さざなみ日記

日々思うこと、懐かしいことなど、つらつらと…

3万円のフルートと3万円のバイオリン~私と音楽のこと②

2023-11-15 11:00:54 | 音楽
1ヶ月くらい前の前回の記事に、私が高校、大学と、ビオラに打ち込んでいたお話を書きましたが、実は私は、中学生のときは、自分の子どもらと同じ吹奏楽部員でした。(子どもたちに、楽しいよ、はいったら、と勧めたのは、私です。)楽器は、フルートでした。

正式にフルートをはじめたのは、中学生になってからでしたが、実は、そのフルートを買ってもらったのは、小学5年生のときのことです。というのは、私は、小学5年生のときに、千葉市の団地から、郊外の佐倉市に引っ越ししているのですが、その千葉市の小学校には、ブラスバンドがあり、5年生からはいれたのですが、私は、そのブラスバンドでフルートをやることがもう決まっていて、かなり楽しみにしていました。でも、急に引っ越しが決まり、みんなと泣く泣く別れて、ちょっとしょんぼりしていました。そんな矢先に、母が悪いと思ったのか、ジャスコの開店セールで(マリンピアができた当時のこと)、楽器屋さんの店先に詰まれていた3万円のフルートを買ってきて、私に、はいこれ、と渡したのです。

引っ越しその他でお金がかかるときに、3万円でも、かなり母は奮発したのだと思いますが、そして私は、そのときはそれなりに嬉しく、佐倉市に引っ越ししてから、それを眺めたり、ちょっと吹いたり、なんならフルートのお話を書いたりして、楽しんでいました。

しかし、中学生になって、吹奏楽でフルートを実際にはじめてわかったのは、こんなおもちゃみたいな楽器では、とてもやっていけないということでした。当時いなかの、たいして強くもない吹奏楽部でも、フルートの子たちは、みんな最低でも7~8万円はする、ヤマハとかのちゃんとした楽器メーカーの楽器を使っていて(当たり前だったのですが)、こんなメーカーも聞いたこともない、あやしげな楽器を使っているのは、私だけでした。(そして、私は、当然母にちゃんとした楽器を買って、なんて言えませんでした。なんせ、母は当時、時給450円で、フードコートで、死にそうになりながらパートしてましたからね)
加えて、当時の私は、やせっぽちで肺活量が全くなく、ワンフレーズを一息で吹くのすら、難しかったのです。それでやっているうちに、吹奏楽で生きていくのは無理だと思い、高校のときは、オーケストラ部があったので、弦楽器(ビオラね)に転向しました。もっとも、ピアノなどの経験もなく、音感の悪い私は、これもかなり苦戦しましたが。でも、ビオラの穏やかな音が、私は大好きで、加えてオーケストラの中で、万年伴奏パートというビオラのポジションが、目立つことが嫌いで、メロディを奏でる人たちを裏で支えたい、自分の性格にかなりあっていたので、かなりはまって、長いことしていたわけです。

オーケストラ部には、かなり魅力的なひとがたくさんいましたが、なかでも、みんなの憧れを一身に集めていたのは、2つ年上のバイオリンのコンサートマスターの男の先輩でした。本当に彼は、勉強もスポーツもなんでもできて、絵もうまかったらしく、その上バイオリンは、本当に超絶うまかったです。そして、若さゆえのごう慢さがあるというか、自信家で、世の中をななめにみている感じで、いつも不機嫌そうで、そういうところもかっこよく見えました。その自信に満ち溢れたバイオリンの音は、若々しく、キラキラしていて、本当に素敵でした。そして、びっくりしたのは、そのバイオリンは3万円の楽器だったのでした。本当にクラクラしました。3万円でも、こんな素敵な音が出るんだ、と。けっこうお金持ちのおうちの子も多く、高校生でも、100万円のバイオリンとか持っている子もいたので、この事実は、本当に衝撃でした。(ごめんなさい、お金の話ばかりで。そのくらい私の前半生は、お金に苦しめられていました)そしてあとでわかったことですが、彼も私が育った団地と同じ埋め立て地のひとでした。

本当は、その人との思い出には、後日談もあるのですが、まあそれはいつか気が向いたら書くとしまして。

彼は、その後、夢を叶えて、千葉で心臓外科のお医者さまになりました。私は、それをあとから知って、本当に嬉しかったです。まあ、憧れは、憧れのままの方がいいというか。これは遠い昔、私が高校時代の憧れの人のお話です。

年取ってきて、昔話が多くなり、また話が長くなりがちなのは、ご容赦を。
(ほとんど自分のために書いています)