最近ネットで話題になっている事には、ひとつの共通点があるように思われる。私もネットで意見を言うようになって8ヶ月になるが、読者からのフィードバックはまだ無い。寂しいかというとそうでも無い。ネットでの発言は言いっぱなしなので気が楽だ。正直言ってくだらない事も記事にしてしまうことが多々有る。そんなに真剣に当ブログを読んで下さっている人もいないと思って、罪の意識はそれほど無いと言えば当たらずとも遠からず。たまに本気になって書きに行く事もあったが、今はその辺はサラリと書こうかと心境の変化を感じている。ネットはこの辺の呼吸が難しい。もともとマイナーなブログではあるのだが、それでも愛読者(と呼べるかどうかは大分怪しいのだが)は10~20人というところか。中には何万人とフォロワーがいるブログがあって、大したパフォーマンスだと思う。しかし言い訳するわけじゃ無いが画像や動画が主流のこの時代に、文章だけで読者を獲得するのは心底大変だ。グルメや温泉や旅行に走ってパチリと写真を撮る式のブログなら簡単なのにとつい愚痴が出る。写真を撮るだけのブログはそれはそれで苦労があるのは知っているがそれでも、文章を書くということは並大抵のことでは無い。読書を散々して「万冊を読み潰してきた蓄積」がやっと出る、それで初めてスタートラインに立てる、そういう世界である。
と、ここまでダラダラと愚痴っているのは、私自身がちょっと行き詰った感があるからで、ブログも少しは変わる必要があると思い始めてきた今日この頃である。私の文章は、旅行記ものにやや個性が出ていると自負しているが、最近マンネリ気味で面白くなくなってるとの批判もチラホラ耳にするようになって来た。ニュースものは以前は切り口に新しさが見られたがこれもここんところ新味に欠けたインパクトの薄いものになりつつある。ゴルフと芸術ものは、もともと趣味で書きなぐっている居酒屋話の駄物だがそれにしても何を言っているかチンプンカンプンの時があるので恐縮至極である。この前から毎日書くようにしてアクセス数を稼ぐ作戦に切り替えたので、一日20人くらいはアクセスして戴けるようになったがそれもまたいつまで持つか。いつか一日で100人を越えたらなんとかひとつのレベルをクリアーしたかなと考えていたが、全然到達しないのでだんだん諦めムードである。実は、アクセス数を増やす方法がわからないのだ。私のブログを見た人の中に検索で引っ掛かった人がいない、アクセス解析の結果そのようである。なんだ全員が知り合いじゃないか?
アクセス数が頭打ちとなると、これからは文章に磨きをかけるしかない。それは文体を持つということでもある。その秘訣は
1 無駄な表現をなくす
2 起承転結を明快にする
3 読み終わってホッとする話題を心がける
以上の三点である。全て難しい。しかし人生の下り坂に向かっている今、何か心に残る文章を書きたいと思うようになって来た。誰の文章でもない私の個性(というものがあればだが)が発揮されて、一読すれば◯◯の文章だねと言われるやうになりたいものである。個性とは私は自然に出てくるものと思っている。だから自分ではどうなるものでもない。ただ、無駄な物を省いていけばそれが私の個性である。それが好かれるか嫌われるかは、実は大した問題ではない。どのみちあの世でアクセス数が大した意味を持つわけでもないし、評価は時の流行り廃りがあって浮き草のようなもの。個性的でありさえすれば、後は内容が真摯だという条件を満たしていること、それだけである。これから1年、文章を磨いていこう。
さて本題のネットの話だが、炎上にはパターンがある。有名人の不倫事件が続いているが、近頃の週刊誌報道は「正義」の名の下に不倫をしでかした有名人を「裁いている」ように見える。不倫は実態から言えば千差万別であり、タイガー・ウッズは精神的ショックで、あっという間に史上最高の選手からただの人に落ちぶれた。あれ程の選手が、である。彼の問題は結局は「彼と奥さんとの問題」に集約されるはずだったが現実は違った。彼が、彼自身の行動を容認できなかったのである。ベッキーと川谷絵音の問題も、本来の当事者がまるで法廷の被告人のように裁かれている。裁く権利を持っているのは配偶者のみであるが、週刊誌やネットがあたかも裁く権利を持っているかのように振舞っている。事件が報道されるとすぐに記者会見を開いて「ご迷惑ご心配をおかけして」と陳謝するのもパターン化している。「悪いことをしたら謝るべきだ」と大衆が審判者のように大所高所からものを言うが、果たして大衆は裁判官なのだろうか。
ここにネットの欺瞞性が潜んでいると思うのだ。お金もなく名誉も地位も権力もない無い無い尽くしのサラリーマンにとって、ネットが今や唯一の力になりつつある。ネットならタダで言いたいことが言えて同調者があっという間にそこらじゅうから湧いてくる。自分と同じ意見の人がこんなに沢山いるんだと思い、数の論理で自分が正しいと思いこむ。だが、実態は何も変わらない。有名人の虚像は落ちても、次の有名人候補が表舞台に出てくるだけ。ネット住民は、自分たちが何者でもないことに気付くことになる。そして週刊誌報道は加熱して「犯罪探し」に血眼になって、次から次へと不倫が明るみに出ることになった。今や不倫しただけでは満足せず、その謝り方に難癖をつけるようになってエスカレートしている。皆んな本当に「他人の不倫など興味があるのか」と思う。最初は驚いて話題にもなるが、いまに不倫などネットの話題にも上らなくなる。トランプ旋風もそうである。
