空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

人の命は定められたもの それにあらがってどうする

2022年07月09日 | 読書・TV感想
人の命は定められたもの。それにあらがってどうする。
あまんじて受け入れ、好きなように生きる。
神仏にすがり、おびえて過ごすのは時の無駄だ。  
NHK「鎌倉殿の13人」より




人間の不安と対立は無くならない。 
(変えられないものと折り合い合いながら生きる)


できるときにはできるように、
できないときはできないように。
そして
ある時はあるように、ない時はないように。

我らは生と死とが同居している世界に生きているので、
二元の状態も片方だけにこだわらないことだ。



ところで
「空」から「色」への変化は以下の様になっている。
片方だけでは存在できない二元である
時空、表と裏、生と死、プラスとマイナスなどの
重ね合わせ状態から
禍福、闇と明るさ、悲しさと喜び、そのような
二元の状態が50対50で次々に休みなく現れる が、
受け入れる側でその比率は変化する。
こうして
片方だけでも存在が可能な状態へと変化する。



だからあるがままでもいいし、
あるがままでなくてもいい。

片方だけでも存在が可能な
低次元の中で、何かにしがみついたり、
何かにこだわってしまっているのは、
コップ(想像上の秩序)の中で
泳いでいるようなものだ。

いい時もあれば悪い時もある。
それは変えられない人生の舞台だ。
悪いことの回避だけに邁進するのではなく、
いい時もあれば悪い時もある。それが
高次元の存在を知ることから生まれる
囚われからの解放だ。


要は
「合成よりも分解を少しだけ先回りさせる」即ち、
負けても構わないと思うと勝つことに
繋がったり、
このような世界だからこそ生きていられる
と感じたりする人間原理。
    動的平衡状態(福岡伸一)より

二元の比率が変わってしまう
低次元の世界にこだわったり、しがみつかない。
自分の心(心の反応ではなく)を変えてみる
変えられないものを自覚して、それを変えようとしない。

あるがままにと思った(合成)途端に、
あるがままでなくなる。
あるがままを捨ててこそ(分解)、
あるがままとなれる。

繰り返しになるけれど、
「こうでなければならぬ」「こうすべきだ」
を捨ててこそ、
「こういう世界だからこそ生きていられる」
が生まれてくる。



ところで
慈善活動と新興宗教は
自己都合を捨てられない人たちの活動かも?

あまり恵まれた状態にないと感じていると、
意味のある人生だということを確認してみたくなって、
あるいは
役に立っている人間だということを確認するために、
人を助ける活動に入りたいと考える。
(合成を優先的にしてしまう)

そこから
あなたはかわいそう!助けてあげる!
その自己都合の虜となって、

慈善活動に入る人

新興宗教に入る人

のめり込むと言われている。



「何かをしなければ」との思い(合成)から
始めることは、
できる時はできるように、できない時はできないように、
といった意識からは離れてしまった状態であり、
囚われからの思い込みである。

だから結論は
囚われや計らいは捨て、回り舞台の風景によって
できる時であればできるように!
となる所以である。



人の命は定められたもの。
それにあらがってどうする。あまんじて受け入れ、
好きなように生きる。(できる時はできるように)
即ち「分解を合成より少しだけ先回りさせる」生き方だ。


身を捨ててこそ身をも助けめ  西行
無義の義  親鸞
はからいを捨ててこそ本当の自分に出会う





















あとがき:参照記事
「人は『正しい』と信じてブレなくなった時に
手に負えなくなる。
自分たちが絶対的に正しいと思っているから、
従わないものを迷わず虐待したり排除したり
できるようになる」という――。
カルトに与えられた答えによって
「正しさに依存」すると、
この決断の責任を自分で取らなくてもよくなる。
今は苦しいがもっと大きな幸福へ向かう
過渡期にあるのだと説明されたら、
それを信ずればよいことになる。
カルト宗教の心地よさ
PRESIDENT Online(2022/07/29 10:00)
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