(1)、グレゴリー・ソコロフ
話はクラシックと全然違うジャンルから始める。こないだ「ケニーG」がソプラノサックスでテレサ・テンの曲をカバーしているのをラジオで聞いて、すごく耳に心地よかったという経験をした。これはまさに、音楽が「コミュニケーション」であることを端的に表していた。大まかに言えば、コミュニケーションは「言葉」で成り立っている。そして英語と日本語とでは、その言葉が元々持っている「リズム」が違うのである。それがサックスというインストゥルメンタル楽器でメロディを奏でると、「ああこれは日本語なんだな」と妙にホッとして、如実に演奏者の意図が伝わってくるのだ。テレサ・テンの曲をサックスで聞くと、日本人の私には「何を伝えようとしているか、何となく分かって」しまうのである。これこそ音楽のコミュニケーションではないだろうか。
この話を何で最初にしたのかと言うと、ショパンにしろベートーベンにしろ、ヨーロッパ言語圏で作られている音楽が表現している「何か」は、直接的には、日本語圏に住む我々には「伝わらない」のではないか、という問題である。勿論、違うといっても同じ人間同士、何らかの「感じ」は伝わっては来る。そこが言葉と音楽の違いだ。しかし我々にとっては、日本語圏で作られた音楽が「細かい所がくっきりハッキリ」と理解出来るのと比べて、ヨーロッパ言語圏の音楽では「微かなもどかしさ」が残るのだ。つまり演歌と洋楽の違いである(流行のJ-popは、本来の日本語とはちょっと違うから、今は外しておく)。それはメロディに端的に現れる。試しにベートーベンの8番「悲愴」の第2楽章のメロディを、適当な「日本語」の歌詞をつけて口づさんでみると(例えば「あ〜な〜た〜の唇にぃ〜」みたいな)、どうしても間が抜けた曲になってしまう。ここは、歯切れの良いドイツ語の方が「引き締まって」聞こえて心地良いのだ。日本語は全部の音に「母音がつく」ので、どうしても平板な構成にならざるを得ない。それに西洋の詩などに見られる「3音ずつ」のリズミカルな文章構成などは、日本語では3音と言うのは短すぎて中々作れないのである。3音というのは「タタタ、タタタ、タタタ、タタタ」と言うリズムになる。日本語は「タタタタタ、タタタタタタタ、タタタタタ」と言う5ー7ー5形式がぴったり合う(伝統的に身体に染み付いているのかも知れないが)。
たまたま流していたBJトーマスの「雨に濡れても」の歌詞をじっくり聴いてみたら、「Raindrops
Keep Fallin'on My Head・・・」と歌っていて、私の耳には「タータッ、タドゥーダドゥ、ダドゥー・・・」というように聞こえる。まるでスキップを踏んで踊るようなリズムではないか。これが洋楽のリズムである。こないだ NHK のラジオでロシアに移住したピアニストの話を聞いたが、彼はロシアに何年か住んで今度はポーランドに移住するという。ポーランドに住むのは、ショパンを勉強する目的だそうである。彼が言うには、その土地に住んで長く生活していると、次第にその作曲家の「理解が飛躍的に深まる」と言うのだ。それは生活環境とか風景とかもあるだろうが、私は「言葉の関係」が大きいと思う。彼もポーランド語を聞いて理解しようと努力しているうちに、ある日、ショパンのマズルカのメロディが「ポーランド語に聞こえた」と語っていた。それこそ私の言っている「コミュニケーション」である。だから、日本人がヨーロッパ言語圏の音楽を「肌で理解しよう」とするなら、せめて「ヨーロッパ語のリズム」に慣れなければダメだと思うのだ。何もペラペラになれと言っているわけではない。少しで良いのである。その少しが、「モーツァルトやシューマンの楽曲」を理解する上で必要不可欠な、コミュニケーション体験になるのである。
