明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

女性天皇問題に物申す

2019-05-03 23:22:26 | ニュース
女性天皇の問題を朝のワイドショーで取り上げていた。というのも新天皇には「男子」が無いからである。皇太子が格上げになって新天皇になれば、次の皇太子を選ばなければならない。当然、新天皇が即位すると同時に(か、又はそれほど時間をおかずに)新皇太子を決定することになる。皇太子は天皇が譲位する時には皇位継承順位に従って第一・第二・第三・・・の順で決まっているので、現在は秋篠宮が新皇太子(の候補)という事になる。ということは一見問題が無さそうだが、新天皇も秋篠宮も、共に壮年というより老齢に近づきつつあり、もし新天皇が次の天皇に位を譲る頃には、秋篠宮も天皇の公務を引き受ける余力は残っては居ないと思われるのだ。と、ここでネットを調べてみたら、皇太子というのは「天皇の子」という意味だそうだ。なので秋篠宮は上皇の子ではあっても新天皇の子ではないので皇太子とは呼べない、ということになるらしい。なんか釈然としないが、どうも変だ。確か天武天皇は天智天皇の皇太子だったような・・・。まあ良しとしよう、あーそうなんだ(と、納得していないが一応そういうことにしておく)。

天皇はだいたい年代で選ばれるから、新天皇の次の天皇=皇太子は殆どは新天皇の長男が選ばれる。で、話は最初に戻るが新天皇に男子がないということが問題なんである。まあ、秋篠宮の長男という選択肢も残っているが。そこで皇太子問題をいま一度私なりに考えてみた。

1、制度としての皇太子
皇太子というのは一義的には次の天皇という意味で、多くの皇嗣のなかから誰もが認める順当な長子が選ばれる。もう一つの意味は、天皇に何かがあった場合に備えて用意しておくもので、昔はいまより頻繁に代替わりしていたから、皇太子が今回のような年齢まで皇太子のままでいることは滅多に無かったと言える。それに昔は天皇の子供は多かったから、皇太子選びに困ることはなかった。そして皇太子を決めておくことは、無益な後継者争いを避けようという知恵である。ちなみに48代称徳天皇以来850年間女性天皇がいなかったが、本来天皇は「男」であったからという至極最もな理由だそうだ。その後には109代の明正天皇と117代の後桜町天皇の二人が出たが、二人共特別な理由があったからということがわかっている。ただ今回のように跡継ぎに困ってどうしようか迷っている、ということでは無かったようだ。それもこれも、皇太子が少ないからこんな問題が起きる。

2、皇太子候補を増やす方法
私は別に秋篠宮の子の悠仁親王が次代の天皇になっても不思議はないと思っている一人である。まあ、本人が成りたくないと言えばそれまでだが、今のうちから洗脳しておけば大丈夫だろう。だが今後も毎回女性天皇問題が取り沙汰されるようでは、対策を練っておく必要がありそうだ。その第一は、天皇家は3人の跡継ぎを(それも男)を必ず生む、と決めることである。いくら医療が発達している現代でも病気や怪我で死ぬこともあるから3人でも足りないかも知れない。だから第二には、天皇60歳定年制とする。そうすれば3人がそれぞれ孫を3人生むとすると合計9人の「皇位継承権利者」が生まれるという計算である(もちろん9人が曽孫を3人産めば27人と拡大する)。これだけいれば当分困りはしない筈である。しかし運悪く結婚しても子供に恵まれるとは限らない。そこで第三には、天皇に限ってはアラブ諸国のように一夫多妻制度を活用する。天皇位は男のDNAが必要なのであって、女のDNAは「神武以来の万世一系」には不要だから、別腹であっても男の子を産んでくれる女性が必要なのだ。それで、奥さんはキチンと「皇后または中宮」として敬い、子供を生むための仮の奥さんは「夫人」と呼んで分けて扱えば良い。もし夫人の生んだ子が天皇になれば、その母親は「皇太后」であるからメリットは充分にある。ここでちょっと脇道にそれるが、私は今のニュースで言われているように、上皇という尊称は良いと思うが「上皇后」というのは聞いたことがないのである。宮内庁は何と思っているか知らないが、上皇の奥さんというより現天皇の母親「皇太后」と呼ぶ方が正しいしのではないのかな?。上皇后では「母親」という感じが出ないと思うのだが、どうも宮内庁は頭がおかしい。

3、天皇は国民のもの
そもそも天皇というのは「本人の意志とは無関係」の存在である。実際に軍隊を統率して部族の栄光を一身に集めた大王が天下を取った天武天皇の時代ならいざ知らず、政治が安定して国家の形が固まった後は、周りが思惑いっぱいにあれこれ立ち回って画策して擁立するのが習いになって久しい。昭和の大事件226のクーデターの時には、賊軍の者が「天皇が意に沿わない場合は、天皇を代えれば良い」とまで嘯いていたという。天皇は国民の御輿に過ぎないのだ。そもそも天皇の国事行為が多すぎて80歳の年齢には超ハードだ、というのが譲位する理由である。それでも天皇は死ぬまで天皇をやるのが当たり前、と庶民は信じて疑わなかった。これでは余りにも天皇の自由がなさすぎる。つまり「人権侵害」ではないのか。要するに国民は理想の天皇像を持っているが、その天皇が自分のやりたいことをやったら「天皇らしくない」と批判するのは目に見えている。だから第四の改善策として、天皇位は「何歳から何歳まで」の期間とするのだ。例えば30歳から50歳までである。その間の20年くらいなら、我慢して天皇位にふさわしい天皇像を演じることが出来るだろう。50歳になれば皇太子に天皇位を譲って好き放題が出来ると思えば、少しぐらいの事は我慢我慢である。もしそれでもやりたいことがある場合は、他の皇嗣にサッサと譲るということも出来る。これがストレス無く天皇位を継続させる秘訣ではないだろうか。何よりも、選択肢が多いほど悩みは少なくなる。

