明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

マドリーのサッカーが好き!(11)日本人森保監督の限界(前編)

2022-12-07 19:46:00 | スポーツ・ゴルフ

今回私は、日本人の体質と「サッカーにおける戦術の重要性」に注目した。まずお断りしておきたいのだが、私はいわゆる俄サッカーファンではない。そこそこ試合を見ているし、ある程度サッカーを分かっていると自認している。しかし実戦経験は全く無い素人なので、その意味では「ただのサッカーファン」であり、何だかんだ意見を言う資格は全くない。それをよくわきまえた上で感想を書いているので、不愉快に思われる方もおられるだろう。そこは最初からお詫びしておく。

前置きが長くなったが、私が今「主に見ている」のはヨーロッパのサッカーである。具体的にはスベインやドイツのリーグであり(奇しくも今回、日本が予選で勝った2チームである!)、中でも特に「チャンピオンズリーグ」を中心にテレビ観戦している。平たく言えば、金をかけて有力選手を集める「超人気クラブ」の応援をしている「ガチのミーハー」とは私の事であろう。勿論1番のお気に入りは「輝く太陽の軍団、レアル・マドリード!」である。

ちょっとマドリー愛が出てしまった。ここは一旦話を元に戻して、森保ジャパンの特徴と日本代表の実力について私の考えを書いてみる。

1、日本人のウェットな体質
まず第一に、物事の結果に執着して「冷静な分析を嫌う」日本人の美的精神論だ。太平洋戦争当時に日本に蔓延していたのは「国に殉じるとか1億玉砕とか」に象徴される「敗者の美化」である。その代わりに「何故負けたのか」という分析は余り歓迎されず、むしろ敗者の冒涜として批判されたのである(これは今回の敗戦でも同じように起きているようだ)。今回決勝トーナメント1回戦でクロアチアに破れた瞬間から、全国で一斉に「森保ジャパン擁護」の声が嵐のように巻き起こったのは、偶然ではない。

私は正直言って試合中に「イライラしっぱなし」だったし、監督采配にも「?」だった。1点目が入った時には日本がハイプレスからボール奪取出来ていたし、積極的に「ゴールを狙う攻め」が出来ていたと思う。しかし1点リードしたことによって、日本は気持ちの上で「守り」に入り、後半クロアチアの同点ゴールが入った事で「完全に受け身」の試合展開になってしまった。

このことが敗因かどうかは、結果だからどちらとも言えない。が、守り重視で時々カウンターらしき攻撃を見せて、失敗すればまた守りに専念する作戦では、負けないことは出来ても「勝つ」ことは出来ないのではないか?。勿論、もし三笘の左サイド突破からの弾丸シュートがキーパーの真正面ではなく、左右どちらかにズレていたら、この戦法で正解だとも言える。問題は、そういう「失点しないサッカー」、リスクを負わないサッカーで、攻撃は個人の単発の攻めだけというやり方では、世界の上位チームと互角に渡り合ってベスト8もしくはベスト4を取る、というのには「ほど遠い」のではないたろうか。

現在の日本代表の24位という位置を考えれば、ベスト16というのは上出来だ、という考え方もあるかも知れない。ドイツとスペインに勝っただけでも凄い事だ、という意見には「確かに」と素直に称賛を送りたい。だが、これからの日本代表を考えるなら、「そろそろ」本格的な分析と戦術議論をしても良いのではないだろうか。

ドイツ・スペインを撃破してクロアチアに後一歩と迫りながら、儚くPKで散った戦いに「感動と勇気を与えてくれて有難う!」と賛辞を送る日本人のメンタリティは、良く言えば「潔い」であり、悪く言えば「勝つ気がない」である。試合後にロッカーを綺麗にして帰る文化も、もしかしたらこの潔さと根は同じかもしれない(潔くない=不潔=汚く散らかっている?)。私はこのメンタリティを、西洋人の「残虐な山賊」のような、或いは草原の「ハイエナ」のような、ひたすら勝ちにこだわる「ドライ」なものに変えろというつもりは全く無い。それは日本民族の「DNAレベル」に刻み込まれた人生観であり、死生観・美学と思っている。ただ、試合に勝つには「向いてない性格」だ、というだけなのである。

日本人はその昔、川中島の戦いで謙信が信玄に塩を送ったという故事が好きである。また、巌流島の戦いでも、勝った武蔵より負けた小次郎の方に人々は味方する。正月に良く見る箱根駅伝でも、毎回語られるのは「勝利よりも、タスキを繋げられなかった悲劇」なのだ。そして判官贔屓という言葉があるように、戦力的に劣っている方が、負けると分かっていても「正々堂々、清々しく戦って散る」ことを美しいと感じる民族なのである。こらは「桜」をこよなく愛する民族性とも相通ずるものがあると私は感じてもいる。・・・これがクロアチアに負けた日本代表への「国民の賛辞の正体」である。

繰り返して言うが、私はこの「ウエットなメンタリティ」を変えろと言ってはいない。事実はこうだ、と言っているのだ。そしてサッカーで世界の頂点に立とうとするのであれば、冷徹な分析と緻密な戦術が不可欠だと主張したいのである。

・・・続きは後編で。



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