とまあ、そんなことを取り止めもないことを考えていたら、クラシカ・ジャパンで「グレゴリー・ソコロフ」のコンサートが始まった(残念ながら、クラシカ・ジャパンは来月終了だそうだ)。彼はロシア出身の、私と同い年「1950年」の生まれである。彼は多くの批評家から「現代最高のピアニスト」との賛辞を得ている一人と、もっぱらの評判だ。略歴を Wikipedia から引用すると、5歳でピアノを始め、12歳の時に公衆の前でリサイタル。16歳で第3回チャイコフスキー国際コンクールで優勝!。審査委員長エミール・ギレリス以下「全員一致の金メダル」だったと言う。これだけでも現代最高という評価は揺るぎない。ソビエト連邦時代は国外での演奏が滅多に許されなかったが、ペレストロイカ以降の1980年代にようやく国際的演奏活動が活発化してから、次第に現在の名声を得た。つまり、生まれがソ連だったのでそれほど知られていなかったが、今や「最高の最高!」なわけである。今回の映像は、2017年のトリノでのリサイタルだ。
プログラムは、モーツァルトのソナタ15番ハ長調 K.545(ピアノを習う誰もが弾くあの曲)と、幻想曲ハ短調 K.475・ソナタ14番ハ短調 K.457 のペア。それにベートーベンの27番 OP.90 と32番 OP.111 、そしてシューベルトの「楽興の時」D780 から第1番ハ長調、ショパンのノクターン OP.32-1 ロ長調と OP.32-2 変イ長調の2曲を演奏した。アンコールにラモーとかシューマンとかドビュッシーの小品を弾いて、破れんばかりの拍手のうちにコンサートは終わった。体型は腹の出たおデブちゃんで、頭は白髪のハゲチャビンである。お世辞にも「素敵!」なんて言えない見てくれだが、音楽家は見かけでは無いのでこれはこれで良いだろう。もちろん彼の若い頃はもっとスリムなイケメンである。プログラムは、決して大向こう受けする派手な曲は入っていない。どちらかと言えば「物足りない曲」ばかり並んでいる印象である。ところが始まってみてモーツァルトの曲の最初のフレーズが歌い出されるや否や、その「語るようなピアノの響き」に魅了されて、ついつい最後まで「聞き入って」しまった。
彼のピアノの音は独特である。大抵のピアニストがコンサートで使用するスタインウェイ(多分、Dモデル)を弾いているのだが、右手のメロディが「実に・・・」、と書きかけてハタと困った。ここで彼の奏でる美音を何とか表現したいのだが、適切な言葉が見つからない。まあ音楽を言葉で表すのは、所詮無理なのである。音楽なんだから。
とにかく、音が綺麗でバランス良くメロディを浮き立たせて弾いている。よく、早いパッセージなんかを「ウワーン」と弾きまくっちゃう速弾き自慢のピアニストがいるが、そう言う「下品な弾き方」は彼はしないのだ。かと言ってギレリスやワイセンベルグのような「硬い石を叩きつけるような重量感」ではなく、むしろヤマハを弾く「スビャトスラフ・リヒテル」に近い音で、「柔らかくてしっとりとした響きで、存在感を主張する」演奏である。どこが違うと言って、「アタック音が他のピアニストと違う」としか言いようがない。確かに、彼の紡ぎ出すメロディは「空中にしばらく漂っている」ように限りなく美しい。勿論、今回はプログラムがプログラムだけに確認できなかったが、これぞ「ロシアン・ピアニズム」と言いたくなるような圧倒的な技量は、コンサートの間に何度かあったのは確かである。
