![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/12/9a92970c1e13047d7d540303a703249b.jpg)
まず、情報シェアします。
ヤノベケンジ『サン・チャイルド』光臨プロジェクト in 福島現代美術ビエンナーレ2012 サポーター募集
http://tenpo.ne.jp/KY001/project.html
もうすぐ定員だそうですがまだ足りないそうです。といってるうちに〆切っていたらごめんなさい。
【7/4情報追加:応募口数が定員に達しました。福島県の方からも応募があったそうで感慨深いです。】
サン・チャイルドを福島へ。
ガイガーカウンター「ゼロ」。
ヘルメット無しで大丈夫。
手には太陽。
現在は東京(新木場)第五福竜丸展示館の外に展示中。本日7/1まで!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b0/f191ab5ef40992ba07d708fb8aaaab4c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f9/b2f4f80caed86103e8ce5f8b9a6a15c0.jpg)
信頼できるアーティストの、心のこもった作品を見ると元気が出たりする。
みんながそうではないだろう。
そもそも興味ない人は見ないし、邪魔に思うだろう。
チラ見して間違った解釈のまま、腹を立てたり笑ったり感心し過ぎたりする人も、多いだろう。
でも、アート作品を見て力が湧く人がわずかでもいるのなら、
作品を作る人、展示の機会をつくる人、運ぶ人、携わる人に協力したくなってきた。
ただ、展示を目にする地域の人たちは本当のところどう思うんだろう。作品、お金、その他色々。
福島県が気がかりです、と少しでも伝わればいいのですが。。
とても迷った末に書きました。
サン・チャイルドの足元の花
サン・チャイルドの前方は船着き場
*
もう何年も前から放射能に真剣に向き合っているアーティスト、
ヤノベケンジさん http://www.yanobe.com/
初めて知ったのは2007年のアートイベント(メインは明和電機)。
にわかにファンになりました。
トークショーの後、アーティスト(そうそうたる面々)も客も大きな旅館に移動。
大宴会場で呑みながらご本人たちと車座になってお話しできる夢のような空間にて、、
ヤノベさんの作品群に感動したのでお話ししてみたい…
あ、近くまでいらした!
わ、眼光鋭くコワそう…
話しかけるのを躊躇していると、
『あ!お前 明和のファンやろ!明和のファンなんやろ!?』
私の手元を指差して関西弁。
そう、私は「ジホッチ」(明和電機)を身につけていのだった。
…社長ありがとう、ありがとう黒電話!…
そんな突破口のおかげ様で、「ファンになりました」
『俺の作品は分かりやすいからなぁ』
「…それでもいいと思います」
と言葉を交わすことができ、いい思い出。
*
ヤノベケンジさんの展示イベントに行きました。
会場は、水爆実験の死の灰(文字通り)を浴びてしまった木造漁船「第五福竜丸」の展示館。
新木場の夢の島の、何度も夏フェスで行ってはしゃいでいた場所の奥にあり、
…どうしてもっと早く行かなかったのだろうと思いました。。。
第五福竜丸展示館 http://d5f.org/
急性放射線症→死 がどれほどむごいか。
放射性物質がどれほど広範囲の海に、世界に移動してしまうことか。
魚屋がどれほど大変な目に合うか。
展示を見て学べます。 犠牲者久保山さんのことは忘れません。
おも舵いっぱーい!ラッキードラゴン!(福竜)
*
友人のお父さんに、東京電力勤務の人も、茨城の原発勤務の人もいます。気がかりです。
火力発電などはどこまでいけるんだろう。新しいエネルギーをどうにかできないか。
正直、給料上がらず光熱費上がるのキツイ。つい食費削って痩せてしまう。
でもとにかく、原発って危ないじゃん・・・。
福島第一原発の件が終息したわけでもないし。
また大きな地震もおきると予想されているし。
・・・これ普通の企業だとしたらハイリスク過ぎてやめとくんじゃない?
それでも原発再稼働の判断を下す人は、何を優先順位に考えているの?何があるんだ?
