、「〇〇時代」という名称は意味をなさない。その当時の生活様式や思想・生き方が「時間の洗礼」を受けて、すべて過去の大波の中に流されて行った時、初めて「あの時代は良かった」と懐かしむことが出来る。そして人が一度この美酒を味わってしまうとその心地よさにどっぷりと浸ってしまい、もう新しいことに挑戦しようと思わなくなるのだ。それが老化ということであるなら、私は自ら進んで老人になりたい・・・とさえ思えるほど甘美である。
というわけで、平成生まれの今の人たちはもう少し時間が立って、全てが「過去になりきる」までお待ちいただきたい。・・・つまり、今「自分たちの時代を楽しめる」のは、昭和生まれの我々だけ、という事である。
昭和万歳!、昭和よ永遠なれ!
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