彼は癖なのだろうが、常に演奏中に「口をパクパクさせて」いる。何か歌っているのだろうか。そう言えば彼の演奏は「歌を歌っている」ようにも聞こえるのである。モーツァルトは特にそうだった。そう言えば彼の演奏を聴いていて思ったのだが、ベートーベンでは「歌わない部分」が結構多かったのではないか。ベートーベンの音楽は、モーツァルトを違って「歌じゃない」かも知れない。だからベートーベンの緩徐楽章はいつも同じような曲想なんだと合点がいった。パターンが一緒なんである。そしてベートーベンのアダージョは、結局は「和音の変化」だけのようだ。つまり「伴奏だけ」で緩徐楽章を済ましている。そこはモーツァルトが「千変万化する心の襞を、切なく歌に託した」のとは決定的に違うところだ。ベートーベンがオペラを作曲しなかった理由も、そこにあったのだろう(ベートーベンの唯一のオペラ・フィデリオは、私は失敗作か練習作だと思っている)。
もしかするとベートーベンは曲を「描写音楽」と捉えていたのかも知れないな、と思い始めた。ベートーベンが「自分の感情を表現しようとした時」は、実に平凡な作品しか作れていない。ベートーベンの曲で私の好きなものはピアノ曲にはなくて、「何を隠そう、実は弦楽四重奏曲」なのである。彼の四重奏曲はクリーブランド・カルテットの全曲版を持っているが、実に深く高度に技術的で、しかも描写音楽的なのに「精神的」でもあると私は思っている。彼によって始まった「描写音楽という新しい音楽のスタイル」が、最初に身の回りの自然の景色や、英雄の活躍談などをイメージ的に描写していた頃から一段上のレベルに上がって、徐々に「精神世界の奥深い闇と光を描く」ようになった時、ベートーベンの真骨頂が現れる。私は時々ベートーベンの弦楽四重奏曲を聞いていて、何だかわからないが毎回「極度の張り詰めた、終わりなき緊張感の連続」を味わっている。このような境地に達したのは、後にも先にもベートーベンただ一人だと思っている(モーツァルトの弦楽四重奏・五重奏は、また別の意味で超名曲だが)。
この緊張感は良い音楽には「必ず現れる」もので、モーツァルトでは最初から最後まで「美しい感情の緊張が続いて」いて、他の作曲家のレベルを圧倒している。一方ベートーベンでは、その緊張感が「やや低く」なってしまうが、後期の弦楽四重奏曲では「比較的よく保たれている」ようだ。だが惜しいかな、ベートーベンでは「最後の締め」が足りないか、または「無い」ように感じる。これは多分、時代的要素が入っていると思われるが、聴衆は古典音楽のような長調で終わる「締め」を求めなくなっていて、熱狂や破壊や沈静やその他の剥き出しの描写的感情を、そのまま「丸ごと体感する」ことを選ぶように変化してきたのだと思う。人々は歌による人間相互のコミュニケーションをしなくなり、民衆のデモのように一方的な「感情を外にぶつける一体感」を支えて演出する音楽に喜びを求めるようになったのだ。それは音楽が奇しくも、「サロンから街頭へ」と移って行ったことに示されている。つまり、音楽が1対1の親密なコミュニケーションから、団体で一つの感情を共感する「大衆の合唱」に変わっていったのである。それが第九交響曲合唱つきの最終楽章の「シュプレヒコール」に実ったのは、彼にしてみれば偶然ではないように思えた。
まあ、このような「つまらない考察」をついしてしまうところに、クラシック音楽の楽しみがある。
(2)、マルタ・アルゲリッチ
この後、私はテレビを録画に切り替えて、ちょっと休憩を挟んで「アルゲリッチ」を聞くことにした。。再度聞き直して出た結論は、例えば彼女が弾くチャイコフスキーの協奏曲の「嵐のような下降和音」は、正に音が嵐そのもののように聞こえ、「目にも止まらぬ重和音の連続」は、耳が個別の音として認識出来ないスピードで、一瞬にして走り抜ける爽快感が全身を包み込んだ。彼女はもはや、人間の限界を越えた「超人」であるかのようにも見える。しかも全く技術的な難易度を感じさせず、まるで天使が楽器を演奏しているかの如くに、軽やかに、楽々と弾いてみせるのだ。完敗である。まあ好き嫌いは当然あるが彼女の場合は、年を取って「味が出てくる」タイプ、例えばクラウディオ・アラウのような人生の深奥の哀しみを切々と聞かせてくれるピアニストには、残念だが「なってはいない」ようだ。彼女の音楽は、若い頃の颯爽とした演奏を超えられてはいないと思う。何位しても彼女の場合、とにかく「髪の毛」を何とかするのが先だと思うけど。まあ、これは余談である。
