昔は第一印象で物を買って間違わなかったものだ。それが最近は必ずと言って良いほどハズレを引くようになってしまった。これは第一印象を支えている何かが、時代の流れに乗れてないことの証拠かも知れない。例えばスニーカーを買おうとシューズショップに行ったとする。以前だったら欲しい形は決まっていた。ハイカットのNBA選手ロゴ入りモデル、大事なのは誰のにするかだけだったが、こないだムラサキスポーツにちょっと寄ったら色々迷ってしまった。さっくり履けるデッキシューズタイプやジョギングするのに軽そうなランニングシューズ、はたまたワイルドな分厚いトレッキングシューズと目移りして決められない。これは自分自身が定まらずにブレているんじゃないだろうか。
いや、そうじゃない。若い時はなりたい自分のイメージも尖ってて、それほど選択肢はなく買う物も限られていたが、年を取ってきて体型も落ち着き、若作りからシニアの渋いオジ様と幅広い選択肢があるだけに頭を悩ましている、そう考えるのが正しいという結論に達した。つまり、芯がないのだ。これは歳が中途半端なわけではなく、若い頃からのファッションから抜けきれずに身体だけオジさんになったことによるギャップを整理できていないためである。だから何を着ても決まらない。外見だけ見ると幾つなのか大体分かるのに、本人の意識はまだ若いつもりでいるからこうなる。いや、わかってはいるのだ。それを「受け入れられない自分に手を焼いている」というのが本音だと思う。
だがオーディオやパソコンなら歳は関係ないからピタッと決まるかと言えば、そうでも無いから始末が悪い。今度はお金があって暇なだけに、ライフスタイルの選択肢が多すぎるのだ。若い頃は最高品質を選んで間違いなかったが、この前HDD録画機を買う時ついディスク容量の小さいのを選んでしまった。ただ見るだけだからそんなにデカイ容量は要らない、無駄だとケチったのだ。そしたら物の見事に半年で容量が一杯になってしまった。外付けハードディスクに退避しようとマニュアルを見たら、これが超面倒くさくて録画時間がかかる代物。安物は買うべきじゃ無いと悔やんだが後の祭り。そもそも録画を長期保存する予定などなく、見たら消すつもりだったのが撮り出したらアレヨアレヨと言う間に1テラのディスクを使い切ってしまった。
そんなこと予想だにしていなかったのが恨めしい。自分のことが全然わかってない。こんな調子で新しいスマホを買おうかどうしようかと悩んでるのだから、まず間違いなく「大ハズレ」をしでかしそうだ。Windows10のモバイルはどうかとか、BlackberryのクラシックがMVNOで買えるから面白いとか、やたらに新しいのに飛びつく癖は全く治っていない。ただハズレを引く確率が100%なだけである。欲しいと思うものが「自分に必要なもの」と違ってる、それだけなのだ。半年も使ってみれば、それが「必要な物じゃ無い」とわかる。だが悲しいことに、買わなければそのことがわからないのである。ちょっと考えればわかりそうなのだが、そのちょっとが如何しても出来ない。歳だなぁと、つくづく感じるのはこういう時だ。自分の立ち位置がわからなくなってる。昔はこんなじゃなかったのに。やはり歳には勝てないな。
周りから頼りにされ責任感を持って毎日を暮らしていた頃は、それなりに自分自身が見えていた。社会的な役割がなくなったと同時に、自分のファッションからライフスタイルがなくなってしまった。ある意味それは当然のことかも知れない。人は皆周りから見られて存在している。何の仕事で何の役割をしているか、それが自分自身のアイデンティティでもあるのだ。ある人はそれなりの服装をし、ある人は変わった服装をする。だが歳を取ってなんでもない老人になると、どんな格好をしていても「ただの老人」である。「ロックしてる会社員」とかではなく、ただの老人なのだ。
つまり老人だというだけで個性がなくなってしまう。それは何かを発信する存在ではなくなったからであり、単に消耗してゆくだけの存在になったからである。歳はとりたく無い、だが嫌でも取ってしまう。少しでも老いを先延ばしにするには、やはり何かを発信し続けるしか無いだろう。それが第一印象をより具体的に、より鮮明にする唯一の方法である。私は今度新しくするスマホを失敗しないで買えたら、まだ耄碌してない証拠だと自分に言い聞かせた。もちろんMVNOである。
