明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

危険運転致死傷罪の適用に考える

2017-11-01 18:00:00 | ニュース
検察は石橋和歩を危険運転致死傷罪で裁こうとしているが、無理である。車を停めて運転していないのに危険運転致死傷罪で裁くのは、法の拡大解釈そのものである。私は高速道路で起きた事件だということを考慮して、普通に命の危険があるのに停めさせた行為は「殺人罪」を適用すべきだと考える。犯人に厳罰を与えたいという気持ちはわかるが、法の適用は拡大解釈を許すと「犯人への憎しみが」優先することになり、起訴事実はどうでもよくなり「いわゆるリンチ」になってしまうのだ。

家族の無念は私も理解できるが、犯罪を裁くというのはそういうものでは無いのではないだろうか。本来は罪を規定して「損得勘定から犯罪を思いとどまる」ことを目指したものが現在の法体制である。つまり「割に合わない」と犯人が思えば、それで目的は達成されるのだ。今回の事件は石橋容疑者が煙草を吸っていて「道を塞いだいるのを被害者が注意したこと」に原因があると伝えられている。私は「法律違反または正当な常識を守らない人に注意した」ことに腹をたてて「逆恨みする人間の暴力的行為」を、「一つの犯罪」として取り締まることを提案する。罪状は「法秩序に対する反逆罪」である。罰は、その結果を見て「全部該当」することで、今回の事件は「逆恨み致死罪」である。

危険運転とかどうとか言っても、本当の罪は「法律違反行為を見て、市民の義務から注意をした」ことに対する「逆恨み」であるから、その逆恨みを罰しなければ「意味がない」。法律とは「もっと現実に即した」ものにすべきである。

法秩序を無視したり馬鹿にしたり反抗したるすることは、法に違反することよりも「重大な犯罪、国家の根本を揺るがす犯罪」であると私は思う。我々は「違法と知らずに違反してしまう」のが殆どであるから、それを「違反だ」と教えてくれる人がいたら(ちょっと腹が立つだろうが)法を犯さないですむのだ。石橋容疑者も「逆恨み罪」の存在を知っていたら、我慢せざるを得なかったのではないだろうか。こんな事件は、もっと簡単に解決すべきだと私はおもう。

なお余談だが、自動車の運転で「人間の操作」に起因する事故が後を絶たないことについて、私は「衝突安全機能付き自動車以外の禁止」を法制化すべきだと言いたい。テレビを見ていると色々なメーカーから「人間が間違っても機械が防いでくれる」ような自動車が続々と売り出されているが、事故を起こした車はどうも安全装置が未装着のように思えるのだがどうだろう。私はさっさと「全部の車に非常停止機能の装着を義務づける」道路交通法を、国会で議論すべきだと思う。老人の運転や危険ドラッグの飲用や酔って運転とかの「すべての事故」の原因が「人間の判断ミス」にあるのだから、もう「安全は機械に頼る」べきであることは明白である。

自動車メーカーは「しゃかりきになって作業し」、出来るだけ早く事故ゼロの時代にするべきである。この際「お金は問題ではない」。お金がなくて装着できないのであれば、「運転しなければよい」。そのくらいの強い意志を、国のリーダーは示す必要があるだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