(3)、グレン・グールド
私が初めてグレン・グールドの名前を知ったのは、皆さんと同じく「バッハのゴールドベルク変奏曲」の衝撃の演奏である。それまでのクラシックの伝統に無い斬新な演奏で、何より歯切れのよい圧倒的なスピード感が心地よかったことを覚えている。その後、私が大学オーケストラに入って生まれてはじめて本格的にビオラを練習し、交響曲や弦楽四重奏曲を演奏するようになる頃には、グールドのことはすっかり忘れて、専らワイセンベルグやABMやバックハウスを聞くようになっていた。グールドはクラシックの本流ではなかったのだ。彼はすでに50才という若さで亡くなっているが、近年また静かな人気が起きているという。私も彼がブラームスのコンツェルトを弾いたレコードを買って聞いていた時期があったが、どうも彼が弾くバッハほどの「鮮烈な印象」は得られなかった。彼はゴールドベルク変奏曲でデビューしたわけだが、小気味よいスタッカート調の左右の音形を、圧倒的な速度感で走り抜ける独特の演奏で聴くバッハは、全く斬新な「新しいバッハ」を感じさせて、熱狂的に支持されたのも当然である。その後に多くのピアニストが彼の弾き方を参考にして、色々と変化を加え個性を出しているようだが、彼の「独自の個性」の深みには迫っていないと思う。結局は未だ彼は「謎のまま」である。
彼をもっとよく分析するためには、また別に回を改めて書くことにしようと思う。私はまだ、彼を「好きなピアニスト」とは呼べていないのだから・・・。
話はクラシックと全然違うジャンルから始める。こないだ「ケニーG」がソプラノサックスでテレサ・テンの曲をカバーしているのをラジオで聞いて、すごく耳に心地よかったという経験をした。これはまさに、音楽が「コミュニケーション」であることを端的に表していた。大まかに言えば、コミュニケーションは「言葉」で成り立っている。そして英語と日本語とでは、その言葉が元々持っている「リズム」が違うのである。それがサックスというインストゥルメンタル楽器でメロディを奏でると、「ああこれは日本語なんだな」と妙にホッとして、如実に演奏者の意図が伝わってくるのだ。テレサ・テンの曲をサックスで聞くと、日本人の私には「何を伝えようとしているか、何となく分かって」しまうのである。これこそ音楽のコミュニケーションではないだろうか。
この話を何で最初にしたのかと言うと、ショパンにしろベートーベンにしろ、ヨーロッパ言語圏で作られている音楽が表現している「何か」は、直接的には、日本語圏に住む我々には「伝わらない」のではないか、という問題である。勿論、違うといっても同じ人間同士、何らかの「感じ」は伝わっては来る。そこが言葉と音楽の違いだ。しかし我々にとっては、日本語圏で作られた音楽が「細かい所がくっきりハッキリ」と理解出来るのと比べて、ヨーロッパ言語圏の音楽では「微かなもどかしさ」が残るのだ。つまり演歌と洋楽の違いである(流行のJ-popは、本来の日本語とはちょっと違うから、今は外しておく)。それはメロディに端的に現れる。試しにベートーベンの8番「悲愴」の第2楽章のメロディを、適当な「日本語」の歌詞をつけて口づさんでみると(例えば「あ〜な〜た〜の唇にぃ〜」みたいな)、どうしても間が抜けた曲になってしまう。ここは、歯切れの良いドイツ語の方が「引き締まって」聞こえて心地良いのだ。日本語は全部の音に「母音がつく」ので、どうしても平板な構成にならざるを得ない。それに西洋の詩などに見られる「3音ずつ」のリズミカルな文章構成などは、日本語では3音と言うのは短すぎて中々作れないのである。3音というのは「タタタ、タタタ、タタタ、タタタ」と言うリズムになる。日本語は「タタタタタ、タタタタタタタ、タタタタタ」と言う5ー7ー5形式がぴったり合う(伝統的に身体に染み付いているのかも知れないが)。
