父の悲しみ2
私達は、2度目の母も病気で亡くしました。医師の話によれば、当時は助かる見込みがほとんどないと言われた病でした。まだ小学生だった妹と義母と暮らす毎日は父にとっても、たいへん心が痛む日々だったと思います。
私も姉もすでに嫁いで、離れた県外に住んでいました。私と姉は義母の手術の回復を待って、お祝いをしました。義母と妹が、まず私の家に泊まり、飛行機で姉のいる所へと行き、姉の家に泊まることでした。義母は初めて乗る飛行機に大喜びをしてくれました。
そして、父の提案で、3家族で海辺のホテルに宿泊して、遊んだりもしました。
やがて、義母の身体はまた具合が悪くなり、入院したのです。私は出来るだけ、実家に帰って入院している義母と実家の家事をしてきました。
父は、義母には病名を知らせていませんでした。其のことは私達姉妹にも話されていたので、同じように内緒にすることになりました。けれども、義母は次第に身体が弱ってくると、周りの慰めも耳にしたくないようでした。
私にも、「身体が回復している気がしない。」と言っていました。
そうして長い闘病生活の末に父と妹を残して、亡くなってしまいました。
その通夜に、ある女性が慌てた顔をして、父を訪ねてきました。あろうことか、父は多額の請求書を差し出されたのです。
その女性は駅前通りで洋裁店をしている女性でした。義母に未納の多額のお金があると、言ってきたのでした。
父は姉と私に請求書を見せて、「何か聞いているか?」と「お金の事は知らないけれど、あの店で洋服を作っていたのは、知っていたよ。オーダーだから高いよ。でもこんなに沢山残っていたなんて・・・」
父の顔はそれまで見た事がない程の怒りに満ちていました。私は必至で、「お義母さんは、病気だったんだから苦しくて気持ちを紛らわしたかったんだよ。」そう言いましたが、父は黙ったままで、怒りを抑えているようでした。
父の性格からすると、金額もあるが、自分が知らなかっことも、悔しくて辛かったのではないかと思いました。
その後、支払ったと聞き、父は2度とその話はしませんでした。
義母の病について、みんなで内緒にしていたのですが、当時の私は、父の愛情とはそういうもの、と思っていました。信じて疑うこともしませんでした。
でも、歳を取って見て、少し義母の気持ちを考えたら、義母は孤独感に包まれていたのではないかと、思います。
一度は回復を見せていたのですが、やるせない気持ちとの闘いは続いていたのかもしれません。父の思いやりは、義母には寂しさと孤独という二つが胸を占めていったのかもしれません。ひとりで、病と向き合っていたのです。誰にも自分の病についてわかってもらう事がなかったからです。
父の愛情はとてもよくわかりますし、女としての義母の気持ちもよくわかります。
だから、義母は高価な服を作って、気持ちを帳消しにしたかったのではないかと、今になって思うのです。
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「父とわたし」は数年前に書き置いたものです。私は小学校5年までは田舎で過ごした後、都会へ引っ越しをしました。父とわたし達姉妹がどのように過ごしたのかを、私の子供達へ残すつもりで書き記したエッセイです。