明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

イチゴ狩りで先っちょだけを食べる似非グルマンは、こうして撃退しろ!

2016-03-30 21:00:16 | 生命・健康・医療
今朝の羽鳥ワイドショーでイチゴ狩り客の最近の乱れっぷりを見て驚いた。確かに先っちょは甘くて美味しい。だからイチゴ狩りで料金が一律なのをいい事に、残りを捨てたゴミが映像で出ていた。入園ルールに反していないから文句を言われる筋合いは無いと言うらしい。羽鳥さんはマナーとか人間性とか生産者の気持ちとか言って「絶対に駄目です」と締めくくっていたが、本当に法律的に許されるのだろうか?

私の考えを言うと、
1 イチゴ狩りは入園料を払って「食べる権利」を得る
2 食べ残しは「食べる権利に含まれない」
3 従って、先っちょだけを食べて残りを捨てる行為は「ただイチゴを摘んでそのまま捨てること」になる
4 捨てたイチゴは数量を量って「料金を請求する」
で、どうだろうか。上記の一文をルールブックに追加するだけで、問題は解決する。羽鳥さん、これを使ってくれれば良かったのじゃないかな。

或いは、「その他、生産者・管理者・販売者・入園者等に不愉快な思いをさせる行為またはその恐れがある場合は、事前の注意なくして実力で排除するか有償の損害請求を行う」と書いておくのもいいかも知れない。何事も法律が全てという風潮は近年増加傾向にあるが、法律というのは自然法・慣習法がベースにあってその一部を文章にしたものである。誰の目にも明らかなことはわざわざ文章にするまでもなく悪であるから、「法律に書いてなくても罰する」のが当たり前なのである。その事を忘れているから、「法律に書いてないことは全て許される」などという不思議な事が起きるのだ。

罪刑法定主義というものもこれと同じで、考えられないようなことが平然と起きる。脱法ドラッグなどは「違法薬物」に指定されてないから違反では無いなどと平気でうそぶき、悪の温床になっているが、そもそも薬物でハイになること自体が「医療目的で医者免許がある者の調合する場合を除き、個人的な快楽を求める行為は処罰の対象である」とでもしておけば良いのに、いちいち薬物名や植物名を列挙するからおかしなことになる。常識や当たり前が通用しない社会が出来つつある今の世の中、新しい常識をこれから作り上げることが「新しい未来、新しい社会」をつくり出すことになる。

と、ここまで書いて今の日本の現状を考えて暗然とした。だから今は、古い常識を破り捨てる時期なのかも知れない。破り捨てることで色々な軋轢や波乱が巻き起こり、その中から新しい常識が生まれてくる。その未来は、我々昭和の黄金期を演出した世代がこの世を去った後、すなわち1950年生まれの100年後、2050年生まれの世代が担う事になる。明治から昭和が生まれたようにである。それでも日本の心が、継承されてゆくと思いたい。

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