アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
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アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)011

2012年04月10日 10時20分52秒 | 富の未来(下)
さて、最終章に近づいてきました。第49章アメリカ国外の情勢を抜粋添付します。
第48章アメリカ国内情勢から次回紹介する第50章目に見えないゲームのゲームを
3章通して読まないと理解できないと思います。第48章に目を通した上で、今般
の第49章を読んでください。では。

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.283~P.309

第49章 アメリカ国外の情勢
 世界的な世論調査を行うと、アメリカの膨大な富は世界の貧乏人から搾り取ったか盗んだものだと信じている人がきわめて多いことが分かる。反米、反グローバル化の抗議運動で使われるスローガンでも、この見方が前提になっていることが多い。そして、同じ見方が前提になって、一見学術的な本や論文が大量に書かれており、アメリカは新しい「ローマ帝国」、典型的な帝国主義の最新例だと主張されている。中国が好む表現を使えば、新しい「覇権国」だとされている。
 この類推の問題は、21世紀モデルのアメリカの現状にあわないことだ。アメリカがそれほど豊かで強力な覇権国なのであれば、2004年にアメリカ国債の40パーセント近くを外国人が保有しているなどということがありうるだろうか。ローマ帝国が世界を支配していたときもそうだったのだろうか。大英帝国もそうだったのだろうか。
(中略)
 アメリカは確かに強力であり、世界中で確かに影響力を行使している。だが、アメリカを、そして世界をこのように描き、理解することにはどこかに問題がある。いまだに農業時代と工業時代の感覚で考えているのだ。知識集約性が高まるとともに、世界を舞台に戦わせるゲームは、ルールも参加者も様変わりしている。そして富の未来も様変わりしているのである。

古いゲーム
 イギリスは工業時代に「太陽の沈むことのない帝国」と呼ばれたころ、どう動いていたのだろう。遅れた農業経済の植民地、たとえばエジプトから綿花を安く買い叩く。綿花をリーズからランカスターの工場へ送り、そこで加工し、付加価値を高めた綿織物にしてエジプトに送り返し、高くつり上げた価格で売る。こうして得られた「超過利潤」をイギリスに送り返し、工場の新設に使う。イギリスの強力な海軍、陸軍、行政組織が植民地内の反乱を抑え、植民地外からの競争を排除する。もちろんこれは、はるかに複雑な過程を戯画化したものである。だが、帝国のゲームでカギになるのは、その時点での最先端技術の成果、たとえば綿紡績工場をリーズやランカスターに維持することであった。これに対していまは、先進的な経済は知識に基づくものになり、工場の意味は低下している。重要なのは工場ではなく、工場が依存している知識である。(中略)外国人留学生のうち本国に帰る人の比率が上昇しており、その際には大規模ネットワーク技術、ナノテク、遺伝子工学などの最先端の科学技術知識を本国に持ち帰っている。帝国主義や新植民地主義の国が過去に行ったこととは違っている。

「高貴な行動」
 第二次世界大戦によって、工業時代の典型的な植民地主義の終わりがはじまった。
 (中略)戦争が終わって3年の後、いまでは「帝国」と呼ばれているアメリカが変わった行動をとった。
 ドイツに賠償を要求して残された工場設備や鉄道車両、産業用機器を根こそぎ持ち去るのではなく(共産主義国家ソ連はそうしたが)、競争相手の弱みにつけこむこともなく、マーシャル・プランと呼ばれるヨーロッパ復興援助計画を開始したのだ。この計画のもと、アメリカは4年間に130億ドルをヨーロッパに注ぎ込み、うち15億ドルを西ドイツに注ぎ込んで、生産能力の再建、通貨の強化、貿易の再開を支援した。日本にはこれとは別の計画のもと、総額19億ドルを援助し、うち59%を食料、27%を産業用資材と輸送用機器の提供にあてている。第二次世界大戦期にイギリスを率いた偉大な指導者、ウィンストン・チャーチルはマーシャル・プランを「歴史上もっとも高貴な行動」と呼んだ。だが、戦争中の同盟国と敵国をともに支援したのは、慈善のためではなかった。長期的な経済戦略の一部であり、それが見事に成功している。
 (中略)
 1950年代初め、世界の人口のわずか6%を占めるに過ぎないアメリカが、世界のGDPの30%近くを占め、工業生産の半分を占めていた。そして競争に直面することはほとんどなかった。

反発と混乱
 現在の世界は当時と様変わりしている。世界のGDPは1990年基準の実質ベースでみて、1950年の5兆3千億ドルから2004年の51兆ドルに増加した。そして、世界の金銭経済におけるアメリカの役割は劇的に変化している。ヨーロッパ、中国などの地域は経済が回復するとともに、強力な競争相手になった。~だが、これは相対的にみたときの話であり、絶対ベースでは事業が大きく違っている。1950年代半ば以降、アメリカの富は金額ベースで(いうまでもなく、時代後れで不適切な経済指標でみたものだが)、急増している。実質GDPは1952年の1兆7千億ドルから2004年の11兆億ドルに増加した。知識に基づく技術、プロセス、組織、文化の寄与に関する統計は「ソフト」で異論も多いが、アメリカは工業大国というだけであれば、軍事的、経済的な競争力を維持できなかったはずだ。いまのような反発と無理解にはぶつかっていなかったはずだ。(中略)上記に関連してアメリカが浴びているもうひとつの非難、「文化帝国主義」とその背景にある経済的利益に対する非難である。~アメリカは批判者がいうように、他国に文化を押しつけているのだろうか。それとも何か別の動きが起こっているのだろうか。

均質化の反転
 その答はすでに述べたように、二つのアメリカがあるというものである。均質化を追求しているのは過去のアメリカ、大量生産のアメリカであって、未来のアメリカ、非マス化のアメリカではない。前述のように、大量生産では、画一的な製品を繰り返し製造するか販売し、製品をできるかぎり変更しないようにすることで規模の経済を確保できる。(中略)
要するにカスタム化のコストがゼロに近づいており、消費者が個性を重視するようになっているので、画一性への流れが逆転し、多様性への流れが中心になるだろう。
(中略)
 要するに、文化の均質化は、アメリカのうち、急速に衰退している大量生産部分が伝えるメッセージだ。異質性、非マス化、個人化がアメリカのうち、急速に成長している部分のメッセージであり、この部分は多様性を必要とし、多様性を作り出している。そしてこれは物理的なものやコミックだけの話ではない。 
(中略)
いまほんとうに問題になっているのは、アメリカがどこまでの均質性を作り出すのかではない。他国の政府や文化、宗教が多様性をどこまで抑圧するのかである。
アメリカが現在、世界で唯一の超大国だといえるかもしれない。しかしアメリカは、過去の超大国が直面しなかったし、想像すらしなかったほどの制約と複雑さに直面している。
アメリカは自国の利益だと考えるもの(往々にしてそう誤解しているもの)に基づいて行動しており、革命的な富の勃興とともに、新たに多層的な世界秩序を作りだしている。これは前の世代の指導者が予想したものとは大きく違っている。まずは、過去に例のない目に見えないゲームのゲームについてみていこう。