放送では、田村秀をゲストに迎えて「データリテラシー」について話を聞いた。「田村秀」は1962年北海道生まれ、都市工学を学び86年に自治省・岐阜県総務部地方課に勤務。香川県企画調整課長・三重県財政課長を経て、現在は新潟大学法学部副学部長兼教授という肩書にある。専門は行政・地方自治・公共政策だそうだ。簡単に言えば、行政学者である。最近の情報では、2019年4月に上田市政策研究センター政策アドバイザーに就任した。彼に久米宏がインタビューする形で「旬の話題であるコロナ」にも言及しながら、多くの情報を分析し本当の数字を読み解くためにはどうすればいいかを考える。データリテラシーという「流行語」を、専門家の眼で解説していくところが聞きどころだ。
話を聞いて面白そうだったから、早速 Amazon で田村秀を検索してみた。4、5冊の著書が表示され、ユーザーの評価は一見良さそうだったのだが、「どこが良かったか」のレビューを見ると、余り内容のある意見が書いて無く、「私の期待する本のレベル」では無さそうだと思って却下した。他にもリテラシー関連の本を眺めていると、ふと「論理的思考のコアスキル(ちくま書房)」波頭亮著、というのが目に止まった。前々から一度「論理」というのを突き詰めて勉強してみたいと思っていたので、「格好の本」である。これには Kindle のフォーマットが出ているので、ネットで購入すれば「本屋で探す」必要も無い。今「本屋」が軒並み休業中で、頼みの「Amazon」も本の配達を休止しているような状態だから、ダウンロードすればすぐ読める Kindle 本は「自粛するにはうってつけ」なのだ。で、ダウンロードしたかというと、「ちょっと待つことに」してる。「なんだよ!」と怒るのは尤もだが少し待って頂いて、まずは「手元の本」を片付けてから注文することにしたい。そういうことで、「波頭亮」は次回のお楽しみに取っておく。
で、手元の本というのは DAVID BALDACCI の刑事サスペンス物「 FALLEN 」である。GCのペーパーバック版で、488頁1320円の洋書だ。長さは標準で、全体に短い章で区切られている「読みやすい本」である。全部で76章だから1章当たり平均6.5頁と、寝る前に読むには最適の本だ。これを毎晩2、3章ずつ読んでから寝るのを、ここ何日かの日課にしている。
私は、洋書は「英語のクライム・サスペンス(特にコップ物)」しか読まない主義だ。それは何故かと言うと、私のつたない英語力でも「辞書を引かずに」読めるからである。探偵や刑事が殺人犯を追いかけるというストーリー展開の殆どが「分かりやすい筋立て」で、多少わからない単語が出てきても、主人公と犯人役の名前さえ覚えていれば「細かいことはすっ飛ばして」も問題なく読み勧められるからだ。しかもハラハラ・ドキドキのスリルは「英語でも十分味わえる」のである。状況描写の単語も「テレビのサスペンス・ドラマで出てくる」お馴染みのものが殆どだから迷わず理解できる。
例えば chapter 7 の始まりは
Decker had just finished putting on his shoes the next morning when his phone rang.
It was Detective Green.
"what's up?" asked Decker.
"The blood on the floor of the house?"
"Yeah?"
”You were right. It's not human."
"We'll meet you in half an hour."
と、こんな調子である。中学英語で理解できない単語は一つもない。出てきたとしても1頁に1個位で、放って置いて読み進めても筋書きには何の影響もない「言い回し」の類いであるから、適当に想像して「自分勝手に単語を当てはめ」て次に進むのが、この手の洋書で躓かないコツだろうと思う。私はこのやり方で「かれこれ10冊位」の洋書を読んでいる。Baldacci は以前クリント・イーストウッドの「目撃」という映画の「原作者」として知っている人も多いかと思うが、私は映画が出る前に「原書」で読んでいたので記憶に残っている。映画はそれなりに面白いが、どっちがスリルを感じるかと言えば、やはり「本」の方が数段上だ、と答えざるを得ないようだ。映画は、ジーン・ハックマンとエド・ハリスが共演していて重厚な仕上がりになっており、サスペンスとしても一級品の映画だが、筋書きはクリントの強い要望で「大幅に書き換えられた」そうだから、まあ別物と思ったほうがいいだろう。冒頭の、大統領が殺人を犯してしまう所を主人公が衣装部屋に隠れて「目撃」するシーンは、本で読むと圧巻のスリルである。
話はどんどん脇道に入ってしまうが、いままで読んだ作家ということで言えば、
D・クーンツ「ミスター・マーダー」など
J・グリシャム「法律事務所」など
J・パターソン「アレックス・クロス」シリーズ
P・コーンウェル「検屍官」シリーズ
S・キング「短編集」
その他数冊だ。