たまたま流していたBJトーマスの「雨に濡れても」の歌詞をじっくり聴いてみたら、「Raindrops
Keep Fallin'on My Head・・・」と歌っていて、私の耳には「タータッ、タドゥーダドゥ、ダドゥー・・・」というように聞こえる。まるでスキップを踏んで踊るようなリズムではないか。これが洋楽のリズムである。こないだ NHK のラジオでロシアに移住したピアニストの話を聞いたが、彼はロシアに何年か住んで今度はポーランドに移住するという。ポーランドに住むのは、ショパンを勉強する目的だそうである。彼が言うには、その土地に住んで長く生活していると、次第にその作曲家の「理解が飛躍的に深まる」と言うのだ。それは生活環境とか風景とかもあるだろうが、私は「言葉の関係」が大きいと思う。彼もポーランド語を聞いて理解しようと努力しているうちに、ある日、ショパンのマズルカのメロディが「ポーランド語に聞こえた」と語っていた。それこそ私の言っている「コミュニケーション」である。だから、日本人がヨーロッパ言語圏の音楽を「肌で理解しよう」とするなら、せめて「ヨーロッパ語のリズム」に慣れなければダメだと思うのだ。何もペラペラになれと言っているわけではない。少しで良いのである。その少しが、「モーツァルトやシューマンの楽曲」を理解する上で必要不可欠な、コミュニケーション体験になるのである。
とまあ、そんなことを取り止めもないことを考えていたら、クラシカ・ジャパンで「グレゴリー・ソコロフ」のコンサートが始まった(残念ながら、クラシカ・ジャパンは来月終了だそうだ)。彼はロシア出身の、私と同い年「1950年」の生まれである。彼は多くの批評家から「現代最高のピアニスト」との賛辞を得ている一人と、もっぱらの評判だ。略歴を Wikipedia から引用すると、5歳でピアノを始め、12歳の時に公衆の前でリサイタル。16歳で第3回チャイコフスキー国際コンクールで優勝!。審査委員長エミール・ギレリス以下「全員一致の金メダル」だったと言う。これだけでも現代最高という評価は揺るぎない。ソビエト連邦時代は国外での演奏が滅多に許されなかったが、ペレストロイカ以降の1980年代にようやく国際的演奏活動が活発化してから、次第に現在の名声を得た。つまり、生まれがソ連だったのでそれほど知られていなかったが、今や「最高の最高!」なわけである。今回の映像は、2017年のトリノでのリサイタルだ。
プログラムは、モーツァルトのソナタ15番ハ長調 K.545(ピアノを習う誰もが弾くあの曲)と、幻想曲ハ短調 K.475・ソナタ14番ハ短調 K.457 のペア。それにベートーベンの27番 OP.90 と32番 OP.111 、そしてシューベルトの「楽興の時」D780 から第1番ハ長調、ショパンのノクターン OP.32-1 ロ長調と OP.32-2 変イ長調の2曲を演奏した。アンコールにラモーとかシューマンとかドビュッシーの小品を弾いて、破れんばかりの拍手のうちにコンサートは終わった。体型は腹の出たおデブちゃんで、頭は白髪のハゲチャビンである。お世辞にも「素敵!」なんて言えない見てくれだが、音楽家は見かけでは無いのでこれはこれで良いだろう。もちろん彼の若い頃はもっとスリムなイケメンである。プログラムは、決して大向こう受けする派手な曲は入っていない。どちらかと言えば「物足りない曲」ばかり並んでいる印象である。ところが始まってみてモーツァルトの曲の最初のフレーズが歌い出されるや否や、その「語るようなピアノの響き」に魅了されて、ついつい最後まで「聞き入って」しまった。