果たしてどうなるか。上手く行くだろうか、それとも懲りずに失敗するか、お楽しみにして下さい。
いや、そうじゃない。若い時はなりたい自分のイメージも尖ってて、それほど選択肢はなく買う物も限られていたが、年を取ってきて体型も落ち着き、若作りからシニアの渋いオジ様と幅広い選択肢があるだけに頭を悩ましている、そう考えるのが正しいという結論に達した。つまり、芯がないのだ。これは歳が中途半端なわけではなく、若い頃からのファッションから抜けきれずに身体だけオジさんになったことによるギャップを整理できていないためである。だから何を着ても決まらない。外見だけ見ると幾つなのか大体分かるのに、本人の意識はまだ若いつもりでいるからこうなる。いや、わかってはいるのだ。それを「受け入れられない自分に手を焼いている」というのが本音だと思う。
だがオーディオやパソコンなら歳は関係ないからピタッと決まるかと言えば、そうでも無いから始末が悪い。今度はお金があって暇なだけに、ライフスタイルの選択肢が多すぎるのだ。若い頃は最高品質を選んで間違いなかったが、この前HDD録画機を買う時ついディスク容量の小さいのを選んでしまった。ただ見るだけだからそんなにデカイ容量は要らない、無駄だとケチったのだ。そしたら物の見事に半年で容量が一杯になってしまった。外付けハードディスクに退避しようとマニュアルを見たら、これが超面倒くさくて録画時間がかかる代物。安物は買うべきじゃ無いと悔やんだが後の祭り。そもそも録画を長期保存する予定などなく、見たら消すつもりだったのが撮り出したらアレヨアレヨと言う間に1テラのディスクを使い切ってしまった。
そんなこと予想だにしていなかったのが恨めしい。自分のことが全然わかってない。こんな調子で新しいスマホを買おうかどうしようかと悩んでるのだから、まず間違いなく「大ハズレ」をしでかしそうだ。Windows10のモバイルはどうかとか、BlackberryのクラシックがMVNOで買えるから面白いとか、やたらに新しいのに飛びつく癖は全く治っていない。ただハズレを引く確率が100%なだけである。欲しいと思うものが「自分に必要なもの」と違ってる、それだけなのだ。半年も使ってみれば、それが「必要な物じゃ無い」とわかる。だが悲しいことに、買わなければそのことがわからないのである。ちょっと考えればわかりそうなのだが、そのちょっとが如何しても出来ない。歳だなぁと、つくづく感じるのはこういう時だ。自分の立ち位置がわからなくなってる。昔はこんなじゃなかったのに。やはり歳には勝てないな。
周りから頼りにされ責任感を持って毎日を暮らしていた頃は、それなりに自分自身が見えていた。社会的な役割がなくなったと同時に、自分のファッションからライフスタイルがなくなってしまった。ある意味それは当然のことかも知れない。人は皆周りから見られて存在している。何の仕事で何の役割をしているか、それが自分自身のアイデンティティでもあるのだ。ある人はそれなりの服装をし、ある人は変わった服装をする。だが歳を取ってなんでもない老人になると、どんな格好をしていても「ただの老人」である。「ロックしてる会社員」とかではなく、ただの老人なのだ。
つまり老人だというだけで個性がなくなってしまう。それは何かを発信する存在ではなくなったからであり、単に消耗してゆくだけの存在になったからである。歳はとりたく無い、だが嫌でも取ってしまう。少しでも老いを先延ばしにするには、やはり何かを発信し続けるしか無いだろう。それが第一印象をより具体的に、より鮮明にする唯一の方法である。私は今度新しくするスマホを失敗しないで買えたら、まだ耄碌してない証拠だと自分に言い聞かせた。もちろんMVNOである。
果たしてどうなるか。上手く行くだろうか、それとも懲りずに失敗するか、お楽しみにして下さい。
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