「第47章 ヨーロッパの失われたメッセージ」を抜粋紹介します。
フォトチャンネルの菅前総理の件で、お尋ねがありましたので、この根拠の一部を添付します。
立法府で国費を費やして活動する議員は、その職責の有り様が批判をされるのは当然であり、
『議論を尽くして先送り』したり『待った無しの課題が1年以上もまとまらない』といった停滞
する状況を打破するのも議員です。
基礎的条件の深部にある「知識」・「時間」・「空間」に分けて、この硬直した立法府の責任者の有り方を考えてみてください。パフォーマンスをしている最中に、多くの国民が硬直化した制度、仕組みに悩まされ、塗炭の苦しみに喘いでいる、一年前も、今も、そして未来は。
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2012年03月15日 菅直人の政治パフォーマンス「薬害エイズとカイワレ騒動」
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「すっから菅総理」のスタンドプレー 飯島 勲 「リーダーの掟」プレジデント 2011年7.4号
なぜ不信任案が出されたのか
6月2日、菅内閣への不信任決議案が否決された。被災地から「なぜこのタイミングで政争をするのか」と批判の声が上がったが、私は直ちに菅内閣が退陣することが、東北の復興にとって近道であると信じている。被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。
国家備蓄としてガソリンがあるにもかかわらず、被災地には届かない。タンクローリーが手配できない海江田万里経済産業大臣の指導力不足として、以前、この問題を本連載で指摘したが、結局被災地へガソリンを届けたのは、野党自民党の二階俊博衆議院議員だった。二階議員は業界団体に迅速に連絡を取り、経産省と被災地を結んだのだ。このことは、複数の関係者から証言を得ているが、二階議員はその成果について表立って誇るようなことをしていない。菅直人総理も、このような姿勢をとれば、官僚はこの人のために命をささげようと決意するものだ。しかし、自分の延命ばかりが気になって、部下の手柄を取り、怒鳴り散らすようでは人心は離れていく。浜岡原発停止、総理視察、太陽光発電など、PRに執念を燃やせば、その場の評価を得られる。ただ、政まつりごと事は一歩も進むことはできない。この数カ月間、そんな菅総理の実像を永田町や霞が関は嫌というほど見せられてきた。だから不信任決議案を出したのだ。
菅総理は、1996年に厚生大臣に就任し、薬害エイズ、カイワレ大根問題を通して広くマスコミに注目されるようになった。菅総理にとって唯一の「栄光の時代」について、今回私は真実を明らかにしたい。スタンドプレーの原型が、まさにこのときにできあがったのだ。
薬害エイズ訴訟は、95年にまだ十代の少年だった川田龍平さん(現参議院議員)が原告団の一人として実名を公表してからマスメディアでも注目が高まった。当時は自社さ連立政権で、対応にあたったのは日本社会党(現・社民党)の森井忠良厚生大臣だった。森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。
95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。しかし、年が明けた96年1月11日、村山総理の退陣を受けて橋本内閣が発足。森井大臣は退任し、菅厚生大臣が誕生する。
大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。
すぐ言い返す、すぐ怒鳴る……
以来「総理にふさわしい人」として菅大臣はマスコミの寵児となった。一方でファイル探しに汗を流した前大臣は無能呼ばわりされ、キャリアとノンキャリの壁を超えて探し回った官僚たちは情報隠ぺいの犯人扱い。菅大臣はこのときから他人の手柄を横取りし、自らが発表するという手法を確立していたのだ。厚生大臣時代を振り返るとき、もう一つ忘れてならないのが、カイワレ大根の風評被害事件だろう。薬害エイズで人気絶頂となった菅大臣をO-157の食中毒問題が襲った。果断な発表は支持率アップにつながると、2匹目のドジョウを狙い「O-157の原因としてカイワレ大根の可能性が否定できない」と記者会見した。あっという間に全国のスーパーからカイワレ大根が消え、カイワレ栽培農家は大騒ぎとなった。特に大阪の農園経営者は、厚生大臣ではなく、菅個人を訴えると激怒した。