* * *
「アトムの夢」(1989年)高野寛さん
歌詞はこちら
あまりにもぴったりすぎる歌詞。
書かれた高野さんは、チェルノブイリや人形峠に心を痛めていたのでしょう。
明るい曲調で、当時は全く身近に感じられませんでした。全く。…しみじみ歌うと暗いだけだからかな。
先輩達は色々と警告を発してくれていたのですね。。
間違いを認めて前に進めるように。
ヤノベケンジ『サン・チャイルド』光臨プロジェクト in 福島現代美術ビエンナーレ2012 サポーター募集
http://tenpo.ne.jp/KY001/project.html
もうすぐ定員だそうですがまだ足りないそうです。といってるうちに〆切っていたらごめんなさい。
【7/4情報追加:応募口数が定員に達しました。福島県の方からも応募があったそうで感慨深いです。】
サン・チャイルドを福島へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/6e/d221aa1189c274e925e390dd7849319d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/8e/2ab84a868b93e0f616d0ed103b6d58f5.jpg)
ヘルメット無しで大丈夫。
手には太陽。
現在は東京(新木場)第五福竜丸展示館の外に展示中。本日7/1まで!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b0/f191ab5ef40992ba07d708fb8aaaab4c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f9/b2f4f80caed86103e8ce5f8b9a6a15c0.jpg)
信頼できるアーティストの、心のこもった作品を見ると元気が出たりする。
みんながそうではないだろう。
そもそも興味ない人は見ないし、邪魔に思うだろう。
チラ見して間違った解釈のまま、腹を立てたり笑ったり感心し過ぎたりする人も、多いだろう。
でも、アート作品を見て力が湧く人がわずかでもいるのなら、
作品を作る人、展示の機会をつくる人、運ぶ人、携わる人に協力したくなってきた。
ただ、展示を目にする地域の人たちは本当のところどう思うんだろう。作品、お金、その他色々。
福島県が気がかりです、と少しでも伝わればいいのですが。。
とても迷った末に書きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f2/d3a6a58f136d445dee46923970df4203.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/df/8dc1866ca435eceebd87ae4449a0997a.jpg)
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もう何年も前から放射能に真剣に向き合っているアーティスト、
ヤノベケンジさん http://www.yanobe.com/
初めて知ったのは2007年のアートイベント(メインは明和電機)。
にわかにファンになりました。
トークショーの後、アーティスト(そうそうたる面々)も客も大きな旅館に移動。
大宴会場で呑みながらご本人たちと車座になってお話しできる夢のような空間にて、、
ヤノベさんの作品群に感動したのでお話ししてみたい…
あ、近くまでいらした!
わ、眼光鋭くコワそう…
話しかけるのを躊躇していると、
『あ!お前 明和のファンやろ!明和のファンなんやろ!?』
私の手元を指差して関西弁。
そう、私は「ジホッチ」(明和電機)を身につけていのだった。
…社長ありがとう、ありがとう黒電話!…
そんな突破口のおかげ様で、「ファンになりました」
『俺の作品は分かりやすいからなぁ』
「…それでもいいと思います」
と言葉を交わすことができ、いい思い出。
*
ヤノベケンジさんの展示イベントに行きました。
会場は、水爆実験の死の灰(文字通り)を浴びてしまった木造漁船「第五福竜丸」の展示館。
新木場の夢の島の、何度も夏フェスで行ってはしゃいでいた場所の奥にあり、
…どうしてもっと早く行かなかったのだろうと思いました。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/93/608c55077a036c8b7d6ffc3cec8cd0ac.jpg)
急性放射線症→死 がどれほどむごいか。
放射性物質がどれほど広範囲の海に、世界に移動してしまうことか。
魚屋がどれほど大変な目に合うか。
展示を見て学べます。 犠牲者久保山さんのことは忘れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/84/bd38cf31a2329dd3f37651ab7e1da828.jpg)
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友人のお父さんに、東京電力勤務の人も、茨城の原発勤務の人もいます。気がかりです。
火力発電などはどこまでいけるんだろう。新しいエネルギーをどうにかできないか。
正直、給料上がらず光熱費上がるのキツイ。つい食費削って痩せてしまう。
でもとにかく、原発って危ないじゃん・・・。
福島第一原発の件が終息したわけでもないし。
また大きな地震もおきると予想されているし。
・・・これ普通の企業だとしたらハイリスク過ぎてやめとくんじゃない?
それでも原発再稼働の判断を下す人は、何を優先順位に考えているの?何があるんだ?
* * *
「アトムの夢」(1989年)高野寛さん
歌詞はこちら
あまりにもぴったりすぎる歌詞。
書かれた高野さんは、チェルノブイリや人形峠に心を痛めていたのでしょう。
明るい曲調で、当時は全く身近に感じられませんでした。全く。…しみじみ歌うと暗いだけだからかな。
先輩達は色々と警告を発してくれていたのですね。。
間違いを認めて前に進めるように。