明日香の細い道を尋ねて

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ニュースを考える(53)大分の危険運転致死罪適用で思ったこと

2024-11-29 14:44:50 | 私の意見

時速194kmで事故を起こした19歳の裁判員裁判が結審した。判決は危険運転致死罪です。裁判の公正という点では、何とか一般人の常識が守られた形ですね。しかし私はこの裁判をニュースで見て、どうも法律を作ったり運用する側の意識が一般の人の考える「法」という考え方とギャップがあるんじゃないかな?と思いました。法律というのは誰が見ても同じ答えにならなくていけないので、結果「犯罪の構成要件」が常識とかけ離れて独り歩きする傾向があるのは分かります。それにしても194kmは危ないだろう!と思うのは私だけではないのでは・・・。

そこで危険運転と過失運転の違いは何か?を考えてみました。

1、過失運転・・・と言うのは、道交法に違反した運転をしていて事故を起こした場合です(つまり、危険運転は過失運転に含まれる)

これは本人が道交法を守ろうとしていたかどうかという意識とは関係なく、本人の行為が道交法違反であるかどうか?で決まるものです。交通事故とは免許を持っている人間が起こすわけですから(持って無ければ無免許運転となって、より重い罪になる)、基本的に「すべて過失によるもの」と想定されるわけです。本人はあくまで違反するつもりはなくて、運転上の「過失」によって事故が起きたという判断です。要するに「悪気は無かったんだから許して下さい」って事です。

2、危険運転・・・というのは道交法に違反していることは勿論のこと、それが傍から見て「危険な運転」だと思われた場合にはより一段重い罪が適用されるものです。この際、本人が自分の運転を危険だと思っているかどうかは問わないものとします。つまり、肝心なのは「あの車、あっぶねぇ運転しやがるぜ!」と周りの人から思われるような運転に対しては本人がどう思っているかに関わらず、危険運転罪が適用されるのです(本人の意見が通るのであれば、そもそもこの罪は成り立たない)。例えばF1ドライバーが制限速度60kmの公道を200kmで走行している時に前方に歩行者を見つけて急ブレーキを掛て、ぶつかる寸前10cmの所で止まったとします。いくらF1ドライバーが運転のプロで「完全に車をコントロール出来ていた」としても、歩行者にしてみれば「ふざけんなよ、危ねぇじゃねーか!」と怒鳴りつけるのは当然です。いくらコントロール出来ているとしても、危ない事には変わり在りません(実際に事故が起きているので、そもそもコントロール出来ていなかったのは事実です)。

被告が今まで同じ道を何度も違反運転を繰り返していて、事故を起こしていなかったことを引き合いに出して「だから危険運転だとは言えない」などろ弁護士が言ったそうですが、笑止千万じゃないでしょうか。いつもやってるから安全なんだという屁理屈を述べたつもりらしいが、じゃあ「何で今回は事故ったのか?」の説明がつかないということに「何で気が付かない」んだろう?。この弁護士も相当頭が悪いとしか言いようがないですねぇ。今までもこの被告は日常的に危険運転を行っていたわけで、それが今回は危険運転に加えて「致死」が付いただけでしょう。やってる事は同じなんです。

今回の事故を目の当たりにした人は「だから言わんこっちゃ無い」と思っただろう。被告を危険運転致死罪にするのは当然と誰しもが思ったのでは。逆に、それを危ないと思わないで実際に19kmも出しちゃう人間がいるという事実に驚くわけです(この弁護士は194kmの猛スピードで目の前を車が通過しても「危ないな」と思わないらしいから、ついでに「こいつも免許取消し」した方がいいかも)。

要するに、周りの人間に「危険だ」と思わせて平常な通行を妨げる運転は全部「危険運転」なのであり、それで事故が起これば「危険運転致死傷罪」を適用するだけなんです。なお担当した弁護士や一部の人は「真っ直ぐ走れていたから危険運転には当たらない」云々などと発言しているらしいが、不測の事態が起きたときに最低限事故を防げないような運転は「危険運転」なのだ、という認識に欠けているのがそもそも問題だと言えます。免許を交付されるということは「道交法を守って運転します」ということなんです。何も杓子定規にすべて道交法を守れ!と言うつもりはありませんが、少なくとも「事故る可能性」がある場合には自分の心にブレーキを掛ける節度が欲しいものですね。



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