あわてた菅大臣が思いついたのがカイワレを食べるパフォーマンスだった。しかし、関東地方の店先にはカイワレは一パックも残っていない。全国中を探し回り、ようやく数パックのカイワレが見つかった。あわててノンキャリアを買いに走らせたが、このときの交通費などが6万円かかっている。無論、国民の血税からの支出だ。大臣がカイワレをドレッシングもかけずに涙目でむしゃむしゃと食べたところで、風評被害が収まるはずもなく、カイワレ農家は国を提訴した。
パフォーマンスの効果は、農園経営者の訴訟の被告を菅個人から厚生省に変更させた程度にとどまった。菅大臣にはそれでよかったのだろう。
最高裁は04年12月、国に賠償総額2290万円の支払いを命じる判決を言い渡した。菅は、カイワレに関して、合計で2296万円の損害を国に負わせたことになる。自殺者まで出したカイワレ事件。驚くべきことに最高裁で敗訴が確定しているにもかかわらず、本人はこれを成功体験ととらえているらしい。目立つことさえすればマスコミに賞賛される。それを感覚として知っているのだ。菅大臣退任後、厚生省官僚のどん底まで落ちたモチベーションの問題は少しずつ改善されたが、ひとつ困った置き土産があった。クレーマー化した市民運動団体の来訪だ。本当に困っているのであれば、全力で助けるのだが、国を叩くことだけが目的の集団が押し寄せてくると手のつけようがない。
私自身が対応していて感じたのは、問題のある市民運動家には(1)すぐ言い返す、(2)すぐあげつらう、(3)すぐ怒鳴る――という3つの共通点があることだ。第三者が何か指摘すると、相手が口をはさめないほどのスピードで反論する。些細な矛盾を血眼になって探す。相手が納得しないと声を荒らげて怒鳴り散らす。相手をやり込めることが目的では問題も解決のしようがなかった。震災後の菅総理を見ていて、市民運動家の3カ条に付け加える必要があると考えた。それは、上手く立ち回れなくなると、「すぐ誤魔化す」だ。
※すべて雑誌掲載当時
「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」。菅直人副総理兼国家戦略担当相は31日、民主党都連の会合での講演で、激しい言葉で官僚を批判した。
「効果のない投資に振り向けてきた日本の財政を根本から変える」と財政構造改革に取り組む決意を明かした菅氏は、官僚から「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」と説明を受けたことを紹介した後に、「大ばか」発言が飛び出した。官僚嫌いで知られる菅氏は、学業は優秀でも過去の例にとらわれて柔軟な発想に欠けると言いたかったようだが、官僚の反発を招きそうだ。
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では、本文を
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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.254~P.265
第47章 ヨーロッパの失われたメッセージ
グザビア・ド・Cはスパイだ(姓は公表されていない)。冒険家、学者でもあり、いくつもの政府に助言してもいる。そして、ヨーロッパにとって驚くべき提案も行ってもいる。「欧州合衆国」を結成し、「アメリカの力」をうまく利用して新しい超大国を作り、世界各地の野蛮人を押さえつけるために協力すべきだと提案したのだ。
才知あふれるエッセーでこう提案し、フランスのエゴの行き過ぎと考えるものを痛烈に批判するとともに、フランス国籍を放棄してアメリカ国籍を取得した理由を説明した。