皆んな本当は素晴らしい人に飢えているのじゃないだろうか。ネットが本当に意味あるものになる為には、彼等自身が何者かになる事である。実態こそ真実である。そしてSNSも架空の世界を脱して現実世界に戻って来ることで、初めて姿形を持つ事ができる。何十万人というフォロワーではなく、10人の周りの人ときちんとコミュニケーションが取れる生き方を目指す事が、第一歩ではないだろうか。それが正しい人間の在り方でもあると思う。その為には、文章に個性を持たせる事、まずは短くてもしっかりとした文章を書くことにしよう。
と、ここまでダラダラと愚痴っているのは、私自身がちょっと行き詰った感があるからで、ブログも少しは変わる必要があると思い始めてきた今日この頃である。私の文章は、旅行記ものにやや個性が出ていると自負しているが、最近マンネリ気味で面白くなくなってるとの批判もチラホラ耳にするようになって来た。ニュースものは以前は切り口に新しさが見られたがこれもここんところ新味に欠けたインパクトの薄いものになりつつある。ゴルフと芸術ものは、もともと趣味で書きなぐっている居酒屋話の駄物だがそれにしても何を言っているかチンプンカンプンの時があるので恐縮至極である。この前から毎日書くようにしてアクセス数を稼ぐ作戦に切り替えたので、一日20人くらいはアクセスして戴けるようになったがそれもまたいつまで持つか。いつか一日で100人を越えたらなんとかひとつのレベルをクリアーしたかなと考えていたが、全然到達しないのでだんだん諦めムードである。実は、アクセス数を増やす方法がわからないのだ。私のブログを見た人の中に検索で引っ掛かった人がいない、アクセス解析の結果そのようである。なんだ全員が知り合いじゃないか?
アクセス数が頭打ちとなると、これからは文章に磨きをかけるしかない。それは文体を持つということでもある。その秘訣は
1 無駄な表現をなくす
2 起承転結を明快にする
3 読み終わってホッとする話題を心がける
以上の三点である。全て難しい。しかし人生の下り坂に向かっている今、何か心に残る文章を書きたいと思うようになって来た。誰の文章でもない私の個性(というものがあればだが)が発揮されて、一読すれば◯◯の文章だねと言われるやうになりたいものである。個性とは私は自然に出てくるものと思っている。だから自分ではどうなるものでもない。ただ、無駄な物を省いていけばそれが私の個性である。それが好かれるか嫌われるかは、実は大した問題ではない。どのみちあの世でアクセス数が大した意味を持つわけでもないし、評価は時の流行り廃りがあって浮き草のようなもの。個性的でありさえすれば、後は内容が真摯だという条件を満たしていること、それだけである。これから1年、文章を磨いていこう。
さて本題のネットの話だが、炎上にはパターンがある。有名人の不倫事件が続いているが、近頃の週刊誌報道は「正義」の名の下に不倫をしでかした有名人を「裁いている」ように見える。不倫は実態から言えば千差万別であり、タイガー・ウッズは精神的ショックで、あっという間に史上最高の選手からただの人に落ちぶれた。あれ程の選手が、である。彼の問題は結局は「彼と奥さんとの問題」に集約されるはずだったが現実は違った。彼が、彼自身の行動を容認できなかったのである。ベッキーと川谷絵音の問題も、本来の当事者がまるで法廷の被告人のように裁かれている。裁く権利を持っているのは配偶者のみであるが、週刊誌やネットがあたかも裁く権利を持っているかのように振舞っている。事件が報道されるとすぐに記者会見を開いて「ご迷惑ご心配をおかけして」と陳謝するのもパターン化している。「悪いことをしたら謝るべきだ」と大衆が審判者のように大所高所からものを言うが、果たして大衆は裁判官なのだろうか。
ここにネットの欺瞞性が潜んでいると思うのだ。お金もなく名誉も地位も権力もない無い無い尽くしのサラリーマンにとって、ネットが今や唯一の力になりつつある。ネットならタダで言いたいことが言えて同調者があっという間にそこらじゅうから湧いてくる。自分と同じ意見の人がこんなに沢山いるんだと思い、数の論理で自分が正しいと思いこむ。だが、実態は何も変わらない。有名人の虚像は落ちても、次の有名人候補が表舞台に出てくるだけ。ネット住民は、自分たちが何者でもないことに気付くことになる。そして週刊誌報道は加熱して「犯罪探し」に血眼になって、次から次へと不倫が明るみに出ることになった。今や不倫しただけでは満足せず、その謝り方に難癖をつけるようになってエスカレートしている。皆んな本当に「他人の不倫など興味があるのか」と思う。最初は驚いて話題にもなるが、いまに不倫などネットの話題にも上らなくなる。トランプ旋風もそうである。
皆んな本当は素晴らしい人に飢えているのじゃないだろうか。ネットが本当に意味あるものになる為には、彼等自身が何者かになる事である。実態こそ真実である。そしてSNSも架空の世界を脱して現実世界に戻って来ることで、初めて姿形を持つ事ができる。何十万人というフォロワーではなく、10人の周りの人ときちんとコミュニケーションが取れる生き方を目指す事が、第一歩ではないだろうか。それが正しい人間の在り方でもあると思う。その為には、文章に個性を持たせる事、まずは短くてもしっかりとした文章を書くことにしよう。
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