昔から一年の計は元旦に有り、と言う。だが元旦に考えていては元旦に実行できないではないか?。それで大晦日に10ヶ条書いて、元旦から飛ばしに飛ばして「大成功の年」にしようという魂胆です。一応体裁は新年元旦に読む、を想定して書きました。では早速・・・
1、ゴルフスイングを極める
昨年はハンドファーストで打つという大目標に向かって一年間努力を重ねた結果、一昨年からの「宿願」をとうとう達成することが出来ました。今年はさらなる進化を求めて「狙った方向」へ球を飛ばすことに挑戦したい。飛距離は取り敢えず置いとくとして、毎回「芯を食う」わなければ方向性もままならないのではないか。よって今年は一年かけて「思い通りの方向」に球を打ち出す、を目標としたい。まだまだ私のゴルフ道は進化し続けるぞ!
2、日本史の謎を追う
体の方はゴルフを極めるとして、頭の方は私のライフワークである「古代史」をとことん追究する、にしたい(これ、毎年書いてるような気がするが、まあライフワークだから当然か)。
① 国号が日本になった経緯
② 倭の五王はどこの誰なのか
③ 天智と天武の出自
④ 日本書紀の嘘を暴く
⑤ 天孫降臨の場所の特定と天孫族の関係
以上です。
当面の疑問を並べただけですが、いまだに解けてなくて私の「謎解き魂」をそそられます。将来的には「古代史の全容を解明する」のが夢です。
3、外国語を勉強
去年は中国語を勉強すると大いに息巻いたが、難しすぎて途中で放り投げてしまった。今年こそ!と毎年挑戦するのだがどうにも続ける忍耐力が私には欠けているようだ。で、今年はチョット趣向を変えて「カササギ殺人事件(MAGPIE MURDERS by Ansony Horowitz)」を原書ペーパーバック版で読むことにした。これを6月頃に終わらせて外国語馴れした頃を見計らい、再度「中国語にチャレンジ」しようと思っています。果たして上手く行くかどうか・・・しかしなんで外国語って難しいんだろうねぇ。思うに、発音記号の言葉(=英語など)を「目で見て覚えようとする教育方法」がそもそもダメなんじゃ無いか。中国語も考え方は「発音記号の言葉」である。まず漢字を横に置いといて、耳から発音だけを聞く方法で簡単な日常の言葉から始めるのが(幼児のように)がベターだと思う。けど、そういう学校、見つかるかなぁ。
4、ついでに中国の歴史を勉強する
中国語を勉強するついでにあちらの歴史も勉強しちゃおうと考えた。特に興味のあるのは「宋」である。960年に趙匡胤が開いた宋王朝は、日本の文化の形成に多大な影響を与えたとされている。もしかしたら日本人の精神風土の基礎を築いた、といっても過言ではないと言う人までいるようだ。その宋王朝の何たるかを勉強すれば、日本人ひいては司馬遼太郎が生涯追い続けた「日本とは何か?」という謎の全容が解るかも知れぬ、そう言う気が私はするのです。
5、スマホでブラインドタッチ
これは日々練習がてらにブログを書いているのでだいぶ上達している。私はフリック入力じゃなくてキーボード入力、しかも QWERTY が昔から慣れているので今でもそれで入力している。フリックはどうにも指が思う様に動かないし「それに歳を取ったせいか、静電気の効きが悪くなった」ようで、スライドした指が「空振り」するなんて事が多くなった。私はヒラヒラと画面の上を踊らせて文字を入力するフリックはどうも気に入らない。やっと結論が出た、要するに「チャラい」のである。やはり文字は両手でキーボード入力するのが正解だろうと思う。電車で見かける東南アジア人の若者などは、見てると両手でバンバン入力しているではないか。やっぱり QWERTY が世界表準なんだろね。練習します!
6、健康で長寿が一番
健康とはどこも悪いところが無くて、これと言った重大な病気とは無縁な状態を言う。だから腰が痛いとか肩が回らないとか言ってはいても普通の生活が何とか出来ていれば、それは健康と言えるのじゃないか?。私の解釈である。ただ、3ヶ月に一度病院に薬を貰いに行ったとき、先生が血液分析の結果を見ながら「どこも悪いところはありませんね」と言われればそれで良いのである(ところが最近このお医者様がヤブっぽくて信用できそうも無い、ということがうっすらわかって来たのである。困った困った)。まあ医者の資質については患者にしてみてばどうにもならないので後にするとして、日頃の食事に気を付けてお腹を引き締め、平均からすれば少し足りないような気もするが「腕立て伏せ5回とスクワット10回、それと軽いジョギング」が出来れば満足である。ほんのチョット飛び上がる(ジャンプ)運動は劇的に身体の活性化につながるというから、それも取り入れて見ようと考えている。とにかく毎日、元旦からやるぞぉ〜!
7、デジタルを身につける
これから世の中、加速度的に「デジタル化」していくのは目に見えている。少なくとも「必要な事」は出来るようにしておかないと、世の中から否応無しに切り捨てられるのがオチである。よってデジタルは遅れない程度に少しづつでも覚えておきたい( PayPay もこないだ加入した)。まあ、やりたくない事は断固断るようにはするけど、例えば SNS なんかは絶対手を出さないと決めている。しかし LINE は使ってるし YouTube も見ているから、SNS を全然使わないというのは間違いである。まあ、若者の三種の神器 X(旧 Twitter) と instagram と TickTock には手を染めない!というのが年寄りの最後の抵抗なんだろうな。何か雰囲気は戦車のボディにへばり付いた「蚊」みたいな気分だけど・・・
8、地域の人とのコミュニケーションを取っていこう
私は年を取るごとに家に籠もりっきりの日が増えてきている。気が付けば3日も人と口をきいていないという場合がザラかもしれない。これでは認知症が気になるのも無理はない。何より言葉の練習(私は脳梗塞で発語障害です)が全然出来なくなって、どんどん衰えて行くのが心配である。能力は使わないと衰える、というのは世の中の不動のルールだ。しかも、それが加速度的に進むというのだから「困っちゃう〜(山本リンダ風に・・・古いねぇ)」ときたもんだ。近くに話し相手が出来れば良いけど、兎に角コンビニでも良いから「一日一度は話をする」を実行しないと危ないのである。今に社会から置き去りにされて「意固地な独居老人」となって密かに恐れられる日も近いんじゃないかな?(お〜怖っ!)。日々努力、これしか無い。
9、もう一度ピアノを弾く
実は昔、私はピアノを少しだが弾けていた。病気するまえはショパンのワルツなど、速度は遅くはあったが何とか全曲弾けたものである。勿論モーツァルトのピアノ曲全集やバッハの平均律などは私のお気に入りのレパートリーであった。あれから10年経った。徐々に指も少しだが動くようになって来たので、老後の愉しみとしてもう一度やって見ようかという気になって来たのである。少なくともショパン位は「ゆっくりゆっくり」だけど弾けるまで行けたら、と思っている。もし上手になったらシューベルトとかリストのソネットなど、弾いてみたい曲がそれこそまだまだ「わんさか」あるではないか。夢は追い求めてこそ、だ。
10、友人と一緒に歩む人生
今年は例年に増して「友達を大切に」を心がけようと思っています。残り少ない人生ですが、いい思い出を積み重ねたいですね。
以上、2024年の抱負10ヶ条、でした。
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