浦上四番崩れといわれた長崎・大村の隠れキリシタン弾圧のさなか、有力藩士の娘として幸せの内に育てられてきた幼い筆子は、罪人への同情を役人にたしなめられ、初めて人間の冷たさに涙し、幼い心を痛める。
海外留学を経験し三カ国語を自由に話せるようになった筆子は、アメリカのグラント大統領来日の折、日本で一番聡明な女性といわれた。華族女学校で教鞭をとり、後の貞明皇后もその教え子であった。また大村藩家老の子息・小鹿島果と結婚。幸せの絶頂にあったが、生まれた長女が知的障害を持ち、次女が生後十ヶ月で亡くなり、三女は結核性脳膜炎、続いて夫も結核で亡くなるなど相次ぐ苦難に襲われ、どん底に突き落とされる。
そこに一脈の光が見えたのは、孤女学院を運営していた石井亮一との出会いであった。筆子は、周囲の反対にあいながらも亮一と結婚、孤女学院を滝乃川学園とあらため、日本で初めての知的障害者施設の創設に尽力した。
長女幸子を天に送り、亮一にも先立たれ、筆子は日本で初めての女性園長として奮闘。幼き日に心を痛めた悲しみと再度向き合いつつ、昭和十九年一月波乱の生涯を閉じた。
たった一つの施設で始めた日本知的障害者福祉協会が、現在では四千五百三十三施設となって多くの実を結び、知的障害者の人権回復の先駆けとしてあまたの母達に、〝この子達のために″と運動をしていく元気を与えてくれた。「苦しみを知らずして、なぜ幸せがわかるのですか」と筆子の声がきこえてくる。(現代ぷろだくしょんホームページより)
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(今日のお弁当)
魚の塩焼き弁当
肉じゃが
酢の物 他2品
(以上、汐見台コミュニティ)
(今日の夕食)
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