あんな時代もあったねと

2009年06月25日 21時34分34秒 | Weblog
              
今日は荷物が無かったおかげで手ぶらで出勤
オマケに早番だから夕練もしっかり出来そう
そう思ってたら食パン1斤頂きました
バッグ持ってきてれば背負って帰れたのに
これじゃぁ夕練する気も起きない
オマケに帰宅途中に(週刊)モーニング買って帰っちゃったから
一度帰宅してそれからって気もじぇんじぇん起きません
アスリート失格ですなアスリートちゃうて
帰宅したら介護福祉士の登録証が届いてたよ
舛添のオッサンの判子押してあったよ




                 
GOGGLE
1989年2月号
昭和が終わるチョット前、
ワシはこの当時たかだか380円の雑誌の特集にノックアウトさせられてしまった。

当時世間(バイク界)では青木宣篤が最年少国際A級に特別昇格し、
ちょっとした騒ぎになった年。
ワシ的にも大騒ぎだったのだが、既にカフェレーサー菌に感染、しかもXLCRと出会っていた為に、
ハーレーダヴィットソン(チョッパー)にまで興味の対象が拡大しつつ、
前年よりTV大阪で始まったWGP中継にも熱中するという、
無節操かつ大忙しな状況下に先の雑誌の特集を目にする事になってしまった。

H-D XLCR1000('77)

発売当時、
「世界で最も美しいモーターサイクル」
と称され、同時に
「大柄でなく腕力に自信が無ければ、芸術品として鑑賞した方が良いだろう。」
と揶揄されたオートバイ。
このバイクについての詳細については割愛させて頂くが、
このオートバイを始めて(雑誌で)みたときに、ワシは物凄いカルチャーショックを受けてしまった。
ハーレーと言えば、

もしくは

こういう認識しかなかったのに思いっきりスタイリッシュな奴が現れたのである。
例えるなら鉄人28号とアトムしか知らないアニメオタクが、
何の予備知識も無しに宇宙戦艦ヤマトと機動戦士ガンダムと伝説巨人イデオン劇場版2作を
不眠不休で見させられた様な衝撃であった。
大袈裟かもしれない、だがしかしワシの価値観は根底から覆させられたのである。

そういう状況下においてのGOGGLE誌はタダでさえ危険な存在であった。
ワシの脳は確実にカフェレーサーという、ある意味異端なカテゴリーに犯されていた。
そのトドメが昭和64年2月号の特集
「カフェレーサーの回帰」
である。
以来20年、カフェレーサーに関する多くの記事、書籍を目にしてきたが、
ここまで端的に且つシニカルに、しかもモーターサイクルのみに視点を当てた記事を
ワシは見た事がない。
この偏った記事のおかげで、ワシのカフェレーサー感というものは、
他がまるで宗教のように崇めるエースカフェやロッカーズとは縁の無いところで展開する事となる。
この2月号はワシのバイブルと化し、20年経った現在、未だに我が家の本棚に唯一収まり続けている。


そしてこの雑誌から数年後、
本当にXLCRのオーナーになってしまった。


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