何れも生涯販売数○億冊を誇る有名作家であり、生粋のエンタテイナーである。どれも通勤の合間に少しずつ読んで、大体1ヶ月ぐらいで読み切っていたから「まあまあのスピード」だと思っている。私は英語が全くしゃべれないので「英語は全然出来ません」と言うことにしているが、たまに洋書でサスペンス物を愉しめば、それでいいと割り切っているのだ。だから、無理に会話の勉強はしないことにしている。会話の勉強はそもそも話す相手が身近にいないのと、相手を探すなら「まず日本人だろう!」という事で、全然覚える気がない。万一何かの事情で日本を離れることにでもならない限り、英会話は私は「不要」だと諦めている。但し、洋書を「声を出して読む練習」を続けると、不思議と「ヒアリング」が良くなるので、試してみると良いかも知れない。CS で CNN などを見るときには、ヒアリングの能力が役に立つのだ。ちなみに洋書を読むコツは、「文章の構造」が分かれば英語なんか「イチコロ」である。
まず「主語+動詞+目的語」が基本だ。例えばボブ・マーリィが出してクラプトンがカバーした名曲「 I shot the sheriff 〜」という文を読んだとする。意味は読んだ通り「私は撃った、あの保安官を」である。ここで「私は保安官を撃った」という風に「日本語に直して」理解しようとしては「絶対に」いけない。読んだ順番通りに、「私は撃った」の次に「あの保安官を」と読むのである。これが英語の基本的構造を理解する鉄則だ。そしてどんな保安官かという説明が必要な場合は、「Who 〜」で続けていく。もしどんな銃で撃ったかということなら「with ○○〜」と書き足すのである。センテンスが長くなればなるほど「説明が細かく」なるだけで、どういう説明かは関係詞の種類で明確に規定されているのだ。要は「私は撃った」んだな、が大前提。それから文章が膨らんで行く。、英語は「確定した文章」をつないでいく言語である。それに比べて日本語は「説明が延々と続いていく」のだが、肝心の「何をしたのか」が文章の最後に来てしまうので、文章が終わらないと「確定しない」言語だ。そういう意味では、英語は文頭の関係詞で規定されている「非常に論理的」で分かりやすい文章である。だから、読んでいても迷いがない。簡単に言えば、英語は「事実を伝える言語」であり、日本語は「感情を伝える言語」だとも言えるかも知れない。「サスペンス作品」というのは事実を追いかける刑事の物語だから、まさに英語にピッタリのジャンルだと言えそうだ。
DAVID BALDACCI は東京駅の八重洲ブックセンターで昨年購入したものだが、突如「邪馬台国」を研究する羽目に陥ってしまって、本棚の肥しになっていたものである。それを世の中が自粛ムードになったので引っ張り出してきて、3、4日前辺りから読み始めた。今日は Chapter 10 から読むつもりだが、まだ「話が始まったばかり」で静かな滑り出しである。果たしてこれからバルダッチ得意の「あっと驚く急展開」になるのかどうか、それは「本を読んで」のお楽しみで〜す!
ということで皆様、コロナはまだまだ続くようですので、くれぐれも「道端のウィルス」にはお気を付けくださいまし。私はじっと家で「読書三昧」と致します。では、御機嫌よう!
話を聞いて面白そうだったから、早速 Amazon で田村秀を検索してみた。4、5冊の著書が表示され、ユーザーの評価は一見良さそうだったのだが、「どこが良かったか」のレビューを見ると、余り内容のある意見が書いて無く、「私の期待する本のレベル」では無さそうだと思って却下した。他にもリテラシー関連の本を眺めていると、ふと「論理的思考のコアスキル(ちくま書房)」波頭亮著、というのが目に止まった。前々から一度「論理」というのを突き詰めて勉強してみたいと思っていたので、「格好の本」である。これには Kindle のフォーマットが出ているので、ネットで購入すれば「本屋で探す」必要も無い。今「本屋」が軒並み休業中で、頼みの「Amazon」も本の配達を休止しているような状態だから、ダウンロードすればすぐ読める Kindle 本は「自粛するにはうってつけ」なのだ。で、ダウンロードしたかというと、「ちょっと待つことに」してる。「なんだよ!」と怒るのは尤もだが少し待って頂いて、まずは「手元の本」を片付けてから注文することにしたい。そういうことで、「波頭亮」は次回のお楽しみに取っておく。
で、手元の本というのは DAVID BALDACCI の刑事サスペンス物「 FALLEN 」である。GCのペーパーバック版で、488頁1320円の洋書だ。長さは標準で、全体に短い章で区切られている「読みやすい本」である。全部で76章だから1章当たり平均6.5頁と、寝る前に読むには最適の本だ。これを毎晩2、3章ずつ読んでから寝るのを、ここ何日かの日課にしている。
私は、洋書は「英語のクライム・サスペンス(特にコップ物)」しか読まない主義だ。それは何故かと言うと、私のつたない英語力でも「辞書を引かずに」読めるからである。探偵や刑事が殺人犯を追いかけるというストーリー展開の殆どが「分かりやすい筋立て」で、多少わからない単語が出てきても、主人公と犯人役の名前さえ覚えていれば「細かいことはすっ飛ばして」も問題なく読み勧められるからだ。しかもハラハラ・ドキドキのスリルは「英語でも十分味わえる」のである。状況描写の単語も「テレビのサスペンス・ドラマで出てくる」お馴染みのものが殆どだから迷わず理解できる。
例えば chapter 7 の始まりは
Decker had just finished putting on his shoes the next morning when his phone rang.