彼のピアノの音は独特である。大抵のピアニストがコンサートで使用するスタインウェイ(多分、Dモデル)を弾いているのだが、右手のメロディが「実に・・・」、と書きかけてハタと困った。ここで彼の奏でる美音を何とか表現したいのだが、適切な言葉が見つからない。まあ音楽を言葉で表すのは、所詮無理なのである。音楽なんだから。
とにかく、音が綺麗でバランス良くメロディを浮き立たせて弾いている。よく、早いパッセージなんかを「ウワーン」と弾きまくっちゃう速弾き自慢のピアニストがいるが、そう言う「下品な弾き方」は彼はしないのだ。かと言ってギレリスやワイセンベルグのような「硬い石を叩きつけるような重量感」ではなく、むしろヤマハを弾く「スビャトスラフ・リヒテル」に近い音で、「柔らかくてしっとりとした響きで、存在感を主張する」演奏である。どこが違うと言って、「アタック音が他のピアニストと違う」としか言いようがない。確かに、彼の紡ぎ出すメロディは「空中にしばらく漂っている」ように限りなく美しい。勿論、今回はプログラムがプログラムだけに確認できなかったが、これぞ「ロシアン・ピアニズム」と言いたくなるような圧倒的な技量は、コンサートの間に何度かあったのは確かである。
彼は癖なのだろうが、常に演奏中に「口をパクパクさせて」いる。何か歌っているのだろうか。そう言えば彼の演奏は「歌を歌っている」ようにも聞こえるのである。モーツァルトは特にそうだった。そう言えば彼の演奏を聴いていて思ったのだが、ベートーベンでは「歌わない部分」が結構多かったのではないか。ベートーベンの音楽は、モーツァルトを違って「歌じゃない」かも知れない。だからベートーベンの緩徐楽章はいつも同じような曲想なんだと合点がいった。パターンが一緒なんである。そしてベートーベンのアダージョは、結局は「和音の変化」だけのようだ。つまり「伴奏だけ」で緩徐楽章を済ましている。そこはモーツァルトが「千変万化する心の襞を、切なく歌に託した」のとは決定的に違うところだ。ベートーベンがオペラを作曲しなかった理由も、そこにあったのだろう(ベートーベンの唯一のオペラ・フィデリオは、私は失敗作か練習作だと思っている)。
もしかするとベートーベンは曲を「描写音楽」と捉えていたのかも知れないな、と思い始めた。ベートーベンが「自分の感情を表現しようとした時」は、実に平凡な作品しか作れていない。ベートーベンの曲で私の好きなものはピアノ曲にはなくて、「何を隠そう、実は弦楽四重奏曲」なのである。彼の四重奏曲はクリーブランド・カルテットの全曲版を持っているが、実に深く高度に技術的で、しかも描写音楽的なのに「精神的」でもあると私は思っている。彼によって始まった「描写音楽という新しい音楽のスタイル」が、最初に身の回りの自然の景色や、英雄の活躍談などをイメージ的に描写していた頃から一段上のレベルに上がって、徐々に「精神世界の奥深い闇と光を描く」ようになった時、ベートーベンの真骨頂が現れる。私は時々ベートーベンの弦楽四重奏曲を聞いていて、何だかわからないが毎回「極度の張り詰めた、終わりなき緊張感の連続」を味わっている。このような境地に達したのは、後にも先にもベートーベンただ一人だと思っている(モーツァルトの弦楽四重奏・五重奏は、また別の意味で超名曲だが)。