4、女性天皇は何故いけないか
そこで出てくるのが女性天皇問題だが、これはDNAが無くなってしまうから、という理由である。だとすれば、神武以来という現天皇のDNAより「天照大神以来のDNA」の方が数十倍尊いという理屈ではないか。だから女系遺伝子を継承しても問題はなくて、現代人の祖先が一人のアフリカの女性だ、という研究もある如く、「女性を遡る」ことで祖先に辿り着くことも不可能ではない。何故これが許されていないのかと言うと、やはり男尊女卑のせいであろう。天皇位が国民の理想を体現する御輿だとすれば、女性が位を継いでもちっともおかしくない。現に同じく皇族が治めるイギリスでは、エリザベス女王が王位を継承する時に他にも男系の王子がいたのである。なのにエリザベス女王が王位を継いだ。つまりイギリスでは王家・王室が大事であって、日本のように「個人のDNA」が云々されることは余りない、と言えるみたいだ。だから日本の皇室も「家」を中心に考えれば、この女性天皇問題ももっと楽に議論できるようになると思う。例えば自分の属する企業の後継者が「創業者の血縁」ではなく、企業を発展させられる人間を選ぶという「より目的に合った選択」が出来る。

5、神武天皇以来の万世一系という呪縛
天皇家の唯一の拠り所である万世一系だが、これは歴史家の間では疑義のある問題である。そもそも奈良時代以前の大昔には「コロコロと大王位が変わっていた」と考えるのが当たり前だ。それを考えれば今の天皇も、根は桓武天皇辺りが遡っていける最古の天皇であろう。そのお母さんの高野新笠というのは「朝鮮人」だというのが定説になっていて、上皇が「韓国と日本とは親密な関係」と語ったというのは有名な話である(と、私は伝聞した)。だから万世一系と言ってもそんなに古くはなくて、他にも物部とか葛城とか蘇我とか、もしかしたら「万世一系の人たち」がうじゃうじゃいるかも知れないのだ。尊い血脈といっても、あくまで歴史が形作った結果に過ぎないのである。その尊い血脈は、このさき何百年かしたら別の系統に入れ替わっていても不思議ではない。そう思えば、現在の天皇家も歴史の流れの中で考えるべきである。そう、あくまで歴史の1頁なのであって、本質ではない。

要するに、我々国民の漠然とした理想の国家像、つまり血縁によって定められた高貴な人物であり非の打ち所のない偉大な支配者に統治された文化的経済的軍事的に安定した平和国家、というイメージを連綿として未来永劫続けていくことが天皇制そのものなのである。つまり、一種の「宗教的理想郷」の実現だ。これは2019年という現代においては、世界的に見ても稀有のことではないだろうか。これが日本人という民族の、太古から消し去り難く身体の奥深く染み付いた「習性」だとするならば、もはや天皇制をどうこうしようとしてもそもそも「無理な話」である。成るようになるしか無い。

ところで、日本人は創業300年の老舗とか代々家業を続けて24代目だとか、古くから変らず続いていることを大切に思う風習がある。古代から何百年も経っている神社仏閣も伊勢神宮など少数のものを除いて、昔からの古色蒼然たる外観を決して変えず、新しく色を塗り直したり汚れを取り除いたりして当初の華麗な装飾を再現するというよりも、古びて経年劣化した姿を愛したのである。長年ただの一箇所も変らず完成当初の面影をそのまま残しているということに、他の何者にも代えがたい「理想」を感じるのだ。つまり、一方ではエスカレーター・タクシーの自動ドア・ウォシュレットから回転寿司まで、便利なものは伝統などを顧みずにいち早く取り込み、あっという間に世間に広がってしまう国民性があるのに、片方では頑として古いものを大切にし変えようとしない二面性がある。全く関連性のない二つの性格が、同時に一つの民族の中に同居していて親から子へと受け継がれていることに私は驚く。果たしてこの不可思議な民族は、どういう風に生き延びていくのだろうか。

長いこと考えてきたが、この天皇制という民族の特長はひとえに天皇制自身の問題ではない。日本という民族がこれから迎えるであろう時代の大きな変化にスムーズに対応ができるかどうか、新しい技術を取り込んで新生日本として過去と決別し、全く別の日本に生まれ変わることが出来るかどうかの問題である。女性天皇問題も、これら過去からの「精神的不変性への憧れ」の問題を解決しなければ、本当の意味では解決することは出来ないように思う。私はこういった過去にいつまでも囚われるより、新しい未来に希望を抱いて努力することの方に熱中する性格だが、果たして皆さんはどうだろうか。そろそろこの問題に決着をつける時だと思うのだが・・・。

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