It was Detective Green.
"what's up?" asked Decker.
"The blood on the floor of the house?"
"Yeah?"
”You were right. It's not human."
"We'll meet you in half an hour."
と、こんな調子である。中学英語で理解できない単語は一つもない。出てきたとしても1頁に1個位で、放って置いて読み進めても筋書きには何の影響もない「言い回し」の類いであるから、適当に想像して「自分勝手に単語を当てはめ」て次に進むのが、この手の洋書で躓かないコツだろうと思う。私はこのやり方で「かれこれ10冊位」の洋書を読んでいる。Baldacci は以前クリント・イーストウッドの「目撃」という映画の「原作者」として知っている人も多いかと思うが、私は映画が出る前に「原書」で読んでいたので記憶に残っている。映画はそれなりに面白いが、どっちがスリルを感じるかと言えば、やはり「本」の方が数段上だ、と答えざるを得ないようだ。映画は、ジーン・ハックマンとエド・ハリスが共演していて重厚な仕上がりになっており、サスペンスとしても一級品の映画だが、筋書きはクリントの強い要望で「大幅に書き換えられた」そうだから、まあ別物と思ったほうがいいだろう。冒頭の、大統領が殺人を犯してしまう所を主人公が衣装部屋に隠れて「目撃」するシーンは、本で読むと圧巻のスリルである。
話はどんどん脇道に入ってしまうが、いままで読んだ作家ということで言えば、
D・クーンツ「ミスター・マーダー」など
J・グリシャム「法律事務所」など
J・パターソン「アレックス・クロス」シリーズ
P・コーンウェル「検屍官」シリーズ
S・キング「短編集」
その他数冊だ。
何れも生涯販売数○億冊を誇る有名作家であり、生粋のエンタテイナーである。どれも通勤の合間に少しずつ読んで、大体1ヶ月ぐらいで読み切っていたから「まあまあのスピード」だと思っている。私は英語が全くしゃべれないので「英語は全然出来ません」と言うことにしているが、たまに洋書でサスペンス物を愉しめば、それでいいと割り切っているのだ。だから、無理に会話の勉強はしないことにしている。会話の勉強はそもそも話す相手が身近にいないのと、相手を探すなら「まず日本人だろう!」という事で、全然覚える気がない。万一何かの事情で日本を離れることにでもならない限り、英会話は私は「不要」だと諦めている。但し、洋書を「声を出して読む練習」を続けると、不思議と「ヒアリング」が良くなるので、試してみると良いかも知れない。CS で CNN などを見るときには、ヒアリングの能力が役に立つのだ。ちなみに洋書を読むコツは、「文章の構造」が分かれば英語なんか「イチコロ」である。
まず「主語+動詞+目的語」が基本だ。例えばボブ・マーリィが出してクラプトンがカバーした名曲「 I shot the sheriff 〜」という文を読んだとする。意味は読んだ通り「私は撃った、あの保安官を」である。ここで「私は保安官を撃った」という風に「日本語に直して」理解しようとしては「絶対に」いけない。読んだ順番通りに、「私は撃った」の次に「あの保安官を」と読むのである。これが英語の基本的構造を理解する鉄則だ。そしてどんな保安官かという説明が必要な場合は、「Who 〜」で続けていく。もしどんな銃で撃ったかということなら「with ○○〜」と書き足すのである。センテンスが長くなればなるほど「説明が細かく」なるだけで、どういう説明かは関係詞の種類で明確に規定されているのだ。要は「私は撃った」んだな、が大前提。それから文章が膨らんで行く。、英語は「確定した文章」をつないでいく言語である。それに比べて日本語は「説明が延々と続いていく」のだが、肝心の「何をしたのか」が文章の最後に来てしまうので、文章が終わらないと「確定しない」言語だ。そういう意味では、英語は文頭の関係詞で規定されている「非常に論理的」で分かりやすい文章である。だから、読んでいても迷いがない。簡単に言えば、英語は「事実を伝える言語」であり、日本語は「感情を伝える言語」だとも言えるかも知れない。「サスペンス作品」というのは事実を追いかける刑事の物語だから、まさに英語にピッタリのジャンルだと言えそうだ。
DAVID BALDACCI は東京駅の八重洲ブックセンターで昨年購入したものだが、突如「邪馬台国」を研究する羽目に陥ってしまって、本棚の肥しになっていたものである。それを世の中が自粛ムードになったので引っ張り出してきて、3、4日前辺りから読み始めた。今日は Chapter 10 から読むつもりだが、まだ「話が始まったばかり」で静かな滑り出しである。果たしてこれからバルダッチ得意の「あっと驚く急展開」になるのかどうか、それは「本を読んで」のお楽しみで〜す!
ということで皆様、コロナはまだまだ続くようですので、くれぐれも「道端のウィルス」にはお気を付けくださいまし。私はじっと家で「読書三昧」と致します。では、御機嫌よう!
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