明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

健康長寿なんて(11)生命と死を科学する・・・(下)

2024-02-29 12:59:21 | 生命・健康・医療

前回の続きを書こうと思って今考えたんだけど、輪廻転生するのは良いとして、次に生まれるのが「人間とは限らないんじゃないか?」問題がまだ未解決で残っている。

例えば食用にされる牛だって、人間と同じように「自意識」はあるだろうとは思う。だとすれば、オギャーッと生まれたら「黒毛和牛だった」ということだって、あり得ない話じゃないではないか!(おお、ノオー!)。飼育している人達はこの牛は最高級の霜降り肉が取れますよなどと言って「愛情たっぷりに育てましたから」とかほざいているが、冗談じゃあない。牛肉にされる身にもなって見ろ!ってんだ、バカヤローどもがぁ!!!、です。牛だって屠殺される時には「悲しげな声で泣く」というじゃありませんか。そりゃあ誰だって死にたくはないよなぁ・・・、マジ可哀想。

とにかく私は「覚醒したら牛だった」ってのは勘弁して貰いたい。というか、絶対に嫌だ!、「ふざけんな!」って話ですよ。やっぱどんなクズでも人間に生まれたいよなぁ・・・

とまあ悲しい話ばかりではシンドイので、笑いも混ぜて書きました。牛と人間の自意識は相当に開きがあるので、人間が死んだら「やっぱり次も同じ人間に生まれ変わる」と思ってもさほど大きな間違いでは無いだろうと思っています。だってそうでしょう?、そうでも考えなきゃあ「やってらんない」じゃああーりませんか(苦笑い)。

とにかく、細かいことは忘れて「生きているうちに」精一杯人生を愉しみましょう。それが思い半ばにして望まざる死を迎えることになってしまった者を弔う事にも繋がると思うし、心からの供養にもなるんじゃ無いかな。弟もきっとどこかで「我々を眺めながら」そう思っている筈。「兄貴は俺の分も楽しく生きてよね」、って・・・

考えてみれば私のように70歳を過ぎた人間にとっては、死というものに対してどんどん「鈍感」になっていくみたいです。というよりかは「ならざるを得ない」という方が正確ですね。いつ自分が死ぬかもしれないと思うと「死をそんなに深刻に受け止める」方がよっぽど辛いと思ったりします。皆んなどうせ最後は死ぬんだから、出来れば旅立つ時には「笑顔で見送って欲しい」というのが正直なところだと思いました。

だから死なんてどうって事ないと考え、大切なのは「武勇と名誉だ」と考えた日本の侍魂が、今考えると結構「当たっている」かも、と思えてきました。葉隠に「武道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉があります(少しあやふやなところがあるので、正確な文章は検索お願いします)。つまり、生きてるうちに出来るだけ華々しい活躍をして、歴史に名前を刻むことが大切だ、という意味に私は取りました。死んだら完全消滅して別の「新しい私」に生まれ変わり、誰もが新規に人生を「再スタート」していくわけですから、「使い捨ての生命」を後生大事に守るのに汲々とするんじゃなくて、大事なのは「どういう人生を送るか」の筈ですね(私の説によれば)。さて、残された人生でいったいどれだけの事が出来るのか?・・・

明日から頑張ります!



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