この緊張感は良い音楽には「必ず現れる」もので、モーツァルトでは最初から最後まで「美しい感情の緊張が続いて」いて、他の作曲家のレベルを圧倒している。一方ベートーベンでは、その緊張感が「やや低く」なってしまうが、後期の弦楽四重奏曲では「比較的よく保たれている」ようだ。だが惜しいかな、ベートーベンでは「最後の締め」が足りないか、または「無い」ように感じる。これは多分、時代的要素が入っていると思われるが、聴衆は古典音楽のような長調で終わる「締め」を求めなくなっていて、熱狂や破壊や沈静やその他の剥き出しの描写的感情を、そのまま「丸ごと体感する」ことを選ぶように変化してきたのだと思う。人々は歌による人間相互のコミュニケーションをしなくなり、民衆のデモのように一方的な「感情を外にぶつける一体感」を支えて演出する音楽に喜びを求めるようになったのだ。それは音楽が奇しくも、「サロンから街頭へ」と移って行ったことに示されている。つまり、音楽が1対1の親密なコミュニケーションから、団体で一つの感情を共感する「大衆の合唱」に変わっていったのである。それが第九交響曲合唱つきの最終楽章の「シュプレヒコール」に実ったのは、彼にしてみれば偶然ではないように思えた。
まあ、このような「つまらない考察」をついしてしまうところに、クラシック音楽の楽しみがある。
(2)、マルタ・アルゲリッチ
この後、私はテレビを録画に切り替えて、ちょっと休憩を挟んで「アルゲリッチ」を聞くことにした。。再度聞き直して出た結論は、例えば彼女が弾くチャイコフスキーの協奏曲の「嵐のような下降和音」は、正に音が嵐そのもののように聞こえ、「目にも止まらぬ重和音の連続」は、耳が個別の音として認識出来ないスピードで、一瞬にして走り抜ける爽快感が全身を包み込んだ。彼女はもはや、人間の限界を越えた「超人」であるかのようにも見える。しかも全く技術的な難易度を感じさせず、まるで天使が楽器を演奏しているかの如くに、軽やかに、楽々と弾いてみせるのだ。完敗である。まあ好き嫌いは当然あるが彼女の場合は、年を取って「味が出てくる」タイプ、例えばクラウディオ・アラウのような人生の深奥の哀しみを切々と聞かせてくれるピアニストには、残念だが「なってはいない」ようだ。彼女の音楽は、若い頃の颯爽とした演奏を超えられてはいないと思う。何位しても彼女の場合、とにかく「髪の毛」を何とかするのが先だと思うけど。まあ、これは余談である。
(3)、グレン・グールド
私が初めてグレン・グールドの名前を知ったのは、皆さんと同じく「バッハのゴールドベルク変奏曲」の衝撃の演奏である。それまでのクラシックの伝統に無い斬新な演奏で、何より歯切れのよい圧倒的なスピード感が心地よかったことを覚えている。その後、私が大学オーケストラに入って生まれてはじめて本格的にビオラを練習し、交響曲や弦楽四重奏曲を演奏するようになる頃には、グールドのことはすっかり忘れて、専らワイセンベルグやABMやバックハウスを聞くようになっていた。グールドはクラシックの本流ではなかったのだ。彼はすでに50才という若さで亡くなっているが、近年また静かな人気が起きているという。私も彼がブラームスのコンツェルトを弾いたレコードを買って聞いていた時期があったが、どうも彼が弾くバッハほどの「鮮烈な印象」は得られなかった。彼はゴールドベルク変奏曲でデビューしたわけだが、小気味よいスタッカート調の左右の音形を、圧倒的な速度感で走り抜ける独特の演奏で聴くバッハは、全く斬新な「新しいバッハ」を感じさせて、熱狂的に支持されたのも当然である。その後に多くのピアニストが彼の弾き方を参考にして、色々と変化を加え個性を出しているようだが、彼の「独自の個性」の深みには迫っていないと思う。結局は未だ彼は「謎のまま」である。
彼をもっとよく分析するためには、また別に回を改めて書くことにしようと思う。私はまだ、彼を「好きなピアニスト」とは呼べていないのだから・・・。
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