空観方程式

「色」と「空」の一体化によって可視化され、相互作用で共感・共鳴が生じ、新たなる思いや生命力が実体化される。

厭離穢土 欣求浄土の二項

2023年02月15日 | 読書・TV感想
NHK大河ドラマ「どうする家康」
で取り上げられた松平家の菩提寺は
岡崎市の大樹寺である。
若き家康(元康)が将来に絶望し、
切腹しようとした際に、
寺に掲げられた
「厭離穢土 欣求浄土」によって
「汚れた世をただす」として、
万民の苦しみを無くする姿勢に
再起を決意したとされる。


「厭離穢土 欣求浄土」は単に
戦争反対、平和賛成ではない。
あるいはまた、
天下を武力でもって制する
でもない。
何故
切腹を思いとどまったのであろうか。


以下は其の講座からの抜粋である。
松平元康は桶狭間の戦いで
今川義元が討ち死した事を知り、
命かながら大樹寺に逃げて帰ってくる。
そこで将来に絶望し、
先祖の墓前で切腹自害しようと
その時の住職に告げる。
寺の住職は
若い時から戦場に向かっておるけれども、
その心はただ敵を殺すだけにあるのか?と
元康は、
自分で勇気を振い起こして、
功をたてて、城を落として、国を奪わんとすると。
最後は天下を領せんという事が目的である。
寺の住職は
天に得ざるの国を強奪するというのは、
これ盗人の所為ではないか。
万民のために天下の父母となって
万民の苦しみを無くする
というような事をしていかなければいけない。
そういうことを懇々と諭されて、
時の元康自身は、その大慈大悲の心というもの、
仏教の心というものをはじめて悟る。
そうして
将来安定した日本の国を作るためには
どうあるべきかという事を悟った。

戦乱の根となるものは
全て所有欲からくるわけで、
家康公はその後半生でこれに気づいた。
所有したかにみえるのは
実は預かり物であると。
人間は元来無一物というのは
仏教的な考えが根底にある。

「岡崎学―岡崎を考える―」講座
2006 年 12 月 23 日
「厭離穢土 欣求浄土~家康公の平和思想~」
大樹寺 責任役員 成 田 敏 圀




単に勝つだけの戦いではなく、
戦い(武力)と浄土(平和)の
二項があってはじめて
新しい心が生まれる。
勝つことだけが目的で戦う
自己都合の姿勢から、
穢(けが)れたこの世を
住みよい浄土にするのが
おまえの役目と諭されて、
戦いだけの精神から、一旦立ち止まって、
元に戻って自分と向き合ってみて、
万人の平和のために闘うと考えて、
切腹を思いとどまったとされる。

まさしく、
色即是空から空即是色へと
リセットされた状態、同期したその心である。
片方だけに(自己都合だけに)執着すると、
悲惨な状態となって破綻する。
例えばプラスとマイナスの二項において、
マイナスだけの思考では破綻してしまう。
どうせ死ぬのに何故生きるのか?と。
マイナスとプラスの双方の思考により
はじめて何が本当なのかが見えてくるものだ。
あるいはまた、
何が正しくて何が間違いなのかだけの思考では
何が本当なのかがわからないものだ。

宮沢賢治も現実とファンタジーの二項から
悲しみを乗り越え、苦悩と折り合う方法を見つけた。
人間は本当に苦しい時に「幸せとは何か」と問う。
法華経のように(悲しみと幸福の二項から)
すべてのものが仏として現れる。

現代においても、
イデオロギーだけでは積極性が生まれずに
悲惨な道を歩むことになる。
イデオロギーだけでなく、
人間の自由や意欲との双方があって、
それらが同期してはじめて
積極的な姿勢が生まれてくるものだ。
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