備忘録

2012年12月28日 21時36分16秒 | Weblog
いつも当ブログを閲覧戴き有難うございます。
これから下記画像以下記す内容は大変陰鬱な内容で皆様の気分を害する恐れがございます。
あらかじめご了承戴きますよう、よろしくお願いいたします。
尚このエントリーを持ちまして今年最後の更新とさせていただきます。
新年からの更新ではいつもの駄文に戻ります事をお約束させていただきます。
皆様におかれましては良いお年を迎えられますよう、よろしくお願い申し上げます。










 昨日こむぎを死なせてしまいました。
味噌を異食しての塩分中毒でした。
一昨日の20時半ごろ、帰宅した私にこむぎの出迎えはありませんでした。
母に風呂に入れられていたのです。
普段なら閉まっている味噌の蓋がこの日は緩んでいたらしく、こむぎがそれを見つけ食い散らかし、
顔を味噌だらけにしていたからだとの事。
その時はまだ笑い話でした。
 22時過ぎ、状況は一変しました。
大量の嘔吐と震えがこむぎを襲っていました。
主治医にTELするも繋がらず、以前ガスパールを診て貰った倉敷の夜間診療所を受信する事に、
風呂上りだった私は髪を乾かす間もなくこむぎを抱いた母を乗せ車を走らせました。
年の瀬の所為か夜間にしては車が多く思った以上に時間が掛かりました。
当日の当番医はかつてガスパールの主治医だった先生、若いですが信用できる先生です。
血液検査の結果クレチニン値が測定許容量をオーバーしているとの事。
状況からして敗血症を起してても良い筈だがその様子は無く命に危険はとりあえず無いだろう、
対処両方しか手は無く落ち着くまで2,3日は掛かるだろうとの所見。
皮下点滴と利尿剤が投与され絶飲食、本来なら入院した方が良いが明日が休診日にて対応が難しいため
朝一番で主治医を受診するようにとの指示、カルテは主治医にFAXされました。
帰宅したのは24時頃でした。
ふらつきながらも多少落ち着いた様子のこむぎは自力で寝床に入っていきました。
 明けて朝7時、出勤前の私の声掛けにこむぎは顔を上げて答えてくれました。
この日こむぎを受診してくれたのはカミさんでした。
10時、そのカミさんからTELが入りました。
丁度外回りをしていた私は主治医院の駐車場でカミさんと合流、聞けばこむぎの状態がよろしく無いと言う。
指示された絶飲食が裏目に出て脱水を起こし脳にダメージを与えている恐れがあり障害の残る可能性があり、
最悪の事態も覚悟しておいて欲しいといわれたとの事で、この深刻な状況を母達に話せないとカミさんが言うのです。
その場で私から母に連絡、母の仕事の終わる時間に合わせカミさんと母が再度病院を訪れる事となり、
私は目と鼻の先に居るこむぎに会う事無く仕事に戻りました。
 18時、カミさんよりTEL、こむぎが日中に痙攣を起こし心配停止状態に陥り現在人工呼吸を受けているとの事、
今から病院の方に来れないかとの内容でした。
この日私は宿直日で会社に泊まり込みでした。
あと30分電話が早ければ病院に行く事は可能でしたが既に宿直体制に入っており抜けることは不可能でした。
この時点でクレアチニン値は一応測定可能地内に収まっていたそうです。
私の唯一の希望でした。
そして回復を確信していました。
 明けて8時19分、カミさんからのTEL、主治医からTELがありこむぎが息を引き取ったとの事でした。
母が引き取りに行ってくれ、小さな棺に入れられたこむぎはその日のうちに荼毘に伏されました。
26日の朝、私が声をかけた時に見せた顔が私との最後でした。
朝の宿直室で一人泣きました。
あの時こむぎの頭を撫でた感触が今も手のひらに残っています。
 平成21年の9月23日、生後3ヶ月のこむぎは我が家にやってきました。
売り逃げ閉店のペットショップで500円で売られていたのを見つけたのは私でした。
ミニチュアシュナウザーとマルチーズのMIXである彼女に惹かれた私は、
「ウチに来る?」
と声を掛け家に迎え入れる事としました。
家に帰る道中、真っ白というより銀髪の彼女の姿から小麦粉を連想し“こむぎ”と名づけたのも私でした。
 家での教育係りはもっぱら親父でした。
親父は犬嫌いでした。
犬(猫も)嫌いですが私や母親の強引さに折れ、買うことを渋々了承している状況でした。
散歩も定年し隠居している親父の役割でした。
「犬嫌いなのに何故散歩してるの?」
と近所の方によく聞かれます。
親父曰く
「嫌いだからこそちゃんと躾ておかないと適わん。」
との事で理には適っているのかと。
先代のチェリーには決して自分から触ろうとしなかった親父が気が付けばこむぎを抱き上げ満面の笑顔で撫でるようになっていました。
こむぎも親父の言う事は誰よりも聞いていました。
その親父が今日、夕食前
「寂しい」
と溢しました。
この3年間こむぎと誰よりも一緒に過ごした時間が長いのは親父でした。
 日が経って無い所為か私も仕事から帰宅しこむぎを探してしまっています。
自宅2階から1階に下りるたびに探してしまいます。
居ない事を自覚するたびに涙が溢れそうになります。
多分当分続くでしょう。
家族全員がそうでしょう。
恐らく親父が一番辛いのだと思います。
その親父が今、こむぎの居ない事が普通の日常を作り出そうとしています。
私はそのことを尊重しようと思います、状況をすぐに受け入れる事が出来ずこむぎを探し続けると思いますが。
 こむぎを死なせてしまったのは間違いなく私たち一家です。
こむぎには全く責任はありません、そのことを私達は受け入れなくてはなりません。
 生き物を飼う資格が無いのかもしれません。
だからと言って今我が家に居るガスパールやペネロペ、シエルにメダカ達をどうこうしようという気は毛頭有りません。
ほとぼりが冷めた頃、また犬を飼うかも知れません。
 こむぎはまだ3歳半でした。
平均寿命からして後10年以上私たちの傍に居てくれると思っていました。
自分より体の大きな犬にばかりじゃれて行くこむぎに友人の飼い始めた大型犬と遊ばさせるのが最近の夢でした。
 こむぎは決して怒りせんでした。
何をしても自分にとって遊びでした。
食い意地が張ってて何でも食べる子でした。
隙有らば盗み食いしようとする子でした。
正に遊び盛りの子でした。
今回彼女は何も悪い事はしていません。ただただ私達が不注意でした。
悪い事をしていないのに私たちの不注意の所為で苦しい思いをした挙句死んじゃいました。
理不尽です、理不尽極まりないです。
 私達はこむぎに謝る事しか出来ません。
しかし謝っても彼女は帰ってきません。
私たちの家に来ず他所の家庭に行けていたならきっと今も元気でいたことでしょう。
 でもこむぎと一緒に居た日々は本当に楽しい日々でした。
職場で嫌な事があっても家に帰ればこむぎが癒してくれました。
「ありがとう」としか言い表しようがありません。
出来る事ならもう一度彼女を抱きしめたい。
一緒に色々なとこに出掛けたかった。
 でももう後の祭りです。
人とか獣とか関係なく彼女は私たちの家族であり娘でした。
その事を内に秘め自分への戒めとしてこの先も生きていこうと思います。

ありがとうございました。