グザビアはヨーロッパとアメリカが合併したときの利点をさまざまにあげており、たとえば文化や軍事協力で有利であり、ヨーロッパ人がくわわってアメリカの税収基盤が拡大する点で有利だと説明する。それだけでなく、ヨーロッパ人はアメリカの選挙で投票権を得られる。グザビアの見方では、ほんとうに重要なのはこの点だけだという。
このエッセーに対して、フランス国内の民族右派や左派から激しい非難の声があがった。この提案を額面通りに受け取ったからだが、実際にはグザビアは架空の人物であった。エッセーを書いたのはレジス・ドブレであり、1960年代にチェ・ゲバラやフィデル・カストロの生の声を伝えたことで有名な異端の論客である。
だが、グザビアことドブレが論じなかった点がある。欧米の合併という提案の経済面は分析するそぶりすらみせていないのだ。合併後の欧米に、ヨーロッパは経済面でどのように寄与できるのか。その見返りとしてヨーロッパが得られるものは何なのか。今後数十年にアメリカとヨーロッパの経済はどのような方向に進むのか。富はどちらからどちらに流れるのか。
過去最低
欧米の合併という提案にどのような理論的利点があるにせよ、アメリカとヨーロッパの関係は緊密化するどころか、悪化しているのが現状だ。(中略)中国が勃興して、世界という池に大きな石が投げ込まれたような状況になり、強力な波が起こって、すべての主要通貨と貿易関係に影響を与え、長年の関係が混乱している。過去には、ヨーロッパとアメリカは互いに最大の貿易相手であった。ところが1985年からは、ヨーロッパもアメリカも中国などの新興工業国との貿易を増やしたため、欧米間の貿易はそれぞれの貿易に占める比率が低下してきた。(中略)2004年、CFO誌は「通常の貿易問題でも、アメリカとEUの関係は過去最低の水準にある」と伝えた。(以下略)
拡大する溝
欧米の関係の悪化は通常、イラク戦争をめぐるきびしい対立の結果だとされている。だが、はるかに根深い力が働いている。欧米の同盟に亀裂が生じたのは、西ヨーロッパがソ連の侵攻を恐れなくなり、自国を守るためにアメリカの軍隊と納税者に頼る必要がなくなったときだとされている。これは事実だろうが、これですら、いま起こっていることは説明できない。欧米の亀裂の拡大はそれより数十年前、アメリカが基礎的条件の深部にある要因との関係を変え、知識に基づく経済を築きはじめたときにはじまっている。ヨーロッパの主要国は当時、第二次世界大戦後の復興と、その後の工業経済の拡大を中心課題としていた。~だが、指導的な地位にある経営者や政治家が後ろ向きであり、工業時代の指導原理を信望していて、そこから抜け出すことができなかった。(中略)
日本の例でみたように、先進的な知識経済で成功を収めるには企業と政府の組織を柔軟にしていく必要がある。ところがEUは工業型の中央管理を特徴としており、加盟国の予算と財政についてすら、そうした管理を押しつけている。~2005年に、フランスとオランダの国民投票で欧州憲法の批准が否決された。この憲法は400ページもあり、官僚的な行き過ぎの典型である。アメリカの憲法は権利憲章をくわえても10ページにならないのにと批判されている。
スローモーションのような加速
西ヨーロッパとアメリカの間で格差が拡大しているのは、基礎的条件の深部にある時間に対する姿勢が対照的なことを背景としている。ヨーロッパとアメリカでは活動の速度が違っている。ヨーロッパは在宅勤務を取り入れて従業員が働く時間を調整できるようにする点で、アメリカに大きく遅れている。店舗や事務所ですら、時間の柔軟化や1日24時間週7日の連続型活動などの動き、つまり工業時代に一般的だった時間の使い方から脱却する動きが、はるかに遅れている。企業が現在のグローバル市場でうまく競争していくには、労働力の柔軟性が必要である。だがヨーロッパでは、労働者も雇い主も融通がきかない時間の使い方から抜け出せていない。
この違いは休暇が長く、週労働時間が一般に短く、生活のペースが全般にゆっくりしていることなど、ヨーロッパ人、とくにフランス人が誇りとしている点だけにあらわれているわけではない。食事についての見方にすらあらわれている。アメリカで生まれたファースト・フード産業が世界に広まっているのに対抗して、ヨーロッパは「スロー・フード」運動を開始した。(中略)時間と空間に関する欧米の違いは、ヨーロッパの防衛産業と軍にも影響を与えている。~したがって、生活様式や文化から軍事まで、そして何よりも事業と経済まで、ヨーロッパとアメリカの速度の違いが拡大しているのだ。どちらも、経済の加速と基礎的条件の深部にある時間要因とに、それぞれ大きく違うペースで対応しているのである。
過去の中核地帯
ヨーロッパとアメリカは基礎的条件の深部にある空間との関係でも、大きく違った方法をとっている。
大きいことは良いことだという工業時代の信念に基づいて、EUは地理的な範囲を東へ東へと拡大しており、加盟国を増やし続けている。人口が増えるほど豊かになるとEUの指導層は考えているようだ。だが、ヨーロッパは規模の拡大を追求するなかで、以前の時代の見方で空間要因を扱っている。(中略)だが、ナチスの東方拡大もEUの拡大も、「中核地帯」を制するものが世界を制するというかつてもてはやされた地政学理論を思い起こさせる。~規模を拡大すればかならず経済力が拡大するという陳腐化した想定に固執している。(中略)地理的に近接していないアメリカと日本だけで「超国家組織」を作った場合でも、「ジャメリカ」とでも呼ぶべきこの組織のGDPは、EU加盟25ヵ国の合計を3兆6千億ドル上回る。皮肉なもので、EUは規模と地理的な境界の拡大に懸命になっているが、加盟国のうち知識経済の方向にもっとも進んでいるのは、周辺に位置する中小国である。フィンランドはノキアで、スウェーデンはエリクソンで、共に通信機器に強みをもっている。アイルランドはソフトウェアに強みをもつ。
リスボンの夢
ヨーロッパとアメリカは、基礎的条件の深部にある時間と空間との関係で違いが大きくなってきただけでなく、知識との関係でも違いが拡大している。知識集約型製品もそのひとつだ。(中略)
2000年、ヨーロッパ各国の指導者がリスボンに集り、2010年までにヨーロッパに「世界でもっとも競争力がありダイナミックな知識経済」を築くという大胆な目標をようやく宣言した。
「これほど大笑いするのは、共産党政治局がまったく非現実的な目標を発表したとき以来だ。似たような動きだ」と、宣言が発表されたとき、ポーランドのラデク・シコルスキ元外務次官が語った。
2001年の調査で、欧州委員会はこう結論づけている。~EUとアメリカの生活水準の格差はいま、過去25年で最大になった。
2003年に欧州委員会は、ヨーロッパがバイオ革命の「ボートに乗り遅れ」かねないと警告した(以下略)
2004年、欧州委員会はまたしても叫び声をあげ、「イノベーションは経済の成功のカギだが、この分野でヨーロッパはアメリカに大幅に遅れている」と論じた。
(中略)
2005年には、2010年の目標は急速に忘れ去られようとしており、ヨーロッパの指導者はいまだに研究開発、科学、科学教育に投じる資金をけちっており、いまだに「ニュー・エコノミー」を無視し、脱工業化を「製造業の衰退」だととらえて嘆いているのである。(中略)
フランスの地政学者、エマニュエル・トッドは2003年の『帝国以後』で、ヨーロッパについて「世界一の工業地域」だと記している。確かにそうだ。だがアメリカは世界一の「脱工業大国」である。そしてヨーロッパは、いくつかの重要な例外はあるが、いまだに基礎的条件の深部にある知識との関係を適切に変えていない。そして、革命的な富の体制との関係も。(中略)
西ヨーロッパの問題のひとつは、技術に対する根深い不信感と敵意である。(以下略)
ヨーロッパでも東に目を向けると、旧共産圏の小国では技術恐怖症はそれほど目立たない。(中略)東ヨーロッパのEU加盟国が間もなく、動きの遅い西ヨーロッパからハイテクで高付加価値のニッチ産業を奪うようになり、西の近隣諸国を追い抜く可能性を探るようになる可能性がある。(中略)
ヨーロッパ統合の動きを賛美する意見を信じるのであれば、アメリカの力が強すぎるとみられている現状に対して、ヨーロッパがいずれ世界的な対抗勢力になるだろう。だが、地政学的な力は経済力と軍事力を前提としている。そして、経済力も軍事力もいまでは、あらゆる資源のなかでもとくに無形の性格が強いもの、知識への依存度を高めている。
残念なことだが、ヨーロッパはまだ、昔ながらの郵便で送られたはずのメッセージを受け取っていないようだ。
フォトチャンネルの菅前総理の件で、お尋ねがありましたので、この根拠の一部を添付します。
立法府で国費を費やして活動する議員は、その職責の有り様が批判をされるのは当然であり、
『議論を尽くして先送り』したり『待った無しの課題が1年以上もまとまらない』といった停滞
する状況を打破するのも議員です。
基礎的条件の深部にある「知識」・「時間」・「空間」に分けて、この硬直した立法府の責任者の有り方を考えてみてください。パフォーマンスをしている最中に、多くの国民が硬直化した制度、仕組みに悩まされ、塗炭の苦しみに喘いでいる、一年前も、今も、そして未来は。
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2012年03月15日 菅直人の政治パフォーマンス「薬害エイズとカイワレ騒動」
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51337564.html#more
「すっから菅総理」のスタンドプレー 飯島 勲 「リーダーの掟」プレジデント 2011年7.4号
なぜ不信任案が出されたのか
6月2日、菅内閣への不信任決議案が否決された。被災地から「なぜこのタイミングで政争をするのか」と批判の声が上がったが、私は直ちに菅内閣が退陣することが、東北の復興にとって近道であると信じている。被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。
国家備蓄としてガソリンがあるにもかかわらず、被災地には届かない。タンクローリーが手配できない海江田万里経済産業大臣の指導力不足として、以前、この問題を本連載で指摘したが、結局被災地へガソリンを届けたのは、野党自民党の二階俊博衆議院議員だった。二階議員は業界団体に迅速に連絡を取り、経産省と被災地を結んだのだ。このことは、複数の関係者から証言を得ているが、二階議員はその成果について表立って誇るようなことをしていない。菅直人総理も、このような姿勢をとれば、官僚はこの人のために命をささげようと決意するものだ。しかし、自分の延命ばかりが気になって、部下の手柄を取り、怒鳴り散らすようでは人心は離れていく。浜岡原発停止、総理視察、太陽光発電など、PRに執念を燃やせば、その場の評価を得られる。ただ、政まつりごと事は一歩も進むことはできない。この数カ月間、そんな菅総理の実像を永田町や霞が関は嫌というほど見せられてきた。だから不信任決議案を出したのだ。
菅総理は、1996年に厚生大臣に就任し、薬害エイズ、カイワレ大根問題を通して広くマスコミに注目されるようになった。菅総理にとって唯一の「栄光の時代」について、今回私は真実を明らかにしたい。スタンドプレーの原型が、まさにこのときにできあがったのだ。
薬害エイズ訴訟は、95年にまだ十代の少年だった川田龍平さん(現参議院議員)が原告団の一人として実名を公表してからマスメディアでも注目が高まった。当時は自社さ連立政権で、対応にあたったのは日本社会党(現・社民党)の森井忠良厚生大臣だった。森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。
95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。しかし、年が明けた96年1月11日、村山総理の退陣を受けて橋本内閣が発足。森井大臣は退任し、菅厚生大臣が誕生する。
大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。
すぐ言い返す、すぐ怒鳴る……
以来「総理にふさわしい人」として菅大臣はマスコミの寵児となった。一方でファイル探しに汗を流した前大臣は無能呼ばわりされ、キャリアとノンキャリの壁を超えて探し回った官僚たちは情報隠ぺいの犯人扱い。菅大臣はこのときから他人の手柄を横取りし、自らが発表するという手法を確立していたのだ。厚生大臣時代を振り返るとき、もう一つ忘れてならないのが、カイワレ大根の風評被害事件だろう。薬害エイズで人気絶頂となった菅大臣をO-157の食中毒問題が襲った。果断な発表は支持率アップにつながると、2匹目のドジョウを狙い「O-157の原因としてカイワレ大根の可能性が否定できない」と記者会見した。あっという間に全国のスーパーからカイワレ大根が消え、カイワレ栽培農家は大騒ぎとなった。特に大阪の農園経営者は、厚生大臣ではなく、菅個人を訴えると激怒した。
あわてた菅大臣が思いついたのがカイワレを食べるパフォーマンスだった。しかし、関東地方の店先にはカイワレは一パックも残っていない。全国中を探し回り、ようやく数パックのカイワレが見つかった。あわててノンキャリアを買いに走らせたが、このときの交通費などが6万円かかっている。無論、国民の血税からの支出だ。大臣がカイワレをドレッシングもかけずに涙目でむしゃむしゃと食べたところで、風評被害が収まるはずもなく、カイワレ農家は国を提訴した。
パフォーマンスの効果は、農園経営者の訴訟の被告を菅個人から厚生省に変更させた程度にとどまった。菅大臣にはそれでよかったのだろう。
最高裁は04年12月、国に賠償総額2290万円の支払いを命じる判決を言い渡した。菅は、カイワレに関して、合計で2296万円の損害を国に負わせたことになる。自殺者まで出したカイワレ事件。驚くべきことに最高裁で敗訴が確定しているにもかかわらず、本人はこれを成功体験ととらえているらしい。目立つことさえすればマスコミに賞賛される。それを感覚として知っているのだ。菅大臣退任後、厚生省官僚のどん底まで落ちたモチベーションの問題は少しずつ改善されたが、ひとつ困った置き土産があった。クレーマー化した市民運動団体の来訪だ。本当に困っているのであれば、全力で助けるのだが、国を叩くことだけが目的の集団が押し寄せてくると手のつけようがない。
私自身が対応していて感じたのは、問題のある市民運動家には(1)すぐ言い返す、(2)すぐあげつらう、(3)すぐ怒鳴る――という3つの共通点があることだ。第三者が何か指摘すると、相手が口をはさめないほどのスピードで反論する。些細な矛盾を血眼になって探す。相手が納得しないと声を荒らげて怒鳴り散らす。相手をやり込めることが目的では問題も解決のしようがなかった。震災後の菅総理を見ていて、市民運動家の3カ条に付け加える必要があると考えた。それは、上手く立ち回れなくなると、「すぐ誤魔化す」だ。
※すべて雑誌掲載当時
「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」。菅直人副総理兼国家戦略担当相は31日、民主党都連の会合での講演で、激しい言葉で官僚を批判した。
「効果のない投資に振り向けてきた日本の財政を根本から変える」と財政構造改革に取り組む決意を明かした菅氏は、官僚から「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」と説明を受けたことを紹介した後に、「大ばか」発言が飛び出した。官僚嫌いで知られる菅氏は、学業は優秀でも過去の例にとらわれて柔軟な発想に欠けると言いたかったようだが、官僚の反発を招きそうだ。
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では、本文を
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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.254~P.265
第47章 ヨーロッパの失われたメッセージ
グザビア・ド・Cはスパイだ(姓は公表されていない)。冒険家、学者でもあり、いくつもの政府に助言してもいる。そして、ヨーロッパにとって驚くべき提案も行ってもいる。「欧州合衆国」を結成し、「アメリカの力」をうまく利用して新しい超大国を作り、世界各地の野蛮人を押さえつけるために協力すべきだと提案したのだ。
才知あふれるエッセーでこう提案し、フランスのエゴの行き過ぎと考えるものを痛烈に批判するとともに、フランス国籍を放棄してアメリカ国籍を取得した理由を説明した。
グザビアはヨーロッパとアメリカが合併したときの利点をさまざまにあげており、たとえば文化や軍事協力で有利であり、ヨーロッパ人がくわわってアメリカの税収基盤が拡大する点で有利だと説明する。それだけでなく、ヨーロッパ人はアメリカの選挙で投票権を得られる。グザビアの見方では、ほんとうに重要なのはこの点だけだという。
このエッセーに対して、フランス国内の民族右派や左派から激しい非難の声があがった。この提案を額面通りに受け取ったからだが、実際にはグザビアは架空の人物であった。エッセーを書いたのはレジス・ドブレであり、1960年代にチェ・ゲバラやフィデル・カストロの生の声を伝えたことで有名な異端の論客である。
だが、グザビアことドブレが論じなかった点がある。欧米の合併という提案の経済面は分析するそぶりすらみせていないのだ。合併後の欧米に、ヨーロッパは経済面でどのように寄与できるのか。その見返りとしてヨーロッパが得られるものは何なのか。今後数十年にアメリカとヨーロッパの経済はどのような方向に進むのか。富はどちらからどちらに流れるのか。
過去最低
欧米の合併という提案にどのような理論的利点があるにせよ、アメリカとヨーロッパの関係は緊密化するどころか、悪化しているのが現状だ。(中略)中国が勃興して、世界という池に大きな石が投げ込まれたような状況になり、強力な波が起こって、すべての主要通貨と貿易関係に影響を与え、長年の関係が混乱している。過去には、ヨーロッパとアメリカは互いに最大の貿易相手であった。ところが1985年からは、ヨーロッパもアメリカも中国などの新興工業国との貿易を増やしたため、欧米間の貿易はそれぞれの貿易に占める比率が低下してきた。(中略)2004年、CFO誌は「通常の貿易問題でも、アメリカとEUの関係は過去最低の水準にある」と伝えた。(以下略)
拡大する溝
欧米の関係の悪化は通常、イラク戦争をめぐるきびしい対立の結果だとされている。だが、はるかに根深い力が働いている。欧米の同盟に亀裂が生じたのは、西ヨーロッパがソ連の侵攻を恐れなくなり、自国を守るためにアメリカの軍隊と納税者に頼る必要がなくなったときだとされている。これは事実だろうが、これですら、いま起こっていることは説明できない。欧米の亀裂の拡大はそれより数十年前、アメリカが基礎的条件の深部にある要因との関係を変え、知識に基づく経済を築きはじめたときにはじまっている。ヨーロッパの主要国は当時、第二次世界大戦後の復興と、その後の工業経済の拡大を中心課題としていた。~だが、指導的な地位にある経営者や政治家が後ろ向きであり、工業時代の指導原理を信望していて、そこから抜け出すことができなかった。(中略)
日本の例でみたように、先進的な知識経済で成功を収めるには企業と政府の組織を柔軟にしていく必要がある。ところがEUは工業型の中央管理を特徴としており、加盟国の予算と財政についてすら、そうした管理を押しつけている。~2005年に、フランスとオランダの国民投票で欧州憲法の批准が否決された。この憲法は400ページもあり、官僚的な行き過ぎの典型である。アメリカの憲法は権利憲章をくわえても10ページにならないのにと批判されている。
スローモーションのような加速
西ヨーロッパとアメリカの間で格差が拡大しているのは、基礎的条件の深部にある時間に対する姿勢が対照的なことを背景としている。ヨーロッパとアメリカでは活動の速度が違っている。ヨーロッパは在宅勤務を取り入れて従業員が働く時間を調整できるようにする点で、アメリカに大きく遅れている。店舗や事務所ですら、時間の柔軟化や1日24時間週7日の連続型活動などの動き、つまり工業時代に一般的だった時間の使い方から脱却する動きが、はるかに遅れている。企業が現在のグローバル市場でうまく競争していくには、労働力の柔軟性が必要である。だがヨーロッパでは、労働者も雇い主も融通がきかない時間の使い方から抜け出せていない。
この違いは休暇が長く、週労働時間が一般に短く、生活のペースが全般にゆっくりしていることなど、ヨーロッパ人、とくにフランス人が誇りとしている点だけにあらわれているわけではない。食事についての見方にすらあらわれている。アメリカで生まれたファースト・フード産業が世界に広まっているのに対抗して、ヨーロッパは「スロー・フード」運動を開始した。(中略)時間と空間に関する欧米の違いは、ヨーロッパの防衛産業と軍にも影響を与えている。~したがって、生活様式や文化から軍事まで、そして何よりも事業と経済まで、ヨーロッパとアメリカの速度の違いが拡大しているのだ。どちらも、経済の加速と基礎的条件の深部にある時間要因とに、それぞれ大きく違うペースで対応しているのである。
過去の中核地帯
ヨーロッパとアメリカは基礎的条件の深部にある空間との関係でも、大きく違った方法をとっている。
大きいことは良いことだという工業時代の信念に基づいて、EUは地理的な範囲を東へ東へと拡大しており、加盟国を増やし続けている。人口が増えるほど豊かになるとEUの指導層は考えているようだ。だが、ヨーロッパは規模の拡大を追求するなかで、以前の時代の見方で空間要因を扱っている。(中略)だが、ナチスの東方拡大もEUの拡大も、「中核地帯」を制するものが世界を制するというかつてもてはやされた地政学理論を思い起こさせる。~規模を拡大すればかならず経済力が拡大するという陳腐化した想定に固執している。(中略)地理的に近接していないアメリカと日本だけで「超国家組織」を作った場合でも、「ジャメリカ」とでも呼ぶべきこの組織のGDPは、EU加盟25ヵ国の合計を3兆6千億ドル上回る。皮肉なもので、EUは規模と地理的な境界の拡大に懸命になっているが、加盟国のうち知識経済の方向にもっとも進んでいるのは、周辺に位置する中小国である。フィンランドはノキアで、スウェーデンはエリクソンで、共に通信機器に強みをもっている。アイルランドはソフトウェアに強みをもつ。
リスボンの夢
ヨーロッパとアメリカは、基礎的条件の深部にある時間と空間との関係で違いが大きくなってきただけでなく、知識との関係でも違いが拡大している。知識集約型製品もそのひとつだ。(中略)
2000年、ヨーロッパ各国の指導者がリスボンに集り、2010年までにヨーロッパに「世界でもっとも競争力がありダイナミックな知識経済」を築くという大胆な目標をようやく宣言した。
「これほど大笑いするのは、共産党政治局がまったく非現実的な目標を発表したとき以来だ。似たような動きだ」と、宣言が発表されたとき、ポーランドのラデク・シコルスキ元外務次官が語った。
2001年の調査で、欧州委員会はこう結論づけている。~EUとアメリカの生活水準の格差はいま、過去25年で最大になった。
2003年に欧州委員会は、ヨーロッパがバイオ革命の「ボートに乗り遅れ」かねないと警告した(以下略)
2004年、欧州委員会はまたしても叫び声をあげ、「イノベーションは経済の成功のカギだが、この分野でヨーロッパはアメリカに大幅に遅れている」と論じた。
(中略)
2005年には、2010年の目標は急速に忘れ去られようとしており、ヨーロッパの指導者はいまだに研究開発、科学、科学教育に投じる資金をけちっており、いまだに「ニュー・エコノミー」を無視し、脱工業化を「製造業の衰退」だととらえて嘆いているのである。(中略)
フランスの地政学者、エマニュエル・トッドは2003年の『帝国以後』で、ヨーロッパについて「世界一の工業地域」だと記している。確かにそうだ。だがアメリカは世界一の「脱工業大国」である。そしてヨーロッパは、いくつかの重要な例外はあるが、いまだに基礎的条件の深部にある知識との関係を適切に変えていない。そして、革命的な富の体制との関係も。(中略)
西ヨーロッパの問題のひとつは、技術に対する根深い不信感と敵意である。(以下略)
ヨーロッパでも東に目を向けると、旧共産圏の小国では技術恐怖症はそれほど目立たない。(中略)東ヨーロッパのEU加盟国が間もなく、動きの遅い西ヨーロッパからハイテクで高付加価値のニッチ産業を奪うようになり、西の近隣諸国を追い抜く可能性を探るようになる可能性がある。(中略)
ヨーロッパ統合の動きを賛美する意見を信じるのであれば、アメリカの力が強すぎるとみられている現状に対して、ヨーロッパがいずれ世界的な対抗勢力になるだろう。だが、地政学的な力は経済力と軍事力を前提としている。そして、経済力も軍事力もいまでは、あらゆる資源のなかでもとくに無形の性格が強いもの、知識への依存度を高めている。
残念なことだが、ヨーロッパはまだ、昔ながらの郵便で送られたはずのメッセージを受け取っていないようだ。