アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第十章 鉄砲水

2014年12月24日 02時04分46秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第十章 鉄砲水
 産業時代は、悠久の歴史のなかでみると、わずかに三世紀という短い期間の、鉄砲水のような出来事であった。産業革命はなぜ起こったのか。第二の波はなぜ全世界を席巻しえたのか。それは、まだ謎である。 小さな変化の流れが、たまたまこの時期に合流し、大河となった。新世界の発見は、産業革命前夜のヨーロッパに、文化の面でも経済の面でも、大きな刺激を与えた。人口の増大は都市への人口流入をうながした。イギリスでは森林資源が枯渇したため、燃料を石炭に切り換えざるをえなかった。このため、炭鉱の坑道はますます深くなって、従来の馬が動かしていた揚水機では、坑内に湧き出る水を排水しきれなくなってきた。この問題に対処するために開発されたのが蒸気機関である。蒸気機関の完成は、新しい科学技術のすばらしい可能性を、いっせいに開花させることになった。やがて、産業を中心にすえた考え方がひろがり、教会や政治の権力を脅かすことになる。文盲率が低下し、道路が改善され、交通機関が発達すると、これらの変化は一点に集中し、歴史の堰をきっておとす力となったのである。
 産業革命の原因はなにかという問いは、不毛である。原因はひとつにしぼることができないし、ほかにくらべてとくに有力な原因をあげることもむずかしい。歴史は工業技術の発展だけで展開するわけではない。理念とか価値観といったものも、単独で原動力になるとは考えられない。歴史を動かす力を階級闘争にだけ求めるのも、間違いである。生態的変化や人口の動態、通信技術上の発明といったものを記録するだけが歴史ではない。産業革命にしても、ほかの歴史上の出来事にしても、経済学的視点からだけでは説明ができない。原因をひとつだけにしぼって、あとはみな従属的な要員だと言い切れるようなものがあるわけではない。さまざまな要因が際限なく、複雑にからみあっているのである。
 迷路のように入りくんだ原因を解明しようとしても、それらの相互作用をつきとめることすら不可能である。せいぜいできることと言えば、それぞれの目的にいちばん合致した要因に焦点をあててみることになる。しかし、それとても、なぜその要因だけをとりたてて選ぶのかを説明するのは、無理だということを認識する必要がある。そうした前提をふまえたうえで、第二の波の文明を形成する力となった諸要因のなかで、生産者と消費者とが分断され、その間の亀裂がひろがったこと、資本主義国においても、社会主義国においても、市場と呼ばれる網の目のような流通網が形成されたことが、もっとも影響力のはっきりしている点だと言うことができよう。
 生産者と消費者が分断され、時間的にも空間的にも、社会的にも心理的にも、その距離がひろがればひろがるほど、市場が現実の社会で果たす役割は重要になった。市場は驚くほど複雑になり、人びとの一連の価値観にも影響をおよぼし、市場というものの持つ比喩的な意味や、それを成り立たせている暗黙の前提が、社会全体を支配するようになった。
 すでに見てきたように、近代の貨幣制度は、この生産者と消費者との間に打ち込まれた見えない楔によって生まれた。中央銀行の制度も、株式市場も、世界貿易も、政策を立案する官僚も、すべてを量でとらえる計量主義的な考え方も、契約至上主義の倫理も、物質主義的傾向も、狭い意味の立身出世主義も、信賞必罰主義も、みな生産と消費の分離と貨幣制度の確立がもたらしたものである。性能の高い計算機がうまれたのもそのためである。計算機の文化的意味を、われわれは軽視しているきらいがある。生産者と消費者との分離は、規格化、分業化、同時化、そして中央集権化に向かって、さまざまな面から拍車をかけた。男性と女性の役割分担や気質のちがいも、この生産と消費の分離に負うところが多い。第二の波をよびさました要因は、ほかにもたくさんある。しかし、大昔から一体であった生産と消費の間に楔を打ち込んだという事実は、それらの要因のなかでも、とくに重視しなければならない。この分裂の余波は、今日なお続いている。
 第二の波の文明によって技術革新が起こり、自然や文化が変わったばかりではない。人間そのものが変わり、その結果、新しい性格を帯びた社会が生まれることになった。もちろん、女やこどもも第二の波の文明を形成するのに寄与し、また第二の波は逆に、女やこどもにも影響を与えた。しかし、男性は女性より直接に市場にかかわりを持ち、新しい仕事のやり方を経験したので、はっきりと産業主義的性格を身につけた。したがってこの場合は、こうした新しい性格を要約して産業的人間=インダスリアル・マンという言葉を用いても、女性の読者に許していただけるのではないかと思う。
 産業的人間は歴史上のいかなるタイプの人間とも違っている。エネルギーという奴隷を支配し、その上に君臨することによって、自分の微弱な力を極度に強化した。反面、産業的人間は、工場と似たり寄ったりの環境のなかで、機械と組織を相手に生涯の大半を過ごすことになり、そこでは、個人がまるでちっぽけな存在になってしまった。幼い頃から、生きていくためには金銭が必要だということを教え込まれるようになったが、こんな事態は歴史上はじめてであった。彼は核家族の一員として育ち、工場に似せてつくられた学校に通うのが普通である。そして、世の中のことは、だいたいマスコミをとおして知る。彼は大会社に勤めるか官庁に勤務し、労働組合とか教会などの組織に所属して、自分の力をそれらに按分しながら生きている。自分の住む町や村への帰属意識はうすれ、国家への帰属意識が強くなった。自然と対峙して生活し、日頃から自然を荒廃させる仕事をしている場合が多い。それにもかかわらず、終末になると自然を求めて旅に出かける。(逆説的ではあるが、自然を痛めつければ痛めつけるほど、自然をロマンチックに謳いあげ、言葉の上だけで自然を賛美するのである。)産業的人間は自分自身を、巨大化した経済、社会、政治体系のからみあいの中のほんの一部と考えるようになり、それらの諸体系のあまりの複雑さに、そのひろがりを見失ってしまうのである。
 こうした現実に直面して、産業的人間はしばしば反抗を試みたが、失敗に終わった。生活のために闘い、社会から要請されている自分の役割を演じる術を心得るようになった。与えられた役割には不満なことが多かったが、やがて順応してゆく。生活水準は向上したが、自分自身では豊かな社会の犠牲者だと思っている。産業中心の社会では、時間は直線であり、自分自身は、過去から未来に向かって秒きざみで、ひたすら走り続け、行き着く先は墓場だと感じている。死が近づくにしたがって、この大地も、そこに住む人間も、広大な宇宙の中の一点に過ぎないことを悟るのだった。宇宙の運行は機械のように正確で、また冷酷なのだ。
 産業的人間は、それまでの人間がさまざまな意味でまったく知ることのできなかった世界に、身を置くことになった。人間の五感に訴えるものまで変わってしまったのである。
 第二の波は、音の世界も変えた。雄鶏の時をつくる声は工場のサイレンにとって代わられ、こおろぎの声はタイヤのきしむ音にかき消された。夜は昼のごとく明るくなり、就寝時間が遅くなった。これまでだれも目にしたことのない、視覚の世界もひらけた。宇宙から、人間の目では見ることができない地球の写真が送られてくるようになり、一部の映画には、シュールレアリズム的モンタージュがあらわれた。電子顕微鏡は、生命の神秘を解明してくれた。下肥のにおいはしなくなり、代わってガソリンやフェノールのにおいが鼻につくようになった。肉や野菜の味も変わった。五感に訴えるすべての世界が変わったのである。
 人間の体さえ、変化があらわれた。標準的身長が現在のように高くなったのも、この時代に入ってからである。何代にもわたって、こどもが親の身長を追い越し続けてきた。人間の身長に対する考え方にも、変化があらわれた。ノーバート・エライアスは『文明化の過程』のなかで、「16世紀までは、ドイツでもほかのヨーロッパ諸国でも、全裸の人間を目にすることはごく当たり前のことであった」と述べている。裸を恥ずかしいと思うようになったのは第二の波がひろまって以後のことである。夜は寝間着を着て寝るようになり、寝室でのふるまいも変わってきた。食卓用のフォークやナイフが普及した結果、食事まで作法がとやかく言われるようになった。動物の死体を食卓にのせることをめでたい、楽しいことだと考えていた文化から、「肉料理でも、動物の死を連想させる盛り付けは極力避ける」文化へと移行したのである。
 結婚は、経済的な便宜以上の意味を持つようになった。戦争も機械化され、流れ作業のような様相をみせるようになった。親子関係が変わり、社会階層の下から上へ上昇できる可能性が高くなるなど、人間関係がすべての面で変わってきた。そうなると、何百万という人びとの自意識にも、重大な変化があらわれた。
 経済的にも心理的にも、社会的にも政治的にも、その変化はあまりに広範囲にわたるので、人間の頭脳はそれをどうとらえていいのか、戸惑ってしまった。ひとつの文明を評価するには、なにを基準にしたらよいのか。その文明のなかで生きている、大衆の生活水準を基準に評価すべきだろうか。その文明の周辺に生きている人びとに、どのような影響を与えたかという尺度で評価するのはどうだろうか。それとも、生態系に与えた影響も考慮すべきなのだろうか。すぐれた芸術作品を生んだかどうかという基準は成り立つだろうか。その文明が人間の寿命をどのくらい伸ばしたか、科学的成果がどのくらいあがったか、個人にどれほど自由が保証されているか、などを評価の基準にしてはどうだろうか。
 第二の波をかぶった地域には、大恐慌もあり、おそるべき人命の浪費もあった。それにもかかわらず、普通一般の人びとの物質的生活水準が向上したことは確かである。産業中心主義の批判者たちは、18世紀から19世紀にかけてのイギリスにおける労働者階級の悲惨な生活をとりあげ、第一の波の時代をしばしばロマンチックに理想化して描くことが多い。昔の田園生活は心暖まるもので、互いに仲むつまじく、堅い絆で結ばれていた。そして、単なる物質的価値よりも、精神的価値を重んじる時代であったというのである。しかし、歴史的にふりかえって調べてみると、美しい田舎の村も、実際には栄養不良や病気、貧困、浮浪者のはきだめであり、暴虐の温床であったことがわかる。人びとは飢えと寒さに対してまったく無防備で、地主や親方の鞭からのがれる術さえ知らなかった。
 大都会またはその周辺に発生した忌まわしいスラム街については、すでに語り尽くされてきた。粗悪な食べ物、病気を蔓延させる不衛生な水道、みじめな救貧院、絶え間ない暴力沙汰などである。たしかにそれは、ひどい暮らしぶりであったにちがいない。しかし、これも産業革命以前に同じ人びとが経験していた生活条件にくらべれば、大方の人にとって、かなり良くなっていたのは明らかである。イギリスの著述家ジョン・ベイジーは、「イギリスの農村が牧歌的だというのは誇張である」と述べている。かなりの人にとって、農村から、スラム街といえでも都市へ移動するということは、実際には、平均寿命を指標として見ても、住宅条件や食べ物の量や質の点から見ても、飛躍的な生活水準の向上を意味したのである。
 保健医療についても、ガイ・ウィリアムズの『苦悩の時代』やL・A・クラークソンの『産業革命以前のイギリスにおける死・病・飢饉』を一読すれば、第一の波の文明を讃美して、第二の波の時代を批判するのが誤りであることは、すぐわかる。クリスティーナ・ラーナーは、これらの書物に対する批評の中で述べている。「社会史研究家や人口統計学者の研究によって、ひろびろとした農村にも、不健全な都会と同じように、病気や苦悩、死などが蔓延していたことが明らかになっている。平均寿命は短かった。
16世紀には40歳くらいであり、17世紀になると疫病が流行し、35,6歳まで低下した。ようやく40代のはじめまで回復したのは、18世紀に入ってからのことである。・・・結婚しても、夫婦で長い間いっしょに暮らせるのは稀で、幼児の死亡率は極めて高かった。」現在の保健医療行政は間違っており、危機的であるという声を聞く。たしかに現在の保健医療にも問題があるだろうが、産業革命以前には、公的医療は皆無であり、放血が治療として行なわれ、手術は麻酔なしに行なわれていたのである。
 その時代の主な死因は、ペスト、チフス、インフルエンザ、赤痢、天然痘、結核であった。ラーナーは、冷徹な調子でこう書いている。「保健医療の進歩といっても、たかだか死因が少しばかり入れ替わっただけではないかという識者もいる。しかし、そのおかげで、われわれは多少とも長生きができるようになったのである。産業革命以前には、伝染病が年寄りばかりでなく、若者をも無差別に死に追いやっていたのだ」
 さて、保健医療や経済の問題から、芸術やイデオロギーの問題に目を転じてみよう。産業化の時代は物質主義一辺倒の時代だとも言われる。しかし、この時代はそれ以前の封建時代にくらべて、精神的により不毛な時代だったのだろうか。工業を重視し、機械を中心にすえた発想は、前の時代にくらべて新しいものの考え方を、より積極的に受け入れなかっただろうか。たとえば、中世の教会や専制君主にくらべて、どちらが異端に対して寛容だっただろうか。現代の肥大化した官僚機構はうとましいが、それとて、何世紀も前の中国や古代エジプトの官僚制とくらべれば、どちらがより硬直しているだろうか。芸術の面では、ここ300年ほどの間、西欧の小説や詩、絵画などは、それ以前の時代の芸術、あるいは西欧以外の地域の芸術にくらべて、活力がなかったと言えるだろうか。深みがなく、新しい境地を切り開くことがなかった、単純な作品だと言い切れるだろうか。
 第二の波の文明は、われわれの父や母の世代の生活条件を工場させるのに大いに貢献した反面、もちろん、暗い面のあることも事実である。それははじめから予定されていたというよりも、副作用とでも呼ぶべきものであろう。そのひとつは、地球上の生態系をおそらく修復不能なまでめちゃくちゃに破壊してしまったことである。自然を軽視する産業的現実像、人口の増加、科学技術の非人間性、それからまた、第二の波の文明自体が常に拡大再生産を必要としていたことなどが原因となって、歴史上かつてない決定的な自然破壊が起こった。産業化以前の都市には、馬の糞が落ちていたというような話を読んだことがある。
汚染というのはなにも目新しいものではないという証拠として、よくもちだされる例である。たしかに、昔の都市では、道路が下水からあふれ出た汚物でいっぱいになることもめずらしくなかった。しかし、産業時代に入ると、生態系の汚染とか資源の極端な利用という問題はまったく新しい段階に入り、いままでと同じ尺度では律しきれなくなった。
 都市を破壊するというような次元ではなく、地球全体を文字通り存亡の危機にさらすような手段を文明が持つなどということは、歴史上かつてなかったことである。人間の貪欲や不注意の結果、海洋全体が汚染され、種が一夜にして絶滅するというようなことが起こっている。鉱山の発掘は地球の表面を傷だらけにし、ヘアー・スプレーのエアゾールはオゾン層を枯渇させた。熱汚染は、地球全体の気象条件を変えてしまうばかりの勢いである。
 もっとやっかいな問題に、帝国主義の問題がある。南アメリカでは、インディアンが鉱山発掘のために奴隷として使われ、アジア、アフリカ地域では、各地にプランテーション農業が導入されるなど、植民地の経済は工業国のニーズに応えるため、ひどくゆがんでしまった。これらすべてが、結果として、かつての植民地に苦悩、飢饉、疾病、荒廃といった傷跡を残している。第二の波の文明は人種差別を生み、自給自足の小規模経済を、むりやりに世界的な貿易体系にまきこんだ。傷口は、いまだに膿を出しており、癒える様子がない。
 それにもかかわらず、ここでもまた、昔の貧しい自給自足の経済を讃美することは誤りであろう。地球上の、今日なお工業化の進んでいない地域の人びとの生活さえ、300年前にくらべて悪化しているとは言えないのではないか。平均寿命、食糧事情、乳幼児死亡率、文盲率、人間の尊厳といった点からみて、まだまだサハラ砂漠周辺や中央アメリカでは、何百万、何千万という人びとが、筆舌につくしがたい悲惨な生活をおくっている。現状を批判するのに急なあまり、過去を美化し、ロマンチックな昔話をつくりあげてしまうのは罪なことである。未来への道は、過去のいっそう悲惨な生活に逆もどりすることではない。
 第二の波の文明を生んだ原因がひとつだけではないのと同じように、その功罪も一面的にとらえることはできない。私は第二の波の文明を、欠点も含めて描き出そうとしてきた。私は一方でこの文明を非難し、他方でこれを是認するという矛盾をおかしていると思われるかもしれない。しかし、単純な評価は誤解を招く。全面的に讃美することも正しいとは言えないし、全面的に否定し、非難することも的を射た評価とは言いがたい。産業主義が第一の波と、その波のもとで暮らしていた原始的な人びとの生活を瓦解させたさまは、直視できないものがある。第二の波は戦争まで大量生産の一環に組み込んで、アウシュビッツを生み、原子爆弾を用いて広島を灰塵に帰した。これも消すことのできない事実である。第二の波は自己の文化に対して尊大であり、地球上のほかの地域に対して恥ずべき略奪行為を行なった。また、都会のスラムにおける人間のエネルギーの浪費、創造的精神の喪失はおぞましいばかりである。
 しかし、自分たちの時代や同時代人に対する理不尽な嫌悪は、未来を築き上げる最上の基礎とはなりえない。産業主義は、はたして心地よい文明にまどろむ人びとを襲う悪夢だったのだろうか。あるいはまた、広漠とした荒野であり、まったくの恐怖の世界にすぎなかったと言うのだろうか。果たして、科学や科学技術に反対する人びとが主張するように、悪一色に塗りつぶされた世界だったのであろうか。そうした面のあったことは否めない。しかし、すぐれた成果も数多く、けっして悪い面ばかりでなかったことも事実である。悠久の歴史の流れのなかでみると、産業時代もまた、人生そのものと同じように、苦もあり楽もある、長いようで短い時代だったのである。

 暮れなずむ現代という時代を、歴史のなかにどう位置づけるかは別として、産業化の時代は終わったのだということを、明確に理解しなくてはならない。次なる変化が胎動しはじめると、第二の波はエネルギーを使い果たし、力を失って消えて行く。新しい波の到来によって二つの変化が起こり、産業文明は、もはやこのままでは存続しえなくなってくる。
 第一にまず、われわれは自然に対する挑戦の転機にさしかかっているということがあげられる。生態系が、もはや産業主義の攻勢に耐えられない、限界まできてしまっているのである。第二に、これまで産業の発展を支える主要な助成金の役割りを果たしてきた、再生不能のエネルギーに依存することが、もはや出来なくなってしまったということである。
 だからといって、科学技術に支えられた社会がもう終わったとか、エネルギー源がなくなってしまう、ということではない。ただ、これからの科学技術の進歩は、環境問題によって、これまでにない制約をうけざるをえない、ということである。そして、新しい代替エネルギーが開発されるまでの間、産業国家は、おそらく何回も激しい退潮のきざしに苦しむだろう。そして古いエネルギー形態に代わるものを探し出すために苦闘することになるが、それはまた、われわれに社会的、政治的変革をせまることになるだろう。
 ひとつだけ明確に言えることは、少なくともここ何十年間は、安いエネルギーは得られないということである。第二の波の文明は、この文明の発展を支えてきた、二種類の重要な助成金と言うべきものの、ひとつを失ってしまったのである。
 同時に、第二の波にとって、もうひとつの隠れた助成金であった、安い原材料もなくなりつつある。植民地主義あるいは新帝国主義の時代は終わり、産業先進国の進む道は二つしかない。ひとつは代替エネルギーや新しい原材料を、産業先進国相互の貿易によって産業化諸国のなかに求め、非産業国との絆を次第に弱めていく道である。さもなければ、非産業国との貿易を続けるにしても、いままでとはまったく違った条件で貿易をすることになるであろう。どちらの場合にしても、コストはかなり高いものになり、文明の基盤を支える資源事情全体が、エネルギー事情同様、まったく変わってしまうにちがいない。
 産業社会は、外部からの力で変革をせまられるばかりでなく、内部からのちからによっても瓦解せざるをえない。アメリカでは、家族制度そのものが、崩壊の危機に瀕している。フランスでは、電話が問題になっている。(中南米の小さな開発途上国よりも悪い状態におかれている)東京では、通勤電車の混在がひどい。(乗客が駅に押しかけて、駅員を人質に抗議する事件まで起こっている)家族制度、通信体系、交通体系など問題はみな同じで、人間とシステムの緊張関係が、すでに限界点に達しているのである。
 第二の波の体系全体が、危機に瀕している。社会福祉制度の危機があり、郵便制度の危機があり、学校制度の危機があり、保健医療制度の危機があり、都市体系の危機があり、世界の財政制度も危機に直面している。国民国家の存在そのものが問われている。第二の波の価値体系が、崩壊の危機に瀕しているのである。
 産業中心の文明を維持する基盤となっていた役割分担、義務と責任も問い直されている。男女の役割分担に変革を迫る運動は、そのもっともドラマチックなあらわれである。ウーマンリブの運動や、同性愛を法律で公認させようという運動があり、ファッションの世界でもユニセックスの傾向が強まるなど、伝統的な男女の役割分担は、徐々に不明瞭になってきている。職業における役割分担も崩れはじめている。たとえば、看護士と患者はいずれも医療との関係を見直そうとしている。警察官や教師も定められた役割を捨てて、違法とされているストライキをするようになった。法律問題に直面している人びとは、弁護士の役割を問い直している。労働者は次第に経営参加の要求をエスカレートさせ、従来の経営者の役割を侵害しつつある。産業社会を維持する基盤となっていた役割分担にひびが入るということは、毎日の新聞紙面をにぎわす政治的抗議やデモなど、表面にあらわれた変化よりもその意味するところは深く、社会全体に与える影響も大きい。
 産業中心の社会は、その主な助成金の出所を失い、その生命を維持するシステムがうまく機能しなくなった。そして役割分担は崩れていく。こうした圧力がいちばん基本的な、しかもいちばん弱い部分に集中する。それが人格の危機である。第二の波の文明の崩壊は、人格の危機を蔓延させた。
 今日、自分の生き方に自信を失ってしまった何百万という人間が、自分自身の失われた影を求めて映画館に殺到し、芝居を見、小説や、自分のことは自分でやろうという自助の思想を説く本などをむさぼり読んでいる。いかにあいまいであってもアイデンティティーを見出すのに役立つものなら、必死に追い求めているのだ。アメリカにおける人格の危機は、のちに触れるように、目をおおうばかりである。
 人格の危機の犠牲者たちは、精神科医のグループ療法に殺到し、神秘主義の虜となり、性的猟奇に走る。かれらは変革を渇望しながら、来るべき変化に恐怖の念を抱いているのだ。なんとかして現状から抜け出し、新しい生活に飛び込みたい、今の自分とは違った自分になりたいと必死にもがいている。仕事を変え、夫や妻を変え、役割分担を変え、責任分担を変えてみたいと、みんなが願っている。
 思慮ぶかく、愛想がよくて満足しきっているように見えるアメリカのビジネスマンも、現状に不満を持っているという点では例外ではない。アメリカ経営者協会の最近の調査によれば、中間管理職の40%以上が現在の仕事に不満があり、三分の一以上の人びとが、もっと生甲斐のある仕事に変わりたいと願っているのである。不満はそのまま行動となってあらわれることもある。ドロップアウトして農業をはじめたり、放浪の旅に出る人もいる。新しい生活様式を求めているのだ。ふたたび学校へ戻る人もいるし、自分の影を追いかけてぐるぐるまわりをはじめ、少しずつ輪をせばめながらだんだん速度をあげて、ついに倒れてしまう人もいる。
 自分の心のなかの不満の原因を突き詰めていくと、謂れの無い罪の意識にとらわれて悩むことになる。自分の心の中の悩みや不満が、実はもっと大きな社会的危機の個人への反映であるということに、なかなか気がつかないようである。実は、かれらは無意識のうちに、社会の病根を反映した劇中劇を演じているのではないだろうか。
 現在のさまざまな危機は、それぞればらばらの現象だと見ることもできよう。エネルギー危機と人格の危機との関係を、無視することもできるだろう。新しい工業技術と男女の役割分担の変化の関係を、無視することもできるだろう。そのほか、これに類する表面にはあらわれない相互関係に、目をつぶっていることも可能だろう。しかし、そうすることによって、自分自身が崩壊の危機に瀕してしまうのだ。なぜなら、これらの出来事は、いずれもより大きな歴史の流れのなかに位置づけられているからである。われわれの時代を、互いに関係のある二つの変化の波に結びつけ、その二つの波が大きくぶつかりあっているということに気がついてみると、この時代の事象の本質が理解できるようになる。産業化の時代は過去のものとなりつつあり、真の意味で新しい、産業時代に続く時代が始まりつつあるということであり、われわれはそのさきがけとなる、さまざまな変化のきざしを、探り出すことが可能である。われわれは第三の波を確認することができるのだ。
 これからのわれわれの生活の枠組みとなるのは、この変革の第三の波である。滅びゆく古い文明から、いま、その姿をあらわしはじめた新しい文明へ円滑に乗りかえ、しかも自分自身を見失わずに、これから追ってくる、いよいよ激しい危機を乗り切るためには、第三の波の変革を正しくとらえ、むしろ積極的にその変革を推し進めていかなければならない。
 注意深くわれわれの身のまわりに目を向かれば、さまざまな失敗や崩壊現象が交錯するなかに、すでに新しいものが生まれてくる兆し、新しい可能性を見出すことができるのである。
 第三の波は、もはや遠くの浜に打ち寄せる波ではなく、耳をそばだてれば波音がすぐそばに聞こえるほど、身近におし寄せているのだ。

「ぶつかり